灼熱のアスガン

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13書いた人


私がソレに気付いたのは、読んでいた本からふっと目線を上げたときだった。

いつかの臨海道路の防波堤の上で、見つめ合う姿が見えたのだ。

車窓からはあの防波堤は見えない所にあるのに。
外は土砂降りのはずなのに、あの日みたいに蒼い空が後ろに広がっていて。


そして…

14書いた人:04/09/28 00:17:21 ID:Jw2e3caS



            「窓の向こうの夏の日」


15書いた人:04/09/28 00:18:16 ID:Jw2e3caS

本は好きですか?
私は好きです。

高校への行き帰りの電車に乗るといつも、私は通学カバンから文庫本を取り出す。
お気に入りの白いしおりは、私をサイアクな現実から引き離してくれる魔法の道具。

私のロッカーに刺のある手紙を入れる奴もいない。
絶えることのない、私を罵倒する噂話も聴こえてこない。
そこにあるのは、私が見たこともない色々な世界。


愛する人の醜貌を見ないために、自分の目を針で潰して。
サナトリウムの傍の雪山で、遭難したとき精神的支柱に目覚めて。
徐々に元の白痴に戻ることに慄然として、それを淡々と受け止めて。
キスの後で、女性を愛していくことができないことを確信して。
「迷羊(ストレイ・シープ)」を呟きながら、それでも、自分が「羊」であることに気付けずに。


私の大嫌いな奴らはそこにはいない。
16書いた人:04/09/28 00:19:18 ID:Jw2e3caS

去年の7月、私にもいっぱしに彼氏ができた。

同じクラスの、背が高めで涼しげな目をした人だった。
今風の細くて華奢な感じなシルエット、スポーツ万能で、頭も良くて、そしてどんなことにも精一杯で。
女子の人気は高かったと思う。
彼が廊下を歩くとき、何人かの女子の目が彼を追っていたことを私は知っている。

それなのに私ときたら、できることといえば勉強くらいで。
周りの「今風」の女子の中では、ホントに浮いていた。
そんな私をぶりっ子呼ばわりする子もいたっけ?
クラスの中で、私はホントに目立たない、暗い感じの女の子だったと思う。

そんな私とそんな彼の組み合わせ。
なるべく隠そうとしてたのに、けして大きくないこの街の中ではすぐに見つかって。
色んなやっかみの声は聞こえてきた。

でも…


楽しかった。

17書いた人:04/09/28 00:20:03 ID:Jw2e3caS

今までのモノクロの世界がフルカラーになって。
きっと、多分…いや絶対、私には彼というピースが絶対に必要だったんだ。
そう思わせてくれるくらい、彼と一緒にいる時間は楽しかった。
高校1年生の夏休みは、毎日が眩しすぎて。

背伸びしたビキニ
駆け抜けた砂浜
手を繋いだ臨海道路
波に消えたハートマーク

私はいつもはしゃいでいた。
彼はいつも笑っていた。

でもそんな日は、突然終わった。
18書いた人:04/09/28 00:21:10 ID:Jw2e3caS

忘れもしない、夏祭りの日。

私の苗字と同じ紺色の浴衣に桜色の帯。
待ち合わせの場所まで、自然と小走りになっていたと思う。
家を出た頃はまだ蒼かった空が、次第に茜色から紫に変わって行く。
多少のエロチシズムを私は弾む胸の中に感じていた。

なのに。


待ち合わせに彼は来なかった。
今まで一度も約束を破ったことのない彼が。
空が紫から灰色になって、黒くなっていくまで私は待った。

そう、幼馴染のまこっちゃんの声が聞こえるまでは。


「……あさ美ちゃんッ!! 早くッ…病院!! 車にはねられたって!!」
19書いた人:04/09/28 00:22:03 ID:Jw2e3caS

彼の白地の浴衣は、染め抜いたみたいにどす黒くなっていた。
顔は真っ青で、涼しげだった目は閉じられていて。

ICUに呼ばれた理由はなんとなく分かっていた。
つまり……生きている彼に会えるのが最後だから。
廊下からは彼のお母さんの泣き声がずっと聴こえていた。
車の前に飛び出した女の子をかばって、彼は死んだ。

