極上生徒会 〜第52期生〜

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510風の谷の名無しさん@実況は実況板で
>>508
例えば文学を研究していても、文芸評論家や文学研究者と作家とのあいだの
立場や見解の違いというのは絶対に残ると思う。
それこそ作家同士だって、違う立場同士よく喧嘩したり泥仕合をするだろう。
素人の読者が直感的に本質をつかんでいる場合も珍しくないし、
プロにはプロなりの(表現者であるが故の)バイアスが存在することも忘れちゃいけない。
少なくとも、「玄人」と「素人」の区別をそういう意味で絶対視するべきではない。

ただ、「お勉強」した「玄人」に良い点がありうるとすれば、そのひとつは
「素人」が半ば無意識のうちに感じることしかできない点を、明確に意識化して
言語化したり理論化できるという点だと思う。
本来、そういう役割を担うために存在するのが評論家のはずなのだが…
どっちにしても、プレイヤーがこの意味で「素人」よりもジャズを良く
(意識的なレベルで)よく「理解して」いるならば、演奏している人間こそ
ちゃんとした評論でも書いて、聴き手の質の向上にでも貢献するべきだろう。

音楽で聴き手に伝えたいことを伝えることができず、言葉でも「理解」を
ちゃんと伝えることができずに、リスナーに対して「俺たちはジャズを理解している、
お前らは何も理解していない」とただ当たり散らすだけのプレイヤーってのは、
いったい何のためにこの世に存在しているのか、惨めで悲惨だね。
ジャズをそんなに深く「理解」しているなら、何故その深い「理解」を、
聴き手とより良くコミュニケートするために使おうとしないのだろう?
むしろ彼らが必要とするものは、「お勉強」とは別のところにありそうな気がする。