51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
結局、大阪は徳川幕府がつくった町。
大阪は昔から国とつるまないと何も出来ない町なんですよ。
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江戸時代の大坂は、それ以前の豊臣秀吉によって大坂城が築城され、町の基礎は成ったものの、
さらなる本格的な町造りというべき、埋め立てによる町域拡大や、運河の開削などは、徳川期の
初代大坂城主である松平忠明の手によって発展発達したものなのだ。
忠明の父は奥平信昌、母は徳川家康の長女亀姫(加納殿)である。家康は亀姫には格別の情を
かけていたので、忠明を自分の養子として松平の姓を与えた。つまり、彼は家康の名目上の子で
あり、外孫でもあった。
大坂の町は、秀吉の造った市街地が、慶長20年(1615)に起こった大坂夏の陣で焼け野原になった。
そこへ忠明が大坂城主として入り、町を再興させ、江戸堀川や京町堀川なご多くの運河を開削し、
市街地整備も行った。町制の基礎が固まったのも、彼の時代である。
徳川幕府は、江戸は政治の中心、大坂は経済の中心と位置付け、大坂人と町に、現代では信じら
れないほどの、数々の優遇措置を講じた。
もちろん、松平忠明の力があってのことだが、後には、大坂を幕府直轄の天領として、そこに住む
人々の租税を免除した。と同時に、特筆すべきは、江戸時代全般にわたる長い期間、大坂商人に
株仲間の特権を与えた。
要は、様々な商品の流通の中間部である卸業界に、独占権を与えたのだ。代表的な例が、現代で
も半ば独占的に扱われている昆布などがそれだ。
産品ごとに株仲間を作らせ、他所の人間が入り込めないようにし、産地からの買い付けに始まり、
全国の小売業者への卸まで、ほとんどを大坂の商人に委ねたのである。逆にいえば、多くの商品は、
一旦、大坂という町を通過しない限り、全国の消費者の手にわたらないということになる。
ここまで厚遇されると儲からないほうがおかしい。金魚すくいを金網でやっているようなものである。
しかも、品物ごとに商品相場も立ったから、さらに利益が増える。
「大阪力」 丹波 元 PHP文庫(p60〜)
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