涙は出なかった。
突然すぎて、何が起こったのか分からなかった。
触れてみた彼の右手は、私の頭を撫でてくれたあの温かさはなくなっていて。

定期的に聞こえてくる電子音。
酸素を彼の胸に送り込む静かな音。
でも、私の大好きな声は聞こえてこなかった。

「なにしょぼんとした顔してんだよ」

跳ね起きてそう言ってくれると思った。
そう信じて疑わなかった。
でも、言ってくれなかった。
20書いた人:04/09/28 00:22:55 ID:Jw2e3caS

夏休みが終わったあたりから、私の耳にはこんな言葉が入ってきた。

『彼を殺したのは、私だ』

誰かが…彼と私のことをやっかんでいた誰かが、呟いた一言だってことくらいは虚ろな頭でも分かった。
でもその一言は、ビリヤードをするみたいにどんどん広がって。
私と同じ喪失感を誰かが抱いていて、そしてその喪失感をこうやって埋めようとしている。

うらやましかった。
こんなことで、この切なさを、このやりきれなさを埋められるなんて。
21書いた人:04/09/28 00:23:36 ID:Jw2e3caS

『人殺し』

こんな手紙が机に入っていたこともあったっけ。

それでも私は2秒間目を閉じることで、それをやり過ごした。
別に誰かの喪失感を埋めるために、慈悲の心を持っていたわけではない。
ただ、どうでもよかっただけだ。

読書の量が増えたのは、その頃からだった。
休み時間、行き帰りの電車、ベッドの上。
いつでも私は本を読んだ。
本を読んでいる間は、いろいろなことを忘れることができるから。
でも本から目を離したとき、溜息が必ず唇から漏れることも分かっていた。

本から目を上げたとき、私にはただひたすら現実が待っている。

1年間…抜け殻のように私は生きてきた。
22書いた人:04/09/28 00:24:16 ID:Jw2e3caS

―――

私がソレに気付いたのは、電車の中で読んでいた文庫本から目を上げたときだった。
最初は自分がおかしくなったのかと思った。
それでも電車の窓の外に見える光景は、胸を刺すようにはっきりとしていて。

彼と…私が見えた。

いつかの防波堤。
見つめ合ったあの一瞬。
私の目に白いシャツの彼が映っていたように、彼の目にはワンピースの私が映っていた。

あの日のあの防波堤。

あの日のように、彼は横に並ぶ私だけを見ている。
私は微笑んで、彼をじっと見ていて。

あんな日が…あの夏はあったっけ…

一瞬のような、それでいて長かったような。
瞬きをした瞬間、また外は元の土砂降りで。
23書いた人:04/09/28 00:24:51 ID:Jw2e3caS

次の日から、私は窓の外のあの夏の日を探すことが日課になった。
最初のうちは、ちっとも見ることが出来なかった。
それでも、心のどこかに確信めいたものがあったのだ。

また、アレが見える。
また、彼に会える。

2週間ほどそれを続けたある日…もう9月も半ばになっていたけれど。
一種のコツのようなものを掴むことができたのだ。
電車に乗ったら、この1年間ずっとやってたみたいに本を読む。
そして…3つ目の駅を過ぎた頃…何かの気配みたいなものを感じたそのとき、顔を上げるのだ。

そこには確かに、私たちの夏が見える。
24書いた人:04/09/28 00:25:28 ID:Jw2e3caS

向かい合って、笑いながらカキ氷を食べる私たち。
砂浜でふざけながら、それでも一生懸命やった野球。
2人だけでやった花火大会。

記憶の中以上に、私はとっても幸せそうで。
彼は…やっぱり1年前の彼で。

そして気付いた。
私が見ているこの景色は…順番に並んでいることに。

この夏が終わる日が来ることを、私は知っている。
それでも…私はやめられなかった。

休日だろうが、私は電車に乗った。
1日に何度も何度も電車に乗った日だってあった。
そして次第に終わりへと近付く幸せな日々を、ただひたすらに見ていた。
依存と言っても良かった…麻薬みたいに。
25書いた人:04/09/28 00:26:03 ID:Jw2e3caS

