1 :
ねぇ、名乗って:
おい、藻前ら!いくらまで打線だよ!
2 :
ねぇ、名乗って:04/09/01 18:39 ID:b55nmCDb
紺野→8732億
あとは8円
3億が全財産だから一人当たり2千5百万は
出せねーよ
4 :
1:04/09/01 19:16 ID:ml1c/6y0
これじゃ〜上限がなくなってしまうので、一人10億ってところで何とか。
5 :
1:04/09/01 19:22 ID:ml1c/6y0
飯田
矢口
石川
吉澤
高橋
紺野
小川
新垣
藤本
亀井
道重
田中
6 :
1:04/09/01 19:23 ID:ml1c/6y0
「10億で配分」
飯田
矢口
石川
吉澤
高橋
紺野
小川
新垣
藤本
亀井
道重
田中
自分がほんとに出せる範囲内で書けよ。
とりあえず、新垣に出す金は一銭もない。
ていうか、壱千万くらいつけて引き取ってくれと言われても無理なのが唯一新垣。
他メンはそれぞれの好みによるだろう。
9 :
ねぇ、名乗って:04/09/02 11:17 ID:XBKLxcpy
10 :
名無し募集中。。。:04/09/02 13:40 ID:T8dmJBrB
ミキティとHできるならリアルに考えて300万ぐらいまで棚。
そして週刊誌に情報を売って元とる。
実際10億あったら狂ってしまってハロプロなんてどうでもよくなる…
11 :
名無しさん:04/09/04 01:33 ID:vTFgZqvv
飯田 24k
矢口 145k
石川 471.4k
吉澤 44.1k
高橋 1100k
紺野 33k
小川 15k
新垣 21k
藤本 2200k
亀井 500k
道重 320k
田中 170k
こんなとこかな
TEST
てs
14 :
ねぇ、名乗って:04/10/09 15:11:47 ID:Bx297Y/t
↑ とりあえず死ね
15 :
名無し募集中。。。:04/10/09 15:19:24 ID:RmMyaudu
6期とかに比重置いてる奴はちゃんちゃらおかしい。
CMで前列にこれない雑魚メンは芸能人のステータスは限りなく低いよ。
百万
u
ここいただいてもいいでしょうか?
加護は開け放たれた障子の先の、暗い庭の上にできた小さな水溜りを眺めていた。
雨がぽつり、ぽつりと表面に波紋を落としていく。
頭の上では時折、光が瞬いているから、
これからまた本格的に雨は降りはじめるのだろう。
吉澤、新垣、紺野、田中は既に隊を率いてそれぞれの持ち場に散っている。
しばらくしてそろそろ自分の隊も出ようかというときに、亀井が帰営した。
本来なら新垣のさくら組五番隊で伍長を務める亀井だが、
所司代組屋敷襲撃事件以来の人手不足により、
今は道重と同じように仮の組長として小隊を指揮している。
「抜け荷?」
石川の高い声がさらに一段上がる。
亀井の帰着を受け、屯所に残った安倍と石川も広間に集まっていた。
「はい」と亀井。
抜け荷とは、本来なら完全に幕府の管理下にあるべき貿易において、
監視の目を盗み、高価な物品や禁制の品を密かに持ち込む事である。
「場所は?」
「高瀬川沿いの、七条の川番所です」
「すぐそこじゃない」
「はい。辻さんの隊と手分けをして、
武器運搬の経路を探って川沿いに下っていたのですけれど、
途中の川番所詰の様子がおかしかったので叩いて吐かせてみたら、
どうもそこでは、やりすごすようにあらかじめ言われた舟が幾つかあったらしくて」
「言ってきた人間は?」
「そこまではまだ聞き出せていません」
亀井が残念そうに口をへの字に曲げる。
「いつ頃なのそれは」
「それが、かなり前から行われていたらしくて、
最低でもここ一年くらいは日常的にあったようです。
一番最近では一昨日の夕刻過ぎ。日はまちまちですが、
通るのはいつもそのくらいの時刻だそうで、番所は相当な金を握らされていたみたいです」
「一昨日か」
「それは武器じゃないの?」
加護が口を挟むと、亀井は加護のほうに膝を向けて続ける。
「そうなんです。番士が言うには、
普段からその舟の荷の中身を検めることは無かったそうなんですけど、
舟の大きさや水への沈み具合から言って、銃とか大砲とか、
そんな重いものじゃなくて、もっと小さな、個人的なものを運んでいたんじゃないかと」
「武器運搬の件とは全くの別口ってこと?」
「めざまし屋にもそれで探りを入れてみましたが、
その舟とのつながりは今のところ無いみたいです」
安倍は腕を組み、目を閉じている。
「どうしますか? 安倍さん」
石川が安倍を見る。
「今追っている件とは関係ないかもしれませんが、抜け荷となると見過ごすわけにも……。
所司代組か見廻組のほうに回しますか?」
「いや……。辻はどうしてる?」
「辻さんはその番所で探索を続けています。
日が暮れたから一度連絡を取り合ったほうがいいということで、
私の隊だけ、その番士を連れて戻りました」
「わかった。亀井はこのまま屯所で待機して。ご苦労様。
隊の者たちも疲れているだろうから。少し休ませたほうがいいよ」
「はい」
そのまま安倍は加護のほうに顔を向ける。
「加護、予定変更。さくら組一番隊でそのまま辻と合流して、抜け荷の行方を当たって」
「はい……?」
不意を付かれて加護は口を開けたまま安倍を見る。
「たぶん、番所に来るという者もただの使いだろう。探索するなら人が必要になる」
「いいんですか安倍さん。そっちに人手を割いて」と石川。
「ちょっとね。武器が関係ないにしてもこの時期に抜け荷っていうのはいかにも臭い。
まあ珍しい事でもないけど、ちょっと気になる」
「確かに、この時期の京都に抜け荷っていうのはちょっとおかしいですけどね」
世情に振り回され、物価の変動が激しい現在の京都である。
政事の中心にはなっていても、商いの中心であるとは言い難い。
抜け荷とは言え、扱うものが物品である以上、
客足が安定していなければ商売としての旨みは少ないものである。
まして今の京都は、金目のものに目ざとく食いつく不逞浪士もいれば、
それを取り締まる官吏の目も多い。
それこそむしろ人が多い分、真っ当に商売をしているほうがよほど実入りは良い。
抜け荷を行うだけの利点が、今の京都には少ないのである。
そんな中、もし抜け荷で扱うような品が流通できるとすれば、それはつまり、
武器類のように、この乱れた都でこそ需要のある物か、
あるいは客の安定した場を提供できるだけの力が背後に働いているということである。
「読瓜か、藤州ですか」
石川が言った。
「うん。それに、抜け荷と言えばやはり長崎からの経路が多い。
最近では勅許を受け兵庫で開港の準備も進んでいる」
「とすれば、周辺に岡村、の姿が見え隠れするのも偶然ではないと」
「……うん」
安倍は大きく息を吸い、吐いた。
「というわけだ、加護。すまないが、
これから川番所に向かって辻とそちらの探索を続けてくれ」
「……でも、そうすると岡村の探索が手薄になるんじゃ?」
加護は顔を上げた。
すると汲むように石川が続ける。
「私も出ます」
「いいだろう」
安倍が答える。
そして加護はまた口を閉じる。
この流れでは、仕方ないと分かっていた。
「加護、抜け荷のほうは頼む」
「はい……」
庭の水溜りに落ちる波紋が徐々に増えていく。
加護はそれを横目に見ながら、
周りにそうと悟られぬよう、陰鬱な面持ちで返事をした。
雨の中、紺野はさくら組四番隊を率い南の伏見へと少しずつ進んでいた。
あらかじめ目星をつけた店屋を片端から探索していく算段である。
町を騒がすことなく、
壬生娘。組以外の他組にも本当の目的を悟られぬよう、日常の見廻りを装い、
あえて潜んで行動するような事はしない。
もちろん全ての店屋を隈なく探索する程の余裕はない。
こんな時にこそ監察が地道に積み上げてきた情報が日の目を見る。
幕側に協力的か、非協力的か。他藩との繋がりがあるかどうか。
さらには地理的条件、出入りする人間の種類などあらかじめ得ている情報から、
集中的に疑うべき店を絞っていく。
疑うべきはそれと、逆に“全く何の噂もない店”である。
とは言え、何にせよ途方もない作業ではある。
協力的な店屋に手配書を回し、少しずつ聞き取っていく。
「ではご主人。何か見かけたらすぐ壬生娘。組のほうに、直接お知らせください」
「へえ、雨の中ご苦労様です。……今後ともご贔屓に」
愛想笑いを顔に貼り付けた主人が、丁寧に軒先まで足を運んで見送る。
隊の中でも細かく手分けをして数をこなしていく。
事前に非協力的かつ疑わしいと思われる店には、すぐに乗り込むようなことはしない。
特に今回の岡村捜索においては、
本人の所在を発見の後、拘束する前に局長の指示を仰ぐという事もあり、
段階を踏んで慎重に囲い込んでいく算段となっていた。
恐らく田中の隊も今、別の場所で同様の作業をしている筈である。
(さくら組四番隊がお台場で不逞を働いていた?)
田中に突きつけられた言葉が紺野の頭から離れない。
方々に散る隊士たちの背中を眺める。
確かに他の隊に比べ、紺野の隊は隊士が自由に行動する空気が強い。
例えば厳格な規律を好む飯田などが指揮を執る下とは明らかに雰囲気が違う。
紺野の穏やかな性格に由来するところもあった。
しかしそれだけではない。ただ無意味な暴力や規律で隊士を縛ろうとする、
古い壬生娘。組の気風への軽い抵抗感が紺野にはあって、
隊の風通しが良い事と、隊務を逸脱することとは無関係だという思いもある。
与えられた任務はいつも果たし、果たさせ、規律も守らせているつもりだ。
むしろ隊列を組んで帰営するような、町人を無闇に威圧するような行為がないことが、
今のように、協力的な店屋から聞き取りをしやすくしているのだとも思っている。
だがもしあの時、現地で隊を解散させず、
隊列を組み町を威圧するように帰っていれば、あの惨事は未然に防げた事なのか。
それだけでなく、本来の任務であった丑三を捕える事すら出来たのか。
(……いや。正しく任務はこなした。間違った事はしていない)
しかし。
(そんな人たちに私の部下の命を預ける事は出来ない)
田中に突きつけられた言葉が紺野の頭の中で繰り返される。
(あんたがたはここで、お仲間とじゃれあっていた)
違う。それは田中自身が言っていた通り、感情的な逆恨みに過ぎない。
おとめ組の屯所にいたのは任務を果たした後でのことだ。
だが。
自分の感情はあの時、隊務を離れ、いや、むしろ、望んで離れるようにして、
あの場に居続けようとしていたのではないか。
道重が必死で丑三を追っていたあの時。
壬生娘。組が、小役人化していると言われることがあった。
隊士がみな小利口に、甘くなってきているという。
しかしそれも当然のことではあった。
これからの時代に向けて、壬生娘。組には無闇に厳しくなる必要が無かった。
紺野のいない時代。
天誅の嵐が吹き荒れ、不逞が溢れる中では、壬生娘。は何も考える必要は無かった。
何も考えず暴力に対する暴力として、ただ持ちうる剣力を振るうだけで良かった。
乱れた時代には壬生娘。組という暴力装置はただそこに存在し、
本能そのまま疾走するだけでよかった。
しかし今は違う。舞台は既に政事の場へと移っている。
町中での無法は落ち着きを見せはじめ、また、
幕臣として、正式な機関としての体裁を整えつつある壬生娘。組は、
もはやただ本能のまま疾走すればいいという存在ではなかった。
対外的な存在意義が実質的に薄れ、
またそれと逆行するように組織としての体裁は強固になってくれば、
必要とされるのは自ずと対外的な能力よりも、
組織内部を維持するための能力に移り変わっていく。
古参は過去をひきずり、口先では古き良き時代の熱を求めるが、
現実には既に組織の枢軸と化した自分にとって便利で、使いやすい人物を好む。
しかし枢軸たる彼ら自身は、本質的にそのことに気づかない。
口では現実とかけ離れた理想を求められ、
しかし実際には現実的な内向的能力を求められる新参は、
やがて己の限界に気づき、枢軸に媚びるほうが楽である事に気づく。
組織化が進むと共に内部的な仕事は増える。
望んだ仕事を求める前に、まず仕事の量に圧倒される。
やがて降りかかる膨大な仕事をこなす日々に慣らされ、
自ら進んで仕事を求めるという事がなくなる。
紺野はそれで良いと思っていた。
過去に戻る必要はない。無意味に組織内が殺伐とする事は無いのだ。
誰もが、自分の居場所の心地良いほうがいいに決まっている。
実質的に変わるものが無いのなら、古き悪しき慣習は捨て、
これからの時代にあったものをそれぞれが選択していくほうが正しい。
例えば、壬生娘。組という組織と、同期の仲間どちらが大事かと問われれば、
紺野は躊躇しながら同期の仲間と答えるだろう。
壬生娘。も変わったものだと皮肉を言う者がいる。
紺野は気まずそうに顔をうつむかせながら、それを受け流す。
「大丈夫ですか? 組長」
突然の声にはっと顔を上げる。雨の音が紺野の耳に戻る。
見ると最近入ったばかりの若い隊士である。心配そうに紺野の顔を覗き込んでいる。
また同じことを言われたと思った。
「何? 大丈夫だよ?」
紺野は若い隊士に笑ってみせる。
そうだ。しっかりしなければと思う。
自分が組頭である事で、皆にとって良い居場所であればと思う。
たとえ、その居場所がもう、長くないとしても。
「あちらに、組長に用事があるという方が」
若い隊士が言った。
隊士の手が示す先に、傘を差した武士が立っていた。
「あなたは、所司代の?」
紺野が言うと、武士はすっと顔を上げた。
近くの灯りで、おぼろげだった顔の輪郭があらわになる。
「組屋敷でお会いして以来ですね」
監鳥居組の里田舞だった。
里田は紺野に向かい、にっこりと笑った。
「お久し振りです」
「あっ、お久し振りです。あの……」
「ちょっと用事で鳥羽のほうに行っていまして、今帰るところです」
「ああ、そうなんですか」
紺野はふっと息を吐く。
「ところで藤本さんは?」
「なんですか?」
「藤本さんは、そちらの屯所に戻っています?」
「いえ……まだ、戻っていませんでしたけど」
「あ、そうなんですか」
里田は意外そうな表情を見せた。
紺野はそれに、そこはかとない違和感を覚える。
所司代組屋敷で顔を合わせた里田は、こんな人間だっただろうかと思う。
どちらかと言えば、木村に従い、道具のように職務をこなす人間という印象があった。
しかし今、目の前にいる表情豊かな里田は、もっと人間味の強い女に見える。
「じゃあやっぱりあれ、藤本さんだったのかな?」
口に人差し指を当てて上を見る。
「どういうことですか?」
「藤本さんは今、何か特別な任務についているってことあります?」
紺野は心の中で警戒する。
今はほぼ壬生娘。組の傘下にあると言っていい所司代組だが、
安倍は所司代にも見廻組にも知られぬように岡村を探せと言った。
それはまだ、所司代を壬生娘。組の身内ほどには信頼していないという事である。
藤本が現在、岡村探索に絡む任務についているのだとすれば、
迂闊にそれに関わる情報を里田に漏らしてしまうわけにもいかない。
監察方である藤本が、特別な任務についていること自体は不思議ではない。
現に今朝も、紺野の全く知らぬ任務について行動しているようだった。
「何か……?」
「いや、そっちのほうでなんだけど」
里田は自分がやって来た方向――鳥羽の方向を親指で指した。
「おたくの藤本さんが、あの岡村隆史と一緒にいるように見えたんで。
……見間違いだったかな?」
「えっ!?」
紺野は思わず声を上げた。
「岡村隆史と?」
「いや確かか分からないよ。私も仕事の途中だったし、暗がりだったもので。
たまたま岡村隆史を見つけてびっくりしたんだけど、私も一人だったから、
下手に捕まえようとして逃げられるより、悟られないようにして見張っていたんだけど、
そうしたらおたくの藤本さんによく似た人が近くにいたものだから、
もしかして壬生娘。組の任務で何か特別な行動しているのかと思って、
こうして急いで戻ってきたんですよ」
「どこですか?」
いくら監察でも、それはさすがにおかしい、と紺野は思った。
「鳥羽の唐橋のあたりの旅籠だったけど。
ここで会えてちょうど良かった。壬生娘。組の幹部に知らせてもらえないかな」
その言葉に素早く反応した紺野は、部下の隊士を一人呼び、
屯所に走らせた。
かざす灯りを包み込む、木製のがんどうが雨に打たれ音を立てる。
「丑三って……。人斬り……丑三?」
出川の声が震えている。
「い……生きてたのか」
「そや」
岡村が一歩、二歩と、ぬかるみを前に進む。
「待て」
「大丈夫や。こいつは、仲間や」
穏やかに言って岡村が前に出る。
「元気やったか、丑三。どや?」
――人斬り丑三。
その通り名が藤本の脳裏を巡る。
天誅という名の暗殺が最も盛んであった文久の時代。
滅茶勤王党党首、武田真治に仇する者をことごとく斬り、
仲間にさえ人斬りと、忌み畏れられた男。
そして所司代組屋敷襲撃事件における、よゐこ殺しの実行犯。
壬生娘。組が今まさに追っている人物である。
「そ、そんな……だって、死んだはずじゃ」
そう。死んだと思われていた。
阿佐藩前藩主、田森一義の藩政復帰に伴い、
参政下平さやか暗殺の疑いをかけられた武田真治は藩に召還され、
藩の強烈な弾圧を受けた党は解体された。
丑三は一時こそ追っ手から逃れ、京で無宿人に身を落とし生き長らえていたが、
やがて幕吏に捕まり、その後阿佐藩に引き渡され斬首に処されたと言われていた。
二年以上も前のことである。
「そうや。俺が逃がした」
「ええ!?」
大声をあげた出川が、慌てて自らの口をふさいだ。
出川が驚くのも無理はない。
藩にとっての大罪人を逃がしたともなれば、
岡村自身も自藩に対して大罪を犯したと同じである。
もっとも、今でこそ読瓜と藤州の庇護を背景に脱藩の罪を赦された岡村だが、
その頃はまだ阿佐藩にとって脱藩者という罪人の立場であったのだから、
どの程度の罪の意識があったのか藤本には知る由もないが。
「大丈夫や。連中、丑三がいなくなったと知ったら途端に慌てて、
別の偽もんを立てよった。全くの別人をこいつが丑三や言うてな。
あいつらは面目さえ立てばどうでもええんや」
自らの郷里を憎むかのように岡村の顔が歪む。
しかし、咎められなかったから良いという話ではない。
あの丑三である。一度捕えた獣を再び野に放つようなものだろう。
まして今は主がいない。
どんなつもりがあって逃がしたのか。
(仲間?)
