【つよきす】西崎紀子に萌えるスレ

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333名無しさん@お腹いっぱい。
OD問題に憶う ---蟹沢きぬ

未就職博士 (OD=オーヴァードクター) の問題がついに新聞紙上に姿をあらわした.
昨年秋の学会で,当地の若い人達がOD問題のビラを配っていたが,内容は”ボクを如何して呉れるのだ”ということであった.
今年、某県で新しい大学が創設されたが,教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい,もう空き定員はない.
このようにして,何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう.
とある分野では未就職者の数は600名とか1000名とか聞く.
この人達は本職ならざるアルバイトをしたり,周囲の庇護のもとに生活しているのであろう.
現在のわが国は数千名のODを養う経済的余裕があるのかも知れない.
しかし,たいていの人はODとなって何年か後には”ボクを如何して呉れるのだ”という不満をもつにちがいない.
いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ,新聞種にもなるのだ.

筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて,小学校のうちから一流大学を目指して子供をしごく.
筆者の親もそうであって,兄のために大学の非常勤講師手当を上回る額を月々進学塾に貢いでいる.
このまま大学までずっと勉強を続けるのが母親の念願なのであろう.
筆者の好きな曲の歌詞に
 「いつか見開く希望の瞳,決めた道なら前だけを見つめて」
と在ったが,こういう生き方を言葉通りに,最も一途に実行してきた人のなれの果てがODではないか.
筆者は時々”お兄ちゃんをニートに仕立て上げる心算か”と思ってしまう.
しかし,大学入学以後のことまでは考えが及ばないようで,あまり効果がない.

たしかに物理学は若者の心を魅了するものをもっている.
筆者の経験をいうと,高校の物理のクラスでは話が熱力学第2法則とかのくだりになると,
日頃ゴソゴソ私語を交わしている学生でもフト熱っぽい眼をする瞬間がある.
”あたしは料理と物理学にだけは強い幻想をもっている”と言った或る花屋の娘を忘れることができない.
”1次元調和振動子の理論はよくできすぎている”と溜息をついたエロゲヲタもいた.
同じ意味で,群論の量子力学への応用とか,Dirac方程式などには何者にも替え難いBeautyがある.
少なくとも彼等が物理学への興味を失うことなく,正常な姿で生活できるようにと願うのは自然の感情であろう.
筆者は嘗てとある幼馴染の親友に陸上の頂点を極めたいと相談されたことが在ったが,
その時はその道の現実を説き汚い半面を強調して,その夢を醒ますことをまず試みた.
また父が教授である関係上,級友から将来博士課程とくに理論方面に進みたいと
相談されることが多いが,その時も同様のことを試みる.
それにもかかわらず,素粒子とか生物物理を志す学生はあとを絶たないのである.

しかし,思ってもみるがよい.なぜOD問題が生じたのか.
教官定員が増え,万年助手が昇格し,研究室が活気を帯びたのも束の間,学生は年々入ってくる.
これらの学生は産業界には出てゆかない.そこで再び教官定員増を要求する.
しかし政府はある学生数に対して教官を配置するという方針を墨守しているから,
この悪循環は急速に発散して今日の事態となったのではないか.
すなわち,非は数年先のことを考えずに(または考えていながら)教官の定員増を要求した大学側にある.

一昔前に雑誌で読んだ記事であるが,物理学科の学生1人1人に,学位を取ったらどこへ行くかを問うたところ,
1人の例外もなく,"Industry" と答えたのに驚かされたことがある.
学位を得て産業界に入れば指導的地位を約束されるそれに対して日本の産業界は,修士を受け容れる体制はできたが,
博士となると”固まりすぎて融通性がない”という理由で敬遠する.
わが国の産業界はまだ博士を必要とするほど発達していないというのは一面のいいわけで,これも大学側に責任があると思う.
米国の大学では博士たるものは1つのテーマについて研究を仕上げると共に,
年に何回か行われる試験によって物理学全般の知識についてチェックされる.
また学部下級生の講義や実験指導をする "Teaching Assistantship" の制度もひろくゆきわたっていて,
これがどのくらい彼等の学問と社会性を育てるのに役立っているかわからない.