【すぽると!】平井理央 Part61フェロモン番長】

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510名無しがお伝えします
日本国内では活動を停止したリングスだが、リトアニアなど海外ではリングス・ネットワークの手により大会は継続され、日本国内でもリングス出身スタッフが運営する「リングスKOKルール」を採用した格闘技イベントZSTが開催されるなど、リングスの系譜は受け継がれている。
511名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:11:30.37 ID:yNEbrpWBO
なお、世界的なリングス・ネットワークを越える構想と組織化は、未だどこの団体・興行も実現していない。
512名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:13:31.43 ID:yNEbrpWBO
リングス活動停止後、前田は総合格闘技興行「HERO'S」のスーパーバイザーを務めたが、HERO'S終了後、リングス復活へ向けて動き出した。
2008年よりリングス主催のアマチュア大会「THE OUTSIDER」を旗揚げ。以降定期的に大会を開いている。
513名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:19:21.93 ID:yNEbrpWBO
2010年4月3日の「THE OUTSIDER 第11戦」において、前田は10月11日の横浜文化体育館にてリングス復活第1弾大会を開催すると宣言した。THEOUTSIDERとZST・在日米軍の対抗戦として行なわれたこの大会は正式な復活大会とはならなかったが、リングス復活への足がかりとなった。
514名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:23:00.07 ID:yNEbrpWBO
また、大会前にTHE OUTSIDERの常連である吉永啓之輔とプロ契約を交わした。
その後もリングスはTHE OUTSIDERトップ選手と順次プロ契約を結んでいる。
2011年4月22日、前田はTHE OUTSIDERのプロ化およびリングスネットワーク復活を示唆する発言をしている。
6月20日の記者会見で、2012年3月に後楽園ホールでリングスとしてのプロ興行を開催して再始動すると発表した。
515名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:25:53.69 ID:yNEbrpWBO
新生リングスにはTHE OUTSIDER出身プロおよびZSTの選手を中心に他団体やフリーにも参戦を呼びかける一方、THE OUTSIDERはリングスのアマチュア部門として継続する。また、かつてリングス審議委員を務めた藤原敏男が率いて同年旗揚げ予定の「IT'S SHOWTIME JAPAN」とも提携する方向である。
516名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:28:45.81 ID:yNEbrpWBO
初期のリングスではUWFルールを踏襲していた。グローブなし、ロープエスケープあり、顔面パンチ禁止(掌底はOK)、グラウンドでの打撃は禁止。1エスケープで1ロストポイント、1ダウンで2ロストポイント。10ロストポイント、タップアウト、ダウン後10カウントで敗北。
517名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:31:54.38 ID:yNEbrpWBO
その後UFCの登場により、バーリトゥードが話題を集めていった。前田はバーリトゥードには否定的であったが、PRIDE、修斗、パンクラスなどが追随する中で、リングスも対応を迫られ、リングス後期にはバーリトゥードから危険な要素を省いた「KOKルール」と呼ばれる独特のルールが採用された。
518名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:35:49.67 ID:yNEbrpWBO
ルール面以外に、いわゆる勝敗を事前に決めたり、意図的に勝利を譲るなどのいわゆる“フェイク”(出来試合)と真剣勝負の混在については、外部の論評以外にいくつか内部の証言がある。
519名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 18:38:56.65 ID:yNEbrpWBO
クリス・ドールマンは「1976年のアントニオ猪木」の中で著者のインタビューに答え「ヤマモトは強くは無いけど、いいキャラクターを持っている。闘う心があるんだ。彼はライジングスターで私は50歳に近かった。私が勝ったら悪いだろう?だからレッグロックに敗れることにしたんだ」と証言している。
520名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 19:02:03.19 ID:yNEbrpWBO
選手団体としてのリングス・ジャパンに所属したのは、当初は前田日明とUWFインターナショナルから移籍した長井満也の2人だけであった。その後、1992年に山本宜久と成瀬昌由、1994年に坂田亘と高阪剛らがデビュー。さらに1996年に田村潔司がUインターから移籍。
521名無しがお伝えします:2011/09/01(木) 19:04:50.27 ID:yNEbrpWBO
Uインター解散後の1998年には金原弘光、山本健一(現・山本喧一)が移籍し、横浜市に構えられた前田道場で練習に励み、徐々に陣容を整えていった。
既に選手としての盛りを過ぎていた前田日明に代わり、後継者として期待された生え抜きの山本は伸び悩み、移籍組の田村が日本人エースとして重責を担った。さらに田村が離脱した末期は、金原が「リングス最後のエース」と呼ばれ孤軍奮闘した。