1 :
名前は誰も知らない:
就活したことないのでどういうのが世間で言われる自己分析か知らないけど、
自分の精神を観察して特徴などを言語化してみること、という程度の意味で。
孤男に当てはまる共通の特徴などが見つかるかも!
936 名前:名前は誰も知らない :2010/12/10(金) 00:37:05 ID:JNL8eyR90
孤男は世界から愛を引きあげているのかな。
その分自分を愛しているようでありのままの自分を愛しておらず、
自分を憎んでいるとか。
自己憎悪は孤立につながるとか、
ヘッセの「荒野のおおかみ」に書いてあったような気がする。
2 :
名前は誰も知らない:2010/12/22(水) 20:12:49 ID:4sg/xsRF0
216 :名前は誰も知らない:2010/12/18(土) 08:40:03 ID:AzcXcqGX0
素人分析「学生時代のクラスメイトが抱いた印象は、マジメで無口でおとなしいタイプ。
友達はおらず休み時間は一人で過ごしていた。趣味は読書」
孤独な男「何の事言っているの?」
素人分析「最近起きた通り魔事件の犯人と、孤独な男性板に書き込んでいる人の共通点」
孤独な男「そうか。なんか大事件を起こす犯罪者にはヤンキーとか不良は少なくて、学校
では“マジメで無口で大人しいタイプ”という印象を周囲に与えていた人が多いような
気がする。でもまだ宮台真司とか斎藤環とか香山リカとかの本を読んでる論壇系の
追っかけタイプの犯罪者はまだ出ていないね。事件の解説者の発言を取り込む“メタ
犯罪者”というか」
素人分析「大塚英志の「多重人格探偵サイコ」の読者の高校生が殺人事件を起こした事は
あったね」
217 :名前は誰も知らない:2010/12/21(火) 15:00:34 ID:6CuoDnss0
素人分析「“マジメで無口でおとなしいタイプ”っていうのは偽りの仮面じゃないのかな、
周囲に適応するための偽りの外的自己で、内的自己とは乖離があるとか。周囲への適応
と無関係に増幅された内的自己を持った存在は、集団の中のエスと言えるかも。集団の
中のエスは、無口で強力な死の欲動の支配下にあり、何も話さず、ただ他者の語らいの
ざわめきを身に受けているだけの孤独な存在になっているとか」
孤独な男「それは誰のコピーでしゃべっているの?」
素人分析「岸田秀とフロイトとラカン」
ムクロ様「Dir en grey の「予感」って曲でも、無口って単語が繰り返し出てくるけど、
京さんの精神や音楽と死の欲動は近いものを感じるな」
素人分析「そういえば乙一の「GOTH」でも“心は空っぽのまま笑っているように見える”
という台詞があったと思うけど、そういう笑い方ができる人というのは外的自己と
内的自己が乖離している人なんじゃないか。これも岸田秀のコピーね」
3 :
名前は誰も知らない:2010/12/22(水) 20:56:48 ID:0KphBmtYO
真面目だが協調性がなく、命令されるのを嫌い
性格は決して明るいとは言いがたく
人を引っ張っていくタイプでもないし かといって媚びるわけでもない
繊細で人の目を気にして、自分を抑え 思うように行動できない
不器用な男
孤男が自己分析しても先にあるのは鬱だけだよ
就活に必要なのは分析でなく洗脳
6 :
名前は誰も知らない:2010/12/22(水) 21:55:57 ID:Cy2bmN5F0
最近の就職活動ってほんとにくだらないのな
リクルートスーツ着て、自己分析して、エントリーシート書いて、面接で自己アピールして……
俺が社長だったら、そんな馬鹿なことやってる学生なんか採りたくないな
村上龍「タナトス」から引用改造
学生時代、スポーツマンとしての挫折があったんだ、それから自己評価が低くなり世界と
自分の双方向に憎しみが生まれるがそれはもちろん前駆的な未分化の感情なのでそれが
何なのかもわからないし対処もできない
自分で自分を好きになれない、自分で自分を尊敬できない、自分で自分を軽蔑する、強い
エネルギーを持って育った一部の日本人は、集団からの保証ではなく個人的な自己保証を
求めるから、それが果たせない場合必ず救いがたい自己嫌悪を持つことになる
ヘッセ「荒野のおおかみ」から
彼の全生涯は、自分自身への愛なくしては隣人愛も不可能だということを示す実例、また
自己憎悪は、どぎつい利己主義とまったくおなじものであり、結局はまったくおなじ恐ろ
しい孤立と絶望を産み出すものだということを示す実例となりました
8 :
名前は誰も知らない:2010/12/23(木) 13:38:40 ID:cWWAfD4T0
孤立しているという意識から不安が生まれる。実際、孤立こそがあらゆる不安の源なのだ。
孤立しているということは、他のいっさいから切り離され、自分の人間としての能力を発揮
できないということである。したがって、孤立している人間はまったく無力で、世界に、
すなわち事物や人びとに、能動的に関わることができない。つまり、外界からの働きかけに
対応することができない。このように、孤立はつよい不安を生む。
そればかりでなく、孤立は恥と罪悪感を生む。
9 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 01:06:10 ID:Kncrd3f50
マゾヒスティックな人は、堪えがたい孤立感・孤独感から逃れるために、彼に指図し、命令し、
保護してくれる人物の一部になりきろうとする。その人物はいわば彼の命であり酸素である。
彼が服従する者が人間であれ神であれ、その者の力はふくれあがる――彼はすべてであり、
いっぽう私のほうは、彼の一部だという点を除けば、無である。ただ、私は彼の一部である
から、偉大さ・力・確実性の一部でもある。マゾヒスティックな人は自分で決定をくだす必要
がないし、危険をおかす必要もない。彼はけっして一人ぼっちにはならない。しかし、彼は
独立しているわけではない。人格が統一されていない。いわば、まだ完全には生まれていない
のだ。
10 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/24(金) 01:13:32 ID:zheIRCwJP
>>9 (少なくとも今の日本においては)「愛国心」ってのはそういうものだ
この世界は二つのものからなる。事実と、知識だ。
知識とは自分自身であり、知識が事実と一致していれば迷いはない。
が、一致していないと迷いが起こる。一致しているかわからなくても迷いが起こる。
物事が正しいかどうかは完全にはわからず、常に灰色の迷いがつきまとう。
迷いを取り払う方法は一つ、正しいかどうかわからなくても何が正しいか決め付けることだ。
何が正しいかは、観点によってしばしば変わる。ならば自分の観点を決めよう。すなわち、
|−`)ノ うりならまんせ〜
12 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 09:53:43 ID:Zp27YUQIO
日本人が個人主義者なら、日本人はこんなに苦しまない。
俺が見るに、日本に個人主義者が居るとすれば、ホリエモン、勝間、
あるいは養老孟司、あるいは村上龍などで、こいつらは書く文からして非常に「個人的」だ。
彼らに共通する特徴は周囲がどう思ってるかではなく「私はこう思う」ということをまずズバっと述べる。
そして、自分が他人と違っても大して気にしない。
多くの現代日本人は、そうじゃない。
未だに、日本人の多くは個人で居られないし、孤立を恐れるし、
周囲と自分の意見がこじれると「私が間違っているのだろうか」
と周囲にあわせなきゃいけないのではないかという不安感を持つだろ。
村上龍なら、そういう不安を感じない。
ホリエモンも、おそらく自分の価値観と日本という国家の価値観がすれ違ったところで、
それが気に食わないということはあっても「不安」は一切感じないだろう。
個人主義者ってのは、そういう連中なんだよ。
個人(individual)が確立されているから、アイデンティティの揺らぎは個人主義者には生じない。
この点、日本人は個人主義者としては、ちっとも確立してない。
現代日本人は、宙ぶらりんのまんまだ。
しかも、自分が宙ぶらりんであることにおびえているように見える。
アイデンティティのギャップにさらされてるわけ。
これは、個人主義者の特徴ではなくもっと他の何かだ。
13 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 14:33:47 ID:Kncrd3f50
聖書に表現されている「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という考え方の裏にあるのは、自分自身の
個性を尊重し、自分自身を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することとは切り
離せないという考えである。自分自身を愛することと他人を愛することとは、不可分の関係に
あるのだ。
他人にたいする態度と自分自身にたいする態度は、矛盾しているどころか、基本的に連結して
いるのである。これを愛の問題に重ねあわせてみると、他人への愛と自分自身への愛は二者択一
のようなものではないということになる。それどころか、自分自身にたいする愛の態度は、他人
を愛することのできる人すべてに見られる。原則として、愛は、「対象」と自分自身とのあいだ
のつながりという点に関していえば、分割できないものである。
14 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 20:31:25 ID:Kncrd3f50
利己主義と自己愛とは、同じどころか、まったく正反対である。利己的な人は、自分を愛しすぎる
のではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。そのように
自分自身にたいする愛情と気づかいを欠いているのは、彼が生産性に欠けていることの一つのあら
われにほかならないが、そのおかげで、彼は空虚感と欲求不満から抜け出すことができない。当然
ながら彼は不幸で、人生から満足をつかみとろうと必死にもがくが、自分で自分のじゃまをしている。
自分自身をあまりに愛しすぎているかのように見えるが、実際には、真の自己を愛せず、それを
なんとか埋め合わせ、ごまかそうとしているのである。
フロイトによれば、利己的な人間はナルシシズム傾向がつよく、いわば自分の愛を他人から引きあげ
てしまい、自分自身に向けている。たしかに利己的な人は他人を愛することができないが、同時に、
自分自身を愛することもできないのである。
真の自己って何だ?
