【すぽると!】平井理央 Part61フェロモン番長】

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519名無しがお伝えします
クリス・ドールマンは「1976年のアントニオ猪木」の中で著者のインタビューに答え「ヤマモトは強くは無いけど、いいキャラクターを持っている。闘う心があるんだ。彼はライジングスターで私は50歳に近かった。私が勝ったら悪いだろう?だからレッグロックに敗れることにしたんだ」と証言している。
520名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 19:02:03.19 ID:yNEbrpWBO
選手団体としてのリングス・ジャパンに所属したのは、当初は前田日明とUWFインターナショナルから移籍した長井満也の2人だけであった。その後、1992年に山本宜久と成瀬昌由、1994年に坂田亘と高阪剛らがデビュー。さらに1996年に田村潔司がUインターから移籍。
521名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 19:04:50.27 ID:yNEbrpWBO
Uインター解散後の1998年には金原弘光、山本健一(現・山本喧一)が移籍し、横浜市に構えられた前田道場で練習に励み、徐々に陣容を整えていった。
既に選手としての盛りを過ぎていた前田日明に代わり、後継者として期待された生え抜きの山本は伸び悩み、移籍組の田村が日本人エースとして重責を担った。さらに田村が離脱した末期は、金原が「リングス最後のエース」と呼ばれ孤軍奮闘した。