宿屋での岡村の言葉を思い出す。
(こちとら武器商人やからな。人斬りも扱うで)
藤本を誘う口で冗談ぽく言い、笑みを浮かべていた。
人斬り丑三。
藤本も見ている。所司代組屋敷に残されたおびただしい数の家畜の死体。
狂ったように何度も斬りつけられたよゐこの二人と、阿佐藩士たちの死体。
それは丑三の仕業に間違いないと、現場を検分した幹部たちは、
実際に剣を交わした紺野、生き残った滅茶勤王党の加藤らの聞き取りから断定している。
あの時点でよゐこの濱口はまだ僅かに息を残していた。
他に殺された阿佐藩士たちを町中で捕えたのは、吉澤と自分である。
彼らを捕えた時、彼らが追っていたものは――
「こいつ、ほんまはええ奴なんや」
岡村は丑三に近づき、満足そうに微笑んだ。
「詳しい場所を教えてください」
「行くんですか?」
「はい」
「わかった。案内しましょう」
里田が答えた。
里田の横顔にふと、所司代組屋敷での監鳥居組とのやり取りを思い出す。
しこりが残っていた。
あの時、悪意に満ちた憶測への嫌悪に近い感情があった。
自分に都合のいいものだけを拾っていけば、どんなことも証明できてしまう。
そんなものは道理とは言えない。
きっと彼女らは、感情による結論が正反対のところにあれば、
正反対の論理を組み立てて正反対の結論を言う。
事実よりも都合のいい想像を信じる人間を、紺野は認めることが出来ない。
紺野は知っていた。自分は特殊な人間である。
自分は道理で動く。他人よりも先に道理を理解し、それに従う。
だが普通の人間はそうではない。人は道理によっては動かない。
人は紺野が驚くほど愚かだった。
いくら紺野が事前に正しいことを説こうとも、事実が明るみに出てからか、
或いは己の感情に道理が馴染む場合でしか、人は道理に従おうとしない。
それに真っ向から抗うほど、紺野は強い人間ではなかった。
だから紺野は何も言わなくなった。
ただそれは逆に、事実さえ示せば正しさを認められるということでもある。
道理だけでは認めてくれない人間たちも、結果を見せれば突然手のひらを返す。
紺野があらかじめ説いていたことであるにも関わらずである。
だから紺野は、決められた隊務をこなしていく。
だから更に、そのことのくだらなさも感じる。
あまり何も思わなくなった。
何も感じなくなった。
ただ、与えられた任務だけをこなしていく。
人からは呆けていると言われることもしばしばあった。
でも気にしなかった。
自分が普通にしていると、自然と他人にとっては嫌味になってしまうから、
だから普段は温和を装い、たまに溜め込んだものを言葉に毒を含ませることで吐き出す。
紺野は心の中でだけ否定しつづける。それは道理ではないと。
色々な事を飲み込みながら生きるという事は、
誰にだって少なからずあるものだろうと思う。それも道理だ。
例えば誰もがあの岡村隆史を、心の中では「先生」と思っているのに、
みんなの前では先生と呼ばないことを紺野は知っている。
耐えているのは自分だけではない。そのことも理解している。
そして見えない膜が、内から、外から、紺野を覆っていく。
だから田中の言葉に、紺野は傷つかない。
紺野はわかっている。だから、人に何も求めない。
膜はやがて厚く、堅くなる。そしてやがて殻になる。
「どうかしました?」
里田が紺野の顔を見ていた。
「あ、いえ、なんでもないです」
また言われてしまったと思った。
「おかしいですか? 私」
「……いえ?」
突然何をという顔で小さく首を振り、
浅黒く焼けた肌の里田が、にかりと笑った。
加護が今度こそ隊の準備を終え、
陰鬱な面持ちで屯所を出ようとしたときである。
また報せを持った隊士が飛び込んできた。
「藤本が岡村と!?」
「は。どうも捕えるとかそういった雰囲気ではなく、
まるで仲間のように共に行動していたと」
「確かなのか」
「いえ、話によれば恐らく……ですが」
「安倍さん。そういう指示は」
石川が問うと安倍は黙って首を振る。
「どういうことですか?」
再び共に広間に戻った加護が言う。
壬生娘。組が今まさに探しているはずの岡村と監察の藤本が共にいるなど、
考えられない事態である。
「藤本は今日は屯所に戻っていないのか?」
安倍が訊く。
局長の飯田が床に伏せている現状では、
おとめ組監察の指揮権限は副長の石川にある。
「わかりません。誰も連絡は取れていないようです」
「どうするんです?」
「とりあえず私は向かうとして、市内を廻っている吉澤か新垣を呼び戻しますか」
石川が安倍を見る。
しばらくの腕を組んで黙っていた安倍が口を開いた。
「いや、いい。加護は予定通りそのまま辻と一緒に抜け荷のほうを追え。
石川もそのままだ。敵方の揺さぶりかもしれん。
事実がはっきりとしていない以上、探索の手は緩めるな」
加護はどきりとした。
安倍の口からはじめて、「敵」という言葉をはっきりと聞いたような気がした。
「……でも、じゃあ藤本さんのほうは。
もし藤本さんが裏切……何かの理由で岡村の側に付いているのだとしたら、
普通の平隊士じゃ、組頭でも簡単には太刀打ちできませんよ」
すると安倍は立ち上がり、報せを運んできた隊士に顔を向けた。
「案内を頼む」
「えっ?」
「藤本のところへは私が行く」
「無茶ですよ!」
石川が声を上げる。
「だって安倍さんは目が……。この雨の中で灯りも無いのに」
「心配するな」
安倍は口の端をにいと上げた。
「この暗闇の中なら私のほうが見える」
「あのう……私は?」
亀井が気まずそうに安倍を見ていた。
「亀井は留守を頼む」
「えー? 私も行きます」
「お前は、道重のそばにいてやってくれ」
口を尖らせる亀井に安倍が微笑みかける。
「な?」
「……わかりました」
安倍の微笑みに押し切られたのが口惜しいのか、
亀井は不満顔のまま、上目遣いに安倍を見る。
「でもその代わり、皆さんちゃんと帰ってきてくださいね」
「はあ? 何言ってるのさ。当たり前だろ」
そう言って安倍は、もう一度微笑んだ。
「なかま……」
丑三が声を漏らした。
かすれた、病人のような声だった。
岡村が丑三の肩に手を置く。
「どうしたんや丑三。こんなところで」
丑三は答えない。
「こんな汚い格好して。どや? 今はうまくやってるんか」
「岡村さん。それより急がないと」
出川が小声で言う。
(偶然なのか)
岡村の言動に藤本は思う。
雰囲気から察するに、丑三と岡村がここで出会ったのは偶然なのか。
言っていた他の仲間とは、この丑三のことではないのか。
「まだ京都にいるとはなあ。大丈夫なんかお前? また追い出されたんか?
なんなら、俺のところ来るか? ああ大丈夫大丈夫。人斬りなんて俺がさせへん。
そや、そうしよう。また昔みたいにやろうや」
明らかに久し振りに会った会話である。
嬉しそうに笑う岡村は、まさしく何年ぶりかに懐かしい同郷人と再会したそれだった。
(偶然……? いや……)
しかしそこで藤本は、会話に聞き入る事を止めた。
「下がれ」
静かに言った。
「なんや? 追ってる連中が近づいてきたんか?」
先程の追っ手は、まだここには気づいていない。
だが、藤本は感じていた。
目の前の、幽鬼のごときこの男の立ち姿から恐るべき圧力が湧き上がろうとしていた。
「下がれ」
言うと同時に藤本は岡村の襟首を掴んで強引に後ろに引いた。
その瞬間だった。
白刃が闇夜にきらめいた。
下からこすり上げられたそれは、後ろに引く岡村の胸元を掠め、
左の耳たぶの下を裂いた。
「い、痛っ!」
「岡村さん」
後ろの出川が叫んだ。灯りが揺れる。
丑三が刀を抜いていた。
右手から黒鞘がぽとりと、濡れた地面に落ちた。
「どないしたんや!」
岡村が血の噴出す耳を押さえながら言う。
「冗談やめえや丑三!」
「岡村さん! 危ない!」
「丑三! お前どうしたんや!」
「駄目です!」
殺気がこもっていた。
岡村を斬るつもりで刀を抜いたのは明らかだった。
「くそ! 奴ら! やりやがったな!」
岡村が叫んだ。
「奴ら丑三を……やりやがったな!」
理由は知らない。ただ、目の前にいるこの丑三という男は、
今まさに岡村を殺そうとしている。それだけを藤本は認識した。
藤本は躊躇せず刀を抜いた。
「待て! 藤本っ! 待ってくれ!」
岡村の声にも藤本は動じない。
ただ目の前の、膨大な殺気を放つこの敵に対峙している。それだけだった。
丑三は荒い呼吸を繰り返す。
汚れた着物の胸元がはだけ、肩まで露出しようとしている。
「ごがぁああああああああ!!」
けだものの咆哮と共に丑三が動いた。
ぬかるみにより足元もおぼつかぬ中で、尋常でない迅さだった。
二間はあった二人の間合いが瞬時に縮まる。
背中を丸め首を突き出していた丑三は大きな呼吸と共に刀を上段に振り上げた。
技としてはあまりにも無防備である。
しかし、その狙いは藤本ではなく、後ろの岡村に向けられていた。
藤本は丑三に負けぬ迅さで岡村の前に回り込み、上段を手元で受ける。
「ぐぅ」
藤本は思わず声を漏らす。
人の力ではなかった。
そのはだけた着物の内に見える、
肋骨の浮きあがった肉体から繰り出される力とはとても思えなかった。
ふっと力が抜け、刀が離れる。
と思った次の瞬間には、再び白刃のきらめきが藤本に振り下ろされていた。
気が狂ったように降り注ぐ、雑な、それでいて妙に鋭い太刀筋を、藤本は受け止める。
闇の中でかねとかねのぶつかりあう音が、強く降り始めた雨の音に掻き消される。
藤本とは正反対の、けだものの如く激しい剣だった。
膨大な圧力を含む一撃を鍔際で受ける。
「くっ」
濡れた地面で足元が滑り、足一つ分後ろに押し込まれる。
今にも喰いかからんばかりの丑三の形相が恐るべき力で刀越しに藤本に近づく。
荒い呼吸が額にかかる。
そのとき。その人知を超えた剛力とは別に、
藤本は今までに無い衝撃に打たれていた。
――人斬り。
それまで何度も自身が浴びてきた言葉が、藤本の脳裏をよぎった。
藤本はそれまで幾人もの、草莽の志に熱くたぎる志士たちを斬ってきた。
人の情念を斬ってきたと言ってもいい。
不逞の浪士にしてもそうである。彼らにしても何らかの欲であるとか、
怒りであるとか、畏れ、快楽、あらゆる感情に溢れていた。
しかしこの男にはそれがなかった。剣にためらいがなかった。
それまで藤本が相対してきた人間は誰もが持っていた、
人として当然のように中心にあるべき何かが欠落していた。
人斬りと呼ばれる人間だからということではない。
太刀筋だけで言うならば藤本とは似ても似つかない。
体術、技術といったものでもない。
この男の剣の根底にあるものが、鏡の如く藤本の前に相対していた。
男の顔の、深い窪みの奥に光る双眸が藤本を捉えていた。
闇が藤本を覗いていた。
乙!
丑三つえー!
亀井の最後の言葉が気になるー!
更新乙です。
ちょっと放置ぎみだったぶりんこの関係が明らかになりそうで楽しみ…
なぜ加護は辻のことが嫌いなのか…
高橋出して下さいこのやろー
うm
映画化マダー?
45 :
名無し募集中。。。:04/11/14 17:53:40 ID:O8kJZAbo
高橋は一生ださないでください
今週はなかったでござるか…。
――ぽたり。ぽたり。と、
暗い天井のどこからか、滴が落ちてきては床を打っていた。
丑三はただ一人、薄明かりの中で膝を抱え座っている。
ぼろぼろの板壁の隙間から、幾重もの光がうっすらと中に差し込んでいる。
外では小雨の音がしているが、灯りが一つも無い屋内よりは遥かに明るい。
薄明かりの中、丑三の目は開いている。
しかし何も見てはいない。
黙ってただ虚空に視線を置き、息をしている。
いつから目を開いていただろうか。
あらためて考えるとよく覚えていない。
気がついたときにはいつも、薄明かりの中でこうしている。
いつ目を覚ましたのか。そもそも昨日はいつごろ寝たのか。
そういえばいつからここにいるのか。そういえば、どこからやって来たのか。
追いかければ追いかけるほど、
記憶は空に浮かぶ月のように逃げていく。
それがとても不安だったので、
丑三はやがて、思い出そうとするのをやめた。
何度も、同じことをしているような気がする。
もしかしたらずっと、生まれたときからずっと、ここでこうして、
同じことを何度も、何度も、繰り返しているのかもしれない。
何度も、何度も。
ただ、いつも雨だけは降っていたような気がした。
(台場では派手にやったようだな)
小屋の外に、男たちの会話が聞こえた。
(しかしあれでは壬生狼どもも黙っておられまいよ。本腰を入れて動き出すぞ)
(こちらのほうが早い。事はうまく運んでいる)
(大丈夫なのか)
(予定通りだそうだ。問題はない)
男たちの言葉にふと、記憶の断片が甦る。
おだいば。そういえばそんな場所にいたような気もする。
本当にあったことなのか、夢の中のことだったのかよくわからない。
斬れ、と言われた。
好きなだけ斬っていいと言われた。
別に斬るのは好きではなかった。でも嫌いなわけでもなかった。
放り出された。行け、と言われた。
小さいのがいた。じゃまだと思ったら、
大きいのが出てきて、もっとじゃまになったので斬った。
うるさかったので他のも斬った。
逃げたので追って斬った。
丑三は薄明かりに照らされた指先をいじる。
ぎざぎざと伸びた爪の間に、黒い塊がこびりついている。
前に見たときは赤い色をしていたような気がする。
指だけでなく、腕全体が赤かったような気がする。でも、全部雨に流された。
今は爪の間にだけ残っている。
小さいのが叫んでた。
よくわからなくて自分も叫んだ。
声をしぼり出した。手を振り回した。
誰も動かなくなった。
(じゃあ、あいつもそろそろ用が終わるか)
(そうだ)
雨の中を歩いていた。
斬れ、と言われていたので、他に斬るものを探していた。
でももう誰もいなかった。誰もいないからもっと探していたら、急に体が動かなくなった。
うしろから何人にも抱きかかえられていた。体が動かなかった。
引きずられながら、あの時のことを思い出した。
あの時も雨だった。大きな牢屋から出された。大きくて頑丈だった。
また行け、と小さな門から押し出された。うしろでいひひと笑っていた。
お前はもう用無しだと笑っていた。
何度も何度も背中を押されて、よろけて倒れそうになっているのに歩かされた。
しばらくして、大きな橋の袂で止まった。
橋の向こうに、同じような男たちが何人も立っていた。
また押されて、うしろから抱えられて、その時も体が動かなくなった。
でもしばらくしたら、動くようになった。
そこから先がまた思い出せない。
ただそこで、ひどく懐かしい顔に会ったような気がする。
(ならば、こいつの方もそろそろ)
(やめろ。聞こえるぞ)
小屋の外の男たちは会話を続けていた。
(なに構わんさ、聞こえたところでこいつにゃもう、わかりゃしないよ)
(……そうか。そうだ。こいつももう、終いだ)
ぽたり。ぽたり。と、
暗い天井のどこからか、滴が落ちてきては床を打っている。
小雨の降る小屋の外から、うっすらと光が差し込んでいる。
丑三は死んでも、生きてもいなかった。
ただ、そこにいるだけだった。
長く刻が過ぎていた。
少なくとも藤本にとってそれは異様に長く感じられた。
豪雨になりつつある。
激しい斬り合いの音も、砂利を踏み鳴らす音もすべて雨音に飲み込まれていく。
暗闇の中、何の衒(てら)いもなく繰り出される丑三の剣は、
水面(みなも)に映し出される幻像の如く藤本の剣と対(つい)になり、
長い膠着を生み出していた。
それは藤本にとって初めて体験するものだった。
二人の間に間合いというものが無い。
雨でぬかるんだ足元と、二人の鋭く無駄のない出足が間合いそのものを無効にし、
もはや間合いをとるという行為自体を無意味にしている。
ただ無造作に、交互に目の前の巻き藁を斬り合うような、
無為な斬り合いが繰り返されている。
藤本の刀が指先一つ分ほど丑三の右肩に埋まり、
丑三の刀が指先一つ分ほど藤本の右肩に埋まる。
肩から滲み出る血が刀をつたう。
しかしそれ以上、互いの刀が進むことは無い。
互いの技と力で、均衡を崩せない状態が続いているためだった。
二人の刀が一瞬離れ、半歩右向きに態勢を回転させたところで、再び斬り結ぶ。
まったく異なるはずの二人の剣質が、斬り結ぶただ一点のみではかちりと交錯する。
奇妙な感覚だった。
二人の中間でぴたりと刀が止まる。
水面を挟んで刀と刀が弾きあう。
藤本は水面の奥の暗闇に目を凝らしていた。
暗闇が藤本を覗いていた。
――人を殺すためだけの技。人を殺すためだけの人間。
里田にそう言われた。
そのような言われ方をしたのは初めてのことではない。
だからこれまでも耳に残ることはなく、聞き流していた。
しかしこうして丑三を目の前にし、実感として伝わってくるものが、
藤本の心に波紋のように広がっていく。
人を殺すためだけの人間。
他者の命を絶つということに対して、一切の感情が介在していない。
自らの命を顧みることすらそこには無い。
僅かな足運び、剣の軌道の惑いの無さが小さな質の差となってそこに顕れる。
ただ漠然と物を絶つという、純粋な則に従った最短の道筋に沿って剣が奔る。
極限の斬り合いの中で、小さな差は大きな差となる。
あるいは藤本でなければ、丑三の剣は特別なものではなかったかもしれない。
この空虚な剣は、他の者にしてみればただの、
人斬りの残虐で禍々しい剣でしかなかったのかもしれない。
「なんだこれ……斬り合いなのか?」
背中越しに出川の声が聞こえる。
これが自分なのかもしれないと藤本は思った。
水面の向こう側にいる、この暗闇が。
ぐるる、ぐるると奥で獣が唸っている。
都の中心に比べると、この辺りは民家の明かりも少なく圧倒的に暗い。
厚い雲に覆われて月の明かりも無い。
早足の里田を雨の中に追いながら、紺野は心を落ち着かせていた。
岡村という名を聞かされて、少し焦っているかもしれない。
「藤本さんは、この先に?」
「ええ」
(岡村隆史と藤本さんが?)