16 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 22:41:03 ID:Kncrd3f50
飾らないありのままの自分、
化粧をとったすっぴんの自分、整形前の自分、カツラを外した自分、
他者のコピーではなくオリジナルで表現した自分
17 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/24(金) 22:59:16 ID:zheIRCwJP
全ては「コピー」から始まる
18 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 23:32:22 ID:Kncrd3f50
非利己的な人は、愛する能力や何かを楽しむ能力が麻痺しており、人生にたいする憎悪にみちている。
見かけの非利己主義のすぐ後ろには、かすかな、だが同じくらい強烈な自己中心主義が隠れている。
非利己主義もまた他と同じく症候の一つであることをあきらかにし、非利己主義も他の症状も生産性
の欠如が原因であることをあきらかにし、その生産性の欠如を治療しないかぎり、非利己的な人間は
治療しない。
私としては、あまりそのようなありのままの自分に興味を持たないほうがいいと考える。
重要なのは「判断」であり、知識から生まれる判断こそが自分自身にだ。
そこで、感情や欲望や妄想などは、正しい判断を乱す邪魔者であって、自分自身ではない。
真の自己というのも、自分はこんな人間だと決め付けて正しい判断を乱す邪魔者あるよ。
真の自己を想い、感傷に浸るのは、実は酒を飲んで酔っ払ってるのと大差ない愚行なのではないにか?
20 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/24(金) 23:44:16 ID:zheIRCwJP
「判断の為の知識」を選別するのは感情でしょ
21 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/24(金) 23:45:49 ID:zheIRCwJP
人間を「一つの存在」たらしめているのは「記憶」
22 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 23:48:31 ID:Kncrd3f50
他者にとっての自分、これを他者はその人の実質という。
自分にとっての自分、これを他者はその人の自惚れという。
23 :
名前は誰も知らない:2010/12/24(金) 23:50:17 ID:Kncrd3f50
狂気に陥った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることがまったくできない。しかし、私たち
はみんな、多かれ少なかれ狂っており、程度の差はあれ眠っているのであるから、世界を客観的に
見ることができない。いいかえれば、ナルシシズムによって歪められた世界を見ている。
24 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 00:00:08 ID:YeNatw+N0
理性は感情の奴隷。
25 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 00:04:23 ID:YeNatw+N0
ヒュームは人間本性、つまり人間の人間たるゆえんが、理性ではなく「感情」にあることを強調した。
田口ランディ「モザイク」
「感情こそが人間の源泉である、意識は感情の従属物のようなもの、って言葉にアタシはビリビリ
きちゃったの」
芥川龍之介「歯車」
この本は目次の第何章かに「恐ろしい四つの敵、―疑惑、恐怖、驕慢、官能的欲望」と云う言葉を
並べていた。僕はこう云う言葉を見るが早いか、一層反抗的精神の起るのを感じた。それ等の敵と
呼ばれるものは少なくとも僕には感受性や理智の異名に外ならなかった。
26 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 00:23:01 ID:YeNatw+N0
ナルシス的人間は、表面的には自分自身を非常に愛しているようにみえるが、実際は自分自身を
好んでいないのであり、かれらのナルシシズムは―利己主義と同じように―自愛が根本的に欠けて
いることを、無理に補おうとする結果である。フロイトは、ナルシス的人間はかれの愛を他人から
斥けて、それを自分自身にさしむけていると指摘した。この説の前半は正しいが、後半は誤っている。
ナルシス的人間は他人をも自分をも愛していないのである。彼は自分を愛しすぎるのではなく、
愛さなすぎるのである。
27 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 00:40:40 ID:YeNatw+N0
根拠のない信念は、圧倒的に強くて全知全能のように感じられる権力に服従し、自分自身の力を
放棄することによって支えられている。
29 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 03:13:09 ID:YeNatw+N0
>>28 労働力が生産物の産出に貢献する程度が欠けているってことでは。
ひきこもり、ニート、留年を繰り返す大学生とか。
30 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 03:29:15 ID:YeNatw+N0
岸田秀はナルシシズムを、幻想我の保存にナルチドー(個体保存のエネルギー)が向けられている
状態であると定義する。それと対比して、ナルチドーが現実我の保存に向けられている状態が
エゴイズムである。
ライバルの他人を蹴落としてでも好きな異性に近づく事もエゴイズムなのかな。
ヒト以外の動物と変わらない共通点に思える。
私は同じ異性を好きな同性がいるなら、その人の企みを潰そうとは思わないし、その人と好きな
異性がうまくいくなら、ねたむより喜ぶな。
別スレでカウンセリングに行った経験を書いたけど、
そのときの結果をここにも貼っておくわ。
自閉的で気が弱く、自責の念が強い。人知れず不安と劣等感に悩まされ、
人前に出るのを嫌う。
また「自分は人に比べて無愛想だ」と意識しており、なかなか気軽には
ふるまうことができない。
自分をよく見せたい”と、いつも気にしている。だが、自己防衛意識が先行するので
、あせる気持ちとはうらはらに、態度や表情はぎこちなくなってしまう。
何事も引っ込み思案で消極的。だが、自分自身とは、いつも積極的に格闘を
続けており、あげくの果てに“自己嫌悪”に陥ったりする。内気で臆病、
それに口ベタの自分にイライラしながらも、傷つくことを恐れるあまり、
なかなか行動に移れない。したがって人より決断が遅れ、
動作もノロくてぎこちない。 全体に暗い雰囲気をかもし出している。
人と話していても、ときたま“シラー”とした印象を与えがちで、それに気づい
て愛想よくしようとしても、表情がかえってこわばってしまう。
観念的な空想と孤独を好み、感情を表に出さない。強情で無口だが、
内心はやさしく、しかもとても敏感だ。
32 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 14:11:22 ID:YeNatw+N0
>>31 カウンセリングで自分の心を分析してもらってその回答を紙でもらったの?
