「むぅ…」
某世紀末覇者のような呟きを漏らしたところで、その声は部屋の壁に吸い込まれる。
折角のオフだというのに、小川は部屋で一人、パソコンを弄っていた。
先日の正月に両親がやってきて置いて行ってくれた箱。
彼女のキャパでは諸々のセットアップができないことなどお見通しだったらしく、
正月の夜遅く、父親がなにかごちゃごちゃとやっていたのを小川は炬燵から見ていた。
「なんだぁ、全然更新されないじゃん」
さて、ディスプレイに独り言を吐くと言うちょっと危ないその行動の理由は言うまでもない、
彼女が意見だしをしているダメダメ小説家の更新状況を見てみたからだ。
スレッドでは読者の一人から「ドイツ軍を出して欲しい」とリクエストされて、
モチロン(紺野)が平身低頭断っているところで終わっていた。
そのあと、更新の「こ」の字もされていない。
その一連の流れを確認すると、すぐに彼女はブラウザを閉じてしまう。
そのまま掲示板のトップに行くことは精神衛生上賢明な行動とは言いがたい。
この掲示板が自分にとってけして気持ちいいものではないことは、既に彼女も知っているのだ。
この間など、「地獄に落ちろ! ブス小川めが!!!!」などという過去スレを発見し、
あまりのタイトルにうなだれてしまったのだから。
どんなスレッドが目に入ってしまうか、そんなことくらい彼女の鈍感な妖怪アンテナでも感知できるのだ。
一応言っておくが、髪の毛は立ちはしない。
「あさ美ちゃんも、結構考えてるんだよねぇ…」
パソコンの電源を落としたところで、伸びをしながら天井を見つめる。
正直、紺野があんなに色々考えているとは思っていなかった。
初めて会ったとき以来、賢いとは思っていたが、
その賢さは賢明さとは違う、ただの頭のよさだと思っていたから。
紺野は音痴だと思う。ジャイアンも真っ青だ。
新春のコンサートでの桃色片想いを聴いたときも、爆笑したものだ。
昔ドラえもんに、ジャイアンの歌声で害虫駆除をする話があったが、
ホント、紺野にもできそうな気がする。
例えば…渋谷の人だかりの中に、突然この歌声を大音量で流すとか。
鬼武者を放つよりも効果がありそうだが、別の人種を召還してしまいそうだ。
「もう! なんで爆笑するのさ! そりゃあ…確かに……上手くないけど…」
「一生懸命歌ったもんね、大丈夫だよ…ププッ」
「ムカツクッ!!」
あの時は、確かこんな感じでいつも通りに終わった。
「一生懸命やっているからそれでいい」
どこかそんな考えが支配していたと思う。
それではいけない、彼女本人がそう考えているとは…よもや思っていなかった。
永遠ていう言葉なんて知らなかったよね
などという歌を聴くまでもなく、小川はそんなものは信じていない。
信じていいのは、作曲したガリガリのミュージシャンと、スーパーモンキーズくらいだ。
永遠にモーニング娘。が存在しつづける?
永遠に自分が、紺野が、高橋が、新垣がモーニング娘。にいつづける?
否、永遠に……この仕事をしている?
ありえない。
小川は脳内で「永遠にこの仕事をしているであろうか、いや、ない」と、覚えたての反語を使っていた。
分かってはいた。
分かってはいたが、だからなにをしようとか考えたことはない。
そんなことを考えるには…今は楽しすぎる。
「小説ねぇ…」
もう一度電源を入れると、まだデータが少ないために、すぐに起動が終了した。
メモ帳を立ち上げると、小川はそれこそ「徒然なるままに」文章を綴ってみるのだった。
『私は、味噌ラーメンが好きだ。
店員がお盆に味噌ラーメンを載せた瞬間、味噌、ラーメン、チャーシューそして煮卵の分子は一体となって、
私の鼻腔にまで一気になだれ込んで、脳の奥の方をこちょこちょとくすぐる。
割り箸を割る乾いた音が、スタートの合図。
蓮華でゆっくりと麺を押し下げていくと、待ちきれなかったみたいに、スープが蓮華に流れ込む。
唇に走る痛覚。
それはすぐに舌が満たされることへの前奏。
甘くてしょっぱい、辛くて熱い、全てが一緒になる。
喉の奥の方に行っても彼らは自己主張をやめやしない…』
「おいおいおいおい、意外といけんじゃね?」
恐ろしくスローモーなタイプスピードでキーを叩きながら、怪しい笑みを浮かべる小川。
この微笑の怪しさならば懲役3年は堅いだろう。
その日の夜、紺野の携帯にメール着信を告げるメロディーが流れる。
「ん? 誰だろ?」
なお、この小説に出てくる人間があまりに独り言が多いことは、
できるならば目を瞑っておいて頂きたい。
それはさておき、お風呂上りの髪をわしゃわしゃとバスタオルで拭きながら、
紺野は携帯を開いて……そして『ブフッ』と噴き出した。
『あさ美ちゃ〜ん。あんまりグズグズして更新しないと、
あそこにこの小川さんが小説始めちゃうよぉ〜?』
どうして自分の周囲はこう、脳味噌がいっちゃってる人ばかりなのだろうか…
そう考えている紺野も、自分のそれも結構いっちゃってることには、まだ気付いてはいない。
ともかく紺野は髪を乾かしたら冷蔵庫からジュースを取り出して、
そして少しでも書き始めよう、そう心に決めたのだった。
ただ…その決意に基づいて書いた小説のお陰で、紺野は藤本から飛び蹴りを頂戴するのだが。