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>>576 > 『自己責任』っていうのは『責任の中で自己が取る領域』を示している言葉であって
> 「取れるか、取れないか」なんていうものではない考えたから。
自己責任(の原則)は、基本的には
>>549に書いた通り、他人の行為について責任を負わない、という意味です。
『責任の中で自己が取る領域』という言い方からは、「責任はみんなで分担して負うものであり『ある人の負担分』に
着目した場合、それを指して自己責任という」のように読み取れると思いますが、法的な責任は、原則的に人・行為
単位で、所定の条件にあてはまるか検討し、あてはまる場合は(消極的に)認めるものなので、576さんが想定して
いる考え方は、一般的とは言いがたいと思います。理由がないのに、責任がどこかにあらかじめあるかのように考えて
いるのであれば、典型的な自己責任論者と発想が近い部分があると言えるかもしれません。
ただ、法的な理解を超えて、いろいろな不都合を根本的になくすという観点から言えば、『責任』らしき何か
(例えば、ゆるく「つとめ」)を、不都合に対応する領域として全体的に考えることは、最近よく言われる、
世代間の責任などを考えるにしても、犯罪を根本的になくすために必要な要素がどんなものかを考えていくにしても、
結果が起こったときにそれを帰属することで「解決」をはかる責任観よりも、ためになる発想を含んでいるとは
言えると思います。
また、自己責任に限らず、責任という概念は、本来「取れるか、取れないか」ではなく(「取れる」ことを示して)
「取らせる」ものなので、そういう意味では、576さんの意見は正しいと思います。
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>>577 大筋賛成なのですが、「自己責任」という言葉を使うことに関しては、
>>557-558のように考えた方が良いと思います。
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>>580 ←
>>586 586さんの「権利と責任あるいは義務ってのはただの対義語であってお互いの中に相手を参照するような意味合いは
含まれていない」は、まったく正しいです。権利も責任も、具体的な根拠に基づいて認められるべきだからです。
根拠がない・乏しい・漠然としたまま主張される「責任」は、一方的な「要求」にすぎません。要求が必ずしも
間違っているとは限りませんが、根拠に乏しい要求を「責任」「自己責任」と呼ぶことで、受け手側が受け入れる
ことが当然のように見せかけるのは、よくある詐術にすぎません。