なんかうらやましいな。
心理テストとかの結果とかかな。
>31
これ孤男のテンプレじゃね
34 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 22:16:28 ID:YeNatw+N0
人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを
恐れているのである。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手
の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の
行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。
35 :
名前は誰も知らない:2010/12/25(土) 22:20:30 ID:qOg9rYa30
愛や利己心について熱心に語ってる人物に聞きたい。
孤独な哲学者…略して「孤哲」氏とでも呼ぼうか?
自分の認識としては、個人の利益が「私」、自分の属するより大きな集団の利益が「公」、
私利と私利はしばしば対立し、私利と公利もしばしば対立する。公と公も対立して戦争になる。
それらの対立を調整するものが、成文法にだ。
そして調整して富国強兵に向かい、外交や戦争や経済競争で勝利を収めて全員が得をする。それが公共心にだ。
…とまあウリはこのような認識をしてるが、どう思うアルか?
37 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 00:12:37 ID:Rj3K4FI00
現在の成文法は国民の日常的な私的利益と公的利益の対立を調整できるほど、細かく柔軟にできていないような気がする。
法改正には時間がかかるし、あまり国民の意思を反映していると思えない国会議員の多数派の判断によって成文法が決め
られているように思う。大半の人間は、自分が理解できず、参加してもいない政治を耐え忍んでいる。
政治というものは、権力と強制手段をどうやって掌握するかを知っている少数者が気の進まない多数者に強制したものだ
という印象を受ける。
私的な欲望を抑え公につくす事が公共心のように思う。
38 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/26(日) 00:21:58 ID:+ejCW/lNP
私的な存在があたかも公共的であるかのように振舞って見せることでしか公共性は生まれない
39 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 00:27:23 ID:Rj3K4FI00
40 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 01:16:19 ID:Rj3K4FI00
西川直子「現代思想の冒険者たち クリステヴァ」
クリステヴァの語彙を用いれば、愛とは意味生成性である、ということになる。愛は、自己から
分離されたものとしての対象の定立に関わる意識を生成し、語る主体、言語、ル・サンボリック
(記号象徴体系)を生成する。したがって文化・歴史を生成するとされるのである。
岸田秀「ものぐさ精神分析」
公認されない形で表わされる集団の「エス」の表現形式は「小児的」とならざるを得ない。
今村仁司「排除の構造―力の一般経済序説」
摸倣欲望の発動のためには、「傷つけられる」という条件が必要である。
ルネ・ジラール「人類と十字架 文化の起源」
フロイトの用語を使えば、ミメーシス理論は「ナルシシスムの打撃」と言えるかもしれません。
それは心の中の自己愛に抵触する打撃です。
トニー・マイヤーズ「スラヴォイ・ジジェク」
広い意味でとれば、想像界とは、休むことなき自己の追求、自己は統一されているという物語を
支えるために、次から次へとおのれに似た複製を取りこみ、融合しつづける動きのことだ。
今村仁司「現代思想を読む事典」
ラカンにとっての<無意識の言葉>は、オリジナルなき代理物であり続けるシニフィアンなのである。
アンドリュー・J. マッケナ「暴力と差異―ジラール、デリダ、脱構築」
無意識の構造は、ジャック・ラカンが主張するように、差異化機能のある言語に似ているという
よりも、フィリップ・ソレルスが『ルネ・ジラールを称えて』でからかって述べているように、
リンチに似ている。
スラヴォイ・ジジェク「快楽の転移」
無意識は「疎外された心的実体」を表しているのだ。
小森陽一「ポストコロニアル」
アメリカにおけるデリダの翻訳者であればこその批判だが、スピヴァックは、そもそもある地域に
おいて、最も差別化された位置におかれた者は、自らの現状について語る言葉を持っていないこと
を明らかにした。
41 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 01:31:21 ID:rQDyBMJA0
a
42 :
28:2010/12/26(日) 01:43:53 ID:s/2RKHBn0
43 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/26(日) 01:58:21 ID:+ejCW/lNP
「生産」を無条件に肯定することが出来ない時代になってるんじゃないかな
44 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 02:15:05 ID:Rj3K4FI00
新宮一成「ラカンの精神分析」
無力な受難として、他者の語らいを身に受けているだけの存在は、同時に、私の言表の真実性を
支える現実存在でもある。そうした存在は、過去における他者の語らいの中に埋もれている。
他者の語らいの中で、その対象として存在を享受していた私の現実が、他者の語らいを通じて
見出されなければならない。私が、そういった現実であり得るなら、私はそのとき、もう何も
話さず、ただ他者の語らいのざわめきに、耳を澄ますだけとなり、自分が生きているか死んで
いるかを、もう問わないだろう。
フロイトの描いたあの糸巻きの中に、ラカンは子供の「デレリクシォン」を見て取った。
「デレリクション」は、孤独、それも神の恩寵から見放された状態としての孤独を表わす言葉
である。本書ではしばしばそれを無力な受難と呼んできた。鏡像段階論に描かれた未発達で
ばらばらな身体状態に苦しむ乳幼児も、やはりこの「デレリクシォン」の中にいることであろう。
ラカンは、「無意識は、大文字の他者の語らいである」と無意識を定義する。「それ(エス)が
話す」という言い方もしばしばされる。いずれにしても、話されている対象は私である。そう
いう話の対象としての存在を私は享受している。
ラカンの言う「他者の語らい」は、構造的にはフロイトの「エス」の概念を引き継いでいる。
また、「無力な受難」と私が呼んできたものは、フロイトの「寄る辺なさ」という言葉につな
がっている。
対象aは、個別存在である我々を、普遍存在になった我々が見るというやり方で、つまり弁証法
という一種の分身の術を使って、我々が我々自身を表象したことの結果として現れるものであった。
我々が始めにそれであった無力な受難が、もし今でもまだ世界の中に残されているとしたら、
それに対象aという名前をつけることにしよう。
自然にとって人間が何であるかということは、人間がチンパンジーの中に何を見るかということと
同じである。すなわちそれは子供チンパンジーのミイラである。あのミイラは、対象aであったのだ。
スラヴォイ・ジジェク「快楽の転移」
対象aは、言うまでもないが、余分な対象、構造の中に場所を見つけることのできない対象である。
スラヴォイ・ジジェク「仮想化しきれない残余」
私の存在の最も内奥の核を表すラカンの用語が対象aであるのなら、この対象a、秘密の宝、
アガルマは、イデオロギーの至高の対象/目標である――「私の中に私自身以上のもの」があって、
それは私の外部的な象徴による規定には還元されえない、つまり他者にとっての私には還元され
ないという感覚――と主張することに根拠があるのではないか。この私のパーソナリティのとらえ
がたい、表現しがたい「深み」の感覚、他者にとっての私に対する「内面の距離」は、象徴の装置
に対する想像の距離の典型的な形態ではないのか。
45 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 04:39:02 ID:Rj3K4FI00
ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」
自然は人間を苦痛と快楽という、二つの主権者の支配のもとにおいてきた。我われが何をしなけ
ればならないかということを指示し、また我われが何をするであろうかということを決定するのは、
ただ苦痛と快楽だけである。一方において善悪の基準が、他方においては原因と結果の連鎖が、
この二つの王座につながれている。
野矢茂樹「哲学の謎」
われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしかないというのであれば、われわれの動きは自然
