「一対一そこから広がる」震災体験そ「つながり」実感 放送開始80周年ラジオと私
深夜放送のファンだったんですよ。小学生高学年からなか。思春期の芽生えの時期。そこに(笑福亭)鶴光さんの存在です。
「え、あんなこと、そんなこと。えっ」みたいな。刺激的な土曜の夜、とでも言いますか。機械いじりが好きで、エッチなことも
興味津々な思春期。そんな男の子を満たしてくれるのがラジオだった気がする。 だから「オールナイトニッポン」に出るのは
夢だった初期は、とにかく笑わせようと必死。街に出る時メモ帳を持って面白いことメモまでして。放送後に録音聞いたんです。
一生懸命は分かるけれど、クソ面白くない。寒いんです。で、自然と無理しないようになった。普通に話せばいいやと。そうしたら
リスナーの反応が良くなってきた。 ほんとにラジオのことが分かったのは、95年の阪神大震災の時かも知れない。あの日は大阪で
生放送があって、その帰りにむちゃくちゃな揺れを体験した。生放送だったから、リスナーが心配してくれた、というか、心配させてしまった。
「おい、福山大丈夫よ」って。その時、僕とリスナーは一対一でつながっているんだって実感した。
「僕は大丈夫。で、みんなはどうなの?」って投げたら、仮設住宅やボランティア、行政の問題とか、いろんなことが返ってきた。
新潟県中越地震の時も、脱線した新幹線からメールをくれたリスナーがいた。そんな不安な時の連絡先に、恋人や家族と並んで僕の番組も
選んでくれた。とてもニュース的な出来事だけど、これは励ましてあげないと、と思った。ちゃんと
つながっているぞって。自信の時もそうだけど、いろんなリスナーと様々な意見を交わして、僕も勉強になる。
その対話を他のリスナーが聞いて、何かのきっかけになる。個と個から無限に広がるみたいな。それがラジオっぽい。
深夜放送は卒業するメディア。ある時から聞かなくなる。でも原体験として残るし、僕は大人になった今でもとても
健全なメディアだと思っている。「AMラジオ向上委員会」みたいな活動もして、もっと聞いて欲しいと思う。
もちろん、災害時の必須アイテムという意味でも、ちゃんと存続させないと。 リスナーも変化してる。
今の中学生は賢いよ。ネットですぐ調べられることもあるのか、政治とか堅いことも詳しい。僕らは音楽かエッチか
スポーツしか頭になかったのに。あと、携帯メールになってから誤字脱字が爆発的に増えた。手書きの時のような
行間の思いもなくなった気がする。 でも、メールは否定しない。そこから新しいコミュニケーションが生まれる。
生まなきゃいけない。そしてラジオもネットや携帯と上手く付き合って、時代にあった形に変わらないと。
ラジオを続けてきて感謝しているのは、天狗にならないでこれた、ということ。ウソをつかないために勉強もするし、
おしかりたくさん。貴重な時間を使ってまで手紙を書いてくれたんだから、きちんと応えなきゃ、なんて思えるのも
ラジオのおかげ。ある程度売れて、でもラジオやってなかったら、たぶん僕は勘違いしていたと思う。(聞き手雑崎徹)