★ アナウンサー板 自治スレ 2008/06/20〜 ★
>>37 >このように新潟の性格は
>一言で言えば人間関係の距離感がない「距離梨ストーカー」 です。
新潟は病人。いわゆる境界例。
http://ja.wikipedia.org/wiki/境界例 「境界例(きょうかいれい。ボーダーラインケースの訳語)は精神医学の用語である。
境界例とは、旧来の境界例概念に基づく、人格障害における広義の疾患概念であり、
主にB群人格障害(反社会性人格障害、境界性人格障害、自己愛性人格障害、演技性人格障害)
の病理を持った患者を指す。」
そ彼の行動の殆どは典型的なボーダー(境界例)」による「投影性同一視」で説明がつきます。
下記サイトなどは非常に分かりやすいですよ。
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html 抜粋すると
投影性同一視という防衛機制は、境界例の患者がよく使う防衛機制です。
自我が貧弱なために自分で自分を愛することができないからなのです。
自分に向き合おうとすると、どうしても見たくもない都合の悪い感情と
向き合わざるを得なくなりますので、
つまり、極端な言い方をすれば、他人の人格や個性などはどうでも良くて、
あくまでも自分の延長としての存在としてしか他人を理解しないのです。
スタッフという鏡に向かって敵意を露にし、嫌悪感や憎悪を剥き出しにするのです。
こうすることで、自己嫌悪を回避することができるのです。
本来の自己嫌悪というのは、自分の中にある醜い部分を見つめることで発生するのですが、
この醜い姿を強引に他人に押しつけて、その憎まれ役を割り振った人に対して嫌悪感を向けるのです。
つまり、自己嫌悪を、他者嫌悪へとすり替えてしまうのです。こうすれば、悪いのはすべて他人
ということになりますので、自分自身は善人のままでいることができますし、自分で自分を嫌悪
しなくてすむわけです。
たとえば、スタッフに向かって「お前は、自分勝手で自己中心的だ」という非難を浴びせたとします。
患者の人柄をよく知っている人からみれば、「自分勝手で自己中心的なのは、他でもない自分自身のことではないか」
ということになるのですが、患者自身はそういう自分のいやな部分を見ようとはせずに、そのいやな部分を
他人に押しつけるのです。そして、いやな部分を押しつけた他人に向かって「お前は、自分勝手だ」と言って
非難するのです。このように自分のことを棚に上げて、他人を非難することで、自分の中にある嫌悪すべき部分と
直面することを避けているのです。つまり、自分自身と向き合う代わりに、他人という鏡と向き合って、
他人を攻撃するのです。ですから、患者が、「お前は、×××だ!」と言ったとき、「お前は」という部分を
「私は」に置き換えてみれば、言っていることがそっくりそのまま患者自身にぴったりと当てはまることが
あるのです。しかし、患者は「私は、自分勝手だ!」とは言いません。その代わりに「お前は、自分勝手だ!」
「お前は、自分のことしか考えていないじゃないか!」と言って、周囲の人たちを非難するのです。
このような他人を利用した自己嫌悪は、患者が他人に憎しみを向けるというパターンだけではなくて、
逆に他人に患者を憎むように仕向けるという形を取ることもあります。
自分で自分を憎むのではなくて、自分を憎んでいる「自分自身」を他人という鏡に映し出すのです。
そして鏡の役を割り振った他人から、自分を憎んでもらうことで、他人を利用した自己嫌悪という形を
作り出すのです。そして、このような形を取ることで、自分で自分を嫌悪するという苦痛から逃げよう
とするのです。ですから、わざと相手の人から嫌われるようなことをして、相手の嫌悪感や憎しみを誘発するのです。
そして、自分は、他人から嫌われる役を演ずるのです。ですから、表面的には相手の人の怒りをかってしまい、
嫌われて除け者にされているように見えますが、実際には相手の人というのは、他でもない鏡に映し出された
「私を嫌っている、いやな私自身」ということになるのです。つまり、患者はこのような形で自己嫌悪を
完結させようとするのです。そして、相手の人は自分でも気づかないうちに患者自身の自己嫌悪のシステムの
中へと組み込まれてしまうのです。そして、いつの間にか患者から割り振られた役、つまり患者を嫌うという
役割を演じてしまうことになるのです。
では、なぜこのような防衛機制が発生するのかと言いますと、患者には自分というものがないからなのです。
自分というものがないので、葛藤を自分だけで抱えることができないのです。加えて、患者は精神的な
「分離−個体化」に失敗しているため、自分と他人とを区別する境界が非常にあいまいです。
ですから、本来なら自分の中にとどまっている葛藤が、自他の境界があいまいなために、自分の境界の中に
とどまっていることができずに、そのまま周囲の人間関係の中へと流出してしまうのです。
そして、患者の心の中の混乱が、そのまま周囲の人たちの混乱として表現されることになるのです。
そして、周囲の人たちは、患者から色々な役割を押しつけられて、気づかないうちに患者の葛藤の代役
を演じさせられることになるのです。そして、こういう形を取ることで、患者自身は自分の見たくもな
いいやな部分を全部他人に押しつけることが出来ますので、本人としては「善人」のままでいることができるのです。
つまり、自分はあくまでも善人であり、悪いのはすべて悪役を割り振った他人のせいなんだということになるのです。
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名無しがお伝えします:2008/09/30(火) 02:18:22 ID:K7IwXiAr0