>あのさ〜、このスレのどこに「1人で荒らしてる」と書いてんだ?
>同一のAAで荒らしてる大馬鹿1匹とバカ数匹が規制食らった、という事実があるだけ
>俺は荒らしが何人でも同一でもんなことはどうでもいいもん
>複数対1の構図を作りたいのがアホラーだね
「大馬鹿1匹とバカ数匹が規制食らった」
「俺は荒らしが何人でも同一でもんなことはどうでもいい」
と複数人から叩かれていたの事実を認めておきながら、
「複数対1の構図を作りたいのがアホラーだね」
病的ともいえる酷い自己矛盾。だが、それは
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html >あくまでも自分の延長としての存在としてしか他人を理解してない
>精神的な 「分離−個体化」に失敗しているため、自分と他人とを区別する境界が非常にあいまいです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/boundary.html >境界例の患者と接すると、患者はあらゆる手段を使って、乳幼児期のような自他の区別の
>ない一体感への要求を突き付けてきます。赤ん坊のころに戻ろうとするかのように、
>なんでもかんでも自分の面倒を見てもらおうとしたり、自傷行為や自殺の脅しをつかったり
>あるいは怒りを爆発させて威嚇的な行動を取ったりして、自己中心的な自分の要求を実現させようとします。
こういった境界例の症状だとみなすとすべて合点がいく。
通常、他人とは、十人十色、それぞれ違った人格を持った自分以外の無数の人たちのことだが、
新潟にとって「他人とは自分という個人の延長でしかない」ので自分という単数でしかない。