5組<コウタ@エルフェンリート>支援
コウタの背負うテーマ =普通の人間が人間悪に立ち向かうことができるのか?=
「カナエを、父さんを殺した君を許せない。
でも!でも!
また君が人を傷つけたら、
俺はまたきっと、ずっと、いつまでも後悔するから」
http://yefzjl.chez-alice.fr/up1/file/ma_003206.jpg エルフェンリートは一人一人が実に意味を持って作品を支えています。
コウタはエルフェンリートの主人公です。
作品内において、蔵間と並び人類の良心を体現するキャラです。
妹のカナエと父親を『ディクロニウス』ルーシーに殺される
(しかも胴体を真っ二つに切断されるという凄まじい殺され方)
という暗い過去を持ちます。
http://yefzjl.chez-alice.fr/up1/file/ma_003214.jpg 上はカナエが切断されて死ぬ直前のシーン。
「何故あのとき妹の言うことを信じなかったのか?」
という後悔の意識は、後に困っている人(とりわけ女性)
をほうっておけない性格につながります。
エルフェンリートは人間悪に真っ正面から挑んだ作品。
まるでデビルマンのような壮絶な世界観に萌えキャラを放り込んだ
ような作品です。
ですが残酷作でありながら、ファンの認識ではこれは
感動作
なんです。人間がどれほど残酷になれるかひたむきに見つめ、
そのうえで残酷なだけではない人間性を逆説的に浮かび上がらせています。
蔵間は特殊な状況での人類の良心を体現しているキャラですが、
コウタは僕らのような市井の人間の良心を体現しています。
もしも、人間が持つ醜悪な面に挑むのが格好いいヒーローならば、
実は人間悪に立ち
向かえるのは一部の優れた人だけということになりはしないでしょうか?
コウタは基本的には普通の人です。
そしてコウタのような人間が残酷な面や他者を差別
する面に立ち向かうことこそテーマ的に重要なんじゃないでしょうか?
それは僕のような普通の人間もまた、僕なりの形で僕にできることをすれば、
それこそが人間悪に立ち向かう方法たりうるからです。