>>176のつづき
そんなわけで、本来の議題から軽く3パーセクは離れてしまっているわけだが、その位置を保ったま
ま「美少女ウォーズ@非常階段の踊り場」はまだ続いていた。
「あんた、朝倉さんの家行ったことあるの?」 「ホワッ!?」「まじかよ!?」山根と谷口も声が
少し荒っぽい。山根は跳ねるように立ち上がった。なんか前にそんな場面あったような。
想定外の懸案事項を一気に抱えて込んでしまい、言い開きのフレーズが錯綜してコリジョンを多発さ
せた俺がどう返事してよいものか思案していると、トンッと踊り場に歩を進めた朝倉が付け加えた。
「彼っていろんな人に好かれてるわよ、誰かは内緒。もちろんわたしも嫌いじゃない」かるく鼻にか
かる有気音でクッと笑う。また物議をかもすようなことを。刹那、風がすうっと踊り場でそよいだ。
長い髪が風をはらむと、朝倉のいい匂いが俺を包む−あれ、ウチにも似た香りのシャンプーあったっ
け−
「ううん、もちろん付き合ってるとかじゃないよ」右手を左右に振って朝倉はつづけた。
「どうしても猫が飼いたくて。でもウチのマンションってペット禁止なのね。一緒に長門さんもいて、
居間でお茶を飲んでもらったの。あ、長門さんと同じマンションなのよ。それで、SOS団つながりで
一緒のクラスでもあるキョンくん、えと、そう呼んでいいかしら?」首をかしげてお願いされたので、
別にいいよと合図した。
「じゃあそうする。キョンくんが猫を飼ってるって教えてくれたの。それで、長門さんに家の電話番
号教えてもらって」
「管理人さんや組合に掛け合うの手伝ってくれて、あと、しばらく預かってくれたりしたのよ。わた
しだけじゃ不安だったし、それに男の人のほうがいいと思ったし」あまり情報操作に頼りたくないと
も言われたっけ、そういえば。
朝倉は、しかしあまり話を筋道立てない性格なのだろうか。いまの説明をなぞってみてそう思う。
そうかと思うと往々にしてあっさり核心を突いてくるのだが。
もちろん、クラス委員としては真面目そのものだし、榊もあいつ一人じゃまとまらないだろうし。同
じくクラス委員である榊とのコンビも、議事進行や日常の役目もまあ理想的に果たしているといって
よいように思う。
比較対象がたくさんあるほど人生経験ないけどさ。
朝倉がギリギリのところでようやく釈明してくれたおかげで、灼眼のハルヒも褐色矮星くらいにまで
落ち着いてくれてる、といいのだが、溜めに入った姿勢の山猫のような態で「で、朝倉の家に入った
わけ。有希と一緒に?」と詰問された。
「まあそうだ」
それから朝倉に「朝倉さん、有希のことよく知ってるのね。わたし知らなかったわ。ちょうどいいか
ら今日の放課後・・・」 なにやら挑戦的な言葉を挑戦的な表情で継いでいる。
だが「何で!何でお前ばっかり・・・」とかなんとか悲しそうな谷口に問い詰められて聞こえなかった。
振り返るとハルヒの長すぎるくらいの睫毛がわずかに震えていて。それに気づいた途端、肋骨の奥、
たぶん心臓の辺りが締め付けられてシクと痛む。
ハルヒは何か言いたそうな、激しさがもんどりうってるのを抑えるような顔をキッと向けて、でも何
も言わず階段を二段飛ばしでカンカン上がっていった。「おい、ハルヒ!」
・・・しかし谷口がまたも俺をむんずと掴んだ。「キョン!」そんなに揺さぶるな、脳が漏れるって!
「お前なあ。そんなこと一言も言わなかったよなぁ!? 俺たち親友じゃないのかよぉ」激しく訴え
る谷口。
山根は朝倉の家のくだりで反応したきりだがこれはこれで尾を引きそうな怖さがある。国木田だけは
比較的普段どおりだが。ああ、こりゃしばらく針のむしろってやつに座らされそうだ。三人分かよ。
そのうち問い詰められそうないくつかの事にどう答えればいいか懊悩する。何の因果かあいつの鍵ら
しいからさ、俺が。
あああ、俺の責任、か。そうかもな。
とりあえず俺にしがみつく谷口を引き離した。
ハルヒは何を言い、言われたのだろう。
「国木田くん、できればこれ内緒ね」と少し困った表情で朝倉が懇願する。ほかの二人には目で。そ
れから俺に「ごめんなさい。迷惑だったわよね。涼宮さんがあんなに取り乱すなんてわたし思わなか
った。でも」なんだよ。「キョンくん・・・」見つめられてる。テンプテーションを最高度に極めた人
魚のような眼差しで。それから一呼吸置いて「さっきの話ね、お願い」とまた両手の指と指を合わせ
てウィンク。ただし伏し目がちで。
(ハルヒを自然に追いそうになってたらしく)階段の二段目まで上っていた俺を横切って、朝倉はす
ぅっと階段を上る。一段ずつ。小笠原流でも習っているかのような流麗さで。そして俺の左手にひら
りと右手を重ねて、小さな紙を掴ませた。山根さえ気づかないような自然な動き。携帯の番号だろう
か。やばい、混乱の度合いが増してきた。