にわかには信じられない。
しかし、もしかしたらという思いもあった。
元滅茶勤王党、岡村隆史。
犬猿の仲と言われた読瓜と藤州。
必定と知りながら、過去の軋轢からあと一歩を歩み寄れずにいた両者を、
どのような手を使ってか後押しし、同盟を実現させてしまった張本人とも聞く。
また長く勤王倒幕側に属しながら、その無分別で自由な行動から、
本来味方であるはずの倒幕派にさえ命を狙われることも多いという、
奇妙な位置に立つ人物である。
たとえば一時、請われたと言って壬生娘。組に来たこともあった。
倒幕派からは佐幕中の佐幕と言われる壬生娘。組にである。
そしてその僅かな期間ですら、隊の中には岡村に心酔する者が少なからずいた。
それほどの器量を持つ人物である。
岡村なら或いは、あの藤本を御する事もできるのかもしれない。
そんな疑念を拭うことができない。
また、隊と離れて独自の行動をとる藤本だからこそ信頼しきれない面も紺野にはあった。
事実、紺野はこれまでも幾度となく不可解な行動をとる藤本に翻弄されている。
もし藤本が本当に岡村側の人間だとしたら。
今、自分が行ってどうにかなるものなのだろうかという迷いがあった。
それはまだ状況による可能性にすぎなくて、きちんとした筋道のある道理ではない。
これから行く現場にあるものは、自分の力量で測ることのできるものなのか。
ふと、里田の右手首に巻かれた布に黒い滲みができていることに気がつく。
「里田さん。血が」
「ああ」
里田はにかりと笑う。
「途中で縫って来たんですけどね。さすがにまだ血は止まらないようだわ」
「縫ったって……」
「ちょっと深めに入ってしまったみたいで。
これじゃあもう、右手は一生きかないかもしれないですねえ」
ぶらりと血の滲んだ右手を振ってみせる。
話の深刻さに比べ、あまりにもあっけらかんとする里田に言葉を返せずにいると、
里田は紺野の横に並び、その調子のまま続けた。
「人斬りって、なんでしょうね? 紺野さん」
「……人斬り?」
唐突に何を言い出すのだろうと思った。
「あたし、人斬りになりたくて」
言いたいことがよく分からなかった。
「一体、何人斬れば人斬りになれると思います?」
人斬りに条件などない。
望んでなりたがるようなものでもない。
まして、何を軽々しく言っているのだろうと思った。
何人斬れば、などと。
「人斬り……ですか?」
「ええ」
「……里田さんは、人を斬ったことが無いんですか?」
そういえば自分が初めて人を斬ったのはいつのことだったか。
もちろん平静ではいられなかったし、刀を持つ手が震えもした。
しかし心の奥はどこか、冷めたままだった。
そういえば。
壬生娘。組に入るずっと以前は、人を斬れば何かが変わると思っていた。
変わらない日常を享受し、
ただこの平穏な日々が終わることなく淡々と続いていくのだろうと、
漠然と思っていたあの頃。
人を斬れば、何かが変わるのかもしれないという思いに囚われたことがあった。
それは年頃の男子が武士に憧れ、戦に心をときめかすのにも似た、
流行り病のようなものだったのかもしれない。
しかし現実に紺野の場合は壬生娘。組に入り、そして人を斬った。
だが、何も変わるものは無かった。
親の薦めで幼い頃から唐手という武術を習っていた。
ただ、武士になりたいと思ったことなんてその頃は無いはずだった。
普通にこのまま生きて、どこかの家に嫁いで、
子を産んで、老いて、死んでいくのだろうと思っていた。
その頃と今と、本質的にはなんら変わっていないような気がする。
壬生娘。組に入り人を斬った今でも、ただ漠然と“普通に”このまま生きて、
老いて、死んでいくのだろうと思っている自分がいる。
正直、剣は得意なほうでは無かったはずだった。
雨を避けるための小さな笠をかぶせた提灯を先頭に、
加護はさくら組一番隊を引き連れて雨の中を進んでいく。
壬生娘。組とあまり悟られないようにとの安倍の達しで、
提灯には「娘。」の文字の入っていないものを使っている。
通りをはさんだ両側の民家の明かりが、次々と視界を流れていく。
大きな通りに面していることもあって、周辺はこの時刻ならまだ、
二間ほどに近づけば顔がはっきり見分けられる程度には明るい。
加護は提灯の灯りを追いながら、ふと足を止める。
「どうかしました?」
後ろの隊士の一人が言う。
「ううん。気のせいかな」
さっきから辺りに人の気配が多い気がする。行き交う足音が妙に多く聞こえる。
「雨音じゃないですか?」
「そうかな……」
しかしむしろこの雨で人は少ないはず。
なのに時折感じる人の気配は、集団で何か目的をもって動いているように思える。
「ならば、見廻組かも」
「……うん」
そうかもしれない。
だったら、下手に確かめようとして顔を合わせてしまわないほうがいい。
再び加護は歩きはじめる。
七条の通りは、不動堂村屯所から北にすぐのところにある。
そこから真東に行って高瀬川にぶつかるところが川番所である。船番所とも言う。
とは言っても、あるのは一人二人座るのがせいぜいの、
屋根だけと言っても言い過ぎではない小さな監視小屋であった。
実際に川を行き来する舟を取り締まる役所は遥か下流の伏見のほうにあり、
番頭(ばんがしら)などの番所役人は、そこに駐在する。
七条の川番所は軽番所と呼ばれ、実質的な検分はここでは行われず、
往来する舟を遠目に監視するだけが殆どの、
言わば物見櫓(やぐら)のようなものである。
加護も見知った数人の隊士が、
番所から少し離れた場所で町人たちと会話をしている。
その中に、彼らの頭でもある辻はいた。
「あ、あいぼん」
「抜け荷だって?」
楽しそうな顔で近寄ってきた辻に対し、加護は表情を変えず切り出す。
「あ、うん」
辻も加護に合わせて表情を消す。
「大体の事は屯所で亀井ちゃんに聞いた。
私とつーじーの隊で抜け荷の捜索をやれって安倍さんに言われたから来たんだけど」
言いにくそうに辻の名前を口にすると、辻は小首を傾げて答える。
「そうなんだ? 二隊も? 武器探索のほうは人手足りてるのかな」
加護は、それまで屯所であった一通りのことを辻に伝えた。
「……そっか。岡村先生と、美貴ちゃんが」
「もう先生じゃないよ」
「あ、うん。ごめん」
「藤本ちゃんのこと、もう美貴ちゃんって呼んでるの?」
「あ、うん。勝手にだけどね」
「……ふうん」
「やっぱ許可とかもらったほうがいいかな?」
「別にそういう話じゃないけど」
「え、やっぱもっと可愛い呼び方じゃないと、すごく怒ってるかな?」
「そこも違うと思う」
辻によると、亀井が屯所に持ち帰った話以上の事は、
ここでは得られていないようだった。
七条の川番所は特定の舟を怪しくてもやり過ごすように上から言われているだけで、
それより詳しい事は、本人たちにもよく分かっていないらしい。
上からの命令というものに関しては、
ここからずっと下った伏見のほうにある、京橋の船番所を訪ねるしかない。
「その舟っていうは、いつも伏見のほうから上流のほうに上ってたみたい」
「上流か……」
加護は上流を見る。
点々と続く灯篭の灯は落とされておらず、まだ明るい。
石で固められた堀の内の流れは暗くてはっきりとは見えないが、
耳を澄ませば雨の中でもせせらぎが聞こえてくる。
さてどうしたものかと思う。
夜中の探索というのは、場合にもよるが基本的に効率が悪い。
聞き込むにも聞くべき相手の多くが、既に一日の仕事を終え家に帰るからである。
定石では夜が明けてからあらためてというところだが。
しかし行けと指示したのは局長の安倍である。
安倍は加護の前で「敵」と口にした。
ここ最近の壬生娘。組――いや、京全体を包み込む模糊としたものの正体が、
安倍には絵図となって見えているのかもしれない。
その端にこれがあるという読みである。
今夜中にと急いだ事にもきっと意味がある。
「二手に分かれよか」
加護は言った。
「わたしは下流に向かって検分しながら伏見京橋の船番所に行くから、
つーじーはここから上流に向かって、
舟の積み下ろしで怪しかった所が無いか、今のまま聞き込んでいって」
「ありますよ。もちろん」
笑顔で答える里田にまた紺野は違和感を覚える。
それでももしかして、自分の感覚のほうがおかしいのかと疑ってしまうほどに、
里田は笑顔で自然に語るのだ。
「人を斬ったことがあっても……人斬りとは違うと?」
「そうですね。あれはもっと、別のものでしょう」
人斬りという言葉に、なにか特別な意味を込めて言っているのだろうか。
「何故そんな、人斬り。……に、こだわるんですか」
「美しいじゃないですか」
「うつく……?」
「ただ人を斬るために生まれ、人を斬るためだけに存在している。
無駄なものが一つも無い。……それはとても美しいですよ。刀のように」
腰の刀に手をかけた。
一瞬、ここで抜くのかと思った。
それほどまでに目の前にいるこの里田は、どこか妖しい雰囲気を醸し出している。
「藤本さんのあの刀。綺麗だったなあ」
「藤本さんの刀を見たことがあるんですか?」
紺野も見たことはある。確かに美しい刀身ではあった。
さるお方から特別に賜ったものだとも聞く。
「ええ。あの刀を振れば、あたしも人斬りになれるかな」
既に紺野を見ていない。恍惚とした表情を宙に向けている。
「里田……さん?」
「ああ。失礼」
里田は夢から覚めたように、紺野の視線に気がついて再び笑顔を見せた。
「そろそろ近い。走りましょう」
笑顔を残した里田がそう言い、走り出した。
紺野は反射的に後ろを見る。隊がまだ少し遅れている。
無理もない。この雨にぬかるんだ地面。
よほど鍛えられた者でなければついて来れまい。
持久力には多少の自信がある紺野だからこそ、ここまでついて来れているのである。
しかし何という健脚だろう。と、前を行く里田の背中を追う。
着流しの裾から時折のぞく見事な脚がいかに鍛えられた筋肉の塊であるか、
その軽やかな足運びが雄弁に語っている。
灯りが少なく暗いこの鳥羽の道で、一度もぬかるみに足をとられることなく、
しなやかに奔っていく。
これほどの人間が他の組にもいたのか、と思わずにはいられない。
武勇を誇る他の幹部の影に隠れながら、
同じ壬生娘。組の一員としてその恩恵に預かってきた紺野だが、
もし、一人の人間として監鳥居組に並んだとして、
果たして自分はそれでも今のような位置にいられるのだろうか。
雨が更に強くなってきている。
ぐるると唸っていた獣が、今にも地上に爪牙を突き立てんとしている。
顔に大粒の雨が当たり、まともに目を開いている事もできなかった。
紺野は頭の笠を右手で前に低く下げ、必死で里田の足元を追った。
以前、藤本に何度も撒かれたことも、気にしていなくはなかった。
ふと、田中を思い出す。
岡村を見つけたらしいことについて、部下に一応の言付けは頼んだものの、
田中は黙っておとなしくしているだろうか。
身分的に同格の紺野と田中では、慣習的に目上の紺野が現場を仕切る事になっているが、
そんなことに田中が従うだろうか。
田中が丑三に拘っていたことを、なんとなく思い出していた。
「うん、わかった」
辻が少しつまらなそうに答えるのを確認して、
加護は即座に隊を引き連れて下流に向かった。
周辺の捜索は部下に任せ、自身は京橋へと急ぐ。
伏見京橋は、高瀬川と南を流れる宇治川の合流する場所である。
京に上る舟は必ずそこを通る重要な分岐であるために、
詳細な検分を執り行う重番所が設置されている。
抜け荷と思われる舟もそこを通っているはずであった。
七条の番人が番所に雇われた町人であるのに対し、
京橋の重番所を預かる番頭は旗本の武士で、
いくら直参となった壬生娘。組とはいえ、
下の者に軽々しく訊きに行かせるわけにもいかない。
まして抜け荷に関わる事である。それなりに慎重に話を運ぶ必要がある。
上流のほうに辻を向かわせたのもその為である。
軽番所の番人相手ならまだいいが、これは辻には荷が重い。
自分も決して学があるほうではないが、口先には結構自信がある。
あちらは今夜中には何も出てこないだろうという読みもある。
恐らく、夜の舟入場を探っても何も無い。
聞き込みなどあまり巧みではない辻なら尚更、捜索は徒労に終わるだろう。
だが加護はそれでも別にいいと思っていた。
もし自分も京橋近くで何も得られなければ、
何ならあらためて上流に戻って探ればいい。
「そのときはそのときだし」
これから行く京橋の方向が、
皆が岡村を捜索している伏見により近いという思いも無くはなかった。
前を行く里田の進みが緩んでくる。
現場に近づいたのだろうか。横に並ぶ。
「近いんですか」
小声で囁く。
「ええ、近いですよ」
里田は紺野の背中越しに後ろに視線を送る。
「遅れてますね」
紺野も振り返る。後続のさくら組四番隊は、いつの間にか豪雨の中に消えていた。
「なんででしょうね?」
里田が呟く。
「なにがですか?」
「なんであなたは、壬生娘。組の隊長なんでしょう」
「……?」
「功に焦って冷静な判断もできない……いや、単に器が足りていないと見るべきか」
「なんのこと、ですか?」
里田はふうと溜息をつく。
紺野を見る目がいつの間にか、それまでのものと打って変わって、冷めきっていた。
「なんでしょうね、このむかつき。なんであなたごときが壬生娘。なんでしょう。
なのにあたしの監鳥居組は壬生娘。組に遠く及ばない」
心の隅で生じていた小さな違和感が、少しずつ大きな確信に変わっていく。
「あなたみたいなのを見てると、心底むかついてくる。
壬生娘。組の助けなんて、ましてあなたみたいなのの助けなんて要らないのに」
「里田さん?」
「ふん。まあ、もう、どうでもいいことだけどね」
里田がにかりと、白い歯を見せた。
「迂闊、ですよね」
そう言って里田は近くの民家の軒下にある、
壁沿いに何段も積み上げられた樽の一つを、片足で押し出すようにして蹴り飛ばした。
大きな音をたてて濡れた樽の山が崩れ落ちる。
それは豪雨の中でも、周辺の気を引くには十分の音だっただろう。
「……なにを?」
紺野は驚きに大きく目を見開いたまま里田を見る。
「任務は任務であるんだけど、あたしはなるべく楽しくやりたいのよ」
里田の体が、少しずつ紺野と距離を取りはじめていた。
「でも藤本さんは忙しいみたいだし、あなたじゃ弱すぎて斬る気にもならないしね。
だったら、もっと強い人が来てくれたほうが楽しいじゃない」
「なにを言ってるんです?」
紺野が里田に近づく。里田の姿が闇の中に消え始めていた。
「たとえばあなたのところの、局長さんとかね」
里田の姿を前に追う。しかし、その姿は既にどこにもなくなっていた。
焦った紺野は里田の姿を求めてあたりを探す。
しかし気がつけば辺りはほとんど暗闇で、探しようにも何も見えない。
慌てて走り、路地を抜ける。すると。
「今の音は貴様か! 何者だ」
目の前に突如黒い影が現れた。
「こっちだ!」
「岡村か!?」
(岡村?)
一人、二人ではない。無数の黒い影が、次々と紺野の目の前に姿を現した。
顔にはそれと分からないように布を巻いているが、皆揃いの笠を被った武士である。
紺野は焦って後ろを振り返る。隊はいない。
ただ一人、残されていた。
「おい! 見たことがあるぞ。こいつは壬生娘。組だ」
「壬生娘。だと!?」
「まずい、顔を見られた」
「やむを得まい。斬れ」
影の一人が言った。
ふっと、加護は足を止め、暗闇に視線を走らせる。
「組長。どうかしましたか?」
隊士が聞く。
「……ううん」
加護はしばらく暗闇を見つめた後、再び歩きはじめる。
やっぱり今夜は人の気配が多い気がする。
時折、何者かの集団が近くで動いているのを感じる。
感覚としては駆けていると言ったほうが近いか。
見廻組にせよ所司代組にせよ、武器探索でこんな動きをするだろうか。
(勤王派? ……何かを追っているんだろうか)
自分たちを意識している感じではないが。
「かさが増えていますね」
隊士が川を覗き込んでいる。
長く続く雨で川のかさが増している。
開削された川のために比較的穏やかな高瀬川でも、自然、荒れている。
これではうかつに舟を出すこともできまい。
と、その時である。
「あいぼーん!」
上流から叫び声が聞こえた。
(のの?)
辻の声だった。
叫び声は徐々に近くなっている。
この雨の中にもかかわらず、もの凄い勢いで近づいてくる。
「その舟止めて!」
加護が振り返ると、闇の中をひっそりと、一艘の小さな舟が下ってきていた。
「止まれ!」
岸の隊士が灯りを一斉に向ける。
初老の男が一人、舟の上に乗っていた。
「へ?」
「おじさんそこで何してるの?」
男は今気づいたという風に、舟を止め、ぽかんと口を開けて岸を見上げる。
水面が荒れる中、舟を止めているのも一苦労のようで、
棹を持つ手がぎこちなく震えている。
「あ、あいぼん」
辻が舟に追いつき、膝に手をついて肩で息をする。
「どうしたの?」
「そ、そこで……」
呼吸が荒い。
「……上流のほうで、探索してたら……、
……その、おじさんがいて……、逃げちゃうからさ……追っかけてきた」
「ええ? あたし逃げてへんですよう。
この雨やから、岸にぶつからないように必死で、何も聞こえへんかったんですよう」
「それで、こんな時刻に何をしていたんです?」
「へ、へえ。あたしは得意の酒屋さんに頼まれて、
明日急に酒が必要になったんで、夜が明けたら一番で運べるように今夜のうちに、
舟を伏見まで降ろしておいてくれと、旦那はんに言われたんです」
「店の名前は?」
「へ、へえ。先斗町の木下屋いう酒屋さんです」
「ふうむ……」
小舟は普通の平底舟で、別段怪しいところもない。
船頭の言っていることにも筋が通っているのだが、どうも引っ掛かる。
いくら急ぎとは言え、この雨の中、この時刻にそう舟を出すものではない。
「あのう」
男が申し訳なさそうに言う。
「なんですか?」
「そろそろええでしょうか。こないして舟を止めておくのも手が疲れてきましたし、
なにせ急ぎだったもんで、縄も積んでへんのですわ」
「う……ん」
ここで止めさせてしっかりと検めてもいいのだが、
見たところ、荷も空(から)である。舟の中から何か出てきそうには無い。
とすれば男を訊問するより無いのだが、
確たる証拠も無い者を、いたというだけで捕えるわけにもいかない。
このまま番所に連行したとしても、番人と通じていれば、互いにとぼけるだけだろう。
ならいっそ、知らぬふりをして遠目に様子を眺めていたほうが良かったのかもしれない。
灯りに照らされた男の表情を見る。
止められて動揺しているようにも、必死で舟を場に留めようと堪えているようにも見える。
どうしたものか。
すると、やっと呼吸を落ち着かせたらしい辻が叫んだ。
「そうだ! ちょうど良かった。おじさんここからそれ乗っていっていい?」
「ええ?」
加護がぽかんと口を開ける。
「これから京橋に行くところだったんだ。舟のが早いし。いいでしょ? おじさん」
「へ、へえ。でも……夜は揺れますし、大人でも振り回されて危ないですよ」
「大丈夫大丈夫。私たちこう見えて泳ぎには自信あるし。ねえ、行こうあいぼん」
「泳ぎ? 私? え? あ、ああ、……うん?」
たとえその集団がどの程度の腕であったとしても、
たった一人で彼らと斬り合うほど、紺野は自分の状態を見誤ってはいなかった。
紺野は咄嗟にその場から走り出していた。
民家の影に隠れ、壁に背中を預ける。息が荒い。まだ頭が混乱している。
(嵌められた? 里田さん? 所司代?)
うすうす感じてはいた。里田が身に纏う危険な匂い。
自分が知っている以上のものを彼女は隠し持っている。
そしてそれは、自分たちにとって良いものではない。
しかしそれでも里田は仮にも、所司代組の上に君臨する監鳥居組たる人間である。
その認識がここまで紺野を押しとどめてしまっていた。
「どこだ!」
「逃がすな!」
(ああ……)
絶望にも似た感情と共に、再び逃げ出す。
既に数箇所の刀傷を受けている。
中でも右太腿は、背後から投げつけられた小槍によって、後ろから前に貫かれていた。
幸い骨からは外れ、六寸ほどの小槍の刃はすぐに抜けたが、
その代わり血が止まらない。
足をひきずり、逃げる途中であちこちに体をぶつけ、傷は増えていく。
呼吸が乱れていた。
笠などもう、どこかに落としてきていた。
雨に濡れ、体力も落ちていた。
ぬかるみに足を取られながらも必死で逃げる。
都の方向を目指せば、隊の誰かに合流できるかもしれない。
それに、見たところ彼らは隠密活動中である。
(私たちと同じように岡村を探している?)
隠密ならば、人の多いところまでは追って来るまい。
(とにかく大きい通りへ)
暗闇と豪雨で、自分がどこにいるのかさえよく分からない。
建物の向きと周辺の雰囲気から、方角だけは確認していた。
あと少し行けば、いずれかの街道に突き当たる。
やがて豪雨の先に揺れる灯を見つける。
少しずつ、目の前が開けてくる。
あと数十歩、足を引きずれば大通りに出る。
この雨とは言え街道ならば、いくらかの人通りはあるはず。
そこまで出れば、やつらは追って来れない。
しかし。ぐるる。と、天で獣が唸った。
揺れる灯りが、出口付近の路地から現れた黒い影に遮られた。
「いたぞ」
静かなその言葉を合図に、一人、二人、三人……。
人影は瞬く間に十人を超える。同じ笠を被った武士の集団。
大通りから、視界を遮るようにして男たちが壁を作る。
(ああ……)
緊張が、ふっと切れた。
これだけの人数に追われていたのか。
それでは、逃げられるはずも無い。
傷を追い、きっと自分は冷静さを失い、
傍から見れば馬鹿らしいほど滑稽な、ありえない幻想に希望を見出していたに違いない。
ふっ、と口から笑いがこぼれる。
何故こんなことになったのだろう。
つい半刻ほど前までは、普通に部下たちと探索をしていたはずなのに。
どこで判断を間違えたのだろう。
しかしもう、そんなことを考えても意味の無い事を紺野は知っていた。
意味の無い事をしても、意味は無い。
加護は何故か、辻と共に舟に揺られていた。
他の隊士たちは、後から追ってくることになった。
やはり増水のせいで揺れがひどい。
船頭の必死の操作で何とか下っているが、時々岸にぶつかりそうになる。
「なんでこうなるの」
船べりにしがみつきながら加護は言う。
「ま、それはそれでええやん」
辻も必死にしがみつきながら答える。
「変な上方訛り」
そう言うと、何故か辻が嬉しそうににやける。
加護は少し、気分が悪くなる。
しかしこの舟の揺れ具合はまともではない。
やはり、船頭の話した事情だけでは無理があるのではないかと思う。
「おじさん。ほんとにこれで行く気だったの?」
辻が顔をこわばらせている。少し後悔しているらしい。
「へ、へえ。仕事ですから……」
船頭がたどたどしく答える。
とりあえず、話し掛けないほうが良さそうではあった。
しかし結果として、乗り心地を抜きにすれば、
この選択は正解なのかもしれないと加護は思った。
舟をこのまま逃がさずに、京橋にも早く着く。
きっと船頭にとっても、舟は多少重くなるが、
変に時間を取られずに仕事を続けられて有り難い選択だったに違いない。
まったくの無実であればだが。
辻を見る。しかし、そこまで考えた行動だったようには、やはり見えない。
「なに?」
「ううん。なんでも」
紺野は目を伏せ、深く息を吐いた。なるべく痛みを感じないように。
しかしその時。突然、風が吹いた。
雨粒が民家の壁を激しく打つ。
「紺野。伏せて」
ありえないほど甲高い、女を絞り上げたような声。
聞き覚えのある囁きに、紺野は咄嗟に頭を下げる。
体が自然に反応していた。
それまで紺野の頭があった空間を、左右から二つのつむじ風が駆け抜ける。
次の瞬間、すぐ横にいた男たちの首から一斉に血が吹き出した。
「ぎゃああああああ!」
「うおおおおおお!」
一瞬にして紺野を取り囲んでいた輪が開く。
中心に、小さい影が屈んでいた。
「……安倍さん?」
「もう大丈夫だからね」
紺野の横で、甲高い声の主がそっと肩に触れてきた。
「石川……さん?」
紺野は二人の名を呼んだまま、ぼうっと目を開いていた。
大粒の雨が顔を濡らしていく、しかし紺野はまばたき一つしない。
すべてが幻に思えた。
追い詰められた自分の精神が見せた、都合のいい願望だと思った。
幻が肩を抱いた。
冷えた紺野の体を優しく包み込み、ぬくもりが伝わってくる。
「もう大丈夫だからね。紺野」
幻が、もう一度甲高い声で言った。
「紺野の手当てを頼む」
「はい」
石川が微笑みを紺野に向ける。
「安倍さんの後を追ってきたんだよ」
それがさも当然の事であるかのように彼女は続けた。
「間に合って良かった」
「い……石川さん」
「なに?」
石川が優しく微笑む。
「私は……いいです。安倍さんの助けを」
その場に伏せ、立ち上がれないままに声を絞った。
一度の奇襲で四人は倒れているが、周りにはまだ十人近くいる。
安倍が囲まれてしまっている。
「その足運び、阿佐の小栗流門下か」
安倍が男たちの輪の中心で言う。
「なに!?」
「図星か」
「こいつ……知ってるぞ! 壬生娘。の安倍だ!」
ざわと男たちが揺れる。
京の都で壬生娘。組、そして局長の安倍の名を知らない者はいない。
「おい、あいつは目が見えない。後ろから回りこめ」
男たちの内の誰かが囁くのが聞こえた。
「石川さん」
紺野は石川を見上げた。
安倍の腕は知っている。
所司代組屋敷襲撃の時に、対立するさくらおとめを一人で押さえた事も聞いている。
しかし、目は日を追うごとに光を失っていっていると聞く。
最近では現場に立つ事も少なくなった。
「しっ」
しかし石川は口の前に人差し指を立て、静かにそう言った。
「あの人が大丈夫って言うなら大丈夫」
石川は助けるというよりむしろ、
まるで安倍の動き一つ一つを一瞬も見逃すまいとするかのように、
安倍の背中を刮目していた。
安倍は腰を落とす。
一度抜かれたはずの刀は、いつの間にか再び鞘の中に戻っていた。
(……居合?)
