>>886 萌えは愛ではない。愛というものはその人の成熟の度合いに関わりなく
誰もが簡単に浸れるような感情ではない愛するというのは技術である。
知識と努力が必要だ。こちらから愛する必要はなく、こちらの成熟度とは
関係なく無条件の愛を受けられるであろう萌え。マゾヒズムを克服できず、
愛する技術の習得に失敗した男性(または女性)。神経症的な彼ら(彼女ら)は
生きていくためにデイドリームを見、日々の出会いの中で萌えを体験していく。
この事実を受け入れられない君に福沢先生からの有難いお言葉をあげるよ。
福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)
日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。