しかしこんなオープンなとこで家に誘うって−いや秘密会議のつもりだったのだが−とにかく他人の
前で、というよりアンタにぞっこんな野郎どもの前でそんなことを。あー朝倉さんあなたワケ判らん
っすよ。
しかしそんな状況のさなか、頭のどこかでいろいろと推論やシミュレーションが走っているのは俺も
それなりのタマだからだと信じたいね。
「あ、それか」思い当たった拍子に思わず口に出たがそれ以上は言えない。谷口が怖い目をしてる。
この考えはあとで古泉に聞いてみるか。でも部室も怖いよ、俺。教室もな。
シリアスに一番恐ろしいのはハルヒの深層心理が嵐を引き起こさないかということなんだろうけど。
(参考)以下は当時現場にいた国木田氏の証言
−現場にいた国木田です。そんなこんなで三度目も断念に至った「第一回1-5クラス女子品評秘密会
議」は、「キョンを巡る抜き差しならない美少女対決シチュエーション@非常階段の踊り場」となっ
たのでした。この日の夜に起きたのが、あの世界史的な新月の夜事件なんだけど。主催の谷口とゲス
トの山根にとってはやぶへびもいいところ。
キョンは自業自得だな。もっと涼宮を気遣ってあげなきゃ。
「どうしてムキになるのかしら。彼はあなたの使い走り?御用きき? あなたは、彼の何なの?」
キョンには言わなかった、もっといえば言えなかった。これ涼宮には相当効いたと思う。
とりあえず冷静なのが僕しかいなかったので、このあとなんとか宥めないとダメだったけど。これじ
ゃ解説でもなんでもないよね。
ああ、話題にならなかった僕の好みをすこし。朝倉さんと涼宮、あの二人はそれぞれ魅力的な人だと
思う。どっちにしても涼宮ハルヒは僕ではしんどそうだな(笑) 変わってるだけにキョンとはお似
合い、これは間違いないか。あと、僕自身の身長からいうと朝倉さんはすこし背が高いかもしれない。
付き合う云々の話では。谷口やキョンだったらちょうどいいのかもね。
結局いろいろと違うし、単純に甲乙は付けられない。もし学年で集票したら朝倉さんが有利だろうと
は思います。余計だけど、二人とも高校生時代の長○まさみよりは美人だと思う。そういう仕様です
−解説・国木田記す
ハルヒの顔を見るのが怖い。そういう経験には事欠かないし数えれば当然五指では足りないのだが、
この圧迫感はなんだろう。トイレから1-5の教室へ入る道までが短く感じる。入りたくねえ。それで
も廊下で授業を受けるわけにもいかず、意を決して入る。すぐに視界に入った朝倉は、いつもそうな
のだろうがほかの女子らと笑いさざめいていた。
見るとハルヒもすでに座っているのだが、机に突っ伏して動かない。意気消沈とかチャチなもんじゃ
あないかもしれないな・・・・・・
とりあえず何も言わずハルヒの前に座る。う、ハルヒが少し動いた。むうう。こんなことなら殺人光
線でも出すような目で背中を射抜かれてたほうがまだマシだぜ。さらに朝倉からもらったメモの件も
ある。さらなる不機嫌を招きかねん、このままだと。
斜め前で着席した朝倉がこちらを見やる。俺を見ると困った表情をしてみせた。いやこっちが困って
るんだけどな。せめて谷口と山根とは視線が合わないようにしよう。恨めしそうな目線に触れたらい
よいよへこたれてしまいそうだからな。
それにしても外は晴天だ。俺の心はちっとも晴れないのだが。・・・ハルヒはどうだろうか。
放課のベルが鳴るが早いか、俺は逃げ出すように教室を後にする。谷口と国木田にあばよと手を振る。
谷口は何か言いたそうだったが、何かあっても明日でもいいだろう。ハルヒは掃除当番で、部室でも
しばらくはハルヒの顔を見ないで済む。授業中は考える余裕もなかったからな。英語の授業でハルヒ
の名前が呼ばれたときの息苦しさと言ったら。
俺のすぐ後に古泉も入ってきた。カーディガンを羽織った長門がすでにいる。普段どおり、か。
椅子に座るや否や古泉が俺に聞いてきた。「何か、あったのですか」きた。
無論、ハルヒと俺のことだろう。ハルヒの精神状態の自称専門家だからな。すでに感じてる通りだろ
う。
例の灰色空間はどうなんだ。「いえ、いまはまだ大丈夫です。予断はできませんよ、もちろんあなた
の行動次第でしょう」溜息混じりで切り出す古泉も珍しい。
「涼宮さんがいないほうが話せることもあるのでは? 何があったのですか」
非常階段の踊り場での昼休みの悶着をかいつまんで説明する。ちょうど話し出した頃に朝比奈さんが
パタパタと入ってきたので、俺も古泉も廊下にいったん出た。あとでローズティーをいれますねとお
っしゃってたっけ。今の俺は生返事しかできてないな。
不本意も本意も今は古泉のアドバイスが欲しい。ハルヒの考えが知りたい・・・今回ははっきりさせな
ければならない気がする。説明はおおよそ以下のとおりだ。