囲む輪に緊張が走る。
十人もの武士たちは、じわじわと安倍の側面にまで及んでいく。
時折、紺野たちを狙って安倍の横を抜けようとする者が出るが、
安倍は瞬時の横の動きで牽制し、それをさせない。
さらに腰を深く落とす。
刀を抜いてもいないのに、気圧された連中がじりじりと下がる。
安倍は左手で、腰の鞘を返した。反りが下を向く形になる。
じりり、じりりと男たちの輪が形を変えていく。
ある者は安倍の背後を狙い、ある者は紺野と石川を狙い、
またある者は、気合と共に安倍に刀を振り下ろした。
しかし安倍は依然、刀を鞘の中に納めたまま、足の捌きだけでそれを見事にかわしていく。
いくつもの刀のきらめきが虚しく宙を舞う。
輪が刻々と変化していく一瞬、列を揃えた。
その隙間の向こうに背後の暗闇が見え、
紺野の位置からは彼ら集団の中に、ぽっかりと穴が浮かんだように見えた。
「あ……」
紺野が声を漏らした瞬間だった。
(……逆手?)
先頭の武士の爪先が、吹き上がる飛沫と共に弾け飛んだ。
暗闇の中に閃光が飛び散る。
夜、これだけの豪雨にも関わらずである。
金属と金属が触れ合うだけで火花は出ない。
瞬時の強烈な力で擦り合わされた鉄の間で摩擦により熱が生じ、火が飛ぶ。
動き出しが見えなかった。
ただ迅いといった類のものではない。
紺野には、安倍が動き出した瞬間すら見えなかった。
何が起こったのか。紺野が結果だけを認識できた時には、すべてが終わっていた。
男たちが水浸しの地面に倒れ、うめき声を上げている。
指、手首、折れた刀身、鍔の欠片。それらが地面の上で、豪雨に打たれていた。
「鍔切り……」
落ちた鍔を見て紺野は呟く。
いや違う。安倍の放った閃光は鍔だけでなく、相手の刀身すらも“斬って”いる。
「無拍子。せんこう花火」
横で石川が囁いた。心なしか声が震えていた。
「見えてるんだよ」
誰一人立っている者がいない中、
刀の血を振り、鞘の中に収めながら安倍が言った。
「先に行く」
「隊が追いついたら私も後から追います」
「きょ、局長!」
紺野の叫びに安倍が振り向く。
「里田さんに! ……監鳥居組の里田さんに、気をつけてください。
私が嵌められたのは、あの人です」
「わかった」
「なんか久し振りだね」
舟に揺られながら辻が叫んだ。
「何が?」
「こうやってあいぼんと二人になるの」
「……ああ、そうだっけ?」
「またさ、みんなで一緒にこういうことできたらいいなー」
「こういうことって、こういうことのこと?」
「うん。またみんなで一緒にさ。ずっとさ」
加護は黙る。そして、小さく呟く。
「……ずっとなんて、きっと無いよ」
「ん? なに?」
「……なんでもない」
大きく呼吸をする。
「私たちももう幕臣なんだから。いつまでも子供みたいなこと言ってらんないよ」
辻の顔を見ずに、宙に向かって言う。
「……そうだね」
今度は辻が小さく呟いた。
加護には、幕臣への思いがずっとあった。
誰よりも偉くなれば、認めてもらえると思った。
辻が一度も行ったことのない黒谷の会府本陣にも、もう二回も行った。
だから、変わっていくのは間違っていないと思った。
しばらくの沈黙が続いた後、突然、辻が舟から飛び上がった。
「うわっ」
「な、なに?」
「気持ち悪い。……これ、なんだろ?」
辻が人差し指を加護に向かって突き出した。
目を凝らすと、何か辻の指の先に黒いものがついている。
「う○こ?」
「まさか」
「なんかべとべとする」
辻が人差し指と親指を何度も付けたり離したりしてみせると、
黒いものは糸を引く。粘液状のもののようだった。
「松やに?」
加護も、辻の見ていた舟の内側の底を触ってみる。
それは舟の隅に点々とこびりついているようで、
雨によって液体に戻っているようだった。
確かにべとべととして気持ち悪い。
加護はそっと、それを鼻によせてみる。
「漆(うるし)かな」
「のの! 待って!」
加護は舐めようとする辻を慌てて制止する。
黒い粘液が放つ臭いに、覚えがあった。
加護の全身を戦慄が駆け抜ける。
「これ……阿片だ」
その時だった。
舟を操っていた船頭が、船上から姿を消した。
「丑三! なんでや! 俺のこと忘れたんか!」
うるさい。と丑三は思った。
この声に何か嫌なことを思い出しそうになる。
そういえば、夜中に大きな屋敷に連れて行かれたこともあった。
何度も、何度も、同じ紙きれを見せられて、
この蔵の中のものを斬れ、と言われた。
蔵の中に知った顔もいたような気がしたが、よく覚えていない。
ただ、あの中にいるものを斬れ、と言われていたから斬った。
斬らないと煙をくれないので、必死になって場所を覚えた。
蔵の外にも知っている顔がいたような気がしたが、よく覚えていない。
ただ、入る前に見つからないようにしろと言われただけだった。
見つからないようにするのは昔から得意だった。
うまも、いぬも、とりもぶたも、うるさいから斬った。
昔、ひどく胸が苦しかったような気がする。
牢屋に入ってからだった。
とても苦しかった。
ある日、壷が小屋の中にあった。
煙が出ていた。
その煙を吸うと、なんだか気持ちが楽になった。
なぜ胸が苦しかったのかもうおぼえていない。
煙を吸っていると、苦しいことや嫌なことが、
一つ一つ、歯が抜けて落ちていくように消えていった。
煙を吸わないと、何もできなくなった。
(じゃあこの小屋も今日で終いか)
(ああ、今日中に引き払う。例の物もここでは終わりだ)
(舟はどうする。荷を運んだ舟だ)
(それも始末させる。ここではできないから、下流に下ってからその先で解体させる)
(大丈夫か?)
(手薄になる夜に持っていかせる。大丈夫だろう。
壬生狼の連中の追うのはめざまし屋の武器だ、小型の舟まで目は届かせまいよ)
(……それで。あいつの、岡村の始末はどうする)
(ああ……。それもこいつにやらせろとさ)
「丑三!」
うるさい。
「丑三!」
(……うしみつ?)
ああ、思い出した。
懐かしいあの顔だ。あの時に会ったのは、あの顔だった。
おかむらたかし。
主と友達だった、えらい人だ。
「仲間やろ。俺たち、仲間やったやないか」
なかまか、ああ、なかまと言っていた。
このひとか。
おかむらたかし。
こんどは、あのひとが死ぬのか。
藤本の肩越しに岡村が叫んでいた。
丑三は少しだけ、胸の苦しみが戻った気がした。
更新キテタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
里田め・・・
出遅れた
隊長さすがやね
独り舞台は何かをモデルにされたんでしょうか?
似た模造刀を探している馬鹿でございます。
もしかして作者さんは昔バトロワ物書いていた方でしょうか?
斎藤一の愛刀、池田鬼神丸国重あたりが似ているかも(詳しくなくてすまそ)
おおっ・・・なんかリアリティを感じるな
作者さんの見解がでるまでなんとも言えない…独り舞台
独り舞台ってネーミング、センスあるよな
人斬り美貴介一周年記念カキコ。
羊って保全どれぐらい?
今週もなしか…_| ̄|○
まあマターリ待ちましょうや
阿片(あへん)。
芥子の実から滲出する乳液を乾燥させたもので、通常は褐色の塊の状態で流通する。
摂取方法は主に喫煙で、鎮静や鎮痛の効果、
その他に陶酔感、幻想をともなう快楽などをもたらす。
阿片は当時、民衆の手の届く範囲には出回っていなかったと言われている。
長く続いた鎖国が開けようとしたばかりの時代である。
そもそも酒、煙草の他に薬物による愉しみという価値観自体が知られていなかった時代に、
需要そのものが存在しなかった。
そのため阿片は、当時の流行り病に鎮痛剤として外国人医師が隠れ用いるものと、
それを手に入れうる地理的環境、役職、財力の条件を満たし、
且つそれを嗜好しうるという、ごく一部の人間のためだけの限られた品であった。
副作用として頭痛、めまい、吐き気などの慢性中毒があり、
やがて全身が痩せ細り、不眠、不安、恐怖に襲われ、
顔面は紅潮、皮膚は蒼白、眼光は鋭くなり手足が震えるようになる。
そしてついには幻覚を見、最後は呼吸麻痺で死に至る。
幕府筋では米国大使の助言により早くからその危険性は知られており、
国内では早期に禁制が敷かれている。
国外では、英国での喫茶習慣の普及の影響で茶葉の輸出に潤っていた清国が、
輸入超過に悩まされていた英国の手により、
当時英国の植民地であったインド産の阿片を流入させられた。
阿片中毒者の氾濫と、
増加する貿易赤字に危機を覚えた清国は阿片の輸入禁止策を執るが、
それを不当とする英国に輸入解禁を強く求められ、
圧倒的な武力を背景に不平等条約を結ばされた。
いわゆる『阿片戦争』である。
藤本は目の前の暗闇を見つめている。
藤本と剣を交えたことによってか、丑三の剣が一種洗練されつつあった。
膠着を嫌い、あらためて距離を取り直すとそれがより浮き彫りになる。
本能のみに従い、狂える手負いのけだものの如く牙を剥き出しにしていた丑三が、
獲物を狙うしなやかな獣の如き動きに近づきつつある。
藤本の剣と響きあうように、無駄な動きを逐一削ぎ落としていっているのである。
細い身体が変則的にしなり、歪んだ突きが迫る。
藤本はそれを強引に下段からかち上げ、
返す刀で丑三の刀身を削り、荒々しい上段を数回に渡って振り下ろす。
藤本もまた、丑三の粗い剣に響きあっていた。
足が止まる。
再び二人の間に水面(みなも)が生じる。
洗練された剣と、荒々しい剣が両者の区別なく交互に晒される。
皮膚の表面の細かな血管が裂け、血が剣風に舞う。
視界には水面に映る己の姿しかない。
互いに己の姿を己の剣で斬ろうとしている。
二人を狂気が包み込んでいた。
荒く息を吐く丑三の口元が歪み、笑んでいるように見えた。
人斬りとしてどちらの狂気がより上か。
その争いであるかのようだった。
不意に天から、濡れる地面を穿つ稲妻が落ちた。
それまで厚い雲の内に溜め込まれていた、凄まじい光と音が破裂した。
周辺の木造家屋がびりりと震える。
「ひいっ」
出川がびくりと声を上げる。
「ち、近いよっ」
水面に乱れが生じた。
丑三が、水面の先にある闇――藤本、ではなく、
さらに先の、一瞬の光によって浮かび上がったものを見つめていた。
「おか……むら」
藤本の肩越し、その先に岡村の顔があった。
窪んだ二つの闇の奥に覗く目が血走る。
同時に、藤本も自らの変化を感じていた。
ずく、ずく、と、左の足の甲が強く脈を打ちはじめている。
里田に負わされた傷だった。傷口がまた開いている。
長く泥水に浸り、熱を奪われ、体内へ汚れの侵入をゆるす。
足裏から、甲から滲み出る血が地面の泥水に混じっていく。
息が徐々に荒くなっている。
水面の向こうの影が歪む。
二人の間にあった均衡が、僅かに崩れつつあった。
ぴたりと合っていた点がずれ、それぞれの刀を握る指先を、頬を掠めはじめる。
それまで互いに違和を感じていながら、
己の自然であるがゆえに崩すことの出来なかった最短の一点が、逸れはじめていた。
「うごがぁぁぁあぁ」
丑三が咆哮した。
鍔元を合わせたまま、無理矢理に丑三が前に押し込む。
踏みとどまる事のできない藤本の足は泥の上を滑り、
やがて背中を民家の木塀に打ちつけられた。
「ぐぅっ」
塀がみしりと軋む。
丑三は何度も藤本を塀に押し付ける。
血走る眼を大きく開き顔を藤本によせ、手にした刀も忘れただ無闇に何度も、
他に術(すべ)を知らぬ駄々子のように、
叫びを上げながらただひたすら藤本の体を塀に押し込んだ。
塀に打ち付けられるたび低いうめきを漏らしながら、
藤本は瞬間を見はからって体を入れ替える。
目標を失った丑三が勢いのまま正面から塀に突っ込む。
刀を握る拳がそのまま表面の木目で擦れ、ぞりりと黒い血の跡を横一文字に残す。
「うぼぉおおおおおおああ」
痛みによる絶叫か、雄叫びか、
自らの拳を削る勢いのままに丑三が振り返る。
藤本はそれに素早く横薙ぎの剣を払った。
右回りに振り向こうとする瞬間の胴を右からの薙ぎである。
それなりの使い手なら或いは刀身で何とか受け止めることはできても、
体ごと避けるのは不可能の体勢である。
しかし、それを丑三は避けた。
後方にぐにゃりと上体を反らしたのである。
恐ろしいほど体が反り返る。
後ろに頭が地面につくほどである。もはや人に思えない形状であった。
藤本の刀が空を切り、塀に横一文字についた血の跡を上下に裂く。
激しい動きに着物がはだけ、丑三は肩から肌を雨に晒した。
上体の戻る動きで、丑三がしなる剣を打ち返す。
受ける刀をちっ、と擦り、藤本のこめかみが薄皮一枚裂ける。
辺りが暗いために、余計に変則的な剣筋が見えてこない。
着物と共に拘束を解かれたかのように、丑三の濡れた裸体がより変態的に躍動する。
それはもはや剣術と、それどころか人と呼べる類のものですらなかった。
人体の理(ことわり)としては明らかにおかしな動きなのである。
下段の払いを、ぴんと体を伸ばし上に高く跳んでかわす。
右袈裟にかけた上段を、右に体をぐにゃりと反らしてかわす。
でたらめであった。
しかし丑三は、驚異的な筋力と変態的な動きでそれでも見事に剣をかわしていくのである。
薄い髪が乱れ、広い額が雷光を照り返し妖しく輝く。
それはいつしか、藤本の剣とは全く異なるものになっていた。
丑三は、刀を使うことすら忘れていた。
顔面に拳を向けてくる。刀のときよりも迅い。
藤本はその迅さに刀で受ける事が出来ず反射的に後ろに引くが、
拳は異様なほどに伸びてくる。
上体をねじり、寸前でかわし切る。
が、軽い痛みと共に突然、視界が暗闇に覆われる。
泥が拳の中に隠されていた。
「くっ」
丑三の拳から流れ出た血の混じる泥水が、容赦なく藤本の目に侵入する。
反射的に顔を背けた。
「うひゃああああ」
同時に藤本の足に鈍い痛みが走る。
傷口の開いた足を、上から強く踏まれていた。
顔を鷲掴みにされ、強引に押し込まれる。
左足が踏まれたまま残っているために、耐えようにも体が後ろに倒れていく。
激しい痛みに、抗う瞬時の機会も失した。
「ぐっ」
藤本は泥水の入った目で目標も定まらぬまま、
残った刀で苦し紛れに丑三の足のあった場所を払った。
「ああああああああ」
軽い手応えがあった。と同時に左足が開放される。
藤本は体勢を立て直すために素早く足を引き寄せようとする。
しかしその瞬間、藤本の体が浮き上がった。
「片手で!?」
出川の叫びが耳に入る。
「なんて力だ」
その細い裸の上半にどれだけの膂力が秘められていたのか。
丑三は顔を掴んだ片手のみで藤本を宙に浮かせていた。
踏まれていた左足がむしろ枷となって、藤本の体を地に踏み留まらせていたのである。
羽毛のようにふわりと浮かんだ藤本の軽い体が、ぬかるみに打ち付けられる。
まずい。と藤本は感じた。
掴まれたままの頭が地面を打ち、脳が揺れた。
目に火花が散り、意識が一瞬遠のく。
頭が痺れ、ある種心地よく手足の力が抜けていく。
間を置かず腹に重みがのしかかった。
藤本の腹に残っていた息がうめきと共に外に吐きだされる。
丑三が上に、馬乗りにまたがっていた。
幸いだったのは、地面に仰向けになったことにより、
豪雨が藤本の目にまとわりついた泥水を洗い流したことだった。
上から迫る容赦の無い突き手を藤本は、
混濁する意識の中で寸前で首をひねり、かわす。
指先が視界を外れ、泥水を撥ね上げる。
「うぎゃあああああああああああ」
上に跨った影から叫び声が上がる。
地面を突いた丑三の指が、何本か逆の方向に曲がっていた。
しかしそれでも興奮の治まらない丑三は暇も無く周辺を見回し、
それまで片手に握ったままになっていた刀を急に思い出したかのように、
両手で持ち、上に大きく振りかぶった。
藤本はその瞬間を逃さず、密着した腰を動かして上乗りの丑三の体勢を崩す。
刀は藤本を逸れ、首筋のすぐ脇の地面に突き立つ。
丑三の力はそれに留まらず、さらに突き立った刀をぐにゃりと曲げてしまった。
一瞬、仰向けになったままの藤本と、次の手を失った上の丑三の視線が合う。
「うごお」
丑三が咆哮する。
大きく口を開いた丑三の顔が迫った。
拳と剣を失ったけだものは、今度は藤本の顔に喰らいつこうとしたのである。
藤本は腰を浮かし、体をねじって必死に顔をかわした。
肩に鋭い痛みが走った。
狙いを逸らされた丑三の口がずぼりと、深く藤本の肩に食い込んでいた。
二つの影が地面で重なる。
藤本は引き離さず、逆に自らの肩口に喰らいついた丑三をそのままに引き寄せ、
横に転がるようにして体の上下を入れ替えた。
自らが上乗りになると、丑三の額に手を当て、強引に引き剥がす。
「ぶっはあっ」
いくらかの肩の肉と共に丑三の顔が離れる。
歯がぼろぼろと地面に落ちる。
黒く変色した丑三の歯は、暗がりの泥水と区別がつかない。
顔が離れると、藤本は咄嗟に飛びのき立ち上がる。
次の瞬間には、丑三の“く”の字にひしゃげた刀が、藤本のいた宙を薙いでいた。
藤本は刀を構えなおし、じっと丑三を見つめる。
丑三はゆっくりと立ち上がると、曲がった刀を再び、構えなおした。
豪雨が続いている。
再び、天より地面を穿つ轟雷が落とされた。
刀に反射した一瞬の雷光が藤本の目をくらませる。
噛まれた肩が、ずくりと痛む。
頭を打ち付けたせいもあっただろうか。
不意に藤本の気が遠のいた。
その瞬間だった。
藤本の精神が吸い込まれた。
気のせいだったかもしれない。
傷に血が抜け、雨で体が冷えていたからかも知れない。
あるいはただの、偶然だったのかもしれない。
藤本は手元の『独り舞台』が微量に熱を持ちはじめているように感じた。
容赦ない豪雨が独り舞台の乱れた刃紋を打ち、姿を朧に霞ませる。
それがまるで熱を持った刀紋から、ゆらりと霞が立ち上っているように見える。
なぜか内から気分が昂揚していた。
それは今まで藤本が持った事の無い感情だった。
心が沸き立っていく。
対照的に体の感覚は失われ、静寂が精神の内を占めていく。
遠く、かすかに雨音が聞こえる。
時折光る雷も、音を無くしていた。
落雷の光に反射する雨粒が、きらきらと宙を舞いはじめる。
周りのすべてのものが藤本の心を盛り立てていく。
物陰に隠れた岡村と出川の顔が目に入った。
大きく口を開いて何かを叫んでいる。
しかしそれも心の内を占める静寂に掻き消され、聞こえない。
藤本はその幻想的な、ある種、浮かれ状態のまま、
舞い踊るようにして、独り舞台を宙に滑らせていた。
世界がいつもと違う景色に変わっていた。
火が飛んだ。
ざらりという手ごたえと共に、丑三のひしゃげた刀が折れた。いや、斬れた。
その勢いのまま、独り舞台が丑三の肩の肉を掠め取る。
藤本の手に微かに骨の手応えが残る。
肩の骨が肉と同じ断面で、斜めに損じていた。
切っ先の触れた丑三の頬が、ばくりと裂けていた。
どんな力が加わったのか。肩の肉を損じた丑三はそのまま、
まるで藤本の舞いに合わせ共に踊り狂うようにして、
数回くるくると回り、やがて力尽き、地面に伏した。
その間わずかしか刻は進んでいない。
しかしその時の藤本には、刻の流れという概念自体が感じられていなかった。
うつ伏せになり、全身で荒い呼吸を繰り返す丑三を藤本が見下ろした。
情勢は決していた。
藤本は振り上げた独り舞台の切っ先を、力尽きた丑三の首に定める。
心の昂揚に任せ、それを振り下ろそうとした時だった。
藤本の肩に、熱が広がった。
瞬時にして藤本の耳に音が戻る。
豪雨が全身を打ち、天には雷鳴が轟く。
その中に、乾いた音の余韻が残っていた。
銃声だった。
音の方向を振り返ると、いつの間にかすぐ近くにまで来ていた岡村が、
腰を落としたまま苦しそうにして、銃口を向けていた。
やがて体中の感覚が戻り、肩に広がった熱が痛みに変わっていく。
銃口は藤本の肩に向けられていた。
それを認識した時、藤本の体は力を失い、膝から崩れていた。
