【低空飛行の】IBARAKI茨城空港15【2年目の春】
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RJAH仮想訪問レポ 1/5:
茨城空港の朝は、早い。まだ暗い冬の早朝に小美玉(おみたま)市を訪れてみた。
昨年の春に開港してから始めての、冬。北関東特有の強烈な冷え込みの中、
全てがまだ新しく見える空港ターミナルビルのドアは、だが、固く閉ざされて
ビル内はもちろん無人、照明も暗いまま静まり返っていた。記者が通り過ぎる
のを、警戒にあたる県警の機動隊員がいぶかしげに監視しているのがわかる。
そう、ここ茨城空港は航空自衛隊百里基地の一角に置かれており、首都圏の
空の守りの要所でもあるのだ。警戒が厳重なのも当然のことと思い、軽く一礼
し、取材を続ける。
6時を回ったころ、無料駐車場のゲートが開けられ、既に待っていた何台もの
地元ナンバーの乗用車が吸い込まれていく。だが駐車場に収まったクルマからは
不思議なことに誰一人出てこない。エンジンをつけたまま暖房を切らないようだ。
それに空港発の初便は午前10時半過ぎの神戸行きまでない。こんなに早い時間
から待たねばならない理由もないはず。
…一体、なぜだ?
…そんな記者の疑問は、程なくして氷解した。
6時10分、白くヘッドライトをきらめかせ大型バスが空港に入ってきた。
それを見届けるかのように駐車したクルマのエンジンが止まり、続々と人が
降り、バス停に行列を作ったのである。人々の吐く白い息が無人の淋しい
空港ビルに溶け込むように、消えていく。
朝6時20分発の「東京駅行き直通高速バス」。これが駐車場に並ぶ
クルマの主(あるじ)たちの、お目当てだったのだ。
「陸の孤島」と揶揄されてきた、ここ茨城空港。
納豆とメロン、水戸黄門が地元の名物。ここは首都圏と言われても理解でき
ないほど都心から遠く離れ、公共交通の難所として知られた。近隣住民の足
だった私鉄・鹿島鉄道は、空港オープンに先立つ3年前の2007年に廃止。
路線バスも続々と縮小され地元の足は事実上、自家用車のみという状況。
そんな土地柄の茨城空港、当然のように空港アクセス確保が大問題となった。
近隣のバス会社は、開港直前まで就航希望がなかったこの茨城空港への
バス路線開設に当初から難色を見せていた。開港直後の就航便は国際線
ソウル行の小型ジェット機(1日1便・143席)のみ。その後、国内線の神戸
行(同・177席)も開設されはしたが、仮に航空便が満席としても、この
程度では各地と別々に結ばねばならないアクセスバスが採算に乗るはずが
ないのは明らかだった。
そこで茨城県は緊急雇用対策事業費を茨城空港のアクセス振興策に転用す
るウルトラCに出た。要は補助金で東京行きバスを走らせる算段である。
費用は年間5,000万円余り。これにより、不振を極める茨城空港から東京駅
までの直通バスの路線確保と、運賃もダンピングして集客する原資とした
のである。
この結果、東京駅までの片道運賃は航空機利用客で500円、航空機を利用
しなくても1,000円と、1,500円〜2,000円程度の相場に比べて格安となった。
本来は空港への送迎客・旅行業界など空港関連客の便宜を図るはずのこの
運賃システム。だがしかし、この朝6時20分の東京行きバスの客を眺める
限り、空港とは全く関係ないとしか思えない。
クルマを置き朝6時のバスで東京へ。1日を都内で過ごし東京から夜7時
前後に2便ある帰り便で茨城に夜9時前後に戻ってくる。まる1日クルマを
止めておいても、当然だが茨城空港の駐車場は完全無料。なんのことはない、
常磐道の高速料金・ガソリン代を節約したい地元客が、この茨城空港の
補助金漬けバスに目をつけ集まったのが、バス(だけ)盛況のカラクリ
だったという由。
69 :
RJAH仮想訪問レポ 5/5(止):2011/01/29(土) 17:23:46 ID:354iTE8r0
謎が溶け、一息つこうと思いバス停前の自販機にコインを投げ入れたが
温かいマックスコーヒーは先ほどのバス乗客が買い漁ったのか、売り切れていた。
そしてバスがはるか遠い都内に向け走り去ると、先ほどの機動隊員の他に
周囲に動く物は何も見えなくなった。本来の空港としての初便の乗客が
集まるまで、まだだいぶ時間がある。明るい朝の光に包まれてきてはいたが、
茨城空港は怠惰な二度寝を貪るかのように、静寂だけにまた支配されていた。
(了)