クラスの女子についてたわいもない話を数人でしていたこと、言いだしっぺの谷口がドジを踏んだせ
いでハルヒに逐一聞かれていたこと、(このくだり以降シナモンローズティーをいただきつつ小声
で) 流れで否応なく朝倉の話になり、ハルヒと比較して俺もしゃべったこと、そのタイミングで朝
倉が登場し、たまらず出てきたハルヒと言い争い−ハルヒは烈火のよう、朝倉は微笑を絶やさず−に
なったこと、朝倉の飼い猫のことで相談に乗った俺を家に入れたと朝倉が言ったこと、長門と朝倉が
同じマンションに住む知り合いだとハルヒが初めて知ったこと。それから・・・
これらを保健室の医師に怪我の経緯を説明するような真剣さで話した。そして精密検査の結果につい
て医師から聞かされる患者予備群のような気持ちで診断を待つ。そろそろハルヒがやってくる時間だ。
古泉がいかにもな手つきで前髪をかきかげる。俺との会話の大半がおそらく面白半分であろうこいつ
にしては異例なほど、言葉を取捨選択しているように見える
「結論から言いましょう」またも溜息まじりだ。「ただし」しかも条件つきらしい。
「あなたは朝倉涼子の発言で肝心な部分を聞き損ねています。・・・・・・推測は可能ですが」そして「そ
の推測が正しいと仮定して言います」そう前置きしてから言った。
「涼宮さんがあなたにとってなんなのかを、朝倉涼子は問うている」
そして・・・、ちょっと怖い目つきで言った。
「あなたと涼宮さんはそれに明確に答えなければならなくなったのです。しかもSOS団という心理的
隠れ蓑を使えない状況で。中途半端な逃げでは、この心理的迷宮からはお互い抜け出ることができな
いでしょうね」 横隔膜のあたりがズキリと痛む。昼休みと同じだ。
「もちろん、それだけでないあなたへの個人的関心が、愛玩動物にことよせながらも別に存在する。
朝倉涼子自身に・・・ということもあるかもしれませんが、それは主要な動機ではない、と」
やけに息が苦しい。朝比奈さんならなんと言っただろう。そんなことを考えてみる・・・
と、ここでハルヒがやってきた。普段の勢いある歩調なら相当遠くからでもやかましいくらいにわか
るのだが、今日は明らかに違う。それでも「おくれちゃってごめん、掃除当番だったのよ、あれ、な
んかいい香りしてるわね、みくるちゃん一杯ちょうだい」と月並みなことくらいは言った。
俺と目が合うのを避けながらだが。しかしローズティーは飲みやすいとはいえんな。俺がこれから取
り組まねばならないらしい課題も、そうらしい。
ハルヒの要望に答えた朝比奈さんが俺にもおかわりを勧めながら小声で話しかけてくる。
「キョンくん、あの、涼宮さんと『犬も食わないような喧嘩』でもしてるの? 古泉くんと真剣な顔
して話してたのって・・・」
うげ。どことなく嬉しそうな顔で尋ねてくるのはなぜ? 苦い薬でも欲しい気分だったのだろう、と
りあえずローズティーのおかわりをありがたく頂くことにしつつ、朝比奈さんになんと答えようかと
考えていると、
「そうなんですよ、朝比奈さん。そのことで僕に相談を持ちかけられまして。もう、それは真剣に」
いつのまにかパーティジョイ(死語)を出して机に広げている古泉が明らかに声量を上げて言った。
「一友人として、ここまで悩んでいる彼を見かねているわけでして・・・」 ネットサーフィン中のハ
ルヒにわざと聞こえるように。
吹奏楽部などの鳴り物も止んで、すこしの静寂。ハルヒは……相変わらずディスプレイを見ているよ
うで、実のところマウスの動きが止まっているようだ。カチともいわない。
「ウチのクラスにも名前がとどろくあるいは学年一の美少女から、家に来てくれと誘われてるそうな
んですよ、聞くところによれば」 「え、それってもしかして」 そうか、朝比奈さんは朝倉のこと
がわかってるんだな。その役割も。
「ええ。僕なら喜んで招きにあずかりたいところなんですが、」 興味深い研究対象としてなんだろ
うな、こいつなら。
「おいそれとほかの女性の誘いには乗れない事情が、彼にはある、ただ、そのクラスメイトからの相
談ごとを無下に断るような冷たい扱いもできかねると・・・」
こういうの何て言うんだろうな、明らかに古泉は良かれと思って芝居を打っているのだが、俺はとい
うと顔のすみずみまで熱を帯びてきているような感じで考えも何もまとまらない。一言で言えば、混
乱しているのだ。まったく、きつい日になっちまったよ。
くそ、谷口め。
朝比奈さんは長門のサインを読んだかのようにおかわりを用意しにいく。“ほんとはティーカップを
温めたり、もっとおいしくできたらいいんですけど・・・” けなげで慈愛に満ちたお言葉がいま思い
出されるのはなぜだろう。いつもすいません。ほんとに−
あぁ。つまり俺は逃げてるんだな。
「有希」
お茶に口をつけかけた長門をハルヒが名指しした。「・・・・・・」その状態で止まっている長門。
