【TBSの】出水麻衣は恋人募集中♪Part16【褐色娘】

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56名無しがお伝えします
>>55の続き
それから110年も経った1984年、サラエボオリンピックの会場で
ユーゴスラヴィアの人々のオーストリアに対する憎しみが暴走を開始しました
彼らはオーストリアの選手が登場すると野次や怒号を浴びせ、その選手が失敗すると喜びの大歓声
さらにユーゴの民間警備員は警備をするどころかオーストリアのジャンプ選手をぶん殴るという始末でした
そしてオリンピック閉会後はユーゴの民衆がオーストリア選手団の寄宿舎に押しかけて
投石までするという狼藉ぶりを発揮
こんな状態では、オーストリア選手にメダルを取る余裕なんて全然なかったでしょう

ちなみに、このときのオーストリア選手団の監督は
ユーゴスラヴィアのスキー技術向上に25年も協力した人でした
どんなにユーゴのために力を貸しても100年以上昔のことで
責められ続けるのを我慢しなきゃいけないというのは可哀想ですね
さすがにユーゴの監督はこの事態のトホホぶりを申し訳ないと言ってたそうですが

こうしたユーゴの心ない民衆の妨害や威嚇によって
サラエボオリンピックでオーストリアが獲得したメダルはわずかに銅が1個だけ
実に史上最低のドン底記録となりました
まさに憎しみパワーの大勝利ですね
しかしのちのユーゴの歴史を見るなら、これは見せかけの勝利としかいえませんでした