☆おりこ周回さやかちゃん☆
セメントで固められたような重い左腕を、上条恭介は忌まわしく思う。
”――少なくとも今の技術では無理だろう。”
医者にそう言われた左腕。
演奏家にとって命とも言える腕を奪われた苦しみは筆舌に尽くしがたい。
「くそっっ…!!」
耳につけていたイヤホンをはずし、CDプレイヤーを放り投げる。
悶々とした心の泥は溜まりこそすれ減りはしない。
いったい何時まで自分は、この忌まわしい病院という監獄に囚われていなければならないのか。
そう考えると気が滅入り、自殺さえ考えたくもなる。
と言っても、実際にそれをするほどの度胸は無いのだが。
「僕は、どうすればいいんだ……」
涙を滲ませうな垂れる恭介。
音楽だけに生きてきたこの身が演奏家としての道を閉ざれれて、どう生きていけばいいのか。
恭介は己が運命に絶望し、次第に考えることさえ嫌になって、布団を被ってしまった。
――しかし人間、やはり一日中夢の中にいることはできず。
恭介は上体を起こして、ふてくされた顔で本をパラパラめくった。
内容は例によって音楽の本。
もう曲を奏でることのできない恭介の心にフラストレーションの溜まるモノだが、
かと言って音楽程に心を揺さぶるものを恭介は知らず…。
面白く無いと思いながらも、恭介は本を読んだ。
それが上条恭介の日常であり、その日もいつも通りの一日を、彼は生きていた。
「…そろそろ、さやかが来る時間か」
時計を見る恭介の表情が更に歪んだ。
美樹さやか……あの幼馴染は、ほとんど毎日のように足しげくこの病室を訪れている。
彼女の性格を恭介はよく知っている。
良い娘だ。本当に良い娘だと思う。あんな気立ての良い友人を持てたことは恭介の自慢の1つだ。
しかし…いささか我の強すぎる彼女の性格が、今の恭介には毒薬だった。
音楽ができずに打ちひしがれている自分に容赦なく音楽を聞かせにくるさやかが、
悪気は無いとは分かっていても煩わしく思える。
外を見ると今日はどしゃぶりの雨だが、それでもさやかは来るだろう。
彼女の訪問に晴れも雨も雪も無いのだから。
やれやれ、またあの笑顔に陰鬱な気分にさせられるのかと思っていた矢先のことだった。
恭介の予想は半分当たり、もう半分ははずれていた。
――ガラッ!!
何の前触れも無く勢い良く開かれるドア。
その向こうには、予想通りの彼女がそこにいた。
「さ、さやか。来てくれるのは嬉しいけどもう少しドアは静かに……」
その注意を恭介は途中で止める。
「さや、か……?」
なんだ、この表情は。
そこにいた美樹さやかの表情は、彼の予想した、見慣れた笑顔ではなかった。
10年と付き合ってきたこの幼馴染のこんな顔を、恭介は知らない。
泣いていた。
いつもは元気いっぱいの…それこそどんなに辛くても空元気で乗り切るような
エネルギッシュさが微塵も感じられない。
力無く肩を落とし、雨に濡れた全身を震わせて、鼻水まで垂らして……。
今にも崩れてしまいそうな儚げな姿を恭介の前に晒しているのだ。
恭介は呆気に取られるばかりだ。
――さやか、どうしたんだ。
そう尋ねる暇も与えては貰えなかった。
さやかは恭介と視線を交わした直後には床を蹴り、鞄を落とし、そのまま恭介のベッドへとダイブしていた。
「うわあああああああああああん!! 恭介、恭介えぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「さやかっ!?」
恭介は右腕でなんとか彼女を受け止め、胸に抱きかかえる。
さやかは何か語るでも無く、ただ恭介の胸元に顔を押し付けて、恭介の服を涙で濡らす。
「うっ、うわああああああああああ!! 恭介!! 恭介ぇぇぇぇぇぇ!!」
恭介に縋りつくように、何度も何度も恭介の名前を呼ぶ。
まるで彼がちゃんとそこにいるのだと、自分に言い聞かせるように。
これには、恭介が面食らった。
自分の腕の悩みなどたちまち消し飛び、頭の中が幼馴染の異変のことでいっぱいになる。
「さやか、どうしたんださやか!!何があったんだ!?」
「恭介ぇ…!! 私…、まどか…!!皆が、うわああああああああああ!!」
泣く。たださやかは泣き叫ぶ。