覚悟をしていたといえば、ウソになる。

このまま窓の外を見つづければ、いつかはあのシーンになる。
それを覚悟していたわけではない。
ただ、私は彼に会う誘惑に勝てなかった。
いずれ終焉を迎えることを理解しつつも、目を離すことができなかっただけだ。
それは覚悟とは違う。

そして…10月の始め、その日が窓の外に来た。

その日だけ彼は出てこなかった。
紫色の空の下、じっと彼を待つ浴衣姿の私。

あの日…あの日。
26書いた人:04/09/28 00:26:40 ID:Jw2e3caS

ひとりの私って、こんなに悲しそうだったんだ。
いつも横に立っていてくれるのが当たり前みたいになってた。
じっと…時々きょろきょろしながら彼を待つ。
彼が来ることはないのに…私は叫びたかった。

『もう待たないで…彼は来ないの…だから…』

だからって、どうすればいいのか分からない。
何時の間にか、4つ目の駅に着いていた。

「お嬢ちゃん、大丈夫?」

近くに座っていた上品そうなおばあちゃんが、ハンカチを渡してくれる。
初めて泣いていることに気付いた。
笑いながらごまかして、降りる駅でもないのに私は車両を飛び出した。
27書いた人:04/09/28 00:27:12 ID:Jw2e3caS



         明日から…私は何を支えに生きていけばいいんだろう?



28書いた人:04/09/28 00:29:02 ID:Jw2e3caS

次の日、私は学校を休んだ。

別に風邪とかじゃなかったけど、行きたくなかった。
正確に言えば、電車に乗りたくなかった。
お母さんは分かっていたみたいだけど、静かに頷いて許してくれた。

金魚鉢の金魚を眺めても、パンダの縫いぐるみと向き合っても。
ちっとも気が晴れない。

電車にはもう乗りたくなかった。
そして…自分の浅はかさを呪った。
「なくしてしまうときのあの感じ」を嫌ってほど味わったのに。
なのに、彼に続いて、私は窓の外の夏の日まで、無くしてしまったから。

言いようのないやりきれなさで、ひたすらベッドの上で寝返りをうった…
29書いた人:04/09/28 00:30:24 ID:Jw2e3caS




そのとき

窓の外に、あの海が見えた。



30書いた人:04/09/28 00:31:12 ID:Jw2e3caS

いつも彼と歩いた臨海道路の防波堤。
彼だけが佇んでいた。
両手に花束を抱えているけど、浴衣姿なのがおかしい。
風が少しだけ吹いて、その白い浴衣を揺らす。
…あの日の、浴衣?

でもなんとなく違う。
あの日の空は、まるで眩暈がするみたいに青く澄んでいたはずだ。
それなのに窓の外の空は雲がかかっていて、ちょっと寒々しくて。


と、防波堤の端から懸命に駆けてくる私。

あれ?
私の着てる服って…今年買ったやつじゃ…





あの服、今私が着てる服!!

跳ね起きて窓に両手を突く。
いつもの景色が広がっていた。

私は、部屋を飛び出した。
31書いた人:04/09/28 00:31:51 ID:Jw2e3caS

全力で走った。
海岸までの下り坂。
場所は…あの臨海道路だ。

酸素が足りなかった。
それでも、私は走りつづけた。
ただ一つ言えること。

あの日私が待ったみたいに、彼を待たせたくはない。
32書いた人:04/09/28 00:32:43 ID:Jw2e3caS

―――

海岸線につくと、防波堤の向こうに佇む人影が見えた。
少しずつ…大きくなるにつれて分かる。

涙が止め処なく出てきた。
それでも、彼の姿をもう逃すまいと、何度も涙を拭った。

私に向かって、手を掲げる姿。
もう逃がさない。
抱きつきたいのをグッと我慢して、膝に両手をついて息を整える。
勿論…視線は上げて、彼の顔から離さない。
33書いた人:04/09/28 00:34:08 ID:Jw2e3caS

唾を飲み込んで、もう一度大きく息を吐く。
にっこりと微笑んで、彼は私の肩に触れた…ような気がした。
私の肩に触れたはずなのに、その手は空気みたいにふわふわしてて。

