【TBSの】出水麻衣は恋人募集中♪Part15【褐色娘】

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879名無しがお伝えします
>>878の続き
一方、セルジューク朝解体後の中央アジア方面は
ウイグルの崩壊後分裂していたモンゴル高原を
統一してモンゴル帝国を立てたチンギス・ハーンによって征服され
テュルク遊牧民たちもその支配下に入った
しかし、帝国の西方に建国されたチャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国、イル・ハン国ではいずれも
支配者のモンゴル系遊牧民たちが、土着の優勢なテュルク系ムスリムの遊牧民たちと一体化していき
イスラム化・テュルク化してティムール朝などのテュルク=モンゴル系イスラム王朝を打ち立てた
その後、アゼルバイジャン・イランではテュルク系遊牧民の軍事力を背景にサファヴィー朝などの諸王朝
キプチャク草原ではキプチャク・ハン国を解体して生まれた諸ハン国が興り
現在のテュルク系諸民族を形成していった

その後、キプチャク草原は新興のロシアの支配下に入り
中央アジアも19世紀までにロシアと清によって分割される
ロシア領内のテュルク人の間では、19世紀末からムスリムの民族的覚醒を促す運動が起こり
オスマン帝国を含めてテュルク人の幅広い連帯を目指す汎テュルク主義(汎トルコ主義)が生まれた
しかし、ロシア革命が成功すると
旧ロシア帝国領内に住むテュルク系諸民族は個々の共和国や民族自治区に細分化されるに至った
一方、トルコ革命が旧オスマン帝国であるアナトリアに住むトルコ人だけのための
国民国家であるトルコ共和国を誕生させた結果
汎テュルク主義は否定される形となった

1991年のソビエト連邦崩壊後、旧ソ連から5つのテュルク系民族の共和国が独立
これら諸共和国やタタール人などのロシア領内のテュルク系諸民族と
トルコ共和国のトルコ人たちとの間で
汎テュルク主義の再台頭ともみなしうる新たな協力関係が構築されつつある