(山梨日日新聞2004年4月17日)
横山光輝氏を悼む
松本零士
十代のころから敬意を抱いていた漫画界の先輩、横山光輝さんが十五日、
旅立ってしまわれた。独自の境地でなお描き続けていただきたかっただけに
胸が痛む。私がまだ駆け出しのころ、横山さんは既に大家であった。雑誌
「少年」に連載された「鉄人28号」を私は第一回から愛読していた。
出会いは忘れもしない、私が十八歳になった年の十月だった。東京の
出版社に初めて雑誌連載の仕事を得た私は、半年間ほど北九州の実家
から送稿していたが、出版社の勧めで上京した。護国寺の和風旅館二階の
六畳一間に缶詰めにされたその日か、明くる日のことだ。
何の予告もなく、突然ふすまが開き「こんにちは。横山です」と入って来ら
れたのである。あの「鉄人28号」の作者が目の前に立っている。驚きだった。
たまたま仕事先の出版社が同じで、「面白いやつがいるらしい」と、編集部
から居場所を聞いて訪ねてくださったという。その記憶は今も鮮明だ。
横山さんは、当時の漫画界の状況や仕組みについて、ご自身の体験を
語ってくださった。「鉄人28号」執筆の様子なども気さくに教えてくれ、「これ
までの科学漫画と違うものを描くんだ」とおっしゃっていた。新人の私も全く
同感だった。
上京の際に乗った夜汽車は、私の最後のSL体験で、後に「銀河鉄道999」
の母胎となった。そして東京で最初にお会いした本物の漫画家が横山さん
だったのである。この時の印象から、私は横山さんがずっと年上の方と思
い込み、わずか三歳年長だったとは今まで知らなかった。人生のほぼ同じ
時間、漫画を描き続けてきたことを思うと、あらためて運命の糸を感じずに
はいられない。
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(続き):04/04/17 21:29 ID:3z/ZgIir
アニメや映画の世界で一世を風靡(ふうび)し、今や珍しくなくなった
「空飛ぶ人間型巨大ロボットもの」を創造し、土台を築いたのが横山さんだ。
戦前に大城のぼるさんが描いた工業用ロボットなどの例はあるが、いずれ
も歩くことしかできなかった。コントローラーで操られ、飛行して活躍すると
いう、今日に続くタイプは「鉄人28号」が元祖である。
当時、鉄人27号とか29号といったイミテーション漫画まで出現した。著作
権がずさんな時代の産物だったが、類似品はどれも「鉄人28号」に歯が立
たず消え去った。横山さんのクリエーションは抜きんでていた。
人体サイズのロボットの先駆者・横井福次郎さん、「鉄腕アトム」の手塚
治虫さん、「仮面ライダー」の石ノ森章太郎さん、「ドラエモン」の藤子・F・
不二雄さん、そして横山さんの五人を、かつて「科学漫画」と呼ばれた分野
の代表と、私は今も思っている。
デビュー時の石ノ森や藤子、赤塚不二夫、ちばてつや、そして私などの
世代が皆、少女漫画から出発したのは、当時の少年漫画界に手塚さんや
横山さんが不動のポジションを占めていたからだ。
到底出番のないわれわれは、先輩が偉大であればあるほど、模倣を恥
とし、独自の世界を構築すべく苦闘し、新たな少年漫画を目指すことが
できたのである。
(談)
まつもと・れいじさん 1938年福岡県生まれ。53年漫画家デビュー。
アニメ化された「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」など作品多数。