法則に縛られている。しかし、もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、「自由
な行為」ということも私には虚しく思える。それはけっきょくのころ操り人形の見た幻影にすぎない
のではないか。
茂木健一郎「脳とクオリア」
私たちが、主観的には自明のこととしている「自由意志」という「幻想」を打ち砕いたのは、人間
の肉体は、私たちの心を司る脳を含めて、自然法則に従って動く「機械」に過ぎないという認識だった。
すなわち、「人間機械論」である。
リチャード・ドーキンス「遺伝子の川」
われわれ―ということは生きているものすべて―は、プログラミングを行ったディジタル・データ
ベースを増殖させるようプログラムされた生存機械なのである。
リチャード・ドーキンス「虹の解体」
ミームは、良い考えや、良い旋律、良い詩でもあり得る。模倣によって流布してゆくものはすべて、
体内の複製やウイルス性の感染によって流布する遺伝子と同様に、ミームなのである。
46 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 04:40:49 ID:Rj3K4FI00
178 :名前は誰も知らない:2010/08/11(水) 23:39:59 ID:sNqCK/920
素人分析「成長するために一番効率いい方法は、コピーです」
名前は誰も知らない「そういえば『すべての創造は何かの摸倣だ』という言葉を聞いたことがあります」
209 :名前は誰も知らない:2010/12/09(木) 10:25:50 ID:ydOKssSJ0
素人分析「モノ、つまり被支配者だけが語るんだ、モノを語るのは奴隷や宦官や反戦民族や被差別者や弱者や
マイノリティだ、略奪して殺して犯すだけの戦争民族は真実を語らない。生命の危機とかそのくらいの
モティベーションがないと誰も進んで言葉なんか組み合わせようとは思わない、大人になってから外国語を
勉強することを考えてみろ、外国語を習得しようとするのは追い詰められた奴だけだ、俺達の祖先がやった
のは、もちろんそれには気が遠くなるような長い時間がかかったにせよ、外国語の習得なんかじゃなくて、
言語の創造だ、そんなことをやった奴は誰だ?狩りだろうが炎を囲んでのだんらんだろうが言葉なんか要ら
ない、じゃ、誰だ?死刑囚や奴隷達だろうと俺は思う、あるいは生まれつきからだが不自由だったり弱かった
りして狩りに参加できなかった奴らだ、基本的に、弁明が必要で、その弁明だけで死から免れるっていう
連中だ、それが言語の起源だと思う、モノガタリの起源でもある、マゾヒスティックなんだ、帝国主義国は
笑いながらマゾヒストの監視部屋や廃墟をのぞいて無視するだけだ」
47 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 04:42:16 ID:Rj3K4FI00
アンドリュー・J. マッケナ「暴力と差異―ジラール、デリダ、脱構築」から
エクリチュール、書記素を支配する閉鎖と排除は、供犠の犠牲者の運命に対応している。ジラールが
文化的制度の土台的出来事とするものを、デリダは言語のシニフィアンの出来事としているようである。
パルマコンとしてのエクリチュールはギリシャ文化のなかのパルマコス、つまり、暴力的に排除される
ことによって共同体を浄化するスケープゴート、供犠の犠牲者と構造上、機能上類似していることを
デリダは示す。
デリダにとって、エクリチュールは「起源の代補」、言語の起源である標記ないし排除された構成員
を表現するものである。
48 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 06:28:18 ID:Rj3K4FI00
佐藤嘉幸「権力と抵抗―フーコー・ドゥルーズ・デリダ・アルチュセール」
構造主義以前の権力理論はおおむね「抑圧仮説」に基づいていた。そこで、権力は国家の抑圧装置と
同一化させ、それが主体の「本源的自然」を疎外し、抑圧する。一方、構造主義権力理論は権力の
生産作用に着目した。権力は社会体に遍在するミクロな「装置」によって担われ、それが権力に従順
な主体を生産し再生産する。こうした「装置」はアルチュセールにおいては「国家のイデオロギー
諸装置」、フーコーにおいては「規律権力」、ドゥルーズ=ガタリにおいては「エディプス的家族」
と名指される。
反復強迫とは、過去に起こった外傷体験を反復し、苦痛に満ちた状況の中に自ら身を置くという状況
を指している。反復強迫において、患者は「抑圧されたものを過去の一断片として想起する」代わりに、
「現在の体験として反復することを強いられる」。例えば、戦争神経症の患者は自らの苦痛に満ちた
体験を夢の中で反復する。つまり、反復強迫は「快のいかなる可能性も含まない、過去のその時点に
おいても満足をもたらしえなかった過去の体験を再び喚起する」のである。これは明らかに快原理に
反する事態であり、フロイトはそれゆえ「快原理の彼岸」に別の原理を求めざるをえない。ここから、
「死の欲動」という概念が要請される。
外傷神経症における反復強迫は、死の欲動のある種の顕現である。言い換えるなら、それは「本源的
マゾヒズム」としての死の欲動である。
『アンチ・エディプス』の英訳のために書かれた「序文」(1977)において、フーコーはこのテクスト
に関する特異な見方を提示している。フーコーによれば、『アンチ・エディプス』は反ファシズムの書
である。ここでファシズムとは、単に1930-40年代の歴史的状況を指すのではない。それはミクロ・
ファシズム、つまり「私たち全員の中にあって、私たちの精神、日常の行動に取り憑いて離れない
ファシズム、私たちに権力を愛するように強い、私たちを支配し搾取するもの自体を私たちに欲望
させるようなファシズム」をも意味している。従って、反ファシズムとは権力への服従化を欲望しない
ことを意味しているのである。
49 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 08:21:41 ID:Rj3K4FI00
野村美月「“文学少女”と死にたがりの道化」
「何故、太宰がこれほど愛されているのか、それは、読み手が太宰の作品の中に自分の悩みや痛みを
見るからよ。ああ、この気持ちはわかる。自分もそうだった。この人は自分と同じだ……本を読んで
そんなふうに思ったことがあるでしょう。太宰の作品には、そんな共感を呼び起こす魔法があるのよ。
誰だって、理解されたいし、自分をわかってほしいと思っているわ」
乙一「平面いぬ。」
私のことを、まじめでおとなしい奴だと思っていたようだ。
宮台真司「終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル」
社会システム理論は、あらゆる体験を「内部イメージ」と見なす。「富士山が見える」としよう。
私たちの視神経の伝達メカニズムは電気的だが、富士山と電気的に繋がっていることを意味しない。
私たちの神経回路は「内部で閉じている」。ことほどさように、すべての体験は例外なく、内部で
閉じた回路の「内部イメージ」である。
藤原和博,宮台真司「人生の教科書 よのなかのルール」
大人が子どもに「君はホントは何がしたいの?」と尋ねる。子どもは「ホントはこれがしたいんだ」
と答える。大人が「だったらちゃんと言わなきゃ。言わないとみんなに伝わらないぞ」と言う。
どんな状況でも言いたいことが言える――これが「自立」です。
つぎに、大人が子どもに「そうか、それがしたいのか、でも1人じゃできないぞ」という。「どう
すればいいの」と子どもがきく。大人は「誰かに助けてもらわなきゃ。それには友だちを作らなきゃ。
君が魅力的じゃないと友だちはできないぞ」と言う。
それだけじゃない。大人が「友だちがしてほしいことをしてあげないと、君がしてほしいことをして
もらえないぞ。友だちは何がしてほしいだろう」という。つまり他人を助けないと、自分がやりたい
ことさえ実現できないことを学ぶ――これが「相互貢献」です。
クリシュナムルティ「自由とは何か」
愛があるところ、そこには義務的掛かりあいはありません。
水野敬也「夢をかなえるゾウ」
「『愛の反対は憎しみやない。無関心や』言うやろ」
姜尚中「悩む力」
愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。
引用ばかりしてないでもっと自分の言葉で語ってはどうにか?
52 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 21:35:42 ID:Rj3K4FI00
>>51 君は自分の考えを言って、それに私が返しても、それに対する応答がないね。
応答というと、
>>37か。
細かく柔軟ではないといっても、盗んだり殺したりすれば大抵捕まるし、
まじめに働いて犯罪に走るものが少なければ、法の効果は十分あるといえるだろう。
54 :
名前は誰も知らない:2010/12/26(日) 22:29:54 ID:Rj3K4FI00
学校の校則は?