これはただ事ではない。
狂乱状態のさやかをどうにか落ち着かせようと恭介は背中を摩ったり、呼びかけたりするが、
さやかの興奮は治まらない。
何が何やら……。
とにかく事情が分からないと対処のしようが無いので、恭介は引き続きさやかの名前を呼んだ。
その時……ふとリモコンに手が触れて、部屋のTVの電源が入ってしまった。
「あっ、いけない…」
こんなもの見ている場合じゃないとすぐにTVを消そうとする恭介。
しかし電源ON/OFFのスイッチに手がかかったところで恭介は蒼白となる。
今TVに映っている建物。流れているテロップ。そしてキャスターの言動。
それは間違いなく、今のさやかの状態に直結している内容だと確信できた。
恭介は急いでTVの音のボリュームを上げて、見入るように特別報道番組に視線を送る。
『見滝原中学、謎の大量失踪事件!!』
そう銘打った母校のトラブルが慌しく報道されている。
曰く、放送室が何者かに占領されたのを皮切りに起こったこの事件は、
大量の教員と生徒をたちまち行方不明にしてしまった謎の大事件である。
「さやかっ…!!これか!?これなんだな!?いったいどうした、何があったんだ!?」
ニュースを見ても具体的な話が見えてこない。
警察も手掛かり一つ見つけられないと言っている。
しかしこの幼馴染の怯えようはただ事ではない。
恐らくさやかは何かを見て、知っているのだろう。
その瞬間から、恭介の中に心境の変化が表れた。
”腕の動かない僕は不幸”――――から、
”腕が動かなくても僕がなんとかしなきゃ”―――へ。
今日さやかがここに来たのは、恭介を元気付けるためではないことは明らかだ。
むしろその逆。
何か大きな事件に巻き込まれとんでもない目に遭って、その心の傷に耐えきれなくなって頼ってきたのだ。
この、どんな時でも強気を忘れない幼馴染がである。
(何とかしなきゃ――。何が起こったのか分からないけど、さやかは僕が守らなきゃ。
さやかは僕の幼馴染なんだから。それに……)
それに―――。さやかは、女の子なんだから。
(そうだ…女の子なんだ。さやかだって、女の子なんだから…)
今まで上条恭介は美樹さやかを異性だと認識したことなどなかった。
いつも傍にいるのが当たり前の、仲の良い兄妹のような関係。
恋仲になるなど意識したことはなかったが、それだけ親しい友達だと思ったからだ。
それがこの瞬間になって揺らいでいる。
(さやかの身体って……こんなにちっちゃかったんだな…)
さやかの背を抜いたのは何時頃だったか、そんなことも意識しないままここまで来たのに。
今恭介は自分の抱きかかえる、ショックに怯える少女が…
自分にとっては性別関係無いはずの友人が、”女の子”であると感じた。
だったら守らないといけない。
そう思った時、さやかを抱擁する恭介の顔が少し逞しくなった。
「さやか、大丈夫だ。僕はどこにも行かないから。落ち着くまでこうしていよう。それでいいか、さやか」
「…………」
叫び疲れ、泣き疲れ、さやかはもう声が出ない。
けれど伝わる彼女の鼓動は未だ速く、その興奮ぶりは確か。
胸に埋める顔も、恭介の服を掴む手も、ぶるぶると振動している。
「大丈夫。大丈夫だからな、さやか…。落ち着いたらでいい。何があったか話してくれ」
それから15分ほど、恭介はさやかを抱きしめ続けた。
さやかの口から告げられた真実は―――……
日常を生きる上条恭介の耳には、なんとも理解し難いものであった。
突然敵の(そもそも敵って何だよ)襲撃を受けた学校。
殺されていく先生や生徒。
仲の良かった転校生が味方と共に敵に抗ったが、戦いの最中、
さやかの親友である鹿目まどかが命を落とした。
転校生は戦闘後どこかに去ってしまった。
内容を吟味する限りではとても現実の出来事とは思えないような事柄だが、
美樹さやかが涙混じりに話すその真実を、恭介は冗談か何かだとは思えなかった。
だってさやかはこういう時に嘘や冗談を言う娘じゃないし、
大切な人を失いでもしない限り……ここまで落ち込むような娘ではないからだ。
「ねぇ恭介!! 私、どうしたらいいんだろう…!! まどかが死んじゃって!!
