それは小川麻琴ではなかった。
一匹の鬼だ。
ズシッズシッと重々しく近寄ってくる。
石川は思わず後ずさりする。
後ずさりして初めて石川は気付いた。
生まれてこの方、戦闘中に自分が後ろに下がったことなどあっただろうか?
(恐怖?)
(不死身の自分が?)
鬼の腕がすっと自分に近寄ってきた。
(いけない!)
石川は鬼の手よりも早く、自分の拳を鬼の顔に叩き込んだ。
しかしどうしたことだ。鬼はビクともしない。
「グルルルルルルルウルルルル…………」
妙な唸り声が鬼の内部から聞こえてきた。
とても人間が発する声とは思えない。
(その声をやめろ!)
殴った。石川はまた何度も鬼を殴りつけた。
しかし鬼は唸り声を止めないし、前進も止めない。
そうこうしている内に鬼の手が石川の頭を掴んだ。
(きゃ!)
「グルルルゥゥゥウガガガガアアアアアアアアアッッ!!!」
瞬間、鬼が爆発した。
ドガガガガガァァァン!!!
鬼が石川の頭部を物凄い勢いで城の壁に叩き付けた。
壁が破壊され轟音が響く。
鬼の手は、石川の頭が壁に半分埋まった状態でそのまま圧し!落とし!潰し!壊した!
「うがあああああああああ!!!!!!」
そのまま鬼は全体重を掛けて石川を崩れた壁との間で潰した。
石川は頭部だけ壁の奥にめり込まれた体勢で、この圧力をまともに受けた。
頭が下の逆さまで、石川梨華の体はめちゃくちゃに壁に埋め込まれた。
それでも鬼は止まらない。
豪腕が壁に埋まった石川の体を撃つ!
何発も!何発も!何発も!何発も!何発も!何発も!何発も!止まらない!
(死んだ)
モニターで観戦していた解説陣は全員が同じ事を思った。
(小川が石川を殺した)
(いや…あれは本当に小川麻琴なのか?)
その映像はあまりに残酷すぎた。とても人間同士の闘いとは思えない。
ガシャン!!
突然、吉澤ひとみが車椅子から転げ落ちる。
慌てて抱きかかえようとする市井は彼女の変化に気付いた。
まっすぐにモニターを見詰めながら、震えていたのだ。
(反応しているのか?この怪物どもの殺戮に?)
どれだけ殴り潰したであろうか?
先に耐え切れなくなったのは、鬼でも石川でも無かった。
城の外壁であった。
超ド級の鬼の連打を受けて、石川の体を埋め込ませた壁の穴がついに外まで達した。
普通の家やビルの壁ではない。
頑丈で分厚い城の1Fの外壁を、この鬼は生身の打撃で突き破ってしまったのだ。
「うがあああああああああああああああああああっっ!!!!!!」
鬼は吼えた。
それはついに念願の仇を討てた歓喜か?
それとも単なる破壊衝動への陶酔か?
とにかく鬼と化したそれは、吼え続けた。
「あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
コトン。
瓦礫の小石が落ちた。
「…フフ」
鬼の目の前で、城壁が崩れてできた瓦礫の山がガラガラッと音を立てた。
「……ウフフフフフフフ」
そして、甲高い笑い声が聞こえた。
「待っていたわ」
紅い物体が瓦礫の山から姿を見せる。
それは血と泥に濡れた石川梨華!
「こういう…こういうのを…望んでいたの」
なんと!あれだけ残酷で惨たらしい攻撃を受けたというのに!石川梨華は笑っている!
彼女は『不死人形』
神がこの世に間違えて産み落とした『痛み』も『死』も知らぬ娘。
「さぁ続きよ鬼。もっともっともっともっと熱く激しく震えるような死闘を!!」
「うがあああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「あの人に!あの人の為に!!」
鬼の叫びに呼応する様に、石川も叫ぶ。
狂っている。
傍から見ている者にはそう映るかもしれない。
だが石川梨華は狂ってなどいない。
彼女を叫ばせるものはずっとたったひとつだけ。
吉澤ひとみ。
あの人を目覚めさせることだけ!
その為ならば自分はどうなってもいい!
どんなに汚れてもいい!どんなに罵られてもいい!どんなに悪に染まってもいい!
すべてはあの死闘を超える死闘を求めて!
石川梨華は吼える!
ブチィン!!!
そのとき突然、鬼の肉体から紅い雫が舞い上がった。
ブチブチブチブチィィィ!!!!!
「ぎゃああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
悲鳴。
その悲鳴は鬼の唸り声ではなく小川麻琴のそれであった。
悲鳴に続き麻琴の体の至る所から、線が切れる音と血飛沫が飛び交う。
石川は瓦礫の上でその光景を眺めていた。
何もしていない。
何もしていないのに鬼が一人でに血を吹き肉を裂いて自滅したのだ。
「……小川ちゃん?」
『鬼の背中』が切れた。
その力は元より生身の人間が扱える代物ではなかった。
死を賭した勝負への執念が小川麻琴に宿ったのだ。
これが一瞬でも限界の限界を超えた「鬼」の力を得る代償。
体中の筋肉の線が断裂し、血管が暴発する。
二度と戦えぬ体に。
「…嘘よ」
石川は呆然と立ち尽くしていた。
「なんなのよ…それ。これからでしょ!やっと今から始まる所でしょ!!」
「あの人との死闘を超える勝負を!今から始めるのよ!ほら!立って!!」
ヨロヨロと石川は瓦礫を踏み出す。
うつ伏せに倒れて、もはや意識もない小川麻琴の方へ。
「立て!小川麻琴!!何寝てんのよ!!ふざけないでよ!!!」
石川は小川を揺すりだした。
もちろん小川から返答など返って来るはずがない。
「なんなのよ!さっきの力なら…!私を怖がらせたくせに!!本当に…本当に…」
石川は泣いていた。
泣きながら小川の体を抱え込んでいた。
「起きて!!お願い!!起きてよぉ!!起きて私と殺しあって!!」
「あなたなら…ヨッスィーを愛するあなたとなら……できた」
「ウッ、ウッ、ウッ……ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ……」
動かなくなった小川を抱きながら、いつまでも石川は泣き続けた。
こうして二人の戦いは幕を閉じた。
『勝負ありぃ!!』
無常な決着宣言の放送は、島中に響き渡る。
『敗者!矢島舞美』
『勝者!後藤真希』
最速対決を秒殺で終わらせた黄金の娘は、木の上でこの放送を聞いていた。
根元には、光速の手刀一閃で意識を奪われた矢島が転がっている。
(黄金の速度……もう自分の意識化でほとんど制御できる)
(私は…誰にも負けない)
後藤はふっと前髪を風になびかせた。
『敗者!小川麻琴』
そのとき、また新たな放送がスピーカーから流れる。
告げられた勝者の名に後藤真希の鼓動は高ぶった。
『勝者!石川梨華』
ドクン!
(……イシカワリカ)
後藤はすぐに飛び上がった。
一足飛びに付近で一番高い大木のてっぺんにまで駆け上がったのだ。
見渡して、遥か山の向こうに小さくお城の影を見つけた。
(あそこにいる)
黄金の娘は物凄い速さで木の上から駆け出した。
『残り30名!』
死闘が終わると、吉澤ひとみの震えも止まった。
モニターの石川梨華を見つめたまま動かなくなった。
「吉澤、起こすぞ」
市井がゆっくりと吉澤を車椅子に戻す。
そして吉澤はまた元の植物状態に戻った。
だがほんの一瞬、確かに彼女は自らの意思で動いたのだ。
(今の闘いが続いていれば…あるいは)
市井の脳裏をかすめる希望と不安。
(お前がやる気か?真希)
止めることなどできやしない。これが運命か。
石川梨華と後藤真希。
もしこの二人が本当に激突したとすれば?
想像すらできない。
今の市井に願えることはひとつだけであった。
(死ぬな…)
「あっ!」
そのときモニターを観戦していた解説席から声があがった。
別の戦いを見ていた保田圭だ。
あの鋭い瞳が、全開にまで見開かれていた。
他の解説陣も思わずそのモニターに目を移す。
(!!!)
―――――――――亀井絵里が血を吐いて倒れていた。
「マコっちゃん、負けちゃったかぁ…」
高橋愛は小川麻琴敗北の放送を岩場の影で聞いていた。
(でも相手の名前が石川梨華って……まさかあの石川さん?)
愛も2年前、メロンにさらわれた石川の救出を吉澤小川と共に行った経験がある。
石川梨華と顔を合わせたのはそのときの一度きりだった。
(きれいな人やったて印象しかないわ)
(少なくとも……強そうには見えんかったけど…)
「っ!!!!!!」
(なに!!?)
とてつもない気を感じ、愛は飛び上がった。
バババッ!!
動物的スピードで岩と岩の隙間に身を隠す。
(なんやこれ!!!)
自分は見つかったか?わからない?だが思わず隠れてしまった。
ジャングルでの経験がなければ、気も察知できず襲われていただろう。
だがこれほどの気はジャングルでも感じたことはない。
(一体誰や?)
その強烈な気配は、さっきまで自分がいた場所辺りに来た。
今、愛が身を潜めている場所からは死角になって姿が見えない。
見ようと思って顔を出すと見つかる危険性が高い。
だが、気になる。見たい。
誰だ?
ひとつ分かることは、これまで愛が戦ってきた相手の中でも最強だろうということだ。
白い胴着に黒い帯が跳ねる。
矢口真里は川沿いの道を走っていた。
もちろん講道館の後輩、小川麻琴の敗北は聞いている。
(マコ…)
このバトル・サバイバルに参加している柔道家はたった二人だけ。
その内の一人が敗れてしまった。
だが矢口は悲観に暮れてなどいない。
(見ちゃいないけど、わかるぞマコ)
(最後の最後まで魂込めたあっちぃー勝負できたんだろ)
「あとはおいらに任せとけ」
ザッと砂利混じりの土を踏みしめる。
川の上流の向こうに、そびえ立つ城が見えた。
「全員ぶん投げてやるよ!!」
ここにも一人、つんく城を目指す熱き娘がいた。
第41話「小川麻琴vs石川梨華」終わり