ここがすごいよ第10話 その1
もちろん第10話は「うちの田辺が帰ってきた」に尽きるのだ
これは当然ながら第5話で壬生屋さんが帰ってこなかったことへの対比だ
そして「アンラッキー、大吉」で表現されるように戦闘での生死が
運とかマグレとか偶然とか無意味で理不尽なものによってその明暗を分かつことも意味している
「たまたま」壬生屋さんは帰ってはこれず「偶然」田辺さんは帰ってきたにすぎない
「うちの田辺が帰ってきた」この台詞を言わせたいがための第10話なのだ
196 :
185:03/09/17 03:09 ID:ACxg11It
>186,188
じゃあ、映画「バトルロイヤル」みたいに当たったら「運が悪かった」程度の設定でwすか?
ここがすごいよ第10話 その2
使いまわされた戦闘
TV開局50年、幻獣との戦闘は半世紀なのだ
リアルだろうがバーチャルだろうが戦闘映像なんてもんはダダ漏れ
戦闘シーンは細切れにされたカットによってスピード感を出しているとはいっても
間違いなく使いまわしだ。では縦糸と横糸の関係にも似て細切れにされたのは何か?
書き下ろしの童話劇シーンだ
この「童話」というテーマは第1話、第7話という重要話で使われていることからも
新たなる行軍歌の「真」テーマであることに異論あるとは思えない
使いまわされた戦闘と対比されて配された書下ろしの真テーマ
第10話は、新たなる行軍歌が戦闘アニメでは無いことをまさに宣言しているのだ
彼らは本土決戦用の大人兵士を育成する為の時間稼ぎをする存在
捨て駒ですよ
199 :
185:03/09/17 03:34 ID:ACxg11It
>198
それはゲームでは通用する設定かもしれないが
幻獣が出た時以外、今の日本と変わりないあんな緩んだ感じじゃ納得行かないな。
ここがすごいよ第10話 その3
万能の祭ちゃん
繰り返しになるが「うちの田辺が帰ってきた」は加藤さんによって人情味溢れる表現で叫ばれる
コメディにはもちろん笑いが欠かせないが人情という言葉で代替される涙も必要なのだ
加藤さんが万能少女というのは、こんなところにもあらわれているのだ
そして物語は11話12話とラブラブモードに突入し完結する
第10話は、そんなラブコメ行軍歌の序曲であり大団円へのタクトを振るのは
まさしく我等が祭ちゃんなのだ
以上
ご清聴ありがとう