クラスの皆も……全員だよ!? あたしと仁美以外は皆、死んだんだよ!!
何が起こったのか全然分かんない内に!! 皆死んだッ…!!」
それにどう返せばいいのか。
現場にいた訳でもない身で具体的なことを言えるはずもなかったが、
恭介はただ傍にいようと思った。
さやかが支えを欲して自分の所へ来たのなら…。
何を置いても、彼女の支えにならなければ、と。
※
日が陰ってきた。
「お願い恭介……。今日、ここに泊めて…」
「さやか…」
「離れたくないの。今日は恭介と離れたくない……」
さやかはそう言うと、着ていた制服を全て脱ぎ、下着姿で恭介のベッドに上がって…
愛しの彼の胸の中へと入った。
「さ、さやか…?」
「ごめん…。邪魔かもしれないけど…。今日は、恭介と一緒に寝かせて……。お願い……」
それはさやかの切実な願いだった。
彼の抱擁を受けたことで、その想いは更に強くなってしまっている。
さやかがこの日受けた精神的な打撃はそうとうなものである。
愛する師や友を大勢失った。
しかしその絶望の渦中にあって、ただ一筋の光によってさやかは救われている。
あの魔女の結界の中で死に掛けた時、さやかが幾度恭介のことを想っただろう。
”――死にたくない。絶対に死にたくない。だって死んだら恭介に会えない。二度と、恭介に――…。”
仁美を守って戦い抜く中で恭介の顔が何度も何度もチラついた。
あの恐怖を潜り抜けて、今さやかは意中の人の胸の中にいるのだ。
失った人が大切だった分余計に、今この瞬間に自分が彼と共にあることに幸せを感じる。
せめて今夜だけは……このまま、彼の鼓動と共に眠りたかった。
「ごめん恭介…。私ね、凄く悲しいの。怖かったし痛かったし辛かったし…。
全てが終わって皆が死んだ時胸がはちきれそうになって……。
でも今、凄くほっとしてる自分がいて……。生き残れて良かったって……。
私だけでも生き残れて良かったって、思っちゃってるんだよ…!!
ねぇ恭介、こんな私って、嫌な女かな……?
大好きな恭介の顔をもう一度見られて、凄く喜んでる今の私は…嫌な女なのかな……?」
「そんなこと……」
あるわけない、と恭介は言った。
絶望の中でようやく光を見つけた女の子の、今の心を理解出来ない奴は…この左手でぶん殴ってやる。
もうガラクタ同然の棒切れだが、そのくらいの役には立つだろう。
惜しむらくは片腕でしかさやかを抱き締めることが出来ないことだ。
せっかく、大好きだと言ってくれたのに――――。
(って……だい、好き………?)
途端にキョトンとなって、さやかを見る恭介。
今軽く流してしまったが、今さやかはどういう意味合いで”大好き”と言ったのだろうか。
友人として?幼馴染として言ったのだろうか?
いや、このシチュエーションでそれはないだろう。
これはつまり…。そういうことなのだろうか?