「藤本ーっ!」
岡村が走り寄り、倒れようとする藤本の体を支えた。
「岡村さん! 大丈夫ですか!」
「俺は無問題や」
「どうしちゃったんですか、藤本」
「わからん」
二人が会話しているのが聞こえる。
雨が藤本の顔を打ち続けている。体に全く力が入らなかった。
「岡村さん!」
出川が叫んだ。
出川の視線の先で、
それまで伏せたままだった丑三の体が、むくりと起き上がっていた。
亡霊の如く奇妙な立ち方をした丑三は、
角を欠いた肩から血をだらだらと流し続けながら、
折れた刀をもう片方の手で振り上げていた。
「丑三!」
「待て! 丑三!」
岡村は藤本を庇うようにして抱きかかえ、叫んだ。
すると。
岡村の顔を認めた途端、丑三の動きがぴたりと止まった。
「おかむら……」
「丑三!」
見る見る丑三の表情が変わっていく。
「あ……あ……」
今さら気がついたように、自分の欠けた肩を見る。
「あ……、あ……、あああああああああああああああ」
丑三は絶叫した。
恐怖が突然思い出されたように、
喉元から一気に叫びを溢れ出させていた。
「何だ!」
路地から人影が現れた。
人影は後ろから数人の仲間がやってくるのを待つと、
灯りを向けて叫んだ。
「いたぞ! 岡村だ! 銃も持っている!」
「やばいよやばいですよ! 岡村さん!」
「ちっ、銃声聞かれたか」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
二人の声を掻き消して丑三が叫んだ。
丑三は、血走った目で岡村の顔を一瞥すると、集団に向かって走り出していた。
「な、なんだ!」
「待て!」
「何者だっ!」
「あああああああああああああああああああ」
丑三は折れた刀を振り回しながら集団の中心に割って入っていく。
「構わん、斬れ!」
掛け声と共に数人が抜刀する。
集団が輪を広げる。
藤本の位置からは遠くてよく見えない。
幾つかの鉄と鉄の弾けあう音が響き、絶叫がこだまする。
暗闇に丑三の裸体が消えていく。
「丑三!」
「岡村さん! やばいですよ、今のうちに逃げましょう」
出川が二人を引いた。
「丑三!」
絶叫を遠くに聞きながら、三人は雨の中を走り出した。
三人はしばらく走ると息を切らせ、人気の無い民家の軒下で雨を避け、体を休めた。
「読瓜藩邸から、かなり離れちゃいましたね」
「藩邸はもう無理や、この様子だともう、連中に囲まれとるやろ」
「じゃあどうします」
「とりあえず歩いていくしかないやろ。馬も途中で拾うしかない」
藤本にはまだ、雨音がいくらか遠くに聞こえている。
辛うじて意識を失わず一人で動くことも出来たが、
先程の戦闘の影響なのか全身がだるく、黙ってただずっと二人についている。
「脇は平気ですか?」
出川は疎ましそうな視線を藤本に向け、岡村の脇腹に布を巻き直す。
岡村は逃げる間、ずっと脇腹を押さえていた。息も上がっている。
骨や内蔵を心配するほどの深さではないが、脇の肉が綺麗に横に裂けていた。
何となく分かっていた。自分が斬ったのだ。
手には岡村を斬った感触が残っている。いや正確には、残っていない。
藤本の独り舞台はあの時、するりと、
何の手ごたえも無く岡村の腹の上を滑った。
あれは何だったのだ。と藤本は思う。
心が吸い込まれた。全身が熱くなり、気分が上っていった。
楽しく舞い踊る。今までそんな状態になったことがない。
動揺があった。
わずか一時ではあるが、近寄るもの全てを斬り裂きたい衝動に飲み込まれそうになった。
岡村の銃で、目が覚めた。
「無問題や」
「なぜ逃げなかった」
丑三と戦っている間に、自分たちだけ逃げる隙はいくらでもあったはずである。
兵庫に抜けるという本人達の目的を考えれば、それが一番正しい。
「しょうもない」
突然口を開いた藤本にびくりとする出川の横で、岡村が吐き捨てるように言った。
雨は止むことなく、足を弱めたかと思えば、また激しく降る。
光と音が止むことは無い。
時折、大勢の足音が近くに迫る事もある。
そのたびに岡村は黙り、出川は怯えた。
出川が脇に布を巻き直し終えると、岡村は藤本のほうを見た。
「その刀……」
黒い何の変哲も無い拵(こしらえ)のに収まる『独り舞台』を見て、
ごくりと唾を飲み込む。
「やっぱええわ。戻れなくなりそうや」
伸ばしかけた手を引っ込める。
「宿でも見してもろたけどな、それ、なんやこわい刀やで。
これでも刀は結構好きでな。斬るのは嫌いやけど。
今まで色んな差料見てきたけど、それは普通のもんやない」
藤本は黙っている。
「見たとこそう古い刀でもないみたいやけど。
身が腰からすうっと、きれいに先まで緊張が続いとる。昔の太刀みたいな姿や。
刃は小っさな湾(のた)れに重なって、
薄い乱れが上に霞みみたいにすうと浮かび上がっとる。ものとしては見事なもんや」
出川は一介の浪人者が、へえ、というような顔で藤本の腰の刀を見る。
「なんて言うんかな。前にな。たかーい山登ったとき、
裾から風が吹き上がって、雲海の上に乗ってた薄雲が乱れてな、
一瞬やけど、縦に渦を巻いたんや。そんなん思い出したわ」
「雲海ってなんですか」
「雲の海や。ちょうどこんな空のな、
雲の上に出ると、海みたいにばあーっと、雲が広がっとるんや」
「へえ……」
「山の上にも海はあるんやで」
岡村が嬉しそうに言った。
「昔から変なところばっかり行ってたんですね」
出川は半信半疑に頷く。
「そやけどな。ものの出来はともかく、これは危ないで」
「ど、どういうことですか。まさかお化けとかですか!」
「うっさいなお前は」
岡村は藤本を見る。
「あんなあ。お前、一人なんか」
藤本は黙って岡村を見返す。
「あの斬り合い見て、なんか思ったわ。あれは一人ぼっちの剣や。
さっきもそうや、戦ってるお前ら捨てて逃げるとか、仲間のいる人間の発想ちゃうやろ」
「仲間?」
「そうや。お前みたいなんがそういう斬れる刀を持つと危ないんや。
丑三も、そうや。一人ぼっちやった。
だから武田っちゅう強い光に引かれて行きよったんや」
「滅茶勤王党の党首、武田真治ですか」
出川が言う。
「そうや、武田は強烈な光やった。阿佐の勤王派をまとめ上げるほどやからな。
そやから丑三も、武田に言われるままに人を斬ってればなんも悩むことはなかった。
お前もそうだったんやないか。藤本」
藤本は何も答えない。
「けど、武田を失って、あいつはおかしくなりそうになった。
俺は丑三を昔からよう知っとる。そやから、あいつには普通に生きて欲しかったんや。
本当なら剣を捨てるべきやと思った。
そやけどあいつは武田と一緒に京に上って、人を斬りまくった。
もう遅いかもしれん、とは思った。
でも武田が死んだ時、もう一度やり直せるかもしれんと思って、
牢から出されたあいつを助けた。友達やからな。それなのにあの連中……」
岡村が怒りに歯軋りする。
「丑三はあれ、どうしちゃったんですか」
「薬や。……たぶん、阿片やろ」
「阿片? ご禁制じゃないですか!」
「あの連中、丑三を薬漬けにしよったんや」
握った拳が震えている。
しかし岡村は、心を落ち着けるようにゆっくりと息を吐き、藤本を見た。
「でもな藤本。俺には丑三より、お前のほうが哀しく見えたで。
お前は、寂しさの意味も、わかっとらんのと違うか」
寂しさの意味もわからない。藤本には、岡村の言っていることがよくわからなかった。
「一緒に来いや、藤本。お前も人斬りなんてやめて、もっと普通に生きるべきなんや。
俺が世界のでっかさを見せてやる。会府はお前ら雇ってどうするつもりやねん。
いいように使って、いらなくなったら捨てるだけちゃうんか」
「普通に生きる……」
「簡単な事や、自由になればええ。もう人斬りなんていらん時代が来る。
旧態依然とした幕府に海外の列強と渡り合う力は無い。
あの清国でさえも英国に食われてもうたんやで。もう侍の時代は終わるんや」
藤本の腰の刀を見る。
「結局な、世の中は波に乗ってかなあかんねん。
世界を相手にするには刀だけじゃもう意味ないねん。
武田も、濱口も、山本も死んだ。刀で世の中は、もう変わらんのや」
「岡村さん、興奮しすぎですよ」
「藤本。自由になれ。雲みたいに自由にや。
あの時の雲海はきれいやったで。ほんまにあのまんま龍にでもなって、
天上を泳いでいけそうな気分になった」
「自由……」
自由という言葉に、藤本は昔の出来事を思い出していた。
鴨の河原での夜。
たった半年ほど前の出来事なのに、今では遥か昔の事に思える。
その時にも、自由という言葉を聞いた。
「自由とは多くの犠牲の上に成り立つものという事をご承知か」
不意に声がした。
「誰だ!」
出川が叫ぶ。
一人、笠を頭に被った武士が立っていた。
「雲は自由だろう。しかしそれは風があるからだ。
風の下には多くの人がいる。風に乗れるのは、風を吹かせる者がいるからだ」
「そうや。だから俺は自分で風を吹かす」
「一人の風で人は飛べまい。下には多くの犠牲がある」
「犠牲やったらお前らのが出しとるんちゃうのか。
風を吹かすのはみんなの意志や。時代が風を吹かす」
「時代ではない。貴様らの煽動だ」
「みんな飛ぶことを望んどる。譲り合ってたら誰も飛べへん。おかしいやないか」
「それが覇牢を潰すということなら、それは自由ではなく我欲に過ぎない」
「お前とわかり合うには時間がかかるかもしれんな。……安倍」
岡村が武士の名を言った。
「わかり合うことを避けたのは貴方たち反幕派だ」
三人から二間ほど離れた場所に、
足を肩幅に開き、胸を張り、
壬生娘。さくら組局長安倍なつみが一人、悠然と豪雨の中に立っている。
「お久し振りです。先生」
安倍が小さく頭を下げる。
目を閉じたままの安倍を見て岡村が言う。
「そやったな。お前、目が……」
「屯所までご同行願います」
「すまん。今戻るわけにはいかんのや。仲間を探さなあかん」
「ならば、刀の力ででも」
「やっぱ駄目か」
岡村が銃を構える。
その刹那、ちっと安倍が鯉口を切った。
瞬息であった。
雨の中を少しの揺らぎも無く、ぬかるみに一つの波紋も残さず、
銃口が安倍に向けきる前に、安倍が間合いを詰めた。
岡村は雨に顔を打たれながら目標を定められず、瞬きを繰り返す。
その間にも抜き放たれた安倍の切っ先が岡村を――正確には岡村の銃を、襲う。
豪雨に火花が散った。
岡村が後ろによろけ、呆然とただ立ち尽くしていた出川に体を預ける。
岡村の目の前に、藤本の背中があった。
一瞬で鞘から抜き放たれた藤本の『独り舞台』が、
安倍の刀を受け止め、食い込んでいた。
「その男と行くか。藤本」
安倍が静かに言った。
「行く言うたら、どうする」
後ろの岡村が答える。
藤本と重ねる刀に力が込もる。
「局を脱するを許さず。法度を忘れたわけではあるまい」
安倍は表情を変えず続けた。
「この場で私が貴様を斬る」
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過去ログの保存、現行の保全、ありがとうこざいます。
半年くらいで終わるだろうと思っていたのも今は昔。
待たせてすいません。
独り舞台についてですが、
参考にしたものはいくつかありますがモデルと呼べる一振りは挙げられません。
文章からそれぞれに想像して楽しんでもらえるとありがたいです。
模造刀で探すとすれば、
反り深め細身で、刃文は小湾れ基調の乱れで気に入ったものがあれば、きっとそれです。
樋、彫物はなるべく入っていないもので。
拵は挙げられている国重の柄、鞘のような感じで問題ないかと。鍔、金具等はお好みで。
自分だけの一振りを見つけるのも後々楽しいかもしれません。
あと、娘。小説を書くのはこれが初めてです。
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キタワァ*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゚゚・*
さっそく模造刀探してみようw
更新乙です
丑三はもう助かりそうにないな
「独り舞台」って言い換えると「ソロ」になることに気付いた
>>114 つーか、ソロコンサート。
>藤本はその幻想的な、ある種、浮かれ状態のまま、
これはロマンチック浮かれモードかな。
随所に見られる遊びごころが素敵。
それは深読みしすぎではないだろうか・・・
他にも遊びごころあったら教えて
117 :
116:04/12/17 22:56:55 ID:4F2MIZoY
>いつもと違う景色に変わっていた。
ロマンティック浮かれモードの歌詞ダッタノカ━(゚∀゚)━!!
深読みなどと言ってごめんちゃい。
遊び心といえば
>>72のせんこう花火(セカンドモーニング収録、安倍さんの初ソロ)が好き
作者さんとは好みが似てるようで嬉しいよ
面白すぎるぜ、ずるいぜ
武州住上杉洋史って編曲者だったのか…
( ^▽^)<この程度のスレにはこの程度の保全がお似合いだ ハッハッハ
122 :
名無し募集中。。。:04/12/27 21:50:48 ID:9PSCj2ro
この程度とか言うなよ
123 :
かごあいぼんのブラジャー研究家(脳内) ◆l7vBXJpwWI :04/12/27 21:51:54 ID:bP7jE8io
価値が一番高いのは
かごあいぼんのぶらじゃー
どうでもいいけどsageてね。
保全
126 :
名無し募集中。。。:05/01/07 23:40:47 ID:b3qlZ0hg
価値なんてないよ
127 :
名無し募集中。。。:05/01/08 20:46:58 ID:7+55GFYk
人が人に価値つけるとかそんなん違うだろ!
お前らの価値はどれほどのもんなんだよ!
さげろ!
( ´・ω・`)今週は更新なしか…
最初から読んでみたいんですけど何処行ったら読めますか?
初心者なんですいません。
そろそろ禁断症状が出てきましたよ
三、天賦天稟
船頭の姿が消えたその先に、水の柱が立って消えた。
「あいぼんあそこ!」
辻の指さした方向に、岸に這い上がろうとする船頭の背中が見える。
揺れる視界の中のそれは、どんどんと遠ざかり小さくなっていく。
「の、のの! つかまえて!」
加護は雨中に叫んだ。
「どうやって!」
「ど、どうやってって……飛び込んで! はやく!」
船上で身を支えるのに必死で両手が離せず、顎で水面をさす。
墨汁のように黒くねっとりとした川の水は大きく波を打ち、
始まりも終わりも無いうねりを延々と繰り返している。
加護は見ているだけで言い知れぬ不安に囚われてしまいそうになるので、
なるべく目を向けないようにしていた。
「ごめん! 無理!」
叫びが返ってくる。
「なんで!?」
「こわい〜!」
「なんでやねん!」
「あ、本場だ」
「うっさいわ!」
見れば辻も同じように腰が上がらなくなっていて、
今は何故か嬉しそうに笑っている。
(泳ぎに自信ある言うてたやないか阿呆)
加護は必死に舟にしがみつきながら、心の中で悪態をついた。
舟の上に灯りはない。
船頭の姿が雨と暗闇に視界を阻まれ見えなくなっていく中、
二人を乗せた舟はただ下流に流されていく。
岸に点々と並ぶ灯籠の火が、一つ前方に現れては、一つ後方に消えていく。
一葉の葉にも等しい木製の小舟は波に翻弄されるがまま、縁をたびたび岸の石垣にぶつける。
船体が軋み、縁を削り取られ、何度も転覆しそうになる。
そのたびに二人は悲鳴を上げ、必死に舟にしがみつく。
小さな舟が三つ四つ、やっとすれ違えるかどうかという程度の川幅である。
岸から眺めれば、騒ぐ二人は大層滑稽な姿であるに違いない。
しかし乗っている側にしてみればそれどころではない。
高瀬川は元々、京を縦断する物資運搬路としての役割のみを求めて造られたようなもので、
平底の舟を行き来させることだけを目的とした本来の水量は高瀬の名の通り、
腰が浸かるか浸からないかというほどに少なく、底は浅い。
それが今や、加護程度の背丈なら恐らく顔も出ないほどにかさを増し、荒れている。
こうなると浅瀬のための平底がかえって水中の安定を悪くし、
水面のうねりにいいように弄ばれてしまう。
これでは荒れ馬に乗るのと同じである。
流れも人の脚より速く、後ろの隊士たちの姿はとっくに見えなくなってしまっている。
暴れる小舟にしがみつきながら、
やはり船頭のあれは嘘だったのだと加護は確信していた。
そもそも高瀬川を行き交う舟の殆どは引き船と呼ばれるもので、
繋いだ綱を数人に引かせて移動するのが普通なのである。
それをこの雨の中、深夜に棹一本で下ろうとしていたのだから、
あの船頭がいかに無茶な試みをしていたかがわかる。
(それにこの阿片……)
突っ張っている手の指の先に、ぬめりとした感触が残っている。
武器では無かったが、ご禁制である。これも抜け荷である事は間違いない。
「自分で言ったんだからののが何とかしなよ!」
手を突っ張らせながら顔も見れずに叫ぶが、返事は返ってこない。
たまにうめき声は聞こえてくるのだからいるのだろうが、
きっともう、声も出せなくなっているのだろう。
いらつく。
いつもそうだ。
この子ははなから、何事にも責任を負うつもりが無かった。
自分の言動で周りを突き動かしていながら、
いざとなってもその責任を自分で負う気が無い。
黒谷の屋敷で、京で戦が始まるかもしれないと聞かされた。
そうなれば幕臣となった壬生娘。組は、
正式の幕軍として倒幕派と相対する急先鋒になる。
それまで田舎出身の浪士の集まりでしかなかった自分たちには考えるべくもなかった、
途方も無く高い身分と、そしてそれに伴う責務。
もう、大きなものの庇護のもとで上だけを向き、
好きに殊勲のみを追い求めていればいい時代は終わりを告げる。
局長の飯田や安倍は、いずれ本当に一国一城の主になるに違いない。
これからの壬生娘。は自らの意志で、力で、世に道を作り、
そしてそれを守っていかなければならない。
もちろん年長の幹部たちは、これまでも十分そのつもりでやってきたのだろうし、
幕軍に属するどの武士よりも武士であろうとしていたに違いない。
しかし加護自身には、これまでそれほどの意識は無かった。
それは、壬生娘。組の中における自分たちとも同じだと思った。
高揚と不安の二つが交互に加護の胸を打つ。
(私たち、もういつまでもそういうんじゃいられないんだよ)
加護は心の中で呟いた。
小さな橋を幾つかくぐった後。
乗る二人の目線ほどの低さの橋が目の前に迫った。
「あぶない!」
加護は叫ぶと同時に身を舟の底に低く這わせる。
すると辻も同時に伏せたせいか、舟が大きく揺られ、側の石垣に舳先を向ける。
「右! あたる!」
咄嗟に右の手を舟の縁から離す。
それまで加護の右手のあった場所で石と木が擦れあって激しい音がした。
衝撃と共に舟が大きく揺れた。
高瀬川を行く舟の殆どは引き船であるため、
綱引きたちが行き来するための路が川に沿って堀の内側に通っており、
橋もそれがくぐれるように、高めに架けてある。
その橋が目の前に迫るほどの水量なのである。もちろん人が通るための路など水の下だ。
舟は幸いにもまだ舟の形を保っていたが、このままでは舟がただの木片になるか、
あるいは橋に頭を削られるか、どちらにせよ刻の問題である。
もはや、意を決して水の中に飛び込むしかないか。
と、眼前の黒いうねりに唾を飲み込んだ時である。
加護は視界の端に映るあるものを見つけ、先の暗闇に目を凝らした。
先の橋の袂に、灯籠の小さな火を照り返して艶やかに光るものがある。
木の板であった。
ちょうど畳一枚分ほどの、赤松の木材か何かのような厚めのものが二枚ほど、
橋の袂から川に向かって斜めに垂れている。
激しい雨がその上を打ち、ちょうど川に注ぎこむ滝のようになっている。
その流れに灯籠の火が反射して見えたのだ。
(荷揚げの板?)