あきらかに無意味な内容でも生徒に強制させているものがあるように思う
権力に対する従順さを試して、そこから外れるものを排除するようにしているだけに見える
あと君も自分の精神を観察して把握した特徴を書いてほしいな
自分の言葉じゃなくて本の中に書いてあった自分の心と一致する文章でもいいから
自分の精神は基本的には
>>11>>19にだ。
性格の中心にあるのは「迷い」。正しいか間違ってるか、成功するか失敗するか、あらかじめ明確にわからない。
それを解決する方法は、知識と知恵による。愛や優しさでは解決しない。
だから理屈や客観的な科学的知識や客観的な成文法を重んじる。感情はむしろ排除したい邪魔者にだ。
だが自分の知識や知恵が十分ではない。それが悩みどころにだ。
本としては、韓非子を愛読している。他人の善意に頼らず、事実と法で国を治める術を書いた本にだ。
自分の感情を排除するのではなくて、どういう状況でなぜそういう感情が生じるのかを分析したりは
しないのかな。多くの人に共通の普遍的心理法則を見つけ出そうとか。
「無知からくる迷い」は仏教で言うところの無明ってやつかな。
西垣通「こころの情報学」
前近代までの「ヒトの心」とは、浮遊逸脱しがちな言葉の意味作用を引き受け、そこに社会的な
リアリティを現前させる「王の身体」によって支えられていた。近代化が進むにつれて、言葉の
意味はますます規範化されて抽象度を増し、言葉が通用する時空範囲もひろがって普遍的になって
いきます。語句の意味作用を捨象した機械情報を蓄積し、処理し、伝達するコンピュータは、決して
単なる「便利な道具」などでなく、近代的権力が集約されるトポスである。
本来ヒトは動物なのですから、身体の基底部にはなぞめいた欲望・恐怖・不安など、規範的な言語
でうまく明示できない多様な魔物がうごめいています。ヒトは所詮は動物ですから、純粋に理性的・
合理的な存在にはなれるはずもありません。理性のみを奉じ、論理的な言語で統御管理の網をはり
めぐらし、機械的に社会を運用しようとすれば、どこかに無理が生じてきます。
およそ近代社会とは、統御管理するサディズムと、されるマゾヒズム、そして偽善のかたまりだった
と言っても過言ではないでしょう。こうしたゆがみが、フロイトの「無意識」、ニーチェの「力」、
バタイユの「侵犯」、さらには実存主義やポスト構造主義などという思想を生む一因だったわけです。
要するに、近代化の抽象作用にともなって抑圧されてきた具体的な<身体性>や<感性>が、ふたたび
ムクムクと頭をもたげてくることになります。
57 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/26(日) 23:29:46 ID:+ejCW/lNP
世の中で「秩序」や「知識」が必要とされるのは
世の中が根本的には「秩序」や「知識」によって形作られていないから
世の中ってのは基本的に「理不尽」であり「不条理」なんだけれど
だからこそ「知」=「言葉」=「俗」によってそういうものを定義づけようとする
58 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/26(日) 23:31:22 ID:+ejCW/lNP
「定義づけ」無しにこの世を生きることは出来ない
何故なら辛すぎるから
59 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/26(日) 23:38:05 ID:+ejCW/lNP
「自分は何故生まれたのか、何故生きるのか」と言う問いに対して
本当に納得できる答えを見つけることは出来ないでしょう
でも〈だからこそ〉言葉を紡ぐのだ
「言葉」に正解はないし終わりもない
60 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/26(日) 23:41:51 ID:+ejCW/lNP
人間が「知的」であるのは不可能だし、同時に不可避でもあるんですね
もちろん完全に理性のみを奉じているわけではないにだ。
自分の感情を理解して弱点を塞ぎ、他人の感情はときに利用するべきにだ。
人は利を追い害を避ける。そこで人為的な法による賞罰が有効になる。
それが韓非子にだ。
62 :
名前は誰も知らない:2010/12/27(月) 00:28:22 ID:z2Sdosxf0
このゲームを進める戦略には2種類あって
一つはルールに適応する事。
もう一つはルールを自分の現状に有利に作り変える事。
この二つのパワーの争奪戦を生きて行かねばならない
宮台真司「透明な存在の不透明な悪意」
「人間の体は物だ」「自分の体は物だ」と理解することで、ようやく守られるような脆弱な実存の
存在を予想させる。
田口ランディ「コンセント」
ビデオの中の少年は、まるで自分が電気で動く機械だと思っているみたいだ。人間であることを拒否
して、機械として生きることを選んでいる。それはなぜなのか。たぶん機械であるほうが彼にとって
生きやすいからだ。それはなぜなのか。どんな原因の結果なのか…。
リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」
彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を生み出した。そして彼らの維持
ということこそ、われわれの存在の最終的論拠なのだ。彼らはかの自己複製子として長い道のりを
歩んできた。今や彼らは遺伝子という名で歩きつづけている。そしてわれわれは彼らの生存機械なの
である。
樫村愛子「ラカン派社会学入門」
象徴的(幻想的)な意味や価値をはぎ取られて、裸の形であらわれる想像的他者。
男性を自己より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうと
するのである。このような対象を、ラカンは「対象a」とよぶ。そして転移を拒否された患者が、
第二の局面で分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。
この関係は、第一の転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に
発動しやすい状態である。
性的他者の出現とは、現実的―身体的な他者が主体の欲望の対象となり、主体を「支える」側面と、
退行的―幼児的な対象、すなわち十全たる幻想的対象としての想像的他者が「破壊される」側面の、
両面からなる。
小森陽一「ポストコロニアル」
ラカンの言う「大文字の他者」、すなわち言説を中心とした記号的世界としての「象徴界」を統括
する「象徴的他者」は、比喩的にいえば、植民地を支配する帝国主義の言説を司る中心であり、
観念としての帝国それ自体となる。被植民地的主体は、隅々まで、この帝国主義的な他者の監視と
凝視のまなざしに曝され、かつ刺し貫かれることになる。先のラカンの理論とのかかわりで言えば、
「小文字の他者」が周縁化された植民地の被支配者で、「大文字の他者」が中心化された植民地
支配者であるという二分法
岡本裕一朗「ポストモダンの思想的根拠―9・11と管理社会」
アガンベンは、ギリシア以来の「ゾーエー(動物的な生)」と「ビオス(人間的な生)」にまで
さかのぼりながら、「生権力」の対象が「動物的な生」であることを取り出している。もっとも、
アガンベン自身はこの「動物的な生」(「剥き出しの生」)を、ファシズムにおける強制収容所のうち
に見出している。
大澤真幸「電子メディア論」
1971年合衆国で試みられた「テレビ=ヴェリテ(真実)」なる実験的な番組は、パノプティコン的
な装置を、高度に完成された状態で実現した興味深いのは、さながらテレビ・カメラが存在していない
かのようにこの家族を撮影することができた、という番組制作者たちの錯覚である。ディレクターは、
「彼らはまるでわれわれがそこに存在していないかのごとく生きた」と番組の勝利をうたいあげた。
村上春樹「1Q84 Book2」
「僕には一人の友達もいない。ただの一人もです。そしてなによりも、自分自身を愛することすら
できない。なぜ自分自身を愛することができないのか?それは他者を愛することができないからです。
人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分
自身を愛する方法を知るのです。僕の言っていることはわかりますか?誰かを愛することのできない
ものに、自分を正しく愛することなんてできません」
アンドリュー・J. マッケナ「暴力と差異―ジラール、デリダ、脱構築」
暴力を聖なるものに帰することによって、暴力を犠牲者のなかに隔離することによって、国家はそれ
を達成する。調和、満場一致、共同体を国家の構成員にもたらすという理由で、国家は犠牲者を聖別
する。生贄になる犠牲者は恣意的に選ばれる。仕返しを招くような、申し開きが求められるような
親密な共同体の絆が、犠牲者に欠けていることが必要なだけである――したがって、王は社会の上方
から選ばれ、奴隷は社会の下方から選ばれ、孤児は社会のなかで寄る辺なく孤立している。
今村仁司「暴力のオントロギー」
共同体は全員一致して、身を守ることができないだけでなく、復讐を企てることが全くできない犠牲者
を血祭りにあげる。「ひとりに対する全員の集団暴力」とは、われわれが主張しつづけてきた「第三項
排除」以外の何ものであろうか。犠牲の論理は、無意識の効果=働きの論理でもある。
…しかし、いろいろ引用文を貼ってるが、それは自己分析なのか?
