>>694 >>701 1992年2月に起きた土地売却問題報道をめぐるTBSと読売新聞社の対立が、
読売新聞社のTBSに対する提訴と巨人主催オープン戦ラジオ中継拒否と発展しTBSは大打撃を受けました。
7月になって読売新聞社は翌93年の巨人主催試合のラジオ放送権を全ラジオ局に対しオープンにすると発表。
これにより、LFとQRの巨人主催試合の中継が復活することになりました。
あとには、LFによる横浜・ヤクルト両球団の主催ゲーム窓口独占がそのまま残され、
巨人戦中継試合数がLF>TBSと逆転した。
93年、TBSラジオは読売新聞社と直接契約を結び、「がんばれジャイアンツ」をキャッチフレーズに
巨人応援放送を旗印にしたが、TBSの巨人戦放送可能試合は104試合に対し、LFは130試合放送可能。
94年には、LFが中継する横浜スタジアムの横浜VS巨人の裏ゲーム(8月の神宮ヤクルトVS中日)を
TBS/JRN放送することが交渉により出来た。
94年11月、読売新聞社はTBSに対し、95年以降の契約解除を通告し、6月に読売傘下となったRFを
TBSに対する契約の窓口に指定。95年のRFとの契約は巨人VS横浜、巨人VSヤクルトの放送を「遠慮」
することを余儀なくされた。95年11月にこの問題の発端となった「土地問題報道」の裁判が和解で決着したが、
読売新聞社は契約の変更に応じず、96年も95年と同様だった。
97年はようやく、読売新聞社は主催ゲームのすべての契約に応じたが、
相変わらずRFを介しての契約となり、読売新聞社との直接契約は叶わなかった。
97年は前年実績の89試合より19試合多い、108試合が中継可能となった。