アニメ最萌トーナメント2005 投票スレ・Round96

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18名無しさん@お腹いっぱい。
[[A0512-tVOi2NJu-ZC]]
<<神奈備命@AIR>>
<<にゅう(ルーシー)@エルフェンリート>>
もう1,2回支援するつもりですが自分自身の投票も忘れないうちにしておきます。

(以下、やや思い入れ過多につき関心無い方はスルーしてください)

この作品は、おそらくデビルマンや寄生獣の系統に連なる人間悪を正面から扱っ
た作品といえると思います。でも、一方でデビルマンみたいに人間の否定というと
ころまではいかないと予測しましたし、事実そうなりました。デビルマンの場合、人
間悪が思いっきり4-5巻ぐらいで表出した後、5巻ラストでは実にあっさりと滅亡し
ます。あの世界観のなかでは人間という存在を、もはや書き続ける必要が無くな
ったんでしょうね。

 でも一方でエルフェンリートは違う。この作品は人間のエゴイスティックな面を
出しながらも、着地点は人間性を全否定することはなかった。注意深く見ている
と、悪く書かれているのは「自分と異なる存在を認めない人々」といえるんです。
この世界観ではそういう人に対比するように主人公、コウタがいる。何の変哲も
ない人物をわざわざ主人公に据えるのは、おそらく彼が自分と違う境遇の人物
を比較的素直に受け入れることができる人間だからだと思います。多分、作者
はあえて普通の人間を主人公にしたんでしょう。

手足が切断され、犬が石で殴り殺される(殴り殺すのは人間の子供)さらにはこ
の作品の名物とすら言える首チョンパ・・・こんな描写がてんこ盛りな作品を人
間賛歌などとは言えるわけがありません。
 
 でも感動作なんです。この作品は。

 自分と違う存在を自然に受け入れることができる「普通の人間」コウタが何故
主人公なのか?人類の敵である種族・ディクロニウスであり、残酷に人を殺し
まくるルーシーは、コウタに贖罪と救いを求めているのは何故か?
 人間でありながら違う種族ディクロニウスの一人ナナを我が子のように接す
る蔵間が何故重要人物なのか?蔵間の娘であり、ディクロニウスとして生まれ
たマリコが当初人を殺しまくっていたのに最後に親子の絆が復活したうえで死
ぬ(体内に埋め込まれた爆弾で爆死。爆弾を仕掛けたのは人間)のは何故か?

 僕はこれらが示しているのは、悪魔のように残酷になれる人間を描きながらも、
それだけでは語り尽くせない部分を浮かび上がらせることで逆説的な人間肯定、
というか「人間は残酷な、悪い部分だけではないのだ」と言う点を示めそうとしてい
るのだと思います。
 ルーシーはそれを最も体現しているキャラだと僕は感じました。あれだけ残酷に
殺しまくったルーシーに潜んでいた贖罪の意識・・・
 最終回のコウタとルーシーの和解を見たときに自分のほほを流れた涙に僕は
むしろ呆然としました。
あのルーシーの救済に自分がこんなに感動することになるなんて!
 
僕にとって10年ぶりといえる会心の一撃エルフェンリート。
この作品に興味を持ってくれる人が一人でも増えることを願います。