>>84の続き
今日ブルガリア人と呼ばれる民族の祖先ブルガール人は
7世紀に強力な第一ブルガリア帝国を築き上げ
865年に南スラヴ人として初めてキリスト教を国教として採用し
また10世紀にはキリル文字を作り上げた
長い間ビザンツ帝国の強いライバルであったブルガリア帝国だったが
1018年には遂にビザンツに従属させられる
その後1185年に反乱が起き第二ブルガリア帝国が成立し
12世紀から13世紀にかけていくつかの小さな成功を収めた後
14世紀後期にはオスマン帝国に制圧された
スロヴェニア人の国であるカランタニア公国は7世紀に成立したが
8世紀にはフランク王国に併合され、その後もさまざまなゲルマン人の国々に統治された
クロアチアは8世紀から二つの公国から成っていたが、10世紀には一つの王国になった
12世紀初頭にはハンガリー王国と同君連合を組み独立性を失った
16世紀にハンガリー王国が独立を失うと
スロヴェニア人が住む地域はそれぞれはハプスブルク君主国
オスマン帝国、ヴェネツィア共和国に統治されることになった
西バルカンでは、いくつかのセルビア人の国が作られた
Ra?ka(後にセルビアと知られる)は13世紀に王国となり
14世紀に帝国となったが15世紀にオスマン帝国に制圧された
Duklja(後にZeta公国、モンテネグロと知られる)は11世紀に王国となったが
これも15世紀にオスマンに制圧された