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834名無しさん@お腹いっぱい。
(直江津駅リンチ殺人事件) 1945年(昭和20年)12月29日

信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って
乗り込もうとしたところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、
デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。彼らは直江津駅で
その日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して
乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、
日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、
「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、
その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、
結局うやむやのうちに終わってしまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、
急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。

それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた
米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、
はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を
出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、
人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、
ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。
この時、連合軍総司令官ダグラス・マックアーサー元帥の発した布告が、
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」
と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。