【まどか☆マギカ】ほむら×さやかスレ8【さやほむさや】
さやかちゃんのカレーだと?(スカ的な意味で)
申し訳ないが糞と魔法少女はNG
ほむほむは何か凝って作りそうなイメージ。
さやかはこう・・・切れてない人参が入ってそうなイメージ。
んでお互いのカレー食って文句言いつつも全部平らげると幸せ。
この二人が仲良くなったら円環の理から裏切り者扱いされるってことはさすがにないよね
仲良くなったらまどかがどんな反応するか興味がある
>>777 俺は逆かなぁ
ほむほむは料理の経験無くて知識はあっても手際が悪いイメージ
さやかは恭介のために料理の練習くらいしてそう
映画見た感じだと2人とも料理できそうだけどね
お互いのカレー食って、だと?(スカ的な意味で)
勝手にほむらの家に入り込んで色々料理するさやか
ほむらはうざったそうにしながらも、タダメシを食べられるので容認状態
しかしこれで胃袋を抑えられたほむらは、自分がさやかの術中にはまっていることに気づかないのであった
食べ物って重要だからなあ
誰かの手料理食べれるだけでも幸せ感じるから、これがもう毎日だとしたら
さすがにほむほむもさやかに心寄せるだろう。
ほむさやの夢見たわ
新作のOP映像って感じで、メガほむとさやかがメイン
犬カレー空間とはまた別の狂気なシーンが多々あった
>>779 ほむほむは手先が器用という設定があって
版権絵でもピアノ弾いたり精巧な砂の城を作ったりケーキの飾りつけを器用にこなしたりしている
だからレシピ通りで完璧なものを作ったりするのは得意というイメージはある
さやかの手先の器用さは謎だが個人的には凝った弁当を作れた事に驚いた口
>>784 裏山すい
狂気のシーンが気になるわww
てか、メガほむとさやかメインってありそうだわ。続編出た時期には
予言してた書き込みがっ!とかになりそう
円環の理には平行世界ですでに導かれてたほむらがいてさやかと仲良ったとか?
>>787 全ての時間と場所に同時に存在するのなら誕生と同時に完結してる存在なんだよね>円環の理
だからもしほむらが最終的に導かれるならすでに円環世界に存在してないといけない
790 :
長文スマソ:2014/07/21(月) 09:08:48.19 ID:dV+dd/JK0
いきなり考察ぎみ長文スマソ
叛逆の物語でのほむさやのシーンといえばこの二つ
・ほむマミ戦後の十字路での対峙シーン
と
・改竄後の対峙シーン
この二つのシーンは劇場とコミカライズでは相違点がある
先ずは改竄後の対峙シーン
劇場版では、さやかのオクタヴィア召還、苦虫を噛み潰したような表情、が
あったのだが、コミカライズではそれが無くなっている
いわば劇場版よりコミカライズの方がほむらに対するさやかの敵対表現がトーンダウンしているのだが
そういう露骨な敵対表現の変わりに
「もっと素直に喜べばいいんじゃないかしら」
「再び人間としての人生を取り戻せたことを」
の、ほむらの言葉の後
「うるさい!」
とばかりにほむらを振り払う表現がある
ここから俺の感想なんだが
人間に戻りたかったのはまどかよりも、むしろ他でもないさやかだったのであり
言ってみたらほむらの言葉はさやかの図星を突いている形
そりゃ魔法少女になる前は自分で幸せバカというぐらいな境遇の上
自分の恋に決着をつけないまま14歳の生涯を閉じたのだから人間に戻りたくて当たり前と言うか
一応ここで纏めると
劇場版はさやか対ほむらを視聴者に意識させる演出重視
コミカライズは対ほむらの表現が薄れてさやか個人の問題を意識させる作り
といった具合なのではないだろうか
791 :
長文スマソ:2014/07/21(月) 09:13:00.55 ID:dV+dd/JK0
本題はこちら
・ほむマミ戦後の十字路での対峙シーン
こちらは劇場版とコミカライズで大きくて明らかな相違点がある
先ずコミカライズ版で注目すべき点はここ
「あたしはあんたが知ってる通りのあたしだよ」
「転校生?」
と、さやかが言った後
ほむらがさやかの殺気を感じて「ゾクッ」とする描写がある
これは
「ここで私を拒むなら、どうせあなたは死ぬしかない」
と、ほむらが言った後
さやかがほむらの殺気を感じて「ゾクッ」とするアニメ版コミカライズであった描写とリンクさせているように思う
思う、というか同じ
ようするにさやかはあの時の仕返しをしている訳だw
個人的な感想としては
劇場版はさやかをミステリアスな存在として意識して描いており
さやか独特の人間臭い部分を排除している
(逆にほむらはアニメ版のミステリアスさは影を潜め、泥臭く足掻く人間臭さがクローズアップされている)
だから「仕返し」といったある種、負の人間臭い描写は
劇場版さやかのミステリアスさをスポイルする形となるので
一貫した劇場版の描写の方が演出としては正解かな、と思う
792 :
長文スマソ:2014/07/21(月) 09:16:51.11 ID:dV+dd/JK0
そしてこの部分
「あたしたちが行き着く果ての姿だもの」
