第40話「魔の饗宴」
安倍なつみだ。
木の上から辺りを見渡していた石村がそう言うと、残りの4人は同時に視線を落とした。
およそ格闘技に携わる者で安倍の名を知らぬ者はいまい。
最強。その二文字にもっとも近き存在。
「間違いないよ」
「本物だ」
K最大派閥である嗣永派の5人は色めき立った。
まさか最初に見つけた獲物がいきなり敵陣の大将だとは。
「どうします?桃子さん」
「決まってんだろ」
嗣永派のリーダー嗣永桃子の顔はやる気の顔だ。
安倍なつみを倒したとなれば、マスターから受ける賞賛と信頼は計り知れない。
K全体のトップの座が約束される。
「いくぞ!」
「だめよ桃子!安倍と飯田の2人には手を出すなと上から言われているでしょ」
「大丈夫だって佐紀。やっちまえば関係ねえよ。それにこっちは5人だぜ」
清水の説得もむなしく嗣永は飛び降りた。残りのメンバーも続く。
なっちの前に嗣永桃子・清水佐紀・梅田えりか・徳永千奈美・石村舞波の5人が現れた。
「へぇ〜」
誰かが自分を見ていることに気付いてはいた。
でもまさかこんな小さな子供達とは思いもよらず、なっちは口笛を鳴らす。
「よく降りてこれたねぇ、お譲ちゃんたち」
「安倍なつみだな」
「それを知っていて…よく降りてこれたなって言ってんだよぉ」
いくら子供とはいえ5人に囲まれたこの状況である。
(なんなの…この余裕)
清水は少し不安を感じて嗣永を見る。
しかし嗣永は完全にやる気で敵意をむき出しにしている。
(いまさら遅いか。やるしかないわ。どんなに強くても5対1では…っ!)
ドン!
いきなり飛んできた安倍に反応が遅れる清水。
(速いっ!)
清水は古武道をたしなんでいる。安倍の攻撃をすぐに受け流そうとした。
だが間に合わない。今まで練習してきたどんな奴とも違う。
なっちの手刀を首に叩き込まれ、清水は崩れ落ちる。
「佐紀っ!!」
一瞬の出来事に、他の4人は目を見開く。
不意打ちでまず一人減らす。
その一人に清水佐紀を選んだことは安倍にとって正解であった。
五人の中で単純に強いのはリーダーの嗣永である。
だがチームの頭脳となり作戦を組み立てる役割を果たしていたのは清水である。
頭脳を失うということは残り4人がただの烏合の衆になり果てるということ。
清水がそういう役割を担うと知ってか知らずか、とにかく安倍はまず清水を潰した。
「まず、ひとぉり」
振り返り微笑む安倍の顔に、残り四人はハッと我に返る。
そして一斉に安倍に襲い掛かってきた。
複数人相手で真価が問われるのはここからである。
もう不意打ちは通じない。同時に襲い掛かられる為、うかつに大技も出せない。
組み付かれたり倒されたりしたら、そこで終わりである。
……だが安倍は落ち着いていた。
まず防御に徹した。
前羽の構え。
完全に受けに徹した安倍なつみを崩すことは不可能に近いかもしれない。
背後をとられぬ様にたえず足を動かしながら受け続けた。
受けながら敵の特性を見極めている。格闘スタイル・特技・弱点…
(ダメだ)
四人の中で最初に気付いたのは徳永千奈美であった。
(ここは引いた方がいい)
彼女はもともと嗣永派に固執していない。親友の石村がいるから所属しているだけ。
だから安倍なつみを襲うことにも肯定的でなかった。
(佐紀さんがやられた時点で、私達に勝ち目はなくなった…)
だがそれを言ってあの嗣永桃子が納得するはずもない。
そんなときに事件は起きる。
徳永は見た。親友の石村舞波の背中がポンと突き飛ばされる光景。
「え?」
背中を押された石村は虚を突かれた顔で安倍の懐に入る。
当然安倍は攻撃する。懐に入られては組み付かれる危険性もある。
前羽の構えを解いて石村に正拳突きを叩き込んだ。
まるでその瞬間を待っていたかの如く、石村の背後から一筋の閃光が飛び掛ってきた。
「舞波ぁーーーーーーーー!!!」
信じがたい映像が徳永の視界に入り込む。
石村は嗣永を慕っていた。嗣永はそんな石村を平然と安倍の方へと突き出したのだ。
そして安倍が石村を攻撃した瞬間に狙いを定めて飛び掛る。
そのジャンピングニーが安倍なつみの頬を裂いた。
「クソガキィ…」
この卑怯極まりない攻撃にむしろ安倍は笑みを浮かべる。
(相手は子供だから少し遠慮してたんだべ)
(でもそういうことなら…なっちも好きにさせてもらう!)