「あの…さやか? 大好きっていうのは……」
「恭介ぇっ…!!」
またさやかの瞳から涙がこぼれた。
泣きながら……滝のような涙を流しながら、さやかは一心不乱に恭介にキスをする。
厭らしく唇を密着させ、舌を入れて、反応する恭介の舌に積極的に絡ませて唾液を交換する。
ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱ……。
何分もの間、さやかは泣きながら貪欲なキスを続ける。
恐らく普段のシャイな彼女では決してできない超積極的なアプローチ。
修羅場の興奮状態の冷めない今だからこそ出来ること。
「はぁっ…!!はぁっ…!!はぁっ…!!」
キスを終えたさやかは息も絶え絶えで、その姿は恭介の知るどのさやかよりも艶やかで色っぽい。
思わず―――その、下半身が反応しそうな程に。
恭介の鼓動は、さやかが顔を上げてその火照った顔を見せた時に更なる高鳴りを見せた。
「お願い恭介…。こんな、こんな形で恭介を欲しがる私を許して……。
でも、我慢できない…。今日だけは…今日だけは……どうしても恭介が欲しいの!!」
「さやか……。僕も、もう我慢できない……。僕で良かったら…こんな、腕の動かない僕で……」
「何言ってるの…恭介は、恭介だよ………んっ……」
涙声のまま…二人はもう一度唇を重ねて。
「恭介お願い…。ちょっとだけ……目、瞑っててね……」
「さやか……」
キスを終えると…。
さやかはそっと自分のブラのホックと、ショーツの裾に手をかけた。
「あんまり見ないで…シャワーとか浴びてないから……あたし汗だくで、汚……」
「そんなことないから…。さやかは、綺麗だよ」
初めて女性と意識した幼馴染の女の子の、火照った柔肌に…恭介は手を伸ばした―――。
<<全年齢板向けに書き直されたためここから先は削除されました>>
※この下でなんか喋ってる人たちは本編とは関係ございません。
<ドウイウコトダヲイ…コイツラ、オトナノカイダンノボッテンンジャネーカ!!!
<マダ14サイナノニ……サヤカチャン、ダメダヨコンナノ、ゼッタイオカシイヨ…!!
<ミキサン…イッテシマッタノネ…アイスルヒトノエクスタシーニミチビカレテ…
<ソウ…シアワセナコトダワ…
<キミタチハイツモソウダネ、スキナヒトニニャンニャンサレルトキマッテオナジハンノウヲスル。ワケガワカラナイヨ
まぁ夜は色々あったらしく、恭介とさやかの二人は、翌朝一緒に鳥の歌声で目を覚ましたそうな。
※
若いうちの過ちから始まる縁というのもある。
恋人としての恭介とさやかのスタートもそれであった。
14歳の若さで…それも恭介に至っては重症を負った状態で”そんなこと”になってしまった。
しかしそれで二人がさほど両親から責められなかったのは、
学校で発生した失踪事件の生き残りというところが大きかった。
さやかの陥った精神状態は並ではなかろうという同情と、
また二人の家が昔から交流があるという信頼感から、二人の交際は認められたのである。
「その…聞きにくいことなんだけどさ。さやかは僕のこと…いつから?」
「ずっとだよ…。幼稚園くらいの頃からずっと…」
「そっか…。ずっとか……」
「うん…ずっと……。多分これからも、ずっと…ずっと…」
手を握る二人は、電車に揺られている。
恭介はまだ車椅子から降りられない状態だがあんな後である。
学校も暫くは再開しないというし、心を癒す意味も込めて旅行にでも行って来いという
両親のお言葉を頂いて、さやかと恭介は旅に出た。
尤も旅行先で二人は更なる衝撃を…故郷が消滅したという事実を知ることになるのだが、
郷里も親も師も友も失っても……新たな壁を迎えても尚、二人の人生の旅は続いていくことだろう。
これまで共に歩んできたのと同じように。 END。