灼熱のアスガン

このエントリーをはてなブックマークに追加
160書いた人

「矢口さん……もう、やめませんか?」

キーボードを土砂降りのときみたいな音を立てて叩いている手が、ピタリと止まる。
背後に立っている石川には、手を止めた矢口の表情はつかめない。
ただパソコンの青白い光に照らされて、その頬の辺りが霞んで見えるだけ。

「もう、あきらめましょうよ」
「それは無理だろ」

言葉を畳み込んで、ようやく戻ってきた返事。
つれない返事だけど、その返事が返ってくることは予想できていた。
むしろ、必然だったかもしれない。

「もちませんよ?」
「ようやくここまで来たんだぜ? あと少し…」
「でも!」
「石川ッ!!」

振り向いた矢口の目を見て、ドキッとする。
161書いた人:04/11/28 18:12:15 ID:tyZD/JBc

キュッと結んだ唇
やや朱に染まった頬
目尻に溜まった涙

強い言葉の割に泣き出しそうなその顔。
二律背反…そんな言葉が石川の脳裏に一瞬だけ浮かんだ。

「なんででしょうね。なんで、私たちはここまで来て迷うんでしょうね」
「それはお前も私も、紺野が好きだからだろ」

簡単な答え。
ただ完璧な答えだった。
反駁の余地などなくて、いや…反論する気持ちなんかそもそもない。
162書いた人:04/11/28 18:13:25 ID:tyZD/JBc

ふぅ、と唇を尖らせて、矢口が胸に溜まったものを息と一緒に吐き出す。
それを見て、石川は微笑んだ。
さっきの自分の提案が却下されたことへの反論はない。
採用されることなどないことは、言う前から分かっていたことだから。

「がんばろうぜ、あと少しだ」
「ですね」
「あと少し、そしたら…私たちは」
「ええ」

ディスプレイに目を落とした矢口に頷いたとき、もう笑顔に戻っていた。
その時は…この輪廻もなくなるだろう、そして永遠から抜け出したとき、
私たちをただひたすらの日常が待っているはずだ。
退屈だけど毎日が楽しかった、懐かしすぎる日常が。

ディスプレイを覗き込むと、矢口は起動していたシステムを頭に戻していた。
寝る前にまた見るのかな?

大きく書かれたタイトルが離れている石川からも見えた。
意味も無く、そのタイトルを呟く。

「Project Valentine…か」

紺野は今夜、どんな夢を見るのかな?
そんなことを石川は考えていた。
163書いた人:04/11/28 18:14:59 ID:tyZD/JBc

―――

何かに吸い込まれる感覚
小さい頃、布団に入ると時々感じた、あの落ちていく感覚に近いかも

暗い

でも…あれ?
なんかずっと上の方に白っぽいモノが見える
光とかじゃないよなぁ…なんていうのかな、放射状の光じゃなくて、
ぼわんとした暖かい光

「理論通りだなぁ」

…誰だよ

「あと…少しで転移が……」

…私の声か

なんだ、この夢
意味分かんないなぁ
164書いた人:04/11/28 18:16:14 ID:tyZD/JBc

こんな、殆ど暗闇みたいなところにいるのに、夢の中の私はとっても強い
最高の確信を胸に秘めているみたいで
手探りでしか進めないようなところなのに、私はまるで楽しむかのように

歩いているような、浮いているような
いや、実際に人生で浮いたことなんかないから知らないけどさ

「…待っててね。バレンタイン…これが成功したら」

だから…バレンタインって…ああ、犬だっけか
いつか…夢で見たっけ
光が大きくなる
暗闇を抜けて、そして周りが真っ白になっていって…自分の手すら光に包まれて見えない

その刹那、



「キャァアアアーーーーーーーーー!!!」


165書いた人:04/11/28 18:17:19 ID:tyZD/JBc

―――

バサッと布団を跳ね除ける。
遮光カーテンの隙間から光が漏れている。

朝…か
なんだ、あのサイアクな夢見は

いつもだったらぼんやりとしか覚えていないのに、今日は完璧に夢を覚えてる。
…なんなんだろう?
そしてもう一つ、いつもは「なに、この夢?」って鼻で笑い飛ばせるのに、

既視感?
あんなことが…ありえないけど、昔あったような。

汗で背中がびしょびしょになっている。
シャワーでも浴びよう、そう思ったとき、

「あさ美ちゃーん!! 『集合時間なのにあの女来ねー!!』って、
矢口さんが怒り狂ってるよぉーー!!」

ドアの外からまこっちゃんの声が聞こえた。
内容とは関係なく、相変わらずのほほんとした口調。

「すぐ行くって言って!!」

そう答えると私はシャワーを諦めて、クローゼットを押し開けた。