<秋月辰一郎@アンゼラスの鐘>支援 その3 (その1は>188 その2は>190)
秋月辰一郎氏に関する面白い記事を見つけたのでもう一つ。
ttp://tanakanews.com/jimbo/190.html#seiyo_s1 1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。
その爆心地からたった1.8キロのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった
秋月振一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなっ
た。おそらく直感的に、血液の濃さを保ち、血液を水でうすめることなくガードし
ようとしたのだろう。
さらに博士は、次のように職員に命令した。
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩から
い味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にい
かんぞ。」(秋月振一郎著『死の同心円−長崎被爆医師の記録』講談社刊・絶版)
「放射線宿酔」と呼ばれる、レントゲンを受けた後におこることがある全身の倦
怠や頭痛等の症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲む
とよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩
分が有効であることを推理したのだ。
みそ汁は、カボチャのみそ汁であった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらし
い。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオ
ンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
すると、どうであろう。その? とき博士といっしょに患者の救助にあたったスタッ
フらに、いわゆる原爆症が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症
状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き
のびているのである。(この記事は秋月氏の生前に書かれたもの)
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これは秋月氏の著書によるものらしいが、これのおかげで、後のチェルノブイリ原発事故の後、
ヨーロッパ中で「日本の味噌」が飛ぶように売れたという。秋月氏はこのような栄養的な観点からも
原爆及び放射能の治療に取り組んだのである。