「んー、やっぱり新鮮なカニの身って、独特の甘味があっておいしいわね」
口を開けたまま呆然とする俺の左手の座席で、涼宮ハルヒが百ワットの笑顔を浮かべていた。
反射的にカニの身を持っていたはずの右手を確認する。そこにあるべきはずのカニの身が消失していた。
もう一度ハルヒを見る。百ワットどころか百万ワットの上機嫌で何やら咀嚼している。黄色いカチューシャがよく似合う、太陽のように眩しい笑顔だった。
食ったな。
せっかくだから食べてやろうと思っていたカニを、お前横取りしたな。電光石火のクイックトリックでカニの身に喰らい付いたな。
カニは嫌いじゃなかったのか。カニはNGだって、お前去年言ってたじゃないか。
「嫌いよ。殻とか剥くのが」
そう言いつつも百ワットの笑顔でカニの身を咀嚼するハルヒ。そうか殻を剥くのが面倒なだけで、味そのものは嫌いじゃないのか。
おーごっど。今日俺はハルヒの新たな一面を知ったよ。とりあえずカニの身を剥いてやれば、ハルヒは喜んで食べてくれるんだな。
じゃなくて。
カニの身を剥くのがどれほど大変か、お前は実のところ全く理解してないんだよハルヒ。
カニの身が美味なのは、面倒な殻剥きを最後まで投げ出さなかった粘り強い努力家への正当な報酬なんだよ。ハルヒお前は何の代価も支払うことなく、その御褒美を横取りしたんだ。いわば泥棒だ、このカニ泥棒めが。
返せ。俺が最高のタイミングで茹で上げたカニの身と、その身を崩さずに殻から取り出すのに費やした労力と時間を返せ。
さんざん説教してやったにも関わらず、ハルヒの奴は俺の有り難い説話を馬耳東風で聞き流しやがった。それどころか俺の目の前に生のカニ足を突き出して、
「キョン、もっと足を茹でて身を剥いてくれる?身を崩さないように、今のと同じぐらいの加減で茹でてちょうだい」
片目を瞑り、今どき少女マンガでも見られないほど分かりやすいウィンクを俺に送るハルヒ。
カニを横取りされてなければ、今頃俺はお前に心奪われていたことだろうよ。
辺りに流れる空気が微妙に生温かくなっているのに今さら気づく。
なんだ谷口、お前そのまま二曲目に突入する気か。握ったマイク離さない奴はカラオケでも嫌われるぞ。
クリスマスキャロルが流れる頃には、お前とその君って女との間にどんな雪が降るって言いたいんだ。
などと俺が実際に声に出して突っ込むよりも早く、誰かが演奏停止のボタンを押す。おそらくは朝倉のようだ。
あいつは場を仕切るためならば、どんな冷酷な仕打ちも平気でこなす奴だ。
谷口が何やら文句とも愚痴ともつかぬ言葉を吐いていたが、鶴屋さんに宥められるような格好で引っ込んだ。次に歌うのは長門か。
ギターとボーカルのデュオを熱唱する長門など、滅多にお目にかかれるシロモノではなかった。表情も動きもない棒立ちだが、何気に声は出てるし歌は上手い。長門の意外な一面を見たような気がする
今夜のカラオケパーティはハルヒの発案だ。去年やったツイスターゲームは、団長の拒否権発動によって今年から廃止と相成った。
本人いわく『もう二度と人前であんな恥ずかしい事はしない』だそうだが、その恥ずかしい事に巻き込まれた俺の立場はどうなる。
前のクリスマスで味わった恥辱を思い出して、その元凶となった女帝へ文句の一つも言ってやろうと左側に首を向けようとしたその瞬間、
「上から来るぞ、気をつけろよう」
誰からともなく放たれた一言に首を上げれば、こちらに向かって飛来する謎の物体が天窓越しに見えた。