「あなた、ウチのクラスにいる朝倉さん、知ってるわよね」 湯のみを口に付けたまま小さく頷く。
思い出したかのように、お茶をコクコクと飲む。あとの言葉が続かないらしいハルヒは、俺と目が合
うとすぐに立ち上がって窓の外に顔を向けた。といって俺もかける言葉がない。いや、あるのだが、
言う勇気が出ない。二人の間の張りつめた緊張の糸とやらを下手に引っ張ってしまいそうで怖いのだ。
朝倉に何言われたんだ、ハルヒ・・・。
胸ポケットにしまっているメモのことを思い出した。踊り場で朝倉に渡されたメモ切れには、案の定
な電話番号・メアドと、手描きの猫の絵があった。
デフォルメされた、年頃の女の子のかわいいを具現化したようなイラストだったな。
古泉は盤上に視線を落としている。椅子に座った朝比奈さんが、遠くを見つめるような、というより
夏の合宿での森さんのメイド姿を観察していた時のような目で、ハルヒの後姿を見ている。それから
やんちゃ坊主に保育士のお姉さんが諭すような目を、俺と古泉に向けた。すこし考える風だったが、
意を決したのかハルヒのそばに行ってなにやら話しかける。
驚くほど素直な表情で振りかえるハルヒがそこにいた。
黄色というよりオレンジ色に近づいた光が対面の校舎に反射して輝き、その情景を際立たせているよ
うだ。
ハルヒのひたむきな睫毛がまた少し揺れているように見える。昼に朝倉と言い合いになった時のよう
に。悲しげなその横顔はハルヒらしさからは遠く離れていたが・・・ちょっと比較するものがないくら
いに綺麗だと思った。
こうして見てると朝比奈さんが本当のお姉さんに見える。普段は全くそう見えないのだが。
だが、いつまでも朝比奈さんや古泉に頼っているわけにもいかない。頭ではそう思うのだが、今日は
団長席がたどりつきがたい場所のようだ。でも・・・・・・
ハルヒと視線が合う。
今度は視線を外さないハルヒ。あまり見たことのないその湿った目に動揺したが、意を決して立ち上
がり、ハルヒたち・・・ハルヒに歩み寄る。目の前で息を大きく吐いた。逃げるような姿勢は許されな
いだろう。真ん前で言ってやるさ。我ながらどうかしてると思うが、もう遅いよな。席を外そうとす
る朝比奈さんをそのままで結構ですと制し、ハルヒに面と向かって言った。
「ハルヒ、いま気づいたんだが」
「なによ」
見つめられて一瞬言葉に詰まる。ハルヒの瞳が本当に煌めいて見えたのだ。
こいつの瞳に火焔山の火か何かが宿っているように思うときがあるが、じっと見つめているわけでも
ないしそんな状況にそうそう立ち至ったこともない。
今がまさにその時なのだが・・・・・・。
その瞳は、なんというか、漆黒の闇に揺らめき輝く虹のようだった。
「・・・綺麗だ」 「え?」
「話したことなかったか。小さい頃憧れてた従姉妹のこと」
「・・・・・」 たぶんハルヒ列伝上類を見ない処理不能状態だったのだろう。あとから思うとそんな感
じだったな。この時のハルヒは。
「記憶に残ってるのは、とにかく綺麗な人という思い出だ。でも、いまお前を見て・・・」
息をもう一度吐いて、思い切る。
「同じくらい、綺麗だと思った」 形容詞が見つからないくらい。
あえて言えば、お前の目は極光のように閃いてる。見たことないけどさ。
たぶん今の俺の顔はちょっと素面では見られんくらいに赤くなってるだろうな。
あ〜あ、勢いに任せてなんつーこと言ってるんだよ俺・・・・・・
だが、それよりまして、このときのハルヒの顔を、俺は耄碌するまで忘れないと思う。きっと。
「朝倉の話だがな、猫の世話のことで相談に乗った。隠すつもりはないぞ。それからあのあと」
胸ポケットをまさぐる。指先にメモが引っかかる。
取り出した電話番号入りのそれをハルヒに見せながら俺は言った。
「これを貰ったよ」ハルヒは無言のまま。
「お前に対してやましい気持ちになることは一切なかったし、するつもりもない。それだけだ」
朝倉になんと言われたのか、とは言えなかった。
メモをポケットに戻す。朝比奈さんの表情を確認する勇気はない。これ以上は俺には無理だと思い、
席に戻った。これで良かったのだろうか。隣でパーティジョイ(遺物)をいじっている古泉がどこと
なく寂しそうな微笑を見せて、なぜか小さく頭を下げた。
この日はそれきり、部室でハルヒと話すことはなかった。
しばらく押し黙っていたもののいたたまれず、「すまんが、今日は先に帰る」とだけ言って本当に帰
ることにする。部室のドアを開ける手前で朝比奈さんが駆け寄って、抱っこした赤ちゃんを見つめる
母親のような眼差しをこめつつ「心配しないで」と言ってくれた。ものすごく心強いです。もう、本
当に・・・・・・。
「でも忘れないで。涼宮さんはちゃんと見ているの。たぶん、キョンくんが考えているよりずっと。
だから」
だから・・・?
