2007年03月19日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その2)
http://ym-history.seesaa.net/article/36337781.html ●反日主義の元凶は原爆慰霊碑の「過ちはくり返しません」
安倍首相は、参院予算委員会で、米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について「決議があっても謝罪するつもりはない」
「米下院の公聴会で証言した元慰安婦の証言に裏付けはない」とのべ、質問者の民主党の小川敏夫参院幹事長が
「きちんと謝罪しなければ、日本が戦争にたいする反省をしていないと受け取られる」とつっかかると「あなたは日本を貶めようとしている」
「決議案が正しいと思っているのか」ときびしく切り返した。
小川は「きちんと謝罪しないと――」というが、河野談話(従軍慰安婦の官憲介入)を筆頭に、
宮沢談話(近隣諸国条項)、村山・細川談話(侵略戦争容認)、あるいは、日韓併合について談話を発表した大臣の罷免にいたるまで、
日本政府が謝罪や遺憾の意を表したことによって、放っておけば風化したであろう問題が、大きな外交問題となって、いまなお、尾をひいている。
戦後、日本が、毅然とした態度をとりつづけていれば、過去の戦争にまつわる外交問題は、何一つ、おこらなかったのではないか。
日韓併合も、大韓帝国一進会の李容九が百万人の署名をそえて、李完用首相に送った
「韓日合邦を要求する声明書」(1909年)が発端で、日本が武力侵攻したわけではない。
ちなみに、この声明書には「これまでの朝鮮の悲劇は、朝鮮民族がみずからまねいたことであり、朝鮮の皇帝陛下と日本の天皇陛下に懇願し、
朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、国を発展させようではないか」と記されている。
日韓併合は、韓国国会の決議なので、日本は、その原則論をおしとおしておくのが国際慣例である。
「事実上の侵略だった」「朝鮮に他の選択肢がゆるされていなかった」などと余計なことをいい、謝罪するから、
巨額の資金と人材を投入した朝鮮国家建設の努力が、欧米が東南アジアでやった、過酷な植民地略奪と同列にあつかわれてしまうのである。
かつて、米英蘭などの侵略国家と死闘をくりひろげ、アジアを植民地から解放した日本人が、なぜ、現在のような、背骨のないナメクジ民族になってしまったのか。
わたしは、その元凶が、広島の原爆慰霊碑に刻まれている「過ちはくり返しません」ということばにあると思っている。
日本の反日運動は、根本が、コスモポリタニズム(世界市民主義)である。
その原点に、同胞を虐殺されていながら、謝罪する原爆記念碑の無国籍性がある。
東京裁判で日本を弁護したインドのパル判事は「過ちはくり返しません」という慰霊碑のことばを見て
「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまうとは――。
東京裁判の影響は、原子爆弾の被害より大きい」と嘆息した。
パル判事は、戦争が主権国家の交戦権の行使である以上、戦勝国が「平和にたいする罪」「人道にたいする罪」という事後法で、
敗戦国を裁くのは違法と主張した。これが、英国法曹界の重鎮ハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」
という著書で紹介されて以降 東京裁判は違法という考え方が、世界の常識になった。
そのパルは、なぜ、日本人が「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」「日本は平和にたいする罪、人道にたいする罪を犯していない」
と主張しないのかと、亡くなるまで、いいつづけた。
戦後の日本は、何でもかんでも、ぺこぺこ謝り、そして、その結果、欧米とユーラシアの、
謝ったからには補償をおこなえという論理にじりよられて、ヒーヒーいってきた。
その負け犬根性の原点が、非戦闘員の市民を大量に殺戮した原爆投下――その慰霊碑に刻まれた「過ちはくり返しません」
という不気味な文章にあることに、日本人は、気づいていない。
パル判事は、広島を訪れた際、「ここに祀られているのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのはアメリカである。
過ちを詫びるのは、日本人ではなく、アメリカだ」(一九五二年一一月三日)と批判した。
これにたいして、碑文起草者の広島大学教授雑賀忠義は「広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちをくり返さないと霊前に誓うのは、
全人類の感情であり、良心の叫びである」という抗議文を提出する。