【TBSの】出水麻衣は恋人募集中♪Part15【褐色娘】

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749名無しがお伝えします
ハリプンチャイ王国に関してはパーリ語で書かれた『ジナカーラマーリー』や
『チャーマデヴィーヴァムサー』など多くの年代記があり頻繁に言及されているが
非常に史実に乏しいとされ、実体は大きく謎に包まれている
それらの年代記によれば、チャマデヴィーと呼ばれる姫が
当時モン族のドヴァーラヴァティー王国が治めるラヴァプラにいたが
彼女の父がこの姫をラムプーンに送って来たことによって661年国が成立した
しかしながら、実際このあたりに国が建ったのは750年あたりだとされる

950年ごろ王統史の言う「野蛮人の王」がラヴァプラを占領したことにより
モン族勢力の中心がハリプンチャイに写ることになった
後、1005年から1022年ごろまでラヴァプラはクメールの王スーリヤヴァルマン1世の占領を受ける
ハリプンチャイはこの後ラヴァプラを再びモン族勢力下に取り戻そうとして
クメールとの間に何度も争いが起こった

1010年、ハリプンチャイはラヴァプラに軍を送り攻撃を開始した
この戦いは十年も長引いた末
マレー半島のナコーンシータンマラートのクメール人の王が
船で援軍を派遣したことによりハリプンチャイの軍は敗走した
それから3年後の1023年にはクメール王
カムボジャラージャ(一説にスーリヤヴァルマン1世)の軍隊がラムプーンに派遣され
ハリプンチャイは攻撃に遭った