Chiesaって来年40歳なんですか?

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1初心者
2ちゃんねらーの友人から聞いたんですが
初心者だからよくわかりません。
誰か教えてください。
2Chiesa:01/11/25 07:06 ID:bIYv5V+M
(´-`).。oO(近年まれに見る堕スレだにゃあ。。。 )
3誰だ?:01/11/25 07:06 ID:dXVoxs0p
横山智佐?
4風の谷の名無しさん:01/11/25 07:16 ID:fbxnyuO3
Chiesaの読み方を推理してみよう。
ヒントはスポーツ選手のなりきり。

横山智佐はまじで40逝ってそうだが(w
5名無しさん:01/11/25 07:20 ID:FRusa6XM
Chiesaたん39才だったんか・・・ プッ・・・ あ、失礼
6コテハン問題評論家:01/11/25 07:30 ID:gpvDhaQH
Chiesa 39才
ああああ 28才
超夢銀河王 27才
ジンク・アースラ 30才
ニライカナイ 37才
ホモスキー 27才
極楽刀 22才
弾正 19才
ほとり 20才

年齢が上がるにつれマターリ コテハンになるようです。
対照的に年齢が若いほど血の気が多い。
7名無しさん:01/11/25 07:41 ID:xR8fO9BN
>Chiesaの読み方を推理してみよう。

ちーざ、でしょ?
8ななしたん:01/11/25 07:42 ID:QgZrvmXC
チーズに一票
9 :01/11/25 07:44 ID:ESbO7riw
シーサーじゃないの?
ほら、沖縄の…
10 :01/11/25 07:45 ID:FRcICl87
チーズはどこへ消えた?
11 :01/11/25 08:00 ID:iE0FWj0i
モッツアレラチーズって知ってる?おいしいよ
12ENRICO CHIESA STORY:01/11/25 08:30 ID:4kvEh6h1
彼は1970年12月29日生まれ。ジェノヴァ出身。
早くに父アドリアーノを亡くすが、インテルの大ファンであった父にはサッカーの楽しさを教えて貰う。

ジェノヴァの名門サンプドリアは幼いエンリーコにとって憧れのチームだった。
彼のサッカー人生はD2のチームから始まるが、数年もしない内に
憧れのセリエAチーム・サンプドリアに入る。

だが、才能のあふれた少年たちが大勢いる場所である。
運もあるが、彼の場合才能を花開かせるのにかなりの時間を必要とした。

そう・・・彼の苦悩の道は思わぬ方向へと進んでしまう。
1987年17歳でサンプドリアに入ったエンリーコは、3シーズン過ごすが、
その中で試合に出場したのはたったの1度。

まさかその1試合でシュートを決めることなどできない・・・・

その後、エンリーコはテラモ(TERAMO)と言うセリエC2のチームに
飛ばされる。そのチームでは31試合出場し、5得点。
次の年はC1のキエティ(CHIETI)に移籍。24試合出場し、6得点。

その翌年の92年のシーズンにはまたサンプドリアに呼び戻され、26試合出場するが、
その結果は散々たるもので、フォワードとしては最悪の1得点という成績だった。

このとき、エンリーコは22歳である。
若いときから才能を開くことが出来れば一部の少年たちはUー21やU−18など
イタリア代表として出場できる。しかし、彼にそんな余裕などない。

12歳の夏に母親と行ったヴァカンス先、サルディーニャ島で出会ったフランチェスカと恋に落ちた。
この時期彼女との結婚を考えていた彼にとって、生活することが何より先決されるべき事態だった。
15の時から水道局の下働きとして働きながら、サッカーを続けた。
父を失い、母と2人になってからもずっとサッカーをしながら働き、
働きながらサッカーを続けていくのである。
13ENRICO CHIESA STORY:01/11/25 08:31 ID:4kvEh6h1
それにしても・・・・彼にとって失意のシーズンだった。
自分の育った街で名門と言われるサンプドリアというチーム。
地元の彼ではなく、イタリア各地から来た少年たちがサッカーボールを蹴り、
シュートを決めていく。しかも試合はイタリア以外の国から呼ばれた選手もいる。
(自分は一体何をしてるんだろう?)
何度も何度も・・・・嫌になるくらい考えていたに違いない。

サッカーを始めたのは今はいない父親の影響だった。
インテルが大好きでよく試合に連れて行って貰ったし、
地元のサッカーチームの練習風景も一緒に見に行った・・・・  
さらに小さい頃から憧れたのはスーパースターはディエゴ・マラドーナ。 
ワールドカップで見せた5人抜きのドリブルは今でも目に焼き付いている。