67 :
名前は誰も知らない:2010/12/27(月) 22:04:05 ID:m8deCfwS0
自己分析だYO!
引用という形式にだけ反応せず、内容について反応してほしいNE!
今野敏「隠蔽捜査」
「たいていはね、刑事に張り付いていると何かしら洩らしてくれるもんなんだ。当たり障りのない
ネタを、犬に餌をやるような気分で投げてよこすわけだ」
村上春樹「1Q84 Book2」
彼はより多くのヒントを必要としていた。より多くのパズルのピースを求めていた。しかし誰も
そんなものを与えてはくれない。親切心はここのところ(あるいは恒常的に)世界に不足している
もののひとつだった。
小川一水「老ヴォールの惑星」
女の姿が見えなくなると、私は絶望してよろめいた。今のやり取りには人間らしさというものが
かけらもなかった。ここはもう、人間社会ではないのだ!
「待ちたまえ。君は疲れきってるな。餌場と水場は見つけていないのか?」
「まだだ」
「では水をやろう」
私は振り返り、ぼんやりと彼を見つめた。
「……そんなことをして何の得がある?」
「何も。だが、僕は人間だ。人間が人間を助けたいと思うのが不自然か?」
人は誰もが仲間を欲しており、気を張って一人だけで生きようとすることはとてつもなく困難なのだ
追放といってもどこかへやることはできないが、無視することはできる。閉じられた世界で無視の輪
に囲まれるのは非常に苦痛なものだ。
「人間の支持は無償で得られるものじゃない。みんなよりもさらに下の立場の者を作ってやるから、
上にいる者が受け入れられるんだ。私がやったのはみんなに生贄をやることだ。」
小此木啓吾「人間の読み方つかみ方」(引用改造)
国内の秘密を誰に話し誰に話さないかによって、ウチワとヨソモノの区別が分かれるということである。
どのような環境でも、政府にとって、ある秘密を国民の誰に話し、誰に話さないかというパターンが
できあがっている。そして何人かで秘密を共有し、そのグループ以外には漏らさないことによって、
そのグループは同志的な結合関係をもつ。これがウチワである。それ以外の人間はヨソモノであり、
警戒の対象になる。
昼間は学校や職場で何事もないような顔でつきあっているが、重要事項の多くは、根回しや決定が事前
にこのネットワークによってウチワの中で決められている場合が多い。
こうした場合、権力者側のウチワの中に属する者と、ヨソモノとしてこの情報網かはずされる者とに
分かれてしまう。
警察の力を使った情報の収集は重視され、その入手した秘密の情報はウチワで共有する事も重視されている。
ウチとソトの論理が引き起こす集団心理の一つが、スケープ・ゴート(いけにえの羊)である。
集団が団結力を強めようとすればするほど、お互いに良い面で結束しようとする。お互いが同じ集団の
メンバーであることによって、お互いをウチワとみなし、ヨソモノよりも良く思おうという心理作用が
働く。しかし、どんなに良く思おうとしても、お互いの中には必ず何かしらのネガティブな面が起こって
くる。それをある程度否認することによって、団結力を強める。この場合、そのネガティブな部分は
どこかで処理されなければならない。そのためにスケープ・ゴートを集団内につくる。
つまり、同じ集団の中にウチワとヨソモノをつくる。
一般に集団というものは、集団の外に敵を見つけて、その敵に対して憎しみを強めれば強めるほど集団の
内部は団結していく。ところが、その集団内部の感情の吐け口として、今度は内部にスケープ・ゴートを
つくるということになる。たえずその両方の作用が同時に働いている。
内容についてか…あまり一貫性や体系性がないように見えるが、
無能で愛されないことを悩んでいて他人に従いたくないというのはわかる。
いかに高尚な言葉で飾っても、中身がヒッキーニート理論では美しいとはいえない。
私は、言葉とは相手に伝わるのが目的だと聞いている。
簡単なことを簡単に表せて有益ならば一般人として生活でき、
難しいことを簡単に表せて有益ならば知者として人を統率でき、
難しいことを難しく表せて有益ならば学者として名を成せるが、
簡単なことを難しく表して人々を苦しめ、がんばって解読してもたいして役に立たないのでは、
いらない子であり、詩人や芸術家にしかなれない。
そこで、知者は自分の説をょぅι゙ょにでも理解できるように工夫する。
ょぅι゙ょにでも理解できるなら誰にでも理解でき、人々の指導者たりえる。
私もょぅι゙ょに通じるように語りたい。
73 :
名前は誰も知らない:2010/12/27(月) 22:35:53 ID:m8deCfwS0
一貫性が見出せないのは読解力と同じ分野に関する知識が足りないからだろう。
難しく見えるのは君が●●だからだろう。
内容に有用性を見出せないのは●の耳に念仏を唱えるのと同じだからだろう。
引用はほとんど一般向けの著書からだ。
74 :
名前は誰も知らない:2010/12/27(月) 23:10:39 ID:m8deCfwS0
知識で人の上に立ち人を指導・統率したいのか
権力欲にまみれた●●の考えそうな事だな
真理を求める心も自分の内面を見つめる心なんて持ち合わせてなくて、
人の上に立つために知識を重視しているのだろうな
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=30 ソフトバンク(SoftBank)のCMでは、お父さんはイヌ。
人を犬に仕立てることは、韓国では最低の蔑視表現(韓国では人を中傷する際、【ケッセキ=犬の子】と呼ぶ)。制作も電通の韓国人ディレクター。
もちろん、ソフトバンクとヤフーはグループ、首領(ドン)は朝鮮系の孫正義。
反日ソフトバンクでは、日本のお父さん(男)をイヌに仕立てて貶め、日本男児のフヌケ化を扇動しています。
さらに息子にもなぜか黒人を起用。外国人差別の激しい韓国では、黒人も最低の蔑視対象。
母親と娘には正常な女優を起用して、父親と息子だけを貶める。しかも、お父さんを犬にしてまで男をおちょくる。
“お父さん犬”がカワイイー、なんて間違っても思ってはいけません。
明らかに父親・男性蔑視、日本人の男の立場のイメージ劣化を無意識下で刷り込む手法がとられています。
日本でも、“○○のイヌ”と言っては、だれそれの手下を貶めたりする表現が使われますよね。
つまり“イヌ”には、日本でも奴隷的な意味合いが含まれるわけです。
これを見慣れることで、男の立場を軽んじ、男はおちょくるべき存在と、潜在的に植え付けられていくわけです
(精神侵略によって気づかないまま洗脳される)。
76 :
名前は誰も知らない:2010/12/28(火) 03:48:29 ID:qJA0eDS50
>>63 リチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」は読んだよ
「神は妄想である」も。「米では無心論者であると言うだけで迫害される」見たいな事も書いてたな。
生物の教科書で名を知ってただけだから未だ生きてたんだが感想
一つ質問なんだけど
「引用」は本から「手書き」で全て書き込んでいるの?
77 :
名前は誰も知らない:2010/12/28(火) 09:17:40 ID:dYyqA/r20
>>76 ドーキンスの「利己的な遺伝子」は高校生の時に何度か読んで、それ以来読んでないな。
帯に載っていた「読めばあなたも気分は天才」というアメリカの新聞の評のとおり、
この世の真理を知った天才気分になった。
引用は手書き以外ではどんな方法があるのか分からない。
人当たりは良いが付き合いが悪く
仕事も持続力がなくその場しのぎ
冷静は何者?