まるっとお見通しと言わんばかりに真摯な目を向ける朝比奈さんは最後にこう言った。
「大事にしてあげて」
保釈金に有り金をはたいた被告人よろしく部室を出た俺の前に、一人の男子生徒が佇んでいる。朝倉
の匂いが大好きな、昼の会合でのゲストだった山根だ。息を切らしている。鞄の口が開いているのは、
わざとだろうか。決意がその目にみなぎっている。たぶん怒りとか恨みつらみではないようだ。蛍光
灯に反射してレンズが瞬いた。
「おう」と声をかける。さっきはあれだったが、わざわざ部室の前で待ってくれたのか。中に入れば
お茶の一杯でもご馳走できたのに。大変だろ、わざわざあの坂を登ってまでして一日二度も学校来る
の。
「速攻で家に帰ってその足で戻ってきた」どうしても俺に渡したいものがあるらしい。
「俺も未練がましくお前にすがったりしないさ。フフ・・・」
某漫画のマサルさんみたいな半泣き笑いで送り出す心づもりらしいが、どうみても未練タラタラであ
る。
「だから・・・。俺の認めたトモ(おそらく『強敵』と書く)である君にこれを託そうと思う。これを
ユリ・・・涼子・・・いや朝倉さんに渡して欲しい!」
そう言って包みに入った何かを、また音楽CDを俺に突き出した。
それにしても彼の世界ではすでに倦怠期の夫婦あたりまで物語が進んでいるのだろうか。世紀末覇者
とか名前呼び捨てとかいろんな鬱要素をちりばめた発言だ。
今のは口外無用にしておこう。
聞いてみると、包んであるほうは近隣で結構名の知れた店のシュークリームが入っているそうで、こ
れはきっと喜ばれるだろう。しかし、ナマモノだろ。山根は俺が今日朝倉の家に行くのを知ってたの
か?
「ダメならダメでお前らで食ってくれていいと思って。いや、俺はいい。遠慮しとく。それに、ここ
冷蔵庫あるんだろ」 そこまで考えてくれたのかよ。なおさらお茶くらい飲んでけ。
「今日は遠慮しておくよ。そんな気分じゃないし」 そうか。実を言うと俺もだ。
「朝倉さん嬉しそうだったからな」 幼馴染の初恋を見守るような目でそう付け加える山根。
「見ちゃったし」
もう一つの土産である音楽CDは、これまた内なるパワーを秘めていた。いや明後日の方向に思うさま
発散していた。なんでも最近アニメ化されて人気を博しているという学園もののアニメソング集らし
い。山根曰く「珠玉だ」と。内容は以下の通りだった。しかしこいつのアイドル好きは知ってたが、
アニメもよく見るのかね。
『キャラクターソング第5弾は、華と陰のあるキャラを演じさせれば有史以来隋一・白鷺冬美が演じ
る「朝伊織佳澄」。清楚で優等生の生徒会副会長、おまけに他校にまでファン倶楽部を持つという美
少女高校生! そして実質的主人公である生徒会会長・梧桐丘との秘められた過去とは!』
01:小指できゅっ○
02:COOL E○ITION
03:ハレ晴レユカイ○Ver.朝伊織佳澄〜
なんとなくスピードワゴンのセリフが浮かんできたのだが、変な偏見を持つのはよそう。
だがこれをもらって喜ぶ女子というのは果たして多数派なのであろうか。仮にいたとすればそいつは
レッドブックに申請されてはいないかと心配になるのだが。
いや。人の趣味はそれぞれ、蓼食う虫もなんとやらだな。腑に落ちないながらもそう納得して、俺は
「わかった」と素直に応じた。山根は自分の役目は終わったとばかりに、引き止める声も聞かず去っ
ていく。気持ちはわからないでもない、か。まあプレゼントが若干特殊だが。モノよりココロ、オモ
イデだよな。山根・・・・・・なんとも申し訳ないような。
俺個人にとっては、昼休み以降心の荷が重くなる一方だっただけに少しだけ慰められたような気がす
る。勝手なもんだ心って。
いやこれからすることを考えてる俺が、だな。
北高を背にする部活帰りやそのほかの生徒のまばらな中に俺もいる。クラスメイトはとりあえず見当
たらない。朝倉に渡されたメモを取り出して、書いてある番号に電話をかける。
(・・・もしもし) 朝倉の声で間違いなさそうだ。
「よお、朝倉か。あ、ああ。・・・いやそれはいい。あいつもそんなに気にしてないみたいだったし」
全くそう見えなかったが、ついそう言ってしまう。
「で、いまからお前ん家寄ってもいいか」
(ええ・・・あ、長門さんも一緒?)
「・・・いや。あいつはまだ部室にいる」うかつだった。
(そう。わたし一人だと・・・ちょっと怖いかしら) ああ。俺がな。
(ね、お友達に聞いたんだけど、猫用の爪とぎってあるじゃない。爪切りは家にあるけど、それ試し
てみようと思うのね。だから・・・、よかったら買いにいくの付き合ってくれない?)
