一方,日本の博士課程では3年なり4年なりの間自分の専門に閉じこもり,社会とは隔絶して研究をしていればよい.
このようにして彼等は”固まって”しまい,物理学の極めて狭い分野の専門家となるのである.
この業界では実はこのような道をたどったので,あるいは,物理学者が社会に眼を奪われるのはもっての外,
就職に頭を悩ますなど言語道断と言われる方もあるかもしれない.
現に某大学で学生の就職に無関心であると非難された教授が,多分売り言葉に買い言葉であろうが,
君達が大学院に入ったのは学問をするためか,就職をするためかと開きなおったそうである.
たしかに就職など世俗のことにわずらわされることなく学問ができたらそれにこしたことはない.
そこで筆者はこのような理想的な環境として,またOD問題の解決策として次のことを提案する.
それは宗教的教団に似たInstituteを作ることである.
名づけて日本素粒子教団,生物物理教団等.
この教団に属する人は,世間から僅かな喜捨を仰ぎ,粗衣粗食に甘んじ,妻帯の望みも絶ってひたすら学究生活をする.
たまたま在家のわれわれも修業をしたければ年期を限り,なにがしかの費用を払って入団できる.
このような教団は古代にもあったようだし,僧侶階級をみてもわかるように、比較的永続きし,
しかもすばらしい業績を挙げうるものである.
もしかするとOD問題は古代からあったのではあるまいか.
しかしODの中には一応の社会的なセンスをもち、このような教団に属するよりは,
世間の人と混ざって生活し,積極的に世のため人のために尽したいと思っておられる人もいるにちがいない.
その方々に筆者の日頃思っていることを述べて同憂の士をつのる.
大学教員は実は手がなくて困っている.
現に筆者の父は,1年・3年・4年・大学院と週10時間の講義を持っているが,
年々新たな講義をしようとすると並大抵のことではない.
しかも,どの大学でもそうだが,1年生は大教室で講義を受けさせ,入学当初から大きな幻滅を与えている.
この1年生への講義ほど,物理学者にとって大切なものはない.
つまり受講生の大多数は,将来物理学を専攻しない学生であり,
これらの学生の教育こそ物理学が社会全体に正しく理解される足がかりとなるはずである.
物理学が正しい姿で社会に浸透すれば,物理学者の発言権も強まり,ひいてはこの業界の社会的地位の向上にもつながる.
それなのにこの業界では,その教育に手を抜いている.
少なくとも上級生の教育ほど力を入れていない.
これは間違っていると思うが,人手が足りないから致し方ない.
若しも教官の数が,学生数が現在のままで倍になり,昔のように少人数の講義ができたら,どんなに幸せであろう.
さらに少数の学生が1人のTutorまたはAdviserの指導を受けるような制度でもよい(英国の大学またはモスクワ大学のように).
そしてODを全国の大学に吸収するのである.
しかし,これを実現するには,学生数に対して教官数を算定する政府の基準を改めさせ,
さらにはその根本にある考え方を変えさせなければならない.
これを行うだけの政治力が物理学者(基礎科学者)にはないものだろうか.
OD問題をこのままで放置し,破局的状況に持ちこんで,政府をして嫌でも対策を講じざるをえないようにするのも1つの方法ではあろう.
しかし筆者は「お兄ちゃんっ子<ブラコン>」のせいか,できるなら破局的状況は避けたいと思うのである.
(蟹沢きぬ,竜鳴館高等学校2年生)