西崎紀子さんは神奈川県の横須賀市で生を受けた。
過疎化の進む商店街での西崎さんの誕生は商店街にとって願っても無い事であり、
住民は西崎さんの誕生を街の救世主の誕生として、記念の祭りを開いた。
満二歳にして歩くことを覚え、翌年には「くー」だけながらも言葉を喋るようになった。
西崎さんは住民の愛情を一身に背負い、幼年期を過ごした。
六歳になり、西崎さんも教育を受けなければならない歳になった。
だが、横須賀市には聾唖者の学校など存在しなかった。住民達はなんとか西崎さんに教育を与えようと考え、
互いに金を出し合って街から30km離れた小学校に電車で通わせることにした。
学校から帰り九九を紙に書いて諳んじる西崎さんを住民達は神童と崇めた。
住民には摩訶不思議に見える難関私立中学の問題をこなす西崎さんを見て、
末は博士か宰相か、と、村人達は思った。
西崎さんもまたその幼い身に自分への期待を感じ、そして自分の能力の絶対性を疑わなかった。
思えば、これが悲劇のはじまりであった。
12年間の教育を受けた後、西崎さんは商店街のたくわえを託されて留学した。
まず西崎さんをはじめに襲ったのは、異国の目新しさ。
やる事為すことが全て目新しい事で、西崎さんは商店街では絶対に味わえなかった生活に酔いしれた。
そして次に西崎さんを襲ったもの。それは真綿で首を絞める様に残酷な、大いなる挫折であった。
西崎さんは数学には自信があった。
東大の模試なら誰にも負けない自信があった。
SAT(math)では誰にも負けない自信があった。
だが、西崎さんはTOEFL(iBT)のSpeaking section前で凍り付いた。
自分の経験や意見に基づく45秒スピーチ、対話や講義の1分間での要約、
対話に基づいて2つの意見のどちらを支持するかを1分間で纏める問題。
http://ja.wikipedia.org/wiki/TOEFL_iBT 西崎さんは「くー」だけでは生きていけないのだ。可哀相な事に、その事に気付くのが遅すぎた。