【歌姫】浜崎あゆみVS宇多田ヒカル(3回戦目)

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>>571の訳

こいつの名を忘れるな!:Utada

6月16日(水)東部時間18:32
この秋にアイランド・レコードから全米デビューアルバムをリリースするエキサイティングなシンガー・ソングライター。
『世界で最も光り輝いている若きポップスターのうちのひとり』―― クリストファー・ジョン・ファーリィ(タイム誌)

ニューヨーク,6/16/PRNewswire: 2004年秋、21歳のシンガー・ソングライターUtadaが、
アイランド・レコードから彼女にとっての全米デビューアルバム「EXODUS/エクソダス」によって、
今迄隠されていた彼女のオルタナティヴ/ポップ、ダンス、ファンキーなグルーヴを融合させた音楽を、いよいよ全米に打ち出す。
この洒脱な若きスターは総ての楽曲で作詞作曲編曲を手掛けている。
彼女はその楽曲たちに魅惑的でウィットに富んだ歌詩と練りに練られたメロディをありったけ注ぎ込んだ。
またUtadaはそのデビューアルバムで,目を見張るようなスペシャルゲストたちと共演している。
その人選は彼女の音楽の多様性を反映していて、ドラマーにはMARS VOLTAからジョン・セオドアが”Kremlin Dusk/クレムリン・ダスク”という曲でとどまることを知らないグルーヴの渦を持ち込んでいるし、
名人級のプロデューサーである、かのティンバランドは”Exodus '04/エクソダス 2004””Wonder 'Bout/ワンダー・バウト”,”Let Me Give You My Love/レット・ミー・ギヴ・ユー・マイ・ラヴ”といった曲に、
彼ならではのファンキーなタッチを加えている。
ニューヨークの音楽一家の中で育ったUtadaは(父はミュージシャン/プロデューサであり、母は昔、日本でとりわけ愛された演歌歌手だった)、
ビートルズ/レッド・ツェッペリン/メタリカ/ポリス/Dr.Dreといった実に様々な音楽を栄養としてきていて、
そういった影響の総てがUtadaの音楽スタイルの中に刻まれている。
13歳のとき,東芝EMIから日本向けのポップソングをちょっと書いてみないかとアプローチがあり、
程なくしてそのレーベルから最初のメジャー配給アルバムが完成した。それが1999年のこと。
そのアルバムは日本で1000万枚を売上げ、まだ15歳だったウタダをスーパースターの座に押し上げた、
さぁ、見てろよアメリカ! Utadaフィーヴァーはもうこの秋にまで迫っているぞ!