【TBSの】出水麻衣は恋人募集中♪Part16【褐色娘】

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57名無しがお伝えします
>>56の続き
オーストリア選手団が去ったあとのユーゴでは
あのオリンピックのときの憎しみパワーがそのままブキミにくすぶり続けていたようです
そしてその憎しみはオリンピックのわずか数年後、今度はユーゴ国内の民族同士へと矛先を変えてゆきます
人々の心には
第二次世界大戦の頃に起こったクロアチア人とセルビア人の虐殺合戦などの記憶が亡霊のごとく呼び起こされ
サラエボを首都とするボスニア=ヘルツェゴヴィナでも
1992年にとうとう歯止めのかからない内戦が勃発してしました

この不毛な戦いの結果、本来なら平和を目指すはずだったサラエボオリンピックのメインスタジアムは
今や皮肉にもこの内戦で犠牲となった人々の墓場になっています
あのときのオーストリア選手団に対する110年前の歴史の恨みが行き着いた先は
「人を呪わば穴2つ」という悲しい結末でした
もし1988年のユーゴスラヴィアの人々にオーストリア選手団を暖く迎えるような
心のゆとりができていたなら、ひょっとするとあの内戦は避けられていたかも知れません
そう思うと、私はどうしても残念に思ってしまいます