何者かと聞かれると良い答えがないな。自己分析が十分ではないのだろうか?
ただのコテハンにだ。以前はカマキリと名乗ってた。
81 :
名前は誰も知らない:2010/12/29(水) 02:45:25 ID:gfoAvIWY0
内山里奈の映画の「遠い空」で男が
「神なんて居ない。だから仲間が必要なんだ」って言葉が印象に残ってる。
仲間が居ればなんとかなる、って発想が俺には無かったからね
半分嫌味だがそういう考えもいいかもしれない
>>81 でも仲間もいないしお金もないホームレスは、
キリスト教徒系のボランティアによる無料の炊き出しに助けられている
というのはあると思うけど。
キリスト教系の精神による孤独な人に対する援助を潰す為に、
孤独な人があたかもキリスト教の精神を踏みにじっているかのように
書いたり誘導したりしている人が2ちゃんねるではいるように思う。
↓こんなのとか
1 :優しい名無しさん:2007/05/05(土) 16:20:46 ID:8fHu5lKQ
mixiデビュー!(0)
今日は僕の誕生日です!(0)
みなさんはどう思いますか?(0)
あけましておめでとう!!(0)
マイミクの皆さ〜ん!お知恵拝借!(0)
mixiプレミアム入っちゃいました!!(0)
皆様にアンケートです(0)
最近めちゃくちゃ落ち込んでいます…(0)
手首切りました…(0)
家にある睡眠薬全部飲みました…(1)
ありがとう…(1)
我はメシア、明日この世界を粛清する。(54687)
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1178349646/l50
83 :
名前は誰も知らない:2010/12/29(水) 05:20:47 ID:gfoAvIWY0
なんて言うかそういうつもりで書いたんじゃないんだ
神はどうでもよくて、そっちが主題ではなく、
仲間を信じるって所をね。
孤独って人を信じてないからって事もあると思うね
無条件に信じるのはあれだけど、人を信じる強さを持ってないというか。。
「俺が居るじゃないか、元気出せ」みたいなそういう周りとの関係性を
よく知らないけど、もう少しあってもいいかなと思うんだよね最近
84 :
名前は誰も知らない:2010/12/29(水) 06:03:58 ID:ROmRDrP7O
自分自身を自己分析すると恥と罪悪感 傲慢や図々しさを感じる。
何よりも羞恥心が厄介だ。
あと、ウィスパーボイスを見て教育勅語に辿り着いて、そこに書いてあること1つも自分自身成し遂げられてない事に愕然とした。なんかもう人間として駄目なんじゃないかと思う
へー、村上春樹は1Q84で「孤独」や「親切」を書いてるんだ。
まだ読んでないから何とも言えないけど、
いよいよヴォネガット的だ。
慈善活動という「狂気」に取りつかれた無神論者の主人公は
赤ん坊の洗礼を頼まれて、仕方なしにこんなことを言う。
「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、
冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。
なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、
せいぜい百年ぐらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、
いいかい―――なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」
『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』より
>>83 重要なのは信じることではなく、信用だろう。
道理として、他人を信じれば相手も自分を信じてくれるかというとそうでもない。
どんな巧言令色を駆使しても、信用を得るには十分ではない。
実際に約束を守るという実績の積み重ねによってのみ、信用を築くことができる。
突然やって来た訪問販売者は詐欺を疑うが、長年営んでる小売店では気楽に物を買えるのはこの原理による。
とにかくチンポしごくのが好き
88 :
名前は誰も知らない:2010/12/30(木) 04:35:07 ID:mIlRllrc0
冷静ってなんでコテやっているの?
89 :
79:2010/12/30(木) 12:59:06 ID:Gde8tQVv0
>>80 そうか。割と俺とシンパしてるから聞いたまでだ。
続けてくれ。
それで、自己分析に戻ると、
自分は知識や理屈を高く評価する人間で、真理や道理に興味がないとは言えない。
内面についてはもう見終わった。だいたいわかってるし、見てもあまり価値はなかった。
ドーキンスなどが言ってるように、人間の脳というのは生き物が生き残るために進化されたもので、
実用を目的として美術や感傷などはただの脳の誤作動であまり価値はない。これが真理だ。
そう信じているから、私は現実に役立つ知識や知恵を重視して実用に反するポエムを排除しる。
本物の支配欲だけで動いてる人物と違って、理屈で考えてそうなった偽者だな。
91 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 18:21:34 ID:+cSKiWSmP
「美」ってのは人間の本能が求めるものだよ
ところが人間は本能の働きをメタ的に見ることが出来るので「不安」にかられ、
不変的な「真理」を求めてしまう
つまり「真理」を求めるのは「不安」や「恐怖」のような感情だってこと
92 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 18:26:59 ID:+cSKiWSmP
ソクラテスは「内発的感覚」(本能)に基づいたギリシア人の精神性、文化性を称揚したわけだけれど
その弟子のプラトンはその後のギリシアの衰退に「不安」を感じ、師匠の言葉を「真理」と仮定して「論理」(言語)を用いて表現することを始めるわけだ
93 :
名前は誰も知らない:2010/12/30(木) 18:56:26 ID:mIlRllrc0
>>90 感傷、感情、情動といったものが知性の根源にあると思うけどな。
感情のない理性は存在しない、理性は感情の奴隷だ、というのは既に書いたが。
「感傷にひたる無用なもの」というのがなぜ美術やポエムに限定されているのか理由が不明だ。
想定している見下している特定個人がモデルにあるからだろうか。
感情を軽視している人が自分の内面について見終わったとは無能な者の自己欺瞞にしか聞こえない。
94 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 19:03:25 ID:+cSKiWSmP
人間が何か異質なものを感知し、感動するのは
自分がその対象について「知っている/知らない」「理解している/理解していない」ということを知っているからんだよね
95 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 19:19:18 ID:+cSKiWSmP
冷静は語尾に「しる」「にだ」って言葉を使うことが多いけど
それって「ポエム」なんじゃないの?
96 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 19:28:08 ID:+cSKiWSmP
文脈と関係ない「しる」「にだ」を使うことによって「ノイズ」を発生させ
読み手に異質な「感覚」を与えようとしている訳でしょ
私はこのように聞いている。
昔、殷の紂王は自分の欲望のままに従って酒池肉林の贅沢を行い、
自分の感情のままに従って妲己と戯れて政務を忘れ、気に入らない者を殺しまくった。
その結果、国は亡びて自分も殺された。
その後も自分の情欲のままに従って身を滅ぼした例は数多い。
そこで老子は「自らに克つ者が真の強者だ」と言うのだ。
自分の感情や欲望を抑えて物事の道理に従う克己の心が重要になる。感情の奴隷になってはいかんのだ。
語尾に「しる」「にだ」をつけるのは、いわゆるネットスラングだな。
99 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 20:12:49 ID:+cSKiWSmP
>>97 「感情に流されざるを得ない」自己を認識して、不安に駆られて自己防衛を図りたいと思うからこそ
「欲求に流されてはいけない」と認識するわけでしょ
>>98 本文と関係ないスラングを<わざわざ>使うと言うこと
それ自体に意図があるわけでしょ
不安?まあ死んだり健康を害したりするという恐れがあるから情欲を抑えるわけで、特に否定しない。
101 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 20:47:41 ID:+cSKiWSmP
それがまさに「感情」の働きなんだね
>>90でも言ったが、人間の脳とは生き物が生き残るために進化されたもので、
そのための実用から離れた美術や感傷などはただの脳の誤作動であまり価値はない。
私が基準としてるのはその生き残るための実用だ。
そしてその現実の利益、つまり実利と感情がしばしば異なるので感情の実用性を否定しているのだ。
してみると、その論は私の主張と噛み合わない。
103 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 21:18:11 ID:+cSKiWSmP
何故生き残りたいと考えるのか?
何故本文と関係ないスラングを織り込むのか?
