【お肉壺】QB師匠の窪みを語るスレ【股間が竹の子】 4

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584 ◆yIOXwfeSEE
>>462
いわゆる中二病というのが第一印象です。

この詩は、思春期にに「大人達は汚い」「大人達は汚れている」「大人達は何もわかってない」「大人達は答えをはぐらかす」
「自分は能力があるのに評価されない」の延長線上にあるのかなと思ってます。

ここで「間違っていたのは世界の方だ!」とギアスを発動すれば、後に黒歴史として認識する程度の病状で済みそうです。
キャラを自分に投影させ「違う、間違っているぞ!」といったところで、「え、それってルル?マジ受ける」なら
まだいい方で、たいていは「ギアス厨、ウザい」と叩かれて修正されていくわけです。
比較的早くに罹患した場合は社会に参加していくことで、いやおうなしに治癒していきます。

しかし、遅くに罹患した場合や、カルトルート、スピリチュアルルートに分岐してしまった場合はやっかい。
「人類補完計画」をフィクションとして楽しめればいいのですが、ああいうのを大真面目に考え出してしまったら
非常にやっかいです。

   1978年 南アメリカ「人民寺院」信者914人が集団自殺
   1986年 和歌山「真理の友教会」女性信者7人が教祖の後追い自殺
   1993年 テキサス州「ブランチ・ダビディアン」FBIと銃撃戦の後集団自殺、死者86名
   1994年 スイス、カナダ「太陽寺院」信者53人が集団無理心中
   1997年 カリフォルニア州サンディエゴ「ヘブンズゲイト」信者39人が集団無理心
   2000年 アフリカのウガンダ「神の十戒復古運動」信者約4千人が集団自殺

「世界」と「自分」達の折り合いがつかなくなってしまった人達の末路がここにあります。
とまあ、両極端な例を取り上げてみましたが、世の中で圧倒的に多そうなのが中間層です。

中二病は完治しないけれども、革命への野心を持つわけでもなく、宗教に帰依するわけでもない。
だけど世の中が間違っていて、自分達は正しいんだよってポジションにいたい。
この詩はそんな人達のお守りみたいなものかな、というのが正直な感想です。あの詩を要約すると

> 真実を知り「憂鬱(ブルー)」から抜け出し、藍色(インディゴ)の空を経て、透明(クリスタル)な世界に到達しよう。

というわけで、結局は何も言ってないに等しいわけです。
中谷彰宏ほどエンターテイメント性があるわけではなく(ファンの方、不快に思ったらごめんなさい)
マーフィーの成功法則(マーフィーの法則ではない)ほど(何やら成功しそう)と思わせるわけでもないのですよ。

この詩は綺麗な言葉を繋ぎ合わせているだけで、人の心に働きかける何かがあるというわけではありません。
何回か読み返してみましたが、上記の要約でしかないんですよね。

本来ならひっそりとネットの片隅で埋もれ、作者とその仲間達のお守りになっていれば害もなかったのでしょうが、
今回の事件で衆目に曝され、その幼児性と自己愛が指摘されました。

結論「ピュアな僕らがつくる綺麗な世界」と叫ぶ子供に対して「ああ、そうよかったね。」と受け流す感じかな。
あれ、いい大人の作品だとしたら、きのこ先生じゃないけど「キメてんのか?」としか思えません。
激しく嫌悪する腐女子先生の方がまだやさしいのかなと思います。

でもやっぱり性質が悪いって言えば悪いかな。この手の人たちってのは、自分達が「自己愛」とすら
かけらも思ってませんから。きれいな言葉、きれいな考え方、間違っているのは現実。
こういうのを無自覚に信じられるというのは実に恐ろしい。組織に流されるがまま行動し、
事件を起こしては「私たちは騙されていた」「私たちはむしろ被害者だ」とのたまうわけです。

ベルバラは未読ですが、意志を持った悪役というのはわかりやすいし、突き抜けていてどこか魅力的ですらあります。
でも、自分の意志を他の誰かに預けた人達ってのは本当に気持ち悪いわけですよ。

オウム真理教は麻原という異形が悪として裁かれた格好になってますが、この事件の本当に恐ろしいところは、
いわゆる一般市民と呼ばれる人たちでも、自らの意志を他人に預けてしまうというところかな。

弱い自分、矛盾だらけの世界というのは確かにそうなんだけど、そこで歯を食いしばって何とか生きていくか、
頭をお花畑にしてカルトな世界に逃げちゃうか、皆様もルート選択は間違えないように。

自戒の念も込めて。
585 ◆yIOXwfeSEE :2009/08/24(月) 16:34:45 ID:TQUa20JD
さて、キーボードの勢いで、続けてChristmas Time In Blueにも触れてみます。
僕の稚拙な文章よりも、歌を聴いてもらった方が確実だし、歌詞もいいかもしれない。
絵がわかる人ならジャケットを見ることで、腐女子先生がのいう「博愛」というのが伝わるかもしれません。
(文末にリンクを付記しておきます)

J-POPのたいていのクリスマスソングのほとんどは恋愛を歌ったもので、それはそれでありだと思うんだけど、
本来のクリスマスの意味とはちょっと違うよなと。で、Christmas Time In Blueの魅力の一つは

愛している人も
愛されている人も

泣いている人も
笑っている君も

平和な街で
闘っている街で

大切な人も
離れてゆく人も

よく働く人も
働かない人も

うまくやれる人も
しくじっている人も

お金のない人も
ありあまっている人も

古い人達も
新しい人達も

教えられている人も
教えられている人も

と、この世界の事象全てが対象になっているところなのです。それは善悪を超えたところにあります。
争いや怠惰は悪い点ですけれども、世の中からこれらをなくすこともまた不可能なわけで、眼を逸らさずに
世界を見つめて、それでもせめてこの聖なる日くらいは「Tonight's gonna be alright」と歌いたいのです。

これがカルト的になると世界と向き合わず、自分が世界という、いわゆるセカイ系になってしまうわけです。
(セカイ系と呼ばれている作品を貶める意図はありません。エンターテイメントとしてはセカイ系はおもしろいです)

渡米してカルチャーの表層を真似るのではなく、その本質を日本に持ち帰って表現している佐野元春さんは
本当にすごいと思います。彼の作品は今、聴いても全く色あせていません。

この曲が収録されているアルバムはCafe Bohemia、お勧めのアルバムです。
No Damageも超お勧めです。TSUTAYAで一気に2枚レンタルしても後悔させないですよ。

P.S.
聖なる夜に口笛吹いては確か12インチシングルだったような。
CD、iPodとどんどんメディアは変化してジャケットを鑑賞する機会が失われていますが、
あの大きさと質感は音楽とともに感じて欲しいものだと思います。
ジャケットからレコードを取り出して針を落とすという行為が、単に音楽を聴くというだけではなく
どこか神聖な儀式を連想させるんですよね。

動画 : http://www.youtube.com/watch?v=QR2fReqMASM
歌詞 : http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=F00154
ジャケット : http://g-ec2.images-amazon.com/images/G/09/ciu/bb/0d/c62931e29fa016eea07b8110.L.jpg