高瀬川の所々には、入り江のような形状をした舟入場がいくつか設けられている。
運ばれてきた荷の揚げ下ろしをする、言わば港のような場所である。
しかしそれらに遠い店屋は、面倒を嫌い、川の途中で直接荷を揚げてしまおうと、
橋を土台にして板を通し、簡易な荷揚げ場にしてしまうことがある。
それが放置されたままになっていたのか、高い水面に触れてぐらぐらと揺れながら、
雨の重みで斜めに傾き、川に水を注ぎ込ませている。
(……いけるかも)
橋によっては目の前に迫るくらいの高さなのだ。
揺られて岸に着けることもままならない舟の上だが、二人同時に飛べば十分に届く高さにある。
「のん!」
加護は板を指さした。
「あれに飛ぼう」
「ええ!」
辻が悲惨な顔を向ける。口がへの字になり、今にも泣き出しそうだ。
恐さでもうどうにもならなくなっているらしい。
「ほら、行くよ!」
辻が弱っていると、加護は不思議と勇気が出た。
「ばらばらに飛ぶと舟が揺れるから、同時に飛ぼう。息を合わせて」
加護がうながすと辻はようやく、情けない顔のまま腰を上げた。
橋が徐々に近づいてくる。
「いっせーの、で飛ぶからね」
「の? いっせーの、せじゃないの?」
「せ?」
「普通そうでしょ?」
「普通違うよ」
「江戸ではそうだよ」
「こっちじゃそうなの。いっせーの、で行くよ」
「……わかった」
「じゃ行くよ。いっせーの!」
紺野の言葉にも、石川はあまり驚いていない様子だった。
「そう。舞ちゃんが」
灯を暗がりにかざし、倒れている者たちの身なりを確かめながら呟く。
「動ける者から捕縛を順に。手すきの者は怪我人の処置。
全員、屯所に連れて行くから捕縛を優先させて。それと、
そこの爪先を斬られているのがこの中で偉いみたいだから特別扱い。逃がさないで」
安倍が去ってから間も無くして、石川の隊の者たちが追って現れた。
石川はそれらに一つずつてきぱきと指示を与えながら、
心配してなのか、まめに紺野にも話し掛けてくる。
既に何人かは逃走しているが、
残っている者達は皆、安倍によって一瞬に刀を折られ、足の腱を斬られ、
あるいは手首より先を失い、動けずただうめいている者ばかりで、
さながら戦場の様相である。
紺野は自分の太ももに巻かれた布をもう一度、きつく縛り上げる。
「んっ」
強い痛みに思わず声が漏れる。
だが、きつく縛っておけばやがて血は止まり、これ以上の体温の低下は防げる。
血を止めたままでは、やがて太ももから下が腐り落ちてしまうが、
その前に痺れが来るので、きっと痛みは無いだろう。
「早く……安倍さんを追いかけないと」
紺野が訴えると、石川は作業を続けながら優しく微笑んだ。
「もう少し、したらね」
「紺野の隊も途中で見かけたから、もうすぐ追いついてくるはずだよ。
それからでもいい」
倒れている者の中からうめき声が聞こえてくる。
安倍は確かに強い。
あの時、紺野には何が起きたのか全く分からなかった。
途中の動作までは見えていた。
だが、雨中の暗闇に閃光の如く火花が散ったと気づいた時には、全てが終わっていた。
とは言え、岡村と藤本を追った安倍の先には里田もいるのだ。
「でもこのまま安倍さん一人じゃ」
安倍がどれほどの剣力を有していようと、強さだけの問題ではない。
目も見えないのだ。人手が多いに越した事は無いのではないかと思う。
「一人の方がかえっていい場合もあるのよ」
紺野が首を傾げると、石川は肩をすくめてみせる。
「間違えて味方を斬っちゃう心配も無いし」
「まさか」
味方を斬るというのは冗談だろうが、しかし石川の言い方から、
先に一人だけで行かせたこと自体に何か意味があるのかと思った。
思えば安倍自身も、急いで先に行こうとしていたようにも見えた。
「そう?」
石川はとぼけた顔をしてみせる。
「信じているんですね」
「ん? あたりまえよお。あの人はね。ずっと壬生娘。の先頭に立ってきた人なんだから」
ふっと言った後で紺野は、
何となく迂闊にその言葉を口にしてしまったような気がして、
後ろめたさに思わず目を伏せた。
それが伝わってしまったのか、石川は少し間を置いてから、微笑みながら静かに言った。
「そうだよ。この先何が起ころうと、それは変わらないよ」
加護の予想した通り、辻は「いっせーの」の「の」から少し遅れて飛んだ。
器用な人間ではないのである。
どないやねんと心の中で言う。いつもこうした場面で気を使うのは自分のほうだ。
しかしぴたりと拍子のあった二人の踏み切りは、舟の平底と水面の間に一時の安定を与え、
二人はそのまま水の流れ落ちる板の上を駆け上がった。
加護の足が水流に取られ、滑り落ちそうになるのを、辻がすかさず手を伸ばして支えた。
二人の離れた舟は重心を失い、くるくると回りながら橋脚にぶつかり、石垣に当たり、
少しずつ形を変えながら下流へと消えていった。
「あいぼんの重さで落ちなくて良かったね」
「うっさい」
思わず返すと、また辻が嬉しそうな顔をしていたので、それ以上言うのはやめた。
それからふっと目を流し、加護はあるものを見つけて顔色を変えた。
「のの」
声を潜める。
「なに?」
視線の先――。
目立って川沿いに設けられた建物の周りに、多くの人影があった。
伏見京橋、船番所。
川に流され、もうすぐその近くまでやって来てしまっていたのだった。
人影は建物の裏口に固まり、小屋の中から出てきた者と何かやりとりをしている。
小屋から漏れた明かりが数人の男の姿を映し出している。町人ではない。
しかしいかにも忍びで行動しているらしく、一様に色の暗い着物を身につけ、
笠を深く被り、目を隠している。
そして。
「あ! あのせん……ふが」
思わず叫ぼうとする辻の口を慌てて手で押さえた。
「静かに!」
その集団の中に、あの船頭の姿があった。
「阿佐藩みたいね」
しばらく黙々と調べていた石川は、
彼らの中から比較的状態のいい笠と蓑を奪い取り、紺野に渡した。
「……確かですか」
おぼつかない手つきで笠と蓑を身に纏いながら、紺野は石川を見た。
「うん。安倍さんも小栗流って言ってたでしょ。小栗流は阿佐で大きい流派だし」
士を称する者の多くは、それが自であれ他であれ、
よほどの訓練を受けている者でなければ、そう身元を隠しおおせるものではない。
それは自身が士である事に誇りを持ち、
名を隠す事をむしろ恥とする意識が強く働いて邪魔をするからである。
「でも、阿佐藩が同じ郷の岡村さんを狙うんですか」
石川は忙しそうに隊士たちの動きに目を配りながら答える。
「勤王派の残党じゃないのかな。あの人敵多いから」
つまり幕府側の五木ひろし公を頼って京に現れた岡村を、
一義公に弾圧され行き場を失った阿佐藩内勤王派が追っている。ということか。
「じゃあ、里田さんも、勤王派の?」
「う……ん……」
そこで石川は首を捻り、黙った。
確かに、紺野と一緒にいた時の里田の行動は、
今にしてみればたとえ反壬生娘。組的なものであったとしても、
阿佐とのつながりは感じさせていない。
もし阿佐勤王派の仲間であるなら、紺野を罠にかけたとき、
あんな手の込んだ呼び寄せ方をするまでも無かったはずである。
里田は、岡村を追っていたこの阿佐との接触は避けていたと見るべきだ。
しかしそうするならば、里田は一体何の目的で動いているのだろう。
いやそれより、何者なのか。
里田のにかりとした笑顔が紺野の脳裏に甦る。
(あなたみたいなのを見てると、心底むかついてくる)
太ももがずきりと痛み、紺野は小さく体を震わせる。
「焦るのはやめよう、紺野」
気がつくと、石川が紺野の目を見つめていた。
「ゆっくりと、目の前のことを一つ一つやっていけばいつか答えには辿り着くから」
焦ってなどいない。と思う。
自分は人よりむしろ落ち着いているほうだと思っている。
むしろ、感情が少ない事にいくらかの後ろめたさを感じているほどである。
焦る理由などない。と思う。
自分は安倍にはなれない。始めから持っているものが違うのだから。
「もう諦めてたでしょ。紺野」
石川は真面目な顔をしている。怒っているようにも見えた。
「私たちが来た時、紺野、勝手に死のうと決めてたでしょ。駄目だよ。そんなんじゃ」
少し違う。と思った。男達に追い詰められたあの時、
状況的に無理を悟り、意味のない抵抗をやめただけだった。
現にあの場で無駄に抵抗しても、やはり斬られていたと思うし、
無駄に抵抗をしなくても、別の要素があってこのように生きている。
「焦るから諦めたくなるんだよ」
そんなことはないと思った。
「諦めて、投げ出したくなるのは、焦ってるからなんだよ」
少ししつこいと思った。
「諸行無常って言葉、知ってますか石川さん」
「そおんな、年寄りみたいな事言わないでよ。ねえ?」
石川は困ったように笑う。
「若いんだからさあ、もっとこう、焦るんじゃないんだけど、
こう、必死にさあ。若いんだから、ねえ?」
「石川さんは、いつも必死ですもんね」
何気なく言うと、石川は少しむっとした。
「……行っちゃう?」
「待って」
構わず前へ進もうとする辻を加護は手で制止する。
「状況がわからないうちに飛び込んでもしょうがないでしょ。
あいつらの正体がまだわからないし。こっち二人しかいないんだから」
「大丈夫大丈夫」
また辻が投げ槍に言うので、いらっとくる。
また思いつきで動こうとしているのだ。
「大丈夫じゃない」
「……そう?」
怒って言うと、辻は首を傾げる。
加護は小さくため息を吐くと、腰に刀が納まっていることを確認して、
笠の縁をぐっと深めに下げた。
「とりあえず様子を探ろう。それから」
船番所は普通の建物としては少々特殊で、
まず、川の傍に舟を寄せて検分を行うための小さな小屋があり、
その後ろに、間口の大きく開いた屋敷が控えている。
言わば川に向かって開かれた舞台のような形だ。
大きな検分の時にはそこに頭、奉行などの役職が座し、執り行う。
その建物の、背側の戸口に男達が集まっており、更に離れたところに加護たちがいる。
近くの京橋の周りには建物がぽつぽつとあるが、
少し離れれば何もない野原が広がっている。
いくら京の都とは言え、中心を離れればこんなものである。
「突っ込んじゃえばなんとかなるんじゃないの。場所は悪くないよ」
「ならない。大体、私たちは抜け荷を探ってるんだから、
ただ斬ればいいってもんじゃないの。
船頭もそうだし、他の怪しい連中も逃がしちゃだめでしょ」
「……そうなの?」
「そう」
一度説き伏せれば辻は従う。その意味では楽と言えば楽なのだが。
どうも辻は、自分といると歳が後退しているように思える。
二人で会話をしていると、どんどん阿呆らしい方向に行きがちなのだ。
まるで加護が怒るのを待っているかのように。
そこがまた、馬鹿にされているようでいらつく。
背の高い草に隠れて少しずつ、屋敷に近づく。
戸口では慌てふためく船頭を中心に数人の男が会話を重ねている。
ここからでは遠くてよく聞こえない。
外の他の者たちはしきりに、手元の刀の具合を確かめたり、
会話が終わるのを待っている様子である。数は多い。
雨足が強くなっていた。大粒の雨が笠を打ち、
加護はその音が相手に聞き取られないように、身を屈めて草むらの中に紛れる。
頭上の雲の奥のほうで、いくつもの岩がごろごろと力を貯えている。
これまでも遠くのほうでは、何度か落雷の音はしていた。
音は徐々に近づいている。間も無くして、ここも雷鳴に包まれるかもしれない。
そう思った時だった。
目の前が白ずんだかと思うと、強烈な轟音が大地を叩きつけた。
周囲の建物が、草木が、大気がびりびりと震える。
突如の落雷だった。
加護は一瞬の恐怖に目を塞ぎ、咄嗟に悲鳴が漏れそうになる口を両手で強く押さえた。
何であれ、これほどの落雷があれば男たちは反射的に周囲を見渡すだろう。
もしかしたら、光に姿が浮かび上がってしまうかもしれない。声を漏らしてはいけない。
しかし同時に、その隣で、何枚重ねもの布を引き裂くような、
あるいは巨大な蛙を踏み潰したかのような絶叫が響いた。
「うわあああああああああああああああああ」
辻だった。
(えええええええええーーーーーーーー??)
加護は心の中で絶叫した。
ののたーん
ははは
ののたんはお茶目だな
これが妖刀村正か
ほしゅ
「誰だ!」
屋敷近くの男達が一斉に振り返った。
「……あ」
草陰に隠れたまま、辻が気まずそうに加護の顔を見る。目の端には涙が浮かんでいる。
「おい、そこにいるのは誰だ」
影の群れがゆっくりと近づいてくる。
暗がりを警戒しているのか、不用意に距離は詰めてこない。
(間合いのとり方が慣れてる)
見れば、一部笠を被っていない者の月代は丁寧に剃り上げられており、
所作、身なりからしても、ただの浮浪人の集団には見えない。
「いるのは分かっている。子供か?」
加護はそれでもまだ、身を潜ませたままやり過ごせるかとも思ったが、
棹のようなものと、灯りの入ったがんどうを手にした男達は、
じわじわと自分たちのいる場所に近づいてくる。
周りに建物の無いこの状況では、このまま見つからず逃げおおせそうにはない。
「のののせいだからね」
小声で辻を睨む。
「……ごめん」
そのまま、犬のようにしぼんだ辻を手で制すると、
加護はすっと一人だけ、草むらの中から立ち上がった。
すかさず、がんどうの灯りが加護の姿を照らし出す。
「何者だ?」
「あんたたちこそ何者さ」
眩しさに目を細め、わざと不機嫌そうに言う。
「……子供か」
「どうだろうね」
表情は変えず、声を発した先頭の男を見た。
「辺りには誰もいないようです」
報告を受けて、どうやら頭格だったらしい先頭の男が向き直る。
「一人だけか」
加護は答えない。
「ここで何をしていた?」
灯りが下から舐めるように加護の全身を照らしていく。
そして、腰に差された二本の刀を照らし出したところで、男の表情が変わった。
「……お前、何者だ?」
「だから、あんたたちこそ何者さ」
このまま数人を斬って逃げるか。とも考えた。
しかし今を逃せば、壬生娘。組が探っている事をこの連中が知れば、
再び戦力を整えて戻ってきた時には、何もかも残っていない可能性がある。
すると集団の後方から、枯れた叫び声が上がった。
「あ! お前!」
先程の船頭だった。
「こ、こいつですよ! 壬生娘。組!」
「壬生娘。だと!?」
男達に動揺が広がる。
その一瞬を加護は見逃さなかった。
下げたままだった手のひらを草陰に向かって小さく振る。
次の瞬間。加護を照らしていたがんどうが、真っ二つに割れた。
中からこぼれた落ちた蝋燭の火が、地面に辿りつく前に雨に消される。
辺りは一瞬にして再び暗闇に包まれる。
「なんだ!?」
「どうした!」
男達の怒号が飛び交い、囲みが緩む。
すぐ近くで息を潜めていた辻が、抜いた刀の切っ先をがんどうのあった場所に向けていた。
加護も追って刀を抜いた。
――だが。
この集団は戦いに慣れていた。
「慌てるな! 一旦下がれ!」
加護の思惑と違い、男達は無闇に飛び込んでくるようなことはせずに、
先頭の男の一声ですぐに囲みを広げ、
間合いを取って刀を抜き、あらためて距離をもって囲み直した。
それを見て加護は斬り込むのを躊躇した。
辻も合わせて動きを止める。
元より二対多の不利がある。
対集団戦の場合、陣形の崩れた箇所から攻め落とすのが常道である。
地形的に一対一の状況を作り出すことのできないこのような“平らな”場所では、
何らかのきっかけを使って多数の有利を瞬間的に崩し、
少しずつ相手の戦力を削り取りながら、戦力を拮抗させていくのである。
今の場合においては、一瞬の動揺に乗じて辻に灯りを消させたことがきっかけである。
加護は更に、そこで不用意に飛び込んでくる数人を制した後、
緊張の崩れた勢いのまま一気に場を制圧してしまう心づもりだった。
しかし思惑とは違い、
先頭の男の一声で集団は即座に距離をとり、嫌な間を持たれた。
多数の側に落ち着いて受身に回られれば、少数の側になす術は無い。
いかに壬生の狼と言えど、正面から真っ向力比べをさせられるような状況で、
多数を相手に容易に勝れるわけではない。
このままでは逆に、こちらが時間をかけてゆっくりと力を削られていってしまう。
「もう一人隠れていたか。……もう、いないだろうな」
敵は兵法を知っている。
これは正規の訓練を受けた軍属に近い武士のやり方だ。と加護は感じた。
間断無く屋敷の中から新しい灯りを持った武士が現れる。
対応は早く、統率もとれている。
「この人たち、やるね」
辻が加護に体を寄せてきた。
「うん」
二人で背中を合わせ、男達に向かい刀を構える形になっている。
「どうする?」
「どうしようか」
「……考えてないの?」
意外と言わんばかりの辻の言いっぷりに少しむかつく。
「あんたなんかいつも考えてないでしょ」
すると辻も口を尖らす。
「考えてるよ」
「じゃあたとえば今どんな」
「……なんとか、がんばる」
思わずふふんと鼻から笑いがこぼれてしまう。
「……なんだよ! あいぼんだって考えてなかったくせに!」
「考えてるよ」
「どうしようかって言ったじゃん」
「言いながら考えてるの! だいたいのののせいで見つかったんだからね。
最初に考えてた作戦がおじゃんだよ」
「……ごめん」
「お前ら聞いてんのか!」
男の怒号に、二人同時に振り返る。
「うっさいなあ。なに? やるの?」
加護は、まだいたのかと言わんばかりに、面倒臭そうに言った。
「ほっ」
先頭の男があからさまに失笑する。
「仮にもお嬢ちゃんたちがあの壬生娘。組だというのなら、
この状況もわかるだろう。抵抗するつもりならやめておけ。
多勢に無勢だ。どれだけ腕に自信があるか知らんが、こっちも素人じゃあないぞ」
すると加護は、不思議そうな顔をしてみせる。
「なに言ってるの? 数が少ないほうが有利なんだよ」
「? 何を言っている? こんな簡単なことは子供だってわかるだろう」
「本当だって。な? のの」
「ん?」
「適当に合わせとったらええねん」
肘で小突きながら囁く。
「あ、うん。そうそう」
辻が慌てて相槌を打つ。
「そうだよ。少ないほうが有利なんだからね!」
「……どういうつもりか知らないが、つまらん強がりはよせ。
こっちも無駄なことはしたくない」
「強がりじゃないってば。数が少ないほうがいいんだってば」
男は大げさに眉をしかめてみせた。
加護もよく知る、子供の扱いに困った大人の仕草だ。
「……まあ、そっちがそのつもりならしょうがない。
おい、周り囲め。油断するなよ」
加護の言葉を意味不明の子供の強がりと判断したのだろう。
先頭の男が指示すると、男達は加護達の後ろに回りこみ始めた。
固まっていた影がひとつひとつ分かれ、屋敷の明かりを背に横に広がっていく。
「のの、何人いる?」
辻が目を細め、手元で指を折りはじめる。
「二十……七?」
「にじゅうなな! 多いね〜」
「多すぎだよ」
「あと三で三十だもんねえ」
「女ならババアだよ」
二人で笑いをこらえ見つめ合う。
男の言った通りである。この鍛錬のされ方に、この人数。
いかに壬生娘。組組長たる加護と辻であろうとも、
一人が一度に相手できるのはせいぜい三、四人である。
状況は圧倒的に不利。
しかし加護には余裕があった。そしてその余裕は辻にも伝わっている。
いつもの二人だった。
布石はある。
左に七人、右に六人。辻の側に七、加護の側に六である。
残りはまだ奥に控えて、様子を窺っている。やはり油断がない。
(半分か……。左の寄せが甘い)
自分のいる右の側に比べると、辻の側にいる人間のほうが多めに間合いを取っている。
先程、がんどうを斬った辻の動きから、自分のほうが組し易しと見たか。
(まあ……正解なんだけど)
少し不機嫌になる。
「……右、いけそう?」
辻の耳元にそっと囁く。
「うん」
少しの間を置いて答えが返ってくる。
「よし」
「のの、わかってるよね」
「ん? ううん」
「いつもの感じで。はじめは二、三人でいい。
突っ込みすぎないで……わかってるよね。調子はこっちに合わせて」
「……うん」
「殺しちゃ駄目だよ。突きも禁止だからね」
「わかった。まかして」
「行くよ」
「お前ら何をこそこそと――」
先頭の男が言いかけた時である。
「せいぜい同士討ちしないように気をつけて」
加護の囁きと同時に、二人は左右の位置を瞬時に入れ替えた。
何の前触れもなく、まったく同時にである。
辻が地面を蹴り、加護を狙って寄せていた右側の相手に跳ぶ。
遅れて水しぶきが上がる。
「うおっ!」
鈍い音と共に男の叫び声が上がる。
加護の正面になった左側の七人は、二人が入れ替わった状況を把握できず、
消えた辻の方向で仲間が倒れた事に目を奪われている。
その隙を突いて加護が間合いを寄せる。
男達が気づき、慌てて身を引き刀を構え直そうとする。
しかしそれより速く、加護は刀の柄を手元でくるりと返すと、
遅れて残った一人を棟の部分で強く肩口から打ち据えた。
「ぐうっ」
ぬかるみに膝を落とし、前のめりに悶絶した。
峰打ちである。
刃の付いていない棟(峰)の側で相手を強く打ち据える、不殺の技である。
刃が無いとはいえ、鉄の棒で叩くのと同じだから無事では済まない。
当たれば骨は砕け、臓腑は破れる。
人を斬る技を磨くという事は、人体を知るということでもある。
どこを斬り、どこを突けば人は動かなくなり、絶命するか。それを人斬りは熟知する。
峰や木刀であれば、どこを打ち、どこを砕けば良いか。
この二人の場合、それを頭ではなく、体で覚えた。
上段から、首や頭を打てば死んでしまう可能性がある。
