極上生徒会 〜第53期生〜

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34風の谷の名無しさん@実況は実況板で
>>31
しまいには「その対象が好きじゃないと研究してはいけない」
とかいった奇妙な倫理がまかり通る。でも、アルミニウムの研究をしている
優秀な金属工学者が、「アルミニウムが好きで好きでたまらない」か、
と問われれば、必ずしもそんなことはないでしょう(笑)。でもなぜか
音楽研究については、研究対象への愛着が要求されてしまいがちで、
それが僕には居心地悪いです。「好きなもの研究」はもうやめましょう、と思う。
「音」だけに特化する言説が多すぎると思うんです。民族音楽学では、
音楽は「音」「概念」「行動」という三つの水準の相互作用によって構成
されると考えるんですね。この三つの側面を同時に考慮に入れないと、
音楽のダイナミズムやリアリティは理解できない。だから民族音楽学だと、
音楽をめぐる概念や思考、またそれを支えている社会的な背景の重要性を、
聞こえてくる音以上に強調するんですね。ところがよくある音楽批評は、
聞こえてくる音をどういうふうに捉えるか、それは自分にとってよいか悪いか、
といった問題系だけに拘泥しすぎているところがあるんですよね。
それはあまり生産的じゃない。たとえば菊地成孔さんみたいなアクチュアル
な音楽家が、音を具体的にどう使っているかを分析してくれるのは非常に
勉強になるんだけど、その水準だけでは捉えられない部分も大きいわけです。
いわゆる「現場」とは異なった場所で音楽を考えているアカデミックな研究者が
有効な議論を提供できるとすれば、概念や思想、人々の生産行動や受容のあり方
といった水準がどう音と結びついているかを、美的な価値判断を離れて提示
することなのではないかと思います。