けれど・・・・・・・
才能は誰もが持ってるわけではない。  
それに近づけることは出来てもその才能を花開かせることは簡単なことではない・・・・・ 
分かり切っている。 
そんなこと分かってる。

イタリア以外にも世界中からトップレベルの選手たちが集まってくるのがセリエAなのだ。
勝ち抜くために練習を重ねるしかない。運も味方にして行かねばいけない。 
そんなこと誰かに言われなくても自分が一番よく分かってる。  
試合になれば緊張するし、活躍しなければいけないと力んでしまう。  
身体と動きが一体化しない。

結局、サンプドリアに帰ってきても次の年にはまたBに飛ばされることになった。
Aじゃないから気を緩める?
Bだからどうでも良い?
そんなことを言ってる間など自分にはなかった。
どんな境遇に立たされても、努力と練習を重ねた。
無我だった。
夢中でボールを蹴った。
14ENRICO CHIESA STORY:01/11/25 08:31 ID:4kvEh6h1
「同じチームに2シーズン以上居ることが出来ないのか?」 そんな質問を受けたことがある。

僕は一体・・・・・???

いや、そんなことを考えるのはよそう。  
家に帰ればフランチェスカが待ってるし、ママが応援してくれる。 
墓参りするたびに親父が言っていたことを思い出す。  
「一流だけが良いんじゃない。一流になるまでは三流も経験しないと!」

93年にBのモデナ(MODENA)、94年にAのクレモネーゼ(CREMONESE)で
30試合以上出場し、14得点。
95年に3度目の正直と言うべきかサンプドリアにまた呼び戻され、
27試合出場過去最高の22得点を叩き出す。
26歳になる年のことだ。

この活躍がフランスワールドカップの監督であったチェザーレ・マルディーニの目に留まり、
念願のイタリア代表に招集されることになった。
遅すぎた?26歳で代表になること・・・・?
いや、そんなことは全くない。絶対にない。

後半の20分過ぎからの出場が多かったものの、アズーリ色のユニホームは
身体と一体化する感じがする。

その年フランチェスカは出産した。
息子だった。
僕はその子にファデリーコと名付けた。
彼の名前は平和を愛する神の名前。

彼女は幸せそうだった。
僕は最高に幸せを感じていた。 
アズーリに招集され、子供が産まれたんだから。
僕の目には一瞬だったけれど息子が天使に見えた。
15ENRICO CHIESA STORY:01/11/25 08:32 ID:4kvEh6h1
その次の年の(96/97)シーズン5年契約でパルマに移籍が決まっていた。
相変わらず後半に交代したり、後半から出場したり・・・
今までのこの経験を通じて、努力がいつか実るんだということを身に染みて知った。
人が哀れむことを投げ出さずに努力を積み重ねた結果だと思う。
僕は負けなかった。
僕は決して諦めなかった。
Bに飛ばされてもCに飛ばされても投げやりになることはなかった。
僕にとって、それが今の自分を作ってると思う。

思わぬ方向に道は開いていく。
パルマで3シーズンを過ごした。このチームではUEFAカップ優勝、
コンスタントに10得点を入れることが出来るようになっていた。
そして99年6月、21億円を移籍金としてパルマに払い、フィオレンティーナが僕を呼んでくれた。

年俸として2億5000万円フィオからもらうことになった。
お金の問題は別としても、フィレンツェの話をしたとき、フランチェスカが一番喜んでくれた。
人に自慢できない道草もしてきたし、その度彼女に苦労をかけたと思う。
当時監督をしていたトラッパットーニのもとでサッカーをしてみたい思っていた。
移籍するにはちょうど良い環境だったし、ちょうど良い時期だった。
事実フィレンツェで選手生活を終えようとしているのかも知れない。

サッカーをしていて良かった。
ここに来て良かった。
僕はフィオレンティーナのチームメイトとして初めての試合(99年8月29日対バリ)で
開幕初ゴールを入れた。
最高のシーズンの始まりだった。
僕は大きく空に向かってガッツポーズをした。

(終わり)  http://www.kyouiku-net.co.jp/~kyfm0014/chieza-room.htm
16age:01/11/25 23:46 ID:qp35rOZj
age
17 :01/11/25 23:51 ID:jCfF3Ygu
雑魚コテハンのスレ立てるなよ
自作自演だろうけど
18名無しさん:01/11/26 09:55 ID:xm7e8fhv
Chiesaはドラクエのアニメキャラだからしようがないよ。
19名無しさん:01/11/27 01:17 ID:y9W+6kFU
Chiesa40代あげ
20Chiesa
(´-`).。oO(どうして年齢がばれたんだろう。。。 )