腕の骨は細くて折りやすいが、腕が折れても人は動けるし、
それに素早く刀を取りまわす必要のある密集した戦いにおいて、
胴から離れて自由に動く腕を、確実に折れる角度で狙って打つのは意外に面倒である。
また肋骨を狙えば、折れた骨が内蔵に突き刺さってしまう危険がある。
だから加護は、首と肩の間にある鎖骨を狙う。
鎖骨が折れると腕が上がらなくなる。しかもこれは体を捻るだけで痛い。
それに腕などと違って、当たれば確実に折れる。
そうやって既に一人倒した。
無理はしない。恐らく辻も何人か倒している。
加護の戦略を有効にするには、辻の分だけ十分の筈だ。
斬るのではなく、叩く剣法である。
集中を欠くことが多く、あまり微細な技を好まない大雑把な性格の辻には、
集団戦ではむしろ馴染みの良い剣法ではないかと加護は読んでいる。
振り返ると案の定、既に三人がこの一瞬で辻の足元に伏していた。
「お願いがあるんだけど」
無垢な表情で言い放つ辻の姿は、加護にとっても寒気のするものだった。
「あんまり抵抗しないで。殺しちゃう」
囲いが乱れる。
二人はそれを見逃さず、素早く列の中に体を入れ込む。
乱戦になれば数の有利は働かない。
この暗さで味方を斬ってしまう危険が出てきてしまうからである。
「列を乱すな! 同士討ちになる!」
しかし屋敷に近い、後ろの列で戦況を見守っていた頭格の男の叫びが飛んだ。
すると男たちはむきになって抵抗せずに、逃げるようにしてあっけなく身を更に引く。
「なんだ弱気だなあ」
加護の挑発にも乗ってこない。相手はまだ持久戦になれば負けはないと踏んでいる。
そしてその判断は、加護にとっては迷惑だが、向こうには正しい。
(……うん。まだ統制が取れてる)
「のの」
加護は引きながら辻に声をかけ、再び背中合わせになる。
両者の間合いが離れ、再び睨み合いに戻る。
「だから言ったじゃん! 少ないほうが有利って!」
息を切らせているのを悟られないように、大声で勝ち誇ったように煽り立てる。
「くそっ。かける人数を減らせ、少ない人数で追うんだ」
手前の男が興奮して言うが、追って後ろの頭格の男から怒号が続く。
「馬鹿! 乗せられるな。そうやって人を減らせるのが奴らの狙いだ。
しょせん相手は体の小さい餓鬼なんだ。こうやっていれば、そのうち体力が尽きる」
「ふん」
しかし加護は挑発を続ける。
「わかってないなあ〜」
加護は口を尖らし、その前で立てた人差し指を振ってみせた。
「小さいほうが有利なんだよ?」
男達を招くように指を伸ばす。
「ためしてみるぅ?」
とても年端の行かぬ子供のとは思えない、ぞくりとする妖艶な微笑だった。
「必死だよ」
石川は少しむっとした表情をしていた。
突然に近くで落ちた大きな雷に会話を遮られたすぐ後の事である。
反射的に身を縮こまらせた紺野は、
まさか彼女の怒りのあまりではあるまい。と上目遣いに顔を見た。
「昔はもっと大変だったんだよー。
私の場合はさあ、また同期が強烈だったからねえ」
紺野の横に並び、石川は壁に背中を預けた。
石川の同時期の入隊者といえば、吉澤、加護、辻の三人である。
「壬生娘に入るまで、私だってもうちょっとは、いけてると思ってたんだけどな」
「そんなに凄かったですか」
適当に相槌を打つ。
ぽたり、ぽたりと軒先から落ちる水滴が、目の前の水溜りに波紋を広げていく。
紺野は正直、石川の話にはそれほど興味を持たなかった。
しかし石川はそんな紺野に気がつかないのか、真っ黒な空を見上げたまま続ける。
「そう。私は壬生娘。組に入ってはじめて。うん。はじめて。
はじめて凄い人間っていうのを知ったの。本当にいるんだなって」
一人で上を見つめる石川は、少し自分に酔っているように見える。
しかし石川に元々そういう癖があることは知っているので、気にしなかった。
「よっし〜は、ほら〜、もう滅茶苦茶凄いじゃない」
何故か嬉しそうな笑顔を紺野に向ける。
「なんて言うかほら、もう凄いじゃない? 滅茶苦茶」
「はあ……」
「ね、凄いよね」
気のない紺野の返事でも満足できたのか、また空を見上げる。
「でねえ。辻ちゃんと、加護ちゃん。
あの二人はねえ。入ってきたとき、まだこんな小さくて、まあ今も小さいけど。
何て言うか、私のほうがお姉さんだから、
しっかりこの子たちの面倒見なくちゃいけないって思ってたのよ。ところがねえ……」
肩を落とす。
「とんでもない悪餓鬼だったのよ。ていうか糞餓鬼。
あ、そんな汚い言葉使っちゃいけないよね。私たち武士だし。
でもね。とにかく手がつけられない。
二人が一緒だと特にねえ、どうしようもなく手がつけられない。
あの子たち、一緒に生まれてきたんじゃないのってくらいに息が合って、
二人で一緒になっていたずらすんの。だから迷惑も二倍、
ていうか三倍くらい? もうちょっとあるかな? 紺野はどう思う?」
「わかりません」
「もう、とにかくうるさいし、
その頃屯所に使わせてもらってたお寺の仏像とか壊しちゃうし、
飯田さんとか幹部の人たちにも平気で失礼な事言うし、もう大変だった。
でねえ……。一番の問題だったのは」
さらに肩を落とす。
「とんでもなく強かったのよ。あの子たち。
すーぐ天狗になっちゃうから面と向かっては言わないけど、
……ああいうのを、天から授かるって言うのかなあ」
(天……)
その言葉が紺野の胸を密かに打つ。
「特に加護ちゃん。あの子は最初から特別な才能を持ってた。
兵法って言うかね。……あの子、周りを自分に引き込むことにかけては、
組の中でも一番の才能だったかもしれない」
はあと溜め息をつく。
「頭くるけど、調子に乗ったあの子は、
大の大人を手玉に取る事にかけちゃ、紛れも無い天才だったの」
「また強がりをっ! 舐めるのもいいかげんにしろ」
頭格の男が徐々に苛ついてきているのが分かる。
「強がりじゃないよぉ。だって、さっきだってそうだったじゃーん。なー、ののー?」
「んなー」
二人で顔を合わせて首を傾ける。
二人とは対照的に、周辺の気は張り詰めていく。
男達が、自分の言動に畏れを抱き始めているのだ。
加護はそれを逃さず畳みかけていく。
「あんたたちもさあ、この人信じていいの?」
頭格を指さす。
「いつまでも後ろでえばってるこんな人の言うことなんか信じてたら、
あたしたちにやられちゃうかもよ?」
「そうそう。降参しちゃいなさいって」
「うろたえるな。相手の術中に嵌るぞ」
頭格の男は、苛つきからか、盛んに地面を踏みはじめている。
雨が溜まり水田と化した草むらは、そのたびにしゃぐ、しゃぐと音を鳴らす。
(足元を警戒してる? ……濡れた草地の戦いに慣れていないのか)
気にかけていることが、苛つきゆえに無意識の行動に現れてしまっているのだ。
その近くでは、がんどうを照らす男が足をすくませている。
恐らく頭格が濡れた草地での戦いを恐れているために、
熟達していない男が灯りの役割をさせられているのだろう。
(それでいくか)
「次、足から行くよ。灯りで照らす順に」
耳元に囁く。辻にはそれだけで通じる。
「わかった」
「息整えて」
自分も、どくどくと鳴る心臓を落ち着かせる。
「いい?」
「うん」
また何の合図もなく、二人同時に動き出す。
男達は精神的に受身に回っているために動き出しが鈍くなっている。
辻が前に出る。
男達は辻の速さを畏れ、腰を引く。
しかし辻は囮である。
加護が、足がすくみ一歩下がり遅れた灯りの男の背後に回る。
「うわっ」
すかさず後ろから膝の裏に当身を入れる。男の膝が曲がる。
加護は膝を曲げる男の背が自分と同じくらいに沈むのを待つと、
刀を持った右手を後ろから首に絡める。
「ぐうっ」
そして左手で男の閂(かんぬき。手首)をがちりと極め、
その手に持たれていたがんどうを近くにいる、笠を被っていない男に向けた。
灯りが笠を被っていない男の綺麗に剃り上がった月代を照らし出した瞬間。
その姿が灯りの前から消えた。
「なにっ!?」
(次!)
加護は灯りを持った男を後ろから、
操り人形か二人羽織かとばかりにいいように振り回し、
さらに別の男に灯りを向ける。
同じく照らし出された瞬間に、姿が灯りから消えていく。
「な、なんだ!?」
男達が畏れおののく。
まるで灯りに人を蒸発させる力が宿っているかのように、
加護に照らし出された男が次々と姿を消していくのだ。
「惑わされるな! 下だ! 足元にいるぞ!」
慌てて別のがんどうが、姿が消えた辺りを照らし出す。
すると暗闇に、低く身を潜めた辻の姿が浮かび上がった。
「遅い」
しかしそのときには既に、
加護はがんどうを持った男を草むらに打ち捨て、列に飛び込んでいた。
辻が横に並ぶ。
男が次々と姿を消していたのは、
加護に照らされた男を、辻が次々と倒していたからだった。
加護はわざと高めに灯りを当てた。そこに低い体勢の辻の姿は映らない。
辻は敵の足を打っていた。
例えば脛。俗に弁慶の泣き所と言われる部位である。
当たれば声が出なくなるほどに痛い。
そして膝。膝は脆い。体重をかけて曲がった膝は正面から折るのは難しいが、
外から内に向かって側面を正確に打ち込めば、ぶちりと簡単に腱が切れ、壊れる。
腕と違って体重が乗っているために、力を外に逃がす事もできない
灯りに照らし出された瞬間に、辻の打撃によって膝を折られていたので、
次々に消えていったように見えたのである。
また、組し易い大人を瞬時に見抜く加護の灯りが、辻への指示となっていた。
「ぎゃあ!」
男が悲鳴を上げ、また一人草むらに姿を消す。
「くそっ! 捕まえろ!」
一瞬相手の腹に密着し、背中を預けたかと思うと、
嘲るように次の瞬間には脇の下をすり抜ける。
二人が腰を低くすると、大人の胸の高さにもならない。
男たちは逃げた犬でも捕まえるように、腰を低く屈めて右往左往するばかりだった。
(あと二十くらいか……)
男の脇を左右からもの凄い速さで抜けると同時に、
二人で左右の膝を砕く。
「うぎゃあっ!!」
(一……二……三……)
辻の姿を視界の隅にとどめながら上がる息を整え、心の中で拍子を刻む。
二人の律動がぴたりと合っている。
辻が何を考え、次に何をするのか加護には手にとるようにわかっている。
恐らく今は辻もそうだ。
まるで双子のようだと言われる事があった。
しかし何も二人の間に不可思議な関係があったわけではない。
心が通じ合うというといった、人知を超えたものとも少し違う。
二人は同じ時、同じ状況に同じ事を考えるだけなのである。
例えば同じ場所で、二つの同じ種類の器に入った水に、
同時に水滴を垂らせば、同じ波紋が広がる。
それと意味は変わらない。
両者を繋ぐ見えない何かが存在しているわけではない。
ただ同じ意識を、同じ時に別々に持っていた。
それを意識の共有と言うならば、それはそうなのかもしれない。
もし二人に繋がる何かがあるのだとすれば、
それは天から二人に、同じ時代に、同じ場所に、
ある部分でよく似た器を与えられたことだろう。
それを不可思議な力と言うならば、それは確かにそうかもしれない。
意思の一致した二人は統制された軍隊の一隊にも匹敵する。
二人ならば、本当に何でもできるのかもしれない。
加護は草地を駆け抜ける爽快感の中で、湧き上がる昂揚を抑えた。
「くそっ、ちょろちょろちょろちょろ邪魔くせえ!」
加護は動きを止め、ふんと鼻で笑って見せた。
「ほら、だから言ったでしょ。小さいから有利なんだって」
「相手は斬ってこねえんだ! 命を失う事はないんだ。体で押せ!」
耐え切れず、とうとう頭格が前に出た。
その瞬間を加護は逃さなかった。
間髪入れず、加護の剣が宙を凪ぐ。頭格の肩から血が激しく噴き出した。
「な……」
「誰が斬らないって言ったよ?」
辻も刀の柄をくるりと回す。
「舐めたこと言ってると、真ん中からぶった斬るからね」
相手の心の虚を突いた。
これまで、これだけの戦いにもかかわらず一滴も流れていなかった血を、
突然見せつけることで、場の空気が一変していく。
血など見慣れていたはずの男たちが、加護と辻を中心に凍りついていく。
加護と辻の“本気”に、底知れぬ恐怖を感じずにいられないからだ。
視界の端に、じわりと動こうとする影が映る。
「そこ! あぶないよ!」
加護が鋭く指さすと、男が体をびくりとさせて身を固まらせた。
そこが何も無い、濡れた草地にすぎないもかかわらず。
ふっと息が漏れる。
加護の言葉一つ一つが男達を呑み込んでいく。
「全部あたしの言った通りでしょ」
加護の言葉が、三十もいた大人たちの心を掌握する。
「最初っからみんな、あたしの手のひらの上だよ」
勝負は決した。
加護は、場の支配者になった。
---------------------------------------------------------------------------------------
村正と言えば、これもまた妖刀ですね。
怪我をしないよう、大切にしてください。
---------------------------------------------------------------------------------------
ぶりんこ最強
170 :
ねぇ、名乗って:05/02/02 18:49:14 ID:tmxNnvFI
ダブルユー最凶
ごめんなさいsage忘れ。
レスキタ━(゚∀゚)━!!
173 :
ねぇ、名乗って:05/02/06 22:23:33 ID:IM6KA7n6
続きまだ〜
( ^▽^)<ミキティから肉を取ったものを想像しながら保全
コネ━(゚∀゚)━!!
美貴介不足
---------------------------------------------------------------------------------------
お知らせです。
また飼育の企画に参加しておりました。
『54 竜と鼠のゲーム』です。ほんますんません。
---------------------------------------------------------------------------------------
キタ━(゚ーÅ)━!!
美貴介二十歳記念カキコ。
投票終わったあとに教える作者がにくいわw
182 :
ねぇ、名乗って:05/03/05 13:10:11 ID:bKNXcGAo
前に使ってたスレのあれは荒らし通報した方がいいんだろうか?
あげてもうた
ごめん
>>182 前スレ656と662-666は私=
>>181です。その前の652-661(656除く)は違います。
652さんはせこせこ保全するよりもとっとと500KBまで埋め立てて落としてしまおうと
いうことなんだろうと解釈したので/666でネタがやりたかったので
埋め立ての仕上げをしました。
このスレに移行しているので削除依頼してもスルーされますよ。
185 :
ねぇ、名乗って:05/03/06 20:28:44 ID:MCyIFDas
いったい何なんですか?
人斬り美貴介 の検索結果 約 1,900 件中 1 - 10 件目 (0.09 秒)
うひょー
とても面白いです。
待ってます。
ho
美貴介不足
吉澤が○○○を助けに来る希ガス。
コネ━(゚∀゚)━!!
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
安倍vs藤本マダー?
今週もなしか…_| ̄|○
まさか、作者さんあややの熱愛でショック受けて…
Small river〜から作者の匂いがします。
待ち過ぎてEDになりそうです。
199 :
名無し募集中。。。:2005/05/06(金) 00:01:46 ID:/sqqeczo BE:63364829-
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
次のなかから正解と思われるものを一つ選びなさい。
@作者さんの意欲がなくなった
A作者さんは他のことに忙しい
B作者さんがお亡くなりになった
さあどれ?
@
石川の語る傍で紺野は、
かつて、自分がはじめて壬生娘。組に出会ったときのことを思い出した。
まだ普通の、ただの田舎娘だった頃である。
故あって身は一時京都にあった。
夜中だった。近くの長屋で大きな火が出た。
空を覆い尽くす灰色の煙、踊り輝く金色の火の粉。
瞬く間に黒く朽ちていく家屋。熱、悲鳴、怒号。
半鐘が激しく打ち鳴らされる下、火消しの群れに混じって彼女らは姿を現した。
火に追われ混乱する人波の間に、あれが壬生の、という囁きが聞こえた。
その頃はまだ、彼らが忌み物のように口をつぐむ壬生娘。という名が、
何を意味するものかということもよく分かっていなかった。
そんな中、紺野の目をひときわ小さな二人の少女が捕えた。
自分と歳もそう変わらないように見えた、遠目には区別もままならないその二人は、
群衆の誘導に努める彼女らの中でも特に目立って前に立ち、
通りの隅から隅へと元気よく駆け回り、
止まらぬ火勢に心呑まれる者を叱咤し、絶望し膝をつく者を鼓舞した。
周りの誰よりも背の小さい彼女たちが、
誰よりも駆け回り、惑う民衆の心をつかみ先陣を切って炎と戦う姿を、
その夜、紺野は強く目に焼き付けた。
「でもねえ」
石川は隣で一人、語り続けている。
「それでもあの子たち、あれだけのもの持ってながら宝の持ち腐れっていうか、
調子に乗りすぎるっていうか、やっぱり根は子供なのかな、
そういうのがちょっと問題なのよねえ」
斬る、というふりを見せたのは加護のはったりだ。
目の前で肩を押さえるこの頭格にも、
流れる血の派手さほどに深く傷を負わせ得たわけでは無かった。
そこはさすが、この統制された集団を率いるだけのことはある。
加護の絶妙の出足にもかかわらず咄嗟に身を引き、骨を断つまでは至らせてもらえなかった。
もちろん加護のほうもそれくらいは想定していて、
入りが浅くとも派手に血の出やすい腋から肩にかけてを狙ったのではあるが。
周囲に視線をめぐらせる。
番所が突然の襲撃に遭ったのか、それとももっと以前からこれらの手に落ちていたのか。
誰彼構わずうかつに殺したり、取り逃がしたりしてしまっては何も事情が掴めぬ恐れがある。
(静か……)
加護には男達の心の動きが手にとるように分かる。
自らの優位を確信し、二人を捕える事に集中できていた彼らの心は、
その確信の全てが加護に覆されたことによって、混乱から収縮に向かっている。
これまで多くの浪人を相手にしてきた加護の経験では、しばらくして拡散がはじまる。
恐怖にかられ、なりふり構わず逃げ出すのである。
訓練を受けた彼らはどうか。
「動かないで。毒をたっぷり塗りこんだ菱をあんたたちの周りにまいた」
男達がびくりと足下を緊張させ、動きを固めた。
(効いた)
心を抑えることに慣らされた彼らは、
衝動のまま錯乱するより加護の言葉に耳を傾けることを選んだ。
実はこれもはったりにすぎない。
簡単に毒とは言っても、実用的な効用を得るには深い専門知識と管理能力が必要であり、
誰もが気軽に懐に忍ばせておけるような代物ではない。
まして狼藉取り締まりを主な務めとする壬生娘。組である。その必然は少ない。
少し考えれば疑いを持ちようものだが、しかし今の彼らには通じてしまう。
条理をことごとく覆され弱った彼らの心は、
これ以上、自らの価値観を壊される苦痛を味わうよりも、疑わぬ楽に心が流れるのだ。
理性を残しつつも弱ってしまった彼らの心が、ぴたりと加護の意図するところに嵌る。
加護は男達を見据えながら肩の上下をなるべく抑え、
息が上がっているのを悟られぬようにする。
水を吸った袴を重く感じる。
今、場が有利にはたらいているのは自らの知略によるものに過ぎない。
相手に冷静に考えるきっかけを与えてしまえば、たちまちこの膠着は崩れうる。
その危うさを知る加護だからこそ、細に敏感だった。
(……いた)
足下を固めた男達の中に紛れ、先んじて屋敷に逃げ込もうとしている船頭の姿を見つけた。
(あの男を押さえないと)
男は足腰がくだけていて、思うように歩が進まないようだった。
無理もない。自分たちより先にこの場所に着いていたという事は、
舟を飛び降りてからすぐ、ずぶ濡れのままこの雨の中を全力で走ってきたということだ。
(!)
しかし加護より先に、そこへ動き出す影があった。速い。
(のの!?)
辻は恐らくは加護のここまで至った思考を経ずに、ただ本能的に彼を見つけ、追っていた。
「ちょっ……、のの!」
加護が気がついたことで、辻の動きは更に速まる。
心なしか加護に向けた視線が笑っているようにも見えた。
(違うって! 遊びじゃないの!)
加護は即座に辻を追った。
先の読みづらい辻に先行されるのはおいしくない。
後で尻拭いに追われるのはいつも気が回りすぎる自分のほうだ。
そもそも辻はこの均衡の危うさをどこまでわかっているのか。
弱味を見せればすぐにまた立場は逆転してしまう。
本当ならば二人の間に行き違いがあることも相手には見せたくないというのに。
だが辻は、加護に追いつかれたことに気がつくと、むっとして更に走る足を速めた。
(違うって。この……)
加護に妙な気持ちがよぎった、直後だった。
眩い閃光と共に、再び近くに落雷があった。
「うひゃう!」
辻が叫び、加護は首をすぼめた。
その目に、光に紛れて何かが飛んでくるのが見える。寸前で身をよじるが、
辻に気を取られ前のめりに重心をかけ過ぎていた加護は咄嗟に体の勢いを止めきれず、
数箇所の痛みを脇と腕に受けた。
(! 打ち矢……!)
