都会的な音楽局、若者に浸透 J―WAVEが20周年
ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2008093002000116.html 十月一日に開局二十周年を迎えるJ−WAVEは同日、未来をテーマに二十四時間の特番を放送する。
今では当たり前のように使われている「J−POP」という言葉は、同局が“名付け親”。常に新しいものを生
み出し、ミュージックステーションとしてのブランドを確立した同局の歩みと未来について、斎藤日出夫常務
取締役編成局長に聞いた。
「洋楽専門局のようなイメージでとらえられていたJ−WAVEに合う、上質な日本のポップスをかけよう、と。
サザンオールスターズ、山下達郎、松任谷由実はいいけど、チャゲ&飛鳥はちょっと違う。洋楽の何に影響
を受けたかはっきり分かる邦楽。JAPANとJ−WAVEのJを取ってJ−POPになった」
開局当時、編成部チーフプロデューサーだった斎藤常務は振り返る。当時は米ポップスの全盛期、同局
でかけられるのはほとんどが洋楽。大手レコード会社の邦楽担当者らとの会議で、J−POPという名前は
生まれた。
J−WAVEは一九八八年に開局。七〇年開局のエフエム東京以来、東京で二番目の民放FM局として誕
生した。音楽専門局を打ち出し、音楽が八割、トークとCMがそれぞれ一割。時報も打たず、二十四時間を
一つの番組に見立てた「流れ編成」をとった。
東京ローカルを強く意識し、番組ナビゲーターにはジョン・カビラやクリス・ペプラーらバイリンガルを起用。
「TOKIO HOT 100」という独自のヒットチャートを作り、「当初はリクエストはがきも東京以外は読まなかっ
た」という徹底ぶりだった。
開局時の社名はエフエムジャパンで、J−WAVEと、ラジオ局にニックネームを付けたのは同局が初めて。
二〇〇三年からは、社名もJ−WAVEに統一した。
ナビゲーター同士の会話で番組を引き継ぐクロストークのスタイルや、FM局には珍しいニュース解説番組
など、常に新しいものを生み出してきた。環境問題への取り組みも早く、番組での情報発信にとどまらず、風
力など自然エネルギーで発電した電力を使って放送する日を設けている。