【HKT48】さっしーこと指原莉乃応援スレ★2789

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870第三の波平 ◆JXLBbnYqTY
■日本人の言語思想の系譜 太平記読み

太平記読みの思想

「太平記読み」の時代 近世政治思想史の構図 若尾政希 (ISBN:4582767753)が、
平凡社ライブラリーの文庫本として出版された。これで始めて「太平記読み」のことを知った。
太平記読みは太平記を解読した本で、江戸初期の出版の普及とともに武家層から庶民にまで
広まった。その後の日本人の政治、道徳思想の手本となった。


平家家物語が仏教、因果応報なら、太平記は宋学の影響から儒教の君臣という名分が重視
される。しかしそれとともに日本独特な忠臣文化がある。特に太平記読みは日本の忠臣が
デフォルメされる。 江戸時代は家康の政策により、儒教が取り入れられたと言われるが
、実際の日本人の考えは太平記読みの思想に近いという。

その思想は、たとえば君主の上になる国家(公)があり、民のみならず君主であっても国家
のためであること。よって君主は民のために働くことが公儀である。仁政をめざすべき。
仏教、儒教などの学問にとらわれるのではなく、忠義のため、仁政のために、すなわち国
のための実際的な知として活用して意味がある。著者は、このような太平記読みの思想を
、それ以前の中世の思想と対立させる。中世の思想は顕密仏教を中心とする宗教的な思想
であるという。

儒教の還元されない日本人の思想

太平記が足利氏により管理され、足利家の正当性を示しものとして位置付けられたのに対
して、太平記読みは下層のもの達により語り継がれ、楠正成など、非正当なもの達の正当
性(名分)を越えた忠義の英雄伝として語られる。そして武士層から庶民層まで浸透する。
儒教と日本の忠臣は江戸時代には家康の進める儒教による制度と、回収されないものとし
てあらわれる。代表的なものが忠臣蔵である。内蔵助は楠正成のメタファーとして語られ
る。 楠正成は太平記読みの日本の忠臣を代表する存在である。赤穂浪士はその時代に物
議を呼んだ。幕府の法では禁止されて、儒教学者からは批判されたが、庶民を含めて多く
のものが賛同した。

太平記読みの思想は、武士の正当性を保証する役割を果たしつつも、また体制に還元され
ない日本人的な忠義を想起し続けた。たとえば殉死など武士の精神性は幕府の儒教的な官
僚システムに還元されない。さらには幕末の尊王攘夷思想など。

江戸出版革命と太平記読みの思想

確かに江戸元禄の出版革命は転機だろう。その前にもあったのだろうが、漠然としたもの
が、特に太平記読みが下層をベースに、幕府とは異なる日本人の心性を想起したという意
味で。その系譜は、さらに近代化によりイデオロギーとして言語化されて、明治維新から
世界大戦までつながっていく。

ここには疑問がある。このような思想の土壌がすでにあり、太平記読みはそれを吸収し、
江戸時代の出版革命で、具体的な形をもって現れたのではないか。というのは、太平記読
みの思想は、武士の存在につながり、さらには現代に日本人にも続く、独特な特徴を持っ
ているからだ。それはボクが言っているように、日本人は国家に対する役割によって存在
意義を見いだしてきた、将軍だろうが一つの役割、仕事でしかない、ということ。このよ
うな思想は、江戸時代の太平記読みの出版によって広まったものだろうか。

日本人には思想がないと言われてきた。その理由の一つとして考えられるのが、そもそも
思想とは西洋のように言語によって議論され、伝承される、体系と考えられるからだ。日
本人に考え方がないわけではないが、それが言語化してこなかったために、改めで西洋化
において思想は?と問われたときに、答えられないのだ。

しかし日本人独特の思想が出版革命による具体的な文書の普及で伝承されたという事実は
とてもおもしろい。とともに本当だろうかと疑問が残る。日本人の思想はどこまで言語を
基本として広まったのか。