「同情だってしたくなるわよ」
さやかは自分自身が魔女になっており、視聴者もそれを知っている
・・・あぁ自分達の事を回顧しているんだろうなぁ、と
劇場を訪れた人の涙を誘うシーンであるが、コミカライズではちと様相が違うように思う
「同情だってしたくなるわよ」
と聞いた後
「同情なんてされたくない・・・!」
とばかりに、ほむらがさやかを睨みつける描写があり
「同情だってしたくなるわよ」の台詞のフキダシが、この睨みつけるほむらの顔に掛かっている
纏めると、劇場版ではさやかはただ魔女に同情している、という体だったのが
コミカライズではあたかもこの同情が「ほむら」に掛かっており
ほむらはこの同情を怒って拒絶している
という風に見えるのだ
みなさんはどうだったでしょうか?
さやかが大好きなのは伝わってきた(小波感
お前がナンバーワンだ
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 19:31:48.33 ID:8SdipIpB0
ほむさや派がほむまど派を上回る日は近いな
カプスレの中で勢い最小、
新スレ立てても即死は回避したかなぁという頃には書き込みが途絶えて
そのまま数日後に落ちる。
そんなさやほむスレだった時代があったなんて信じられないぜ…
消火器でほむらが助けられるのは、テレビシリーズとのうまい対比になってるなあとは思った
特に、テレビシリーズ時では視聴者もほむらが善玉か悪玉かよくわからないミステリアスな存在だった
叛逆では逆にさやかがミステリアスな存在としてほむらの前に立ちふさがっていて、テレビシリーズの意趣返しになってるなあと
ただ、キタエリも言っていたけど、叛逆のさやかは単に対立するんじゃなくて、ちょっと同情が入ってる
そこら辺を表現するのに骨を折ったとは言ってたよね
ええんやで
TV版の時点でふたりが仲良かったループも推測できたし(ドラマCDとかで)
ループものとしては時と場合によって関係性が大きく変化するほむさやは一番気になる組み合わせでしたわ
まさか叛逆でここまで燃料投下されるとは思ってなかったけどw
時間が巻き戻されたのか?
ほむら「繰り返す。私は何度でも(同じネタを)繰り返す」
お前らそろそろ杏さやに戻ってこい
このさやかちゃん胸が足りない気がする
俺はこれぐらいが好きだ
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/23(水) 19:10:37.94 ID:igtFALLMi
ほむほむが嫉妬混じりでさやかの胸のを責めるシュチュエーションが好きです
おっぱいソムリエの道は長いぞ・・・
ある日形勢逆転とほむほむのおっぱいを揉むさやか
ほ「…あなたより小さい胸を触って楽しいの?(少し自虐的)」
さ「私はっ、これぐらいがいい…」
ほ「……」
その日以来、二人でいちゃいちゃと揉み合うといいな
貧乳に目覚めてしまうさやかちゃん
>>792 さやかが「同情だってしたくなるわよ」と言った時点では、ほむらは魔女が自分であるという事を知らないので
さやかからの同情に怒る以前に、さやかの同情が自分へ向けられた物である事を分かっていなかったんじゃないかな
あそこでほむらがさやかを睨んだ理由は、ほむら本人の台詞「魔女の肩を持つつもり!?」が全てなんじゃないかと思う
812 :
長文スマソ:2014/07/24(木) 04:27:23.85 ID:75wClnsu0
別に劇場版ではほむらに向けて言ってるようには全く聞こえませんでしたし
睨むシーンも全くありません
ただ、漫画版のこの台詞の見切れ方、表情、コマ割りは明らかに作者が何かを意識して意図的に描いてるな
と、自分が感じただけです
それについての真贋を問うつもりはありません
でも敢えて、ほむらは薄々自分が犯人である事に気づいていたが
自分以外の可能性を必死になって探していた
と考えてみるのも面白いかもしれません
だって自分が魔女になっていたという事は、別の見方をすると
「まどかが自分を迎えにきてくれなかった」
という事ですから、ほむらにとってこれほど悲しい事はありません
きめえ
814 :
長文スマソ:2014/07/24(木) 06:15:21.82 ID:75wClnsu0
まぁそれは半分冗談です
そこで出てくる【同情】の意味は国語辞典によると
・他人の身の上になって、その感情をともにすること
・特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること
であるらしい
実はさやかは昔、自分を慰めるまどかに対してイラ立ちを覚えて
まどかを酷く詰っている
「私の為に何かしようって言うんなら、まず私と同じ立場になってみなさいよ」
「無理でしょ、当然だよね」
「・・・ただの同情で人間やめられるわけないもんね!」
ようするに
私のこの辛い気持ちが同じ立場でもないアンタに分かるはずがない
分かりもしないのに私に同情するな!