一言も発せずに、彼は私をずっと見ていた。
ちょっと目を見広げて、そしていつも私を見ていたみたいににっこりと笑う。

「あさ美…」
「…」
「ごめんな」

彼が何を謝っているのかなんて、どうでもよかった。
もう、どこにもいかないで。
たったこれだけの言葉を言いたくて、言いたくて、たまらなくて。
でも…それは無理だってことくらい分かってる。
34書いた人:04/09/28 00:35:08 ID:Jw2e3caS

「ちゃんと、お別れ言いたくて」
「…うん」
「最高の夏を、ありがとう」

そう言って、花束を私に差し出す。

行かないで。
喉の奥にその言葉を押し込めて、私は大きく頷きながら花束を受け取った。
『私の方こそ、ありがとう』そんなかっこいい言葉は当然出てこないんだ。

「さようなら、あさ美に会えて…ホントに良かった」
「うん」

頷きながら自然と足が前に出た。
抱きついたその身体は、やっぱり普通の身体じゃなくて。
ふわふわとした、空気の塊。

「忘れてほしくは無いけどさ…でも、歩き出せよ…無理しない程度でいいから」
「…うん」

涙でぐしゅぐしゅの私の声。
感触はないけど分かる、彼が私の頭をやさしく撫でていてくれるのが。
それでも「諾」の声が出たのに安心したのか、最後ににっこりと微笑む。
そして…まるで波にさらわれたハートマークみたいに、すぅっと彼は消えた。

思わず防波堤にへたり込んだ。
花束から、微かにバラの匂いがした。
35書いた人:04/09/28 00:35:59 ID:Jw2e3caS

―――

「あさ美ちゃん!! あんた…学校サボって何やってんの!?」
「あぁ…まこっちゃんかぁ…」

何時の間にか下校時間になっていたんだろう、私を見上げる幼馴染の顔があった。
相変わらず能天気そうなその顔にも、眉間の辺りにすこしの憂いが含まれていて。

「うん…ちょっと…」
「まぁ…いいけどさぁ。なんでバラの花束抱えてんのよ」

言ったとして、彼女なら信じてくれそうな気がした。
それでも…言う気は無かった。

「取り敢えず、びっくりさせたのと、学校サボった罰ね…あの甘味処で私に奢りなさい!!」
「…うん…いいよ」
36書いた人:04/09/28 00:36:34 ID:Jw2e3caS

無理しないでいいから…歩き出せ…か。
まだ脳の芯がボーっとしている。
まこっちゃんはひたすら私の横で喋りつづける。
そのマシンガンのような言葉が、さっきの私たちを幻に変えていくみたい。

それでも私には感じられるんだ。
目を閉じれば、ほら。
あの夏の日の匂いも、あの蒼い空も、みんなみんな。
幻なんかじゃない。
さよならを告げに来た、彼も。
この手の中の花束も。

みんなみんな、ホントのことで。

そう…そして、この現実も、けして幻ではない。
だからこそ、歩き出せ…か。
37書いた人:04/09/28 00:37:29 ID:Jw2e3caS

「ここねぇ、とっても美味しいんだよ」

磨きぬいたガラスがついたドアに手をかけて、まこっちゃんはニヤッと笑いかける。
私はといえば、まだちょっと夢うつつで。



と、ドアのガラスに映る世界。



防波堤の上、彼が小さく手を振っていた。
さっきの浴衣姿のまま、やさしく目を細めて。
38書いた人:04/09/28 00:39:34 ID:Jw2e3caS

「どうしたの?」
「…ううん、なんでもない」

私は振り返らなかった。
それが彼との約束だから。

「まこっちゃん! あんみつでも何でも、おごってあげる!」
「そうこなくっちゃ!」

ドアを押し開けたとき、ガラスの中で彼が満足げにうなずくのが見えた。
大丈夫…って胸を張って言うにはまだちょっと時間がかかるけど。
でもさ…大丈夫だから。

私はまこっちゃんの手首をぎゅっと握って、笑顔でお店に踏み込んだ。

これが、私があの夏の日を見た最後の日。
そして私が彼を見た最後の日だった。
39書いた人:04/09/28 00:40:47 ID:Jw2e3caS



   さようなら、私も言いたい。


         最高の夏を…ありがとう。


40書いた人:04/09/28 00:42:08 ID:Jw2e3caS


      「窓の向こうの夏の日」


              おわり