何故生き残りたいと考えるのかはダーウィンやドーキンスあたりの進化論系の本を読むよろし。
スラングは…2chの作法とコテハンとしてのキャラ作りだな。
105 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 21:28:35 ID:+cSKiWSmP
なぜ「コテハン」として「キャラ作り」せねばならないのか?
その為の手段として何故「スラング」を用いるのか?
冷静と園長の問答を単行本化したい。
キャラ作りは私以前のコテハンも多くやっているので先人に習ったものだ。
名無しと違う特徴を出すのがコテハンだからな。「ニャ」をつけたり毎回巨大なAAを貼ったり、いろいろなコテがいる。
手段としては語尾は重要なものではなく、全体的な意見の傾向や文体や|−`)←などいろいろな特徴の一つだ。
冷静さんって何歳なの?どんな職業ついてんの?
109 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/30(木) 22:00:25 ID:+cSKiWSmP
>>107 そうじゃなくて
・何故「コテハン」なのか?
・何故特徴を出さねばならないのか?
・その手段として何故文体や|−`やスラングを考え出したり、選択したのか?
ってことを訊いてるのね
コテハンなのは、名無しは一回限りで日をまたぐと誰が何を書いてるのかわかりにくいからだ。
特徴を出すのは、初期に参加したゲーム系のスレのコテハン達を参考にした。
細かいことは試行錯誤の結果であって、明確に表しにくい。
実際、コテとして活動することで、それなりに経験を得ているのでやってる価値はある。
111 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 00:26:24 ID:KPkBPpEsP
つまり「明確に表しにくい」という自覚のもと
それでも<あえて>特徴あるコテハン活動をやっているということだよね
>>102 感情が実用的で無い根拠を、国が滅んだ、殺されたから、というのは疑問だな
欲望を満たすという目的は達してるはず、感情がそれを果たした。
その死をもってのみ失敗と評価することに賛同出来ない
死は副作用だから。副作用は無くすべきだが、感情が爆発的な作用を成したことは否定できない
感情がまず結論を出し、論理がそれを正当化出来るように組まれていく。
一方で論理を組み立てて出した結論に、感情を従わせる
論理とは感情が出した結論を正当化する為の道具であって
強大な欲望があって、だから論理を組み立て人を支配する。
「従いたくない」という感情があって、論理を組み立て、その論理によって動く
欲望を満たすという目的?それは目的とするべきことではない。
人には所属する国や組織や家がある。
天下国家には公的な正義がある。家には私的な利益がある。私情を優先するのは道義に反する。
人の命とは、一見独立した存在に見えるが、実は先祖から子孫に続く生命の連続の一部であり、
先祖がつくった社会を受け継いで発展させ、子孫に引き継いでいく存在あるよ。
人々が刹那の快楽に溺れず、辛くてもマジメに働いてるのはこの理由による。
114 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 15:31:10 ID:KPkBPpEsP
「論理」ってのはそれ自体で完結するものではなく、
様々な反論、反証によって「変化」し続けるものであり、だからこそ「論理」というものに正当性が与えられるべきだと思うんだけれど
だとすると
>天下国家には公的な正義がある。家には私的な利益がある。私情を優先するのは道義に反する
だとか
>人の命とは、一見独立した存在に見えるが、実は先祖から子孫に続く生命の連続の一部であり、
>先祖がつくった社会を受け継いで発展させ、子孫に引き継いでいく存在あるよ。
みたいなことを<ベタに>受け入れてしまうってのは「非論理的」だと言えるんじゃないの?
115 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 15:37:17 ID:KPkBPpEsP
しかももし「子孫を残す」「社会を発展させる」のが最も重要な目的であると考えるのなら、
良いか悪いかは別として平々凡々とした人間達の「感情」に積極的にコミットし、
友情でも愛情でもなんでも良いんだけど、そういう「下衆」な「絆」を作ることこそ最も「合理的」
と言えるんじゃないの
つまりここで理屈を垂れてる暇があったら街でナンパでもすべきだということ
116 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 15:40:07 ID:KPkBPpEsP
ある「真理」が絶対化してしまったらそれはもはや「論理」ではないでしょ
それは「宗教」だ
117 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 15:50:50 ID:KPkBPpEsP
冷静はこれまで「何が内容的に正しいのか」を論じてきたわけで、
それは「正当性」を巡る議論だった訳だね
ところが
>>113では「子孫を残すこと」「社会を発展させること」ことこそが「正解」だと言ってしまっている
それはもはや「形式的妥当性」(=内容的な正しさではなくどういう形なら皆を納得させられるか。中世の王権みたいなもん)を巡る
「正統性」の議論なんだよね
118 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 15:56:36 ID:KPkBPpEsP
119 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 16:27:55 ID:KPkBPpEsP
我々の祖先が「近代国家」や「家族制度」を数多ある可能性の中から選択したのは
そのための環境的必然性があったからで高邁な「正義」や「道義」なんてものではないよ
そもそも「正義」や「道義」は「正当性」ではなく「正統性」が何たるかを指し示すための言葉だしね
もっと言えば「近代国家」や「家族制度」って物自体彼らの子孫が後付けで「解釈」した概念に過ぎない
まあその通りだ。
>>11で言った「観点」と「正統性」は似たようなものだろう。
何が正しいか、何が価値があるかワンセットで整ったものでないと人が生きるのに使えないからな。
宗教というか儒教に近い。
だが、祖先が選択したというのはあまり関係ないな。基準は現在にある。
日本の農業政策を語るのに、コメの原産地が実はどこだったとか、朝鮮半島を経由して入ったかどうかを、
考古学的に起源を明らかにしても現在どうするべきかに直接影響することはない。
121 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 16:50:29 ID:KPkBPpEsP
>人の命とは、一見独立した存在に見えるが、実は先祖から子孫に続く生命の連続の一部であり、
>先祖がつくった社会を受け継いで発展させ、子孫に引き継いでいく存在あるよ。
>人々が刹那の快楽に溺れず、辛くてもマジメに働いてるのはこの理由による。
こう言ってるよ
それは現在まで絶えなく続いてることだろ。
123 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 17:05:50 ID:KPkBPpEsP
>>113の文章は
「「天下国家」や「家」に対して祖先が託した「正義」や「道義」と言った「正統性」を受け継ぎ、子孫に受け渡すべきだ」
と言ってるわけでしょ
受け継ぐのは知識や技術や財産や社会制度だ。
125 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 17:21:25 ID:KPkBPpEsP
それらが「正統性」を持つことによって人口に膾炙したからこそ
「文化」として残っているんじゃないかと言うことはさておき
>>113と
>>124とで言ってることが違うじゃん
違うニカ?ウリには違う点がよくわからないので、kwsk
|−`)ノ kwsk
127 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2010/12/31(金) 18:21:38 ID:KPkBPpEsP
文脈から推測するに
>>113では「正義」や「道義」(正統性)を有する「社会」を伝達する
>>124では「技術」や「知識」(情報)を有する「社会」を伝達する
ってことじゃなくて?
技術や知識や財産や社会などの相続財産を子孫に残すのが正義(正統性?)だ
ちなみに
>>113は上三行が「欲望を満たすという目的は達したから感情は有用だ」というのの否定で、
下三行でそれに代わる価値観を提示する内容になってる。
129 :
名前は誰も知らない:2010/12/31(金) 21:03:28 ID:5Wwse/5pO
『自己分析のスレで正義の話をしよう』
脱線しすぎたな。ここで中止しよう。
さあ自己分析をやってくれ。
131 :
黒鳥館館主 ◆DxgwL./BZw :2011/01/01(土) 01:24:52 ID:0pOX6kqWP
>>128 結局は「正統性」の有用性を認めてるじゃん
内容的な正しさは社会を生きるための有効な動機付けたり得ず
宗教、美学、ノリ、感情、本能にコミットすることではじめて動機付けされる