と、いうような具合なのか
では、さやかがほむらに寄せる同情というのは、ほむらの事が分かりもしないのに
ただその境遇を憐れんでいるだけなのかというと、勿論そうではない
815 :
長文スマソ:2014/07/24(木) 06:26:43.49 ID:75wClnsu0
アニメ本編のさやかのエピソードは
「アンタ達とは違う魔法少女になる」
と言いながら、ほむらそっくりの魔法少女になっているという皮肉になっていると思う
簡単にかいつまんで言うと
自分の信念を頑なに貫いて、誰も信じず、誰にも頼ろうとせず、助けを拒み、一人ぼっちで戦って、破滅する
といった具合
見滝原の平和を守る事を頑なな使命にしたのも
ある人に対する罪悪感と、その罪滅ぼしが大きな要因になっているのではないかと思う
ほむらそっくりの魔法少女になってた、という事はつまり
ほむらが魔法少女時代に体験した悲しくて辛い出来事を
さやかも体験したという事で
「あぁ見えて一番辛いのはアイツ自身なんだ」
という風に、自分の身に置き換えてほむらを理解できるようになっているのではないかと
だからまぁさやかのほむらに向ける同情はただの同情ではなくて
理解を伴った同情というべきかと
でも叛逆のほむらは
「理解できないのも当然よ」
「えぇ、誰にも解るはずもない」
と、自分に対する他者の理解を否定したり、拒絶してるかのような発言をしとる訳だ
自分の苦しみや悲しみを理解できる他者が叛逆で現れたにもかかわらず
そこんところもすれ違いなのかなと思う
816 :
長文スマソ:2014/07/24(木) 06:42:11.93 ID:75wClnsu0
さやほむのスレでほむ杏の話をするのもアレだが
アニメ本編の時点で、ほむらに対して理解を伴う同情を得られる人物がいたとしたら
それは杏子だけだったように思う
杏子曰く
「傍から見れば胡散臭い新興宗教さ」
「どんなに正しいこと、当たり前のことを話そうとしても、世間じゃただの鼻つまみ者さ」
「・・・アタシたちは一家揃って、食う物にも事欠く有様だった」
おそらく魔法少女になる前から、不自由な生活を余儀なくされていて
周りに疎まれて寂しい思いもしていたのではないかと
その上、魔法少女になってからは最愛の人を破滅させるという絶望を味わっている
(ほむらの場合だと、まどかを自分の手で殺した時の絶望に該当するだろう)
そうやって互いに似たような思いをしているからこそ
互いに理解を伴う同情が得られる訳であるが
彼女達は結局、互いの理解や同情を伴わない手段
「利害の一致」
で、仲間になっている訳だ
だからあそこはあそこで、本当は深く結ばれた仲間になれるはずだったのに
思いっきりすれ違ってると言える
ここはおまえのチラシ裏じゃねえ
ほむらにはさやかと仲良くするメリットって結構あるよね
さやかにはあるかちょっと怪しいけど
好きに書けばいいと思う 俺はこういう書き込みも好きよ
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/24(木) 20:17:33.11 ID:sbshuMMW0
議論・作品評論は大いにやるべき
同じというより真逆の印象を受けたけどなぁ
恭介にヴァイオリンを弾いて欲しいという願いは叶ったが、両想いにはなれなかったさやかと
まどかが神様になったおかげで両想いにはなれたが、まどかが消滅した為願いは叶わなかったほむらと
本編での立ち位置も、それに対する結末も全てが正反対
叛逆のほむらは願いが叶ったけど両想いになれない
さやかと同じ状態じゃね?
どうせ裏で叩き合ってんだから変に取り繕うなよクソ共
案外記憶があったほうがほむらの力になってくれたかもね