安倍は反撃の蹴りを繰り出す構え。
これに合わせて嗣永はすぐに下がろうとする。
その顔に地面の土が飛んできた。安倍が蹴りと同時に下からすくい上げたのだ。
(なっちと卑怯な手でやり合おうなんて一億年早いべさ!)
ルールに縛られた試合よりも、なんでもありの喧嘩の方が得意。
安倍なつみにとってはそこら中にあるすべてが武器と化す。
「…っく」
しかし、土で視界を奪われた嗣永は咄嗟に、横にいた仲間・梅田えりかの袖を引っ張る。
強引に梅田を自分と安倍の間に引き込んだのだ!
当然、安倍の蹴りは梅田にクリーンヒットし、嗣永はその隙に難を逃れた。
「えりかさん!!」
徳永はまた叫んだ。
もう確信した。
嗣永桃子は始めから5人で安倍なつみを倒す気なんかないんだ。
「桃子さん!あんた私たち4人を利用して自分1人だけが勝てばいいと思ってるの?」
「なぁに言ってんだよ千奈美」
徳永千奈美の問いにニヤリと笑う嗣永。
「当たり前じゃねぇか。勝つ為ならなんだってする」
「…っ!!」
「それより千奈美。お前も本気出せよ。知ってるんだぜ、いつも隠してるだろ」
「なに?」
「私もそろそろ本気を出す。なぁに私とあんたの二人ならまだ勝てるさ」
「断る!そうやって私も利用する気だろう!」
「心配すんな千奈美。お前は舞波らとは違う、だろ?」
「ふざけるな!!」
「ちょっとぉー、お取り込み中すいませんねぇ」
ここで安倍が口を挟む。
「まるで二人が本気で戦えばなっちに勝てるみたいな会話ですけど…」
「…」
「それは、なっちもまだ全然本気じゃないことも前提に話してるよねぇ?」
「本気じゃない…?」
「当たり前だろクソガキ。マジだったらそこの三人ほんとに全員死んでるべさ」
その瞬間、安倍なつみの体から溢れんばかりの気が発された。
「っ…!!」
生き残った嗣永と徳永の顔色が変わる。
「ケッ上等だ…おもしれえ」
「桃子さん!無理だ!私は引く!」
「勝手にしろよ。私は一人になっても戦うぜ」
「く……」
徳永は悔いた。
やはりこの安倍なつみには手を出すべきではなかったのだ。
五人がかりだからとかそんなことは関係なかった。このままでは嗣永派は壊滅だ。
「逃げてっ!」
その声は、安倍なつみにしがみつく小さな影から発せられた。
驚いた徳永千奈美は思わず声をあげる。
「佐紀さん!!」
「一旦引くのよ!桃子!千奈美!他の子たちと協力して…」
清水は自分を犠牲にして二人を逃がそうとしているのだ。
それを察した徳永はコクリと頷いて、走り出す。
嗣永は逃げる気などなかった。
だが苦楽を共にした親友の言葉に、今回は身を引くことを決する。
「覚えてろ、安倍なつみ…」
嗣永桃子もその場を去った。
すでに負傷している清水佐紀を取り払うことなど、なっちにすれば造作もない。
だが清水の仲間を守るという姿勢に免じてそれをやめた。
「少しは根性ある子もいるじゃん」
手刀一閃。安倍なつみは清水を気絶させた。
結果、気を失った石村舞波と梅田えりかと清水佐紀が残る。
なっちは嗣永にやられた頬をさすりながら、ため息まじりに呟いた。
「ちぇ、五人抜きを狙ったんだけどな」
『勝負ありぃ!!』
例の如く、島全体に決着の放送が流れる。
海岸で斉藤美海に勝利した高橋愛は、海岸の先の丘陵地帯でこの放送を聞いた。
最初に自分が、その次に加護亜依の名が、勝利者として呼ばれている。
(さぁ〜て、今度は誰や?)