その透き通った声は電話ごしでも澄んで響く。
しかし参ったな。二人で歩いてるとこ見られるかもしれないだろ。
・・・・・・でもまあ、制服のままならかえって言い訳もつくか。
「わかった。けど預かり物があるんだ。お前に。えーと、シュークリーム。“しゅうくりいむ”うん、
そうそう、あそこの店の。よく知ってるんだな。ああ、おう、そうらしいな。たぶんカスタードじゃ
ないんか?聞いてないしわからん。・・・いや、甘いもの結構食うで。お袋も妹も甘いの好きやし。・・・
それはいい。お前にって言われたから。うん?もしもーし、うは、はにゃ、にゃあ・・・ いや、とり
あえずナマモノやし、それだけ置いとかせてくれ。ネコ元気そうやな。もういいって。電話代かかる
し。うん、いや別にいいけど。えーと、あ、つうかお前んち冷蔵庫あったっけ。うん、ならそれでい
いか。わかった。あ、いや俺は制服のままでいいし」
季節柄、悪くなったりをそれほど気にしなくてもいいのだが、とりあえず山根のみやげは朝倉に先に
渡しておくことにする。
シュークリームって言い直したのは前の奴に聞こえたかな。まあいいや。
しばらくして朝倉の住むマンションに着いた。立地のいい、高級マンションだ。ここの505号室に一
人で住んでいる。長門は708号室だ。管理人さんはお元気だろうか。だいぶ寒くなってきたしな。な
にか持ってきたらよかったかもしれないな。贈物受け取り禁止とは聞いてないし。
などと考えている間に朝倉の姿が見えた。私服姿を見るのは・・・3回目だ。
「待った?」
「いいや。これが預かり物。シュークリームと・・・これ」CDのほうはやや躊躇したが。
「あら、ふふ。ありがとう。どう?出かける前にお茶でも飲んでく?ネコも見てく?」
とりあえずこのままエントランスで待たせてもらうことにする。
「そう、じゃあもう少し待ってて」 ひらりと身を翻して朝倉は戻っていく。すみれの花でも似合い
そうな少女がそれらしい格好をしてそれらしく華やぐのは、やっぱいいもんだ。思念体のおっさんの
美意識は−そういう感覚があるとして−なかなかのもんだと思うね。
おっさんかどうか知らんけど。
ハルヒに電話してみようか・・・一瞬考えたがやめておく。
数分後、朝倉がマンションの玄関に戻ってきた。青を基調とした清楚な出で立ち。
「おまたせ」眦と唇で微笑んで言う。外はもうしばらくで街灯の点る頃合だ。
道中や買い物中、彼女とはほとんど会話が途切れることがない。朝倉は話題が豊富なのだ。それだけ
に長門の無口さが一層疑問に思われてならない。
周りの目を(俺は)気にしながらも、二人はおもにネコの話題で盛り上がった。だれそれは犬派だ猫
派だの、だれだれさんの飼ってる(血統書付らしい名前の)犬にわたしも会ってみたいだの、まあそ
んな感じだ。
「これなんか、どうかしら?」
ペット用品の揃った棚から猫用の爪とぎを探して俺に見せる。
“幅が広くて猫ちゃんもリラックスできます。両面使えて経済的!”宣伝文句をみるかぎり使えそう
ではあるな。詳しくないけど。
「ん。いいんじゃないか」
そう言うと朝倉は嬉しそうに 「じゃ、これにする」と言って笑った。
うむ。とてもよい。こんな笑顔がやっぱ好きだ。
いまさらだが、SOS団にはこういう、“微笑みの延長線上にある笑顔”の入り込む余地が少ないんだ。
ハルヒはプンスカしてない時が少ないうえに笑ったと思えば熱量ばかり大きくて両極端だし、朝比奈
さん自身はとろけそうな笑顔をお持ちだけどハルヒの横暴に振り回されがち。古泉の微笑は見てるこ
っちが腹立たしくなるし、表情を置き忘れてきたとしか思えない長門は言わずもがなである。
加えて俺だって仏頂面が多いよな・・・まさしくいまさらだ。
心からの笑いについてこんなふうに考察を深めることもできた。自己批判も。ありがとう朝倉さん。
心労も増やしてくれたけどな。
買い物の途中、北高の制服姿を2度ほど見かけた。連れ立っていたようだが、いずれも知り合いでは
ない。私服は・・・わからない。
「キョンくん、せっかくだからお野菜も・・・」 ま、大体こうなるわな。「いいよ」と言って、帰り
は荷物持ちになる腹積もりを決めた。
餌やら食料品やらを一通り見てまわり、結局ビニール袋2袋にいっぱいの買い物をもってマンション
に着いたころにはすでに午後6時。たぶん誰もいない管理人室を過ぎて、エレベーターで5階まで上
がる。長門が部屋先で佇んでいた。
「よ、長門」
「・・・・・・」
「ただいま〜」朝倉は微笑んでる。
「ずいぶん遅くなっちまったな」 部室を出たあとのハルヒの様子はどうだったのか気になる。
朝倉が錠を開けて玄関に入るや、猫が駆けて・・・こなかった。待ちくたびれて寝てるらしい。
俺たちは居間に通された。ヨタヨタと猫が長門の足元に寄ってくる。「みゃ〜お」
「おねむだったのね」とクスクス朝倉が笑った。居間にはテレビもあって、すでにニュース番組が流
れている。
「お腹すいたでしょ? 作り置きのシチューがあるんだけど、すぐ温めるから食べてって」
お菓子は後回しね、と言いながらお茶をもってきた。
このあたり、朝倉はむしろ若奥様のようで、有機インターフェイス云々をまったく感じさせない。
ちょうどいいや。シチューを火にかける前にちょっと爪切り貸してくれい。
すると、俺と目のあった長門が頷いて、猫にすがられながらキッチンに向かう。
好きなんだろうか。
「ごめんね、長門さん」 どうやらシチュー番をしてくれるらしい。
とりあえず手を洗ってから頼むよ、長門。
「・・・・・・」
洗面所に手を洗いに行った。
・・・・・・ボケたんじゃないよな。まさかどじっ子属性が開花した?