『敗者!石村舞波!梅田えりか!清水佐紀!』
ここでいつもと違う事態。
一度に三人もの名が敗者として告げられたのである。
ということは多対多か?もしくはたった一人で三人もの相手を葬ったか?
後者だとすれば、それはとんでもない事実となるが…!
『勝者!安倍なつみ!』
おそらくは島中にいるすべての人間が、この一人の名に意識を奪われたであろう。
(やっぱり安倍さん!しかも三人抜きかぁ!!)
高橋愛もまた新たな武者奮いを感じた。
一人倒すだけでも大変なこのサバイバルで、いきなり三人抜きをしてのける存在。
伊達に『格闘技界最強』と呼ばれる訳ではない。
『残り32名!』
ところが、もう他の誰も真似できないであろうと思われたこの「三人抜き」が、
新たな波紋を呼び起こすこととなる。
島の南東に位置する集落地帯。
この神社の境内では夏美会館空手とハロープロレスの激闘が続いていた。
里田舞vsソニンと紺野あさ美vs新垣里沙である。
「ハアァ…ハア…ハァ…」
「…やるじゃねぇか」
「そっちこそ」
すでに戦闘が開始して30分近く経過している。
一瞬も緊張を緩めることのできないこの状況での戦い。
体力自慢であった里田やソニンですら、疲労ですでに息があがりきっていた。
しかし…
「なんだよ…あいつら」
悪態をつくソニンが見つめる先には、空手界とプロレス界の若きエース。
紺野と新垣は未だ互いに息も付かせぬ激しい攻防を続けていたのである。
(空手が上だ!)
(プロレスが上だ!)
二人にはそれぞれ折れられぬ理由があった。
「認めたくはないが、あいつらはもう我々を遥かに越えているようだ」
「ちっ…ああ」
里田とソニンは同時に思った。
空手を、プロレスを、この激闘の行く末を、託す、と。
複数の格闘技を習得することが常識となってきた昨今、
頑なに一つの格闘技を追い続けた二人だ。
紺野は空手以外の闘い方を知らない。それが最強への道と信じてきた。
新垣にもプロレスしかない。他の生き方を知らない。
そんな二人の激突である。熱くならないはずがない!
里田もソニンもすでに自分達の闘いより、そのあまりに激しい激突に目を奪われていた。
(願わくば、完全決着を)
(敗者すらも感動できる、最高の結末を、この二人に…)
「い〜ち、にぃ〜」
魔の声色は、そんな儚い願いを里田が願った後に、境内に聞こえ始めたのである。
「さぁ〜ん、しぃ〜、キャハ♪」
気にする余裕はない。紺野と新垣は激闘を続けている。
代わって里田とソニンの二人が咄嗟に後ろを振り返った。
クネクネと身を捻らせながら階段を上がってくる少女がいた。
「ぴったし四人。ちょうどいいです♪」
少女は嬉しそうにニコニコ笑いながら、言った。
このバトル・サバイバルに新たな旋風を巻き起こす娘。
「安倍さんが三人抜きだから、エリは四人抜きしちゃいますね、エヘヘ〜♪」