長門の足元にいた猫を朝倉が大事そうに抱いて俺に渡す。それから広告紙と爪切りを持ってきた。
朝倉には後学のために猫を抱いててもらう。
「こら、暴れるな!」
「にゃ!」
「ウフフ。よしよし・・・・・・キャ!、と、いい子にしなさい!」
「ふゃー! ふぅふぅ・・・」
「キョンくん、深爪気をつけてよね」前足を押さえながら心配そうに朝倉が見守る。
はいよ。このあたりはシャミセンとほとんど変わらない。二人がかりでやる分楽だね。
朝倉も俺もなんとか引っかき傷はつかなくて済んだ。終わった途端キッチンのほうへ駆け出した猫が
振り返って「みゃあ!」 ととと・・・
“なにしまんねん”とでもいいたげだったが、これでも最善を尽くしたんだ、恨むなよ。
「やっぱり上手だわ。キョンくん、ホントにありがとう」聞き惚れそうな美声で言う。まさに甘い声
で、猛者谷口の奥深い審美眼にもはや敬服せざるを得ない。
手を洗ってから、キッチンの長門に声をかけて交代・・・と思ったらすぐに長門がなべを持ってきた。
「長門さんありがとう、ごめんね」「・・・・・・いい」
ホワイトシチューのいい匂いがする。おいしそうです、母さん。
『・・・・・・きわめて珍しい現象であり、気象庁も情報の収集に努めているとのことです』
うん?
長門もじっとテレビを見ている。
天気予報の時間ではないが、画面にはひたすら夜の空が映っていた。
高感度カメラかなにかだろうか、ザラついてはいるがはっきりとした彩雲が・・・いや違う。都市の光
に照らされた雲じゃない。
『全国各地でオーロラが観測されています・・・・・・』
オーロラ。地球上では極地方にほぼ限定される現象の名前が何度も聞こえてくる。
つまり、京阪神を含め全国各地でオーロラが観測されており、しかも色彩があり得ないくらいに鮮や
かなのだそうだ。観測史上初、有史以来、信じられないetc、とにかくあらゆるおおげさ言葉が飛び
交っている。お祭り状態だ。
朝倉が長門を見、長門は俺を見つめる。そういうことなのだろうか。
ハルヒ、やっちまったな。
いや、俺かな・・・
そう思うと、もう居ても立ってもいられなくなった。
「朝倉、長門、すまん俺たった今用事ができた! シュークリームは二人で食ってくれ、・・・俺のじゃ
ないけど、ごめん!」
「・・・・・・」 二人は無言。
鞄を持って玄関先に走った俺に、朝倉が追いついてきた。寂しそうな顔で。
「本当は食べてって欲しいけど、今日は楽しかったわ」
ああ、すまん、ありがとな。
「フフ、あとでわたしも屋上に見に行こうかしら」 そして歌うように言った。
「あなたと涼宮さんのオーロラ」
聞きそびれたな、結局。
『昼休み、朝倉はハルヒに何と言ったのか』
でも、それはすでに乗り越えたような気がするんだ。
その証拠に・・・・・・
エントランスを出ると、すでに何人もが空を眺めているのが見える。
視線の先、要するに空はまさしく色めきたっていた。
せめぎあう光の帳が形容しがたい波濤の嵐となって全天を覆っている。
赤が基調かと思えば緑にも桃色にも輝く。
今度は青く。青・・・・・・? ありえない。信じられない。すごすぎる。
興奮してあいつに電話をかけようとしたまさにその瞬間、あいつからの着信が来た。
(キョン!ちょ・・・)
「いますぐ会いたい!どこにいる!?」
(ニュー・・・え!?)
「だから!いまどこ!」
必死に声量を抑えたが抑えきれてたか疑わしいね。
「うん、うん、いやほかの誰も呼ばなくていい! いいや、これはプライベート、私用! 二人、そ
うお前と。 ・・・・・・いいか、あ、俺制服だっけ。あ・・・・・・どうでもいいだろそんなこと。ああ。今す
ぐ来い。俺も行く。わかった。うーん、じゃ遅れたほうがあとで罰金。・・・要するに晩飯!」
一刻もはやくハルヒと見たかったのだ。
たぶん・・・ハルヒと俺のオーロラだから。
空はますます喧騒の度合いを高めつつあるようだ。
ほうぼうから歓声があがる。
俺たちに見せたくてオーロラもうずうずしてるに違いないね。ハルヒの瞳のオーロラを思い浮かべる。
同じくらい綺麗な・・・・・・
急ごう。
そろそろ繋がりにくくなってきた電話の最後に言ってやった。
「・・・・・今回は絶対に奢らせるからな、覚悟しとけ!」
−晩ご飯をどちらが奢ったのかは、機会があればまたどこかで。
とりあえず、おしまい−
「第一回1-5クラス女子品評秘密会議」改め「美少女対決シチュエーション@非常階段の踊り場」改
め「君の瞳は1万テスラ〜地上に降りた新月夜の虹。リアルで」はこうして一応の団円を迎えた。
以下の話は実は後日談なのだが、ここで触れたほうがよさそうな気もするので思い切って紹介したい。
普段どおりの部室での古泉との会話だ。その日のゲームで三連勝を飾りつつあった俺が累計300円を
手中に収めようとしていたとき。何度も「一つのたとえ話として軽い気持ちで聞いてくれたらいい」
と前置きしつつこう切り出した。
新たなキャンペーンを見つけて奔走中らしいハルヒは席を外している。
「たとえ話ですよ。そうですね、『機関』のなかに仮にこんな能力を持った人物がいたとしましょ
う」
「それは通常状態ではなんの役にも立たないもので、ああ僕もそうですね、しかし特殊なものが見え
る、いわゆる千里眼のような能力なのですが」
もしそんなのがいたら通常状態でも十分活躍できそうだが。言いつつ口寂しいので自分で注いだほう
じ茶をすする。
「いえ。今言ったように特殊なものしか見通せない。それは・・・」また言葉を選んでいるようだ。
今日は慎重だな。「それが見通せるのはいわば過去の特定の場所、あるいは状態といってよいのでし
ょう」何が言いたいのかさっぱりつかめん。
「たとえば、ある重要な分岐点で異なる選択をした結果、それを是認しない力によって一瞬にして遠
い過去であるかのようにずれた、そんな世界が見えると、そういう力をやはり涼宮さんに授かった人
がいたとしましょう」 ちっとも例えじゃねーだろ、それ。
「で、何が見えたんだ、あまり回りくどいと寝るぞ」
「・・・・・・」
それきり黙りこむ古泉。おい、このままゲームの負けまでチャラにするつもりじゃないだろうな。
実際には相当言いにくかったらしい。奴なりの配慮が働いたのだ。
でも頼むぜ。ここまでしゃべっておいていきなり長門のように無口になるのか。押し黙った古泉は前
髪を左手の二本の指で軽く触っている。こいつなりの脳内整理法なんだろうな。きっと。
重そうな口がようやく開いたのは、吹奏楽部が練習曲の一楽章を半分くらい演奏したほどの時間が経
ってからだった。
「あくまでたとえ話ですよ。たとえば、そうたとえばです・・・・・・あなたが彼女−朝倉涼子−に刺し殺
されてしまった、いえ、これは今の彼女ではありません。しかし。その時はまさにそれが容認され得
なかったために驚愕すべき時空改変がおきた、それも複雑かつ大規模きわまる時空変換の末、再び宇
宙開闢以来の歴史をループして、しかも超早送りで繰りかえす。最終的には精密に同じ世界構造をも
った時空に実質的に戻った。そんな途方もないビジョンですね」
おいおい。
こいつとんでもないことサラッといいやがる。逡巡はしてたが。
「ただし、一つだけ異なる部分が存在する。それが・・・」 なんだ、言ってみろ。
「長門さんたちの言う情報統合思念体だというわけです。まったく途方もない、かつ現実においては
ほとんど意味のない千里眼といってよいでしょうね」
異なる思念体・・・・・・? 「平たく言えば性格が丸くなった、思念体の内部の矛盾がおおいに緩和され、
比較的統一されたものになって再構築されたと。それもただ一つの目的のためにですよ」
お兄さん度肝抜かれたわ。ええと、どっかで聞いたっけ、このセリフ。
「朝倉涼子と出会ったあなたが、再び同じ目にあう可能性を排除するためだけに、です。まあそんな
モノが見えるというトンデモ話なんですけどね」
そういえば、だいぶ上手くなったな、ウチのブラバンも。最近しょっちゅう聴こえてくる練習曲が今
も続いている。いや与太話に付き合ってられんというわけでなく、ややもすれば現実から八艘とびを
してしまいそうな感覚をバランスさせるために、身近な環境に思いを巡らせたのだ。
原因と結果のスケールの不釣合いのあまり気が遠くなりそうである。
でもそんな異様に回りくどいことなどせんでも、朝倉と長門のクラスを入れ替えるとか、朝倉だけに
制限を加えるとかいくらでもやれるだろうに。
それでも大掛かりに思えるが、その「たとえ話」に比べりゃなんてことない。
「警告なのでしょう。『あなたに下手に手を出せばどういうことになるか』を示威した。いや実行し
てるんですが。まったくバカバカしいほどの気宇壮大な千里眼です、しかし、これでもおそらく序の
口だと」
なんとまあ。たぶん口が半開きだな、俺。
「わからないのは、あなたに危害を加えたというその元凶自体に、ほとんど手を付けていないのはな
ぜか」 そう思うよな。
「それが」はす向かいの人物が突然言葉を継いだ。「あなたの望みだったから」
まっすぐ俺を見て長門は言った。俺の表情をじっと伺うように。
「僕も同感ですね」 ぬう。そんな博愛主義者みたいな広い心は持ち合わせてないと思うんだがな。
そう言うと古泉は苦笑した。
「それに彼女の自尊心−クラスメイトを巡っての−がそれを許さなかったのでしょう」
それであのオーロラか。思いっきり反則技じゃないか?
「そうですよね・・・」ククッと笑いが漏れる。「ああ、付け加えると、その人が『機関』に存在する
のも・・・」なんとなくわかるが続けてくれ。
「伝え聞いたたとえ話を、こうして僕があなたに話す、まさにそのためなのかもしれません。これほ
ど明瞭に近辺の人物のビジョンを見たことはなかったそうですから」
誰なんだよ、その役立たずのパランティアは。いやな電波にあてられた気分だぜ。
ところで、言いにくかったのは俺が刺し殺されるって話だったからか。「・・・・・・」
また黙りやがった。まあいい。とりあえず300円よこせ。
二人分のコーヒーくらい奢ってやろうと考えながら俺は念を押した。