掌に収まるほどに短くした手投げの矢である。棒手裏剣より軽く、尾に羽根がついている。
武器としてはいささか古く、珍しい。
「つ……誰!?」
「相がうつる」
雨中にもかかわらず、不思議とよく通る声だった。
「先生!」
男達のうちの誰かが叫んだ。
打ち矢の飛んできた先――屋敷の薄明かりに浮かび上がったねずみ色の着流しは、
ちらちらと覗く裏地から以前は鮮やかな藍染であったことを想像させる。
丸腰であった。ただ、一尺ほどの竹の鞭を手にしている。
足元の草を、竹の鞭でさっと薙ぐ。
「はったりだよ。本当に菱をまいたなら、教えてやるよりまず誰かが掛かるのを待つもんだ」
男が無造作に歩を進めると、途端に男達の足下が緊張から解き放たれる。
「僕の出番は、まだ先だと聞いていたけど」
灯りに当てられ、意外なほど柔和な表情が現れた。
「ほう……。相手に兵法に長けた者がいると聞いてはいたが。なるほど、君たちだったか」
「……誰? あんた」
「覚えていないのも無理はない」
それなりの身なりでさえあれば、
大店の若旦那と言われても通りそうなほど安穏としたたたずまいのその男は、薄く笑った。
「中山秀征。今は、雇われの身」
「ほ」
加護は痛みの残る腕を押さえたまま、口を小さく丸く開いた。その名には覚えがある。
確か、使い勝手の良さから誘いは引きも切らないと噂の侠客の類。
剣の流派には覚えが無いが、口調からして、以前壬生娘。組との関わりもあったか。
「中山秀征? 近頃はろくに仕事も無いって聞いたことあるけど?」
「いやいやいや、まんぼう屋におじゃましたりウチくる? とか誘いはあるよそれなりに」
「何それ?」
「しかし今日は巡りが良い。ここで君たち壬生娘。組にまみえるとは。
夜もひっぱらずにやって来た甲斐があるというもの」
「夜? あんたそういう仕事の人?」
「観相をね」
「なんだ占い師か」
「人が道に迷うを導くのが生業よ」
ひゅお、ひゅお、と竹の鞭を鳴らした。
足下ではまだ、骨を折られ、膝の腱を切られた者たちがうずくまり、うめいている。
「見事なもんだ……。狙ったからといって簡単に当たるものでもなかろうに。
幼き頃から鳳児と知ってはいたが」
「あんたといつどこで会ったかなんて覚えてないけど、やんの?」
「さて」
中山は何食わぬ顔で一息間を置くと、おもむろに両手を広げる。
途端に場の気が張り詰めていくのを加護は感じ、密かに驚いた。
それは加護にだからこそわかる、鮮やかな間の取りだった。
「今宵は金の曜。……不思議な縁よ。これも引き合わせか」
中山は鞭を、ひゅお、ひゅお、と鳴らし、ただゆっくりと右へ左へと動かす。
ただ一瞬にして絡めとった間が、糸が紡がれるようにゆっくりと巻かれ始める。
(……なんだ? これ)
奇妙な歩法だった。爪先立ちでひょこ、ひょこ、と跳ねる。
まるで水の上に立っているかのような。
これも歩法による錯覚か。
中山の頭の位置が他より一段か二段浮かんで見えた。
しかしそこに構わず横を駆け抜ける影があった。――辻。
「ちょっと待って!」
「わかってる。殺さない」
(ちがう)
辻は柄を返し、峰を袈裟に中山の鎖骨を狙い、水溜りに足を踏み込ませる。
だがそれを中山は羽毛のごとくひょいと後ろにかわす。
追って横に払う。返して打ち上げる。しかし辻の剣先は届かない。
余りの手ごたえのなさに、さしもの辻も眉をしかめ首を傾げた。
(このままじゃののの剣は当たらない)
独特の歩法で辻の間合いが狂わされている。それが外から見ている加護にはわかった。
これは体(たい)の優位性を得ることを軸とした剣の思想とは根本的に違う。
間の一つ一つが眩惑を誘い、辻の技の体系を根底から狂わしているのだ。
一見隙だらけに見えるのも、程よい具合に全身の力が抜けているため。
それに気づかなければ辻に活路は無い。
それでも辻は引かない。むしろむきになって更に打ち込みを続けた。
辻は何かというとすぐに対抗する意識を見せる。
こちらにその気は全く無いのに、あえて向かってこちらの上に立とうとする。
それが時折、震えるほど幼稚に感じられる。
加護は逡巡した。
「……なるほど。それが君らのさだめか」
見透かすような中山の呟きに弾かれるように、加護は追って声を出した。
「のの待って。こいつ、剣の動きじゃない」
すると、中山が動きを止めた。
「ほう。わかるのかい。これが」
ひゅお、と鞭で加護を指す。
「この場をつくったのは、やはり君のほうだな」
とく、と胸が鳴った。
悪い気のしていない自分がいた。
いつまでも幼さから抜け出そうとしない身内よりも、
この男の口から発せられる言葉のほうに、奇妙な安堵を覚える自分を感じた。
すう、と。
中山が空(くう)に四縦五横の、碁盤の目のような筋を切る。
「陰陽……?」
陰陽道の様式で、確か九字(くじ)と呼ばれる所作だ。
「わかるか」
この奇妙な技、独特の口調も陰陽師ゆえか。
この時代、町で観相、占術を商う者はほぼ陰陽道の支配下にあった。
古くから陰陽五行、道術呪禁などを用い悪鬼妖物を祓い防ぐとされた陰陽道は、
宮内では天文、暦道などの研究の他、国事の場においても影響力を持ったが、
戦国から江戸の泰平に渡り朝廷神事が形骸化していくにつれ、徐々にその力を失い、
やがて多くが野に下っていった。
「外法師……」
それでも幕府から朱印状を授けられた正式な陰陽家筋というものは依然として存在し、
町で祓い、観相を商うにもその譜代陰陽家の許状が必要というのが建前であったが、
もはや怨霊、占術の類を盲信する世でもない。
許状を持つ者でも、易を商いつつ、知識に優れた市井(しせい)の相談役として、
諍いごとの仲立ちをするなどして生計を立てる者が多かった。
中に窮屈な譜代支配下を抜け、より深く悪党に身を置く者が出ても不思議ではない。
そういった、許状を持たず法外な値で陰陽の技を売る者を譜代陰陽師達は、
古くは宮廷外で働く陰陽師を意味した外法師の名で呼び、蔑んだ。
「お祓いなんてお呼びじゃないけど?」
「どうかな。鬼はいるようだが」
「皮肉?」
「鬼? 鬼? どこどこ!?」
「ののはちょっと黙ってて」
「こちらの子のほうが勘は鋭いようだ。加護ちゃんだったか」
「その子は辻。加護はあたし」
「そうかそうか、これは失敬」
中山は場違いな笑顔を崩さない。
「人心の平安を助くが生業の陰陽師が、悪党の下っ端とは堕ちたもんだ」
挑発的な物言いはわざとだ。
心に波風を立て、平常心を失わせる事で先の動きを読みやすく、また、操りやすくする。
ただ自身、この煩わしい笑みを消したいという気持ちもあった。
「理(ことわり)におもねる僕のような者にとって、主にさしたる意味はないんだよ」
「なに世捨て?」
「世を平らかにすることが我が生業」
「それがこれかい。占い師風情が大きなこと言う」
「君にはまだ分からないかもしれないが」
「子供だからって舐めたら痛い目にあうよ」
「そうは言っていないよ。辻ちゃん」
「加護」
応える代わりにひゅお、と竹の鞭が鳴る。
「もっとも、確かに僕のような者は奔放すぎるゆえ、外法師と忌むばまれることもある。
ほとんどは、妬みのようなものだけど」
(妬み……)
中山がまた妙な術でも使ったのか。その言葉が突然、強く耳に響いた。
「そう。君の中にもある感情だ」
息がつまった。
(妬み……? そんなもん、ない)
「そうかい? 僕には見えるけどね。君の心の底でとぐろを巻く、蛇が」
まるで心の中を読んでいるかのように響く中山の言葉。
おかしい、と思った時だった。
「落ちる」
よく通る声が耳に入った途端、激しい、
冬の氷を砕くような硬い炸裂音が辺りを震わせた。
落雷であった。
(予見した!? いや、まさか)
「占い風情も馬鹿にしたものではないよ」
中山は再び空に九字を切る。
歩法と同じ。無駄に見える動きは本質を覆い隠すためのまやかしにすぎない。だが。
「これをドーマンと言う。邪気を破るまじないの一つ」
ひゅお、と竹の鞭が鳴る。
「九は陰陽において極まり、最大を表す。九は黄金」
(九……黄金?)
「そう。懐かしき、あの黄金の日々」
偶然だろうと思った。
心を読むなど、ありえる筈がない。
しかし加護の中には、確かによぎるものがあった。
一時の勢いだけに頼ったものではなく。禄を得て本物の武士になる。
そのために忘れようとした、あの日々。
加護にとって、あれはまさしく黄金だった。
「誰の目にも輝いて見えていたあの頃の自分達。今もよく覚えている。戻りたい」
(あんた……何言ってるの?)
中山は笑った。
「相がうつる」
動悸がおさまらない。
体は動かしていないのに、先程までより激しく胸を打っている気がする。
「占いとはすなわち裏合い(うらあい)。世の裏に隠された秘法と表の世を合わせること。
先を予見できるのではない。僕はただ、知っているだけだよ」
(……なに?)
不可解な言葉に耳を傾けようとするほど相手の術中に嵌ることはわかっている。
だが、不思議とよく通る声に、意味を理解しようとするのがやめられない。
「陰と陽。表と裏のからくりは時に天神の力とて」
中山は両手をあわせ印を結んだ。
「おねが〜い雷光」
呼応するかのように再び頭上が光り、雨雲が裂けた。
「ひっ」
思わず息を飲み込んだ途端、加護の視界を巨大な絵図が覆い尽くした。
(紋? ……手!)
大きく五芒の紋が描かれた手のひらが、加護の間近にあった。
(いつの間に!)
雷の音にひるまされたとは言え、これほどの間合いに詰め寄るのに全く気がつかなかった。
鍔を押さえられ、相手の体温を感じるほどのこの間合いでは刀も振ることもできない。
「すでに君は僕の術中にある」
背後で、どさりと人の倒れる音がした。
(のの!?)
紋から目を離すことができず、振り返ることもできない。
「これはセーマンという。五行が相生相克を示し、世の真理をあらわす」
とん、と。額を軽く押される。
「足に」
言われるがまま、目が足に向いてしまう。水を含んだ足元が異様に重い。
「蛇がいる」
ひゅお、と鞭が鳴る。
「蛇は水精。水面に映る波紋は、とぐろを巻く蛇。
水の奥底で、ゆっくりととぐろを巻いてこちらを見つめている」
水たまりの奥に、双眸が光った。
「現れる」
水面の一部が盛り上がり、それが顔を出した。
「ひ……」
「やがて、体に巻きついていく」
(幻……幻覚?)
しかしそれは間違いなく、
その重みをもって加護の足に巻きつきながらゆっくりと這い上がってくる。
ちろちろと、細く不気味な舌が加護に向かって踊った。
「うああああ」
体と心が分かたれていた。
(まやかし)
「本物だよ。その蛇は、君の陰」
ひゅお、と鞭が鳴る。
「万物は裏表、陰と陽が一対にある。人の心も然り」
視界が捩れ、歪む。
雨が渦を巻き、天へ昇っていく。
「過去を拒絶する心は、過去への未練。美しかった過去には戻れない。
それが永遠でないと知ったとき、すすんで捨ててしまえと思った」
(ちが……)
「表では知らぬ振りをしても、昏い気持ちはやがて蛇となり、深く水の底に棲みついた。
路は二つ。小さな幸せに凡庸に生きるか。全てを捨て、天稟に生きるか。
賢い頭と幼い心の間で気持ちは揺れる。本当はいつも迷っていた」
(ちが……う)
「迷いを理解できぬ身近な者たちにまた苛立つ」
抵抗する心とは裏腹に、それらの顔が即座に脳裏に浮んでしまう。
「競い合いに興味を持たぬふりもまた」
掻き消すように、何も聞くな。何も心にとどめるなと心で叫ぶ。
しかしそうするたびに、巻きつく蛇はさらに重さを増していく。
「無駄だよ」
動かぬ体に陰陽師の言葉が響く。
「天稟は孤独。聡明なる者は誰にも理解されぬ孤独を持っている。
孤独ゆえに、愛される者を妬む。孤独が蛇を育てる。止められない」
「や……め」
蛇が全身の力を奪っていく。そしてそれはやがて、頭の奥を甘く痺れさせていく。
「蛇はいずれ、君自身を、殺す」
加護の目から止めどなく恍惚の涙が溢れた。
「あ……あ……」
「……僕には、あの頃から君の蛇が見えていた。
夜な夜な皆で将来を占ったあの頃の金の曜。君達にとっては取るに足らない、
行きずりの占い師に過ぎなかったかもしれないが」
中山はひどく残念そうに呟いた。
「ここまで嵌るとは。あれから、何も変わっていなかったのか」
動かなくなるのを認めると、中山は加護から離れた。
「この子は、どうするんだ?」
傷の手当てを受けていた頭格が黙って首を横に振るのが、
加護の目にぼんやりと映った。
明らかに尋常ではない集まりである。
見てしまった者は官吏であっても生かしてはおけまい。
それがたとえ壬生娘。組であっても。
「哀れな。せめて苦しませずに」
中山が再び近づいてくる。手には懐から小刀を取り出している。
(蛇が……殺す)
加護の頭の中を、中山の言った言葉ばかりが巡っていた。
不意に、分厚い木の皮を何枚も隔てたような遠くで、
ずくりと腕の傷が脈を打つのを感じた。
(痛……)
痛み。随分の間、忘れていた気のする感覚だった。
中山が離れていたせいなのか、わずかだが体が動く。
不自由な手を震わせながら、痛む箇所に這わせる。
すると、指の先にぬるりとした感触があった。
血だけではなかった。血に混じった茶褐色の、この粘り気。
(これは……)
急速に頭の芯が冷めていく。
(あ……。阿片!)
(矢に、毒が……!)
相手は避禍招福を生業とし、医術漢方にも通じるという陰陽師――。
(自分でかましておきながら! 何してる!)
加護は動かぬ体を震わせ、薬ごときに惑わされた己の未熟を恥じた。
心を読まれていたのではない。弱った心を巧みに操られていたのだ。
「えらい……はったり、かましよんな。陰陽師が……聞いて、呆れる」
近づく中山を睨んだ。
「……気づいたか。秘伝の調合でね。しかしこれでも真っ当な技よ」
中山は悪びれずに言う。
「人を欺くのが君達兵法家ならば、導くのが我々陰陽師。方便もいろいろとある」
「……大人って……やっぱ卑怯やわ」
「君も中々だった」
わかっていた。
苛立ちに視野を狭め、まんまと手傷を負わされてしまったのは自分の隙。
その時点で勝負は決していた。
大人の言葉にたやすく心を揺さぶられ、ありもしない術に自ら掛かりにいった。
(手のひらの、上か)
加護はまだ僅かに体が動くのを密かに確認すると、鞘から小柄を抜き、手の内に隠した。
自らの愚かさに、すぐに覚悟を決めた。
(黄金……みんな……)
朦朧とする意識を必死につなぎとめながら、中山がとどめを刺しに来るのを待った。
心は、不思議なほど穏やかだった。
しかしあと半間で間合いというところだった。
近づく中山の小刀が、鋭い金属音と共に突如、暗闇に舞った。
本人も不意を突かれたのか、咄嗟に身を引き、手を押さえながら驚きの表情を見せる。
中山は、加護の後ろの暗闇を見ていた。
「気をつけて。そこからはののの間合いだよ」
暗闇が言った。
家屋を容赦なく喰らい尽くす炎に照らされ、
紺野の目にはまるで黄金のように輝いて見えたその時の彼女ら。
逃げ惑う人々を勇気づけ、町火消しを鼓舞していた。
火消しという名ではありながら、彼らの仕事の殆どは火を消すことではない。
荒れ狂う炎に対し人はあまりに無力であり、
隣接する家屋を取り壊し、延焼を防ぐことばかりがせいぜいだった。
しかし密集した木造家屋の中では、火の手は人の足より速い。
炎は逃げ遅れた数人の火消しをも飲み込み、留まることなく広がった。
紺野は息もままならず逃げ惑い、気がつくと、群衆を先導する一人の少女の背を追っていた。
進むまま路地を右へ左へと逃げ、やがて白く長い塀が続く大きい通りに出た。
人々は絶望の表情を隠さなかった。
それは大名屋敷の外壁。その先には、閉ざされた外門。
誰もがそれの意味するところをわかっていた。
しかし先頭に立つ彼女は惑うことなく、尚も叫んでいた。
迷うな。信じて前に進めと。
「そう、でも辻ちゃん。あの二人、似てるようで違うんだよね」
石川の語りが続いている。
「あの子は、よくわからないのよ。うん。なんて言ったらいいかわかんない。
大雑把で。がんばり屋なんだけど気分にむらがあって、人見知りのところがあって。
私たちの中では一番のみそっかすと思ってたんだけど、
でもね。なんでだか分からないんだけど、時々とんでもないことしちゃう。
なんて言うんだろう。こんな言い方していいのか分からないけど……」
「奇跡、ですか」
言い淀む石川の代わりに、紺野は呟いた。
加護を背後から守護するように、脇から一本の刀が前に突き出されていた。
雨中に幽玄と、小さな姿が立っている。
「の、のの! 毒は!?」
「……? んなにが?」
辻は真剣にその意味をわかりかねたらしく、眉間に皺を寄せた。
「何って。打ち矢に毒が塗ってあったんだよ」
「うん? あれならよけたよ?」
「じゃあ、何でさっき倒れたん……」
「……吐いてた」
「は?」
「吐いてた。おええって。見る?」
「せんでええわそんなん! 暗くて助かったわ」
「ずっと全開だったから急に気持ち悪くなっちゃってさ。さっきので限界来た。
やっぱり高瀬舟ってののには合わない」
高瀬舟のような平底は重心が高く、中心に竜骨が通っていないため水面を横によく滑る。
それが日常にはあまり無い感覚なので、確かに慣れていない者にとって酔いやすいかもしれない。
「なんか寒気してきたし」
まだ夏の終わりである。
「あんた、考えられへんよ!」
「うん。こんなに気持ち悪くなると思ってなかった。うう〜もう帰りたい」
「だったら乗るとか言うな」
「だって……」
「泣かんでええ」
「あの、いいかな」
恐る恐る声を掛けてくる者があった。中山だった。
「あの、加護ちゃん」
「辻って言ってんだろ!」
「あんたはじめてやん言うたの」
「……とにかく。お前も人つかまえて蛇とか哀れとか余計なお世話なんだよ道明寺」
「おんみょうじ。それお菓子やし」
「……と、とにかく、もういいの――ふっ」
鋭い呼気とともに辻が加護の横を抜ける。
瞬間に見えた辻の目。加護もよく知るその目。
(入ってる)
正面で辻の刀の峰を受けた中山の竹の鞭が、みしりと軋んだ。
「ちぃ……」
中山は素早く後ろに跳び間を取り直す。
素早く九字を切るのが見えた。
しかし今の辻は、先程までのそれとは明らかに違っていた。
怯むことなく足をより前に踏み込ませる。迷いがない分、さらに迅い。
そしてそれが中山の歩法の本質的な弱みであることに加護は気づいた。
中山の術とは即ち、武において相手を上回るのではなく、眩惑により感覚を揺さぶる技である。
そのために剣術の条理を犠牲にしてしまっている。
未知に対する警戒、畏怖がなく、討つことに必要な思考以外を止めた今の辻に対して、
もはやそれは弱みでしかない。
まして二度目の立ち合い。秘術とは、秘するからこそ効果がある。
瞬く間にめきりと音を立て、中山の竹の鞭が二つに折られた。
もはや辻の敵ではなかった。
「斬らないから楽と言えば楽なんだけど。結構めんどくさい」
「くぅっ」
中山が顔を歪め、さらに間を取り直して懐から打ち矢を取り出す。
両手の指に挟まれた矢は全部で六。
(無理)
しょせん手負いの膂力。その遅さでは当たらない。
放たれた矢の殆どは外れ、残りは辻の刀に叩き落された。
この辻にはもう、無理なのだ。
だが中山は懲りずにさらに打ち矢を取り出す。そして加護のほうをちらりと見た。
「あ……」
気がついた。まだその手があった。
右手から一本だけが辻に向かって放たれる。
辻は難なくそれを避け、そのまま中山に突っ込む。しかし。
左手の三本が少し遅れ、放たれた。体が痺れ、動けぬ自分に向かって。
(やっぱり……)
三本の打ち矢が、暗闇から自分の顔にめがけ飛んでくるのがゆっくりと見えた。
加護は苦痛に顔を歪めた。これから展開されるであろう事態を確信し、その苦痛に。
「ふんぬっ」
辻は加護に向かって打ち矢が放たれたのに気がつくと、
勢いのついた前足を踏ん張って止め、腰の鞘を左手で外し、
全身の力をもって手を伸ばし、加護と矢の間に差し出した。
乾いた音と共に加護の目の前で二本が弾かれ、一本が鞘に突き立つ。
(そう……)
辻が自分を見捨てるはずがなかった。
全身を伸ばしきってしまったために、体勢が完全に崩れている。
その死角から、容赦なく残りの二本を辻に向けて放つ中山の姿が目に映った。
中山の狙いは始めから加護ではなく、辻。
辻の力をもってしても、大人の知略には敵わないことを悟った。
(のの……)
加護は、罠に落ちる辻をただその場に立ち尽くし、見やった。
(……。変顔?)
「へくちっ!」
「よけたっ!?」
何もできぬ体勢のはずだった。まして、矢が放たれたのは完全な辻の死角である。
だが事実、自らのくしゃみに反応した辻の身体は瞬時「く」の字に折れ曲がり、
当たる寸前だった打ち矢を見事にして避けた。
「ええー!?」
「ん?」
「くしゃみって! くしゃみって! あんた!」
「うう……寒い」
呆気に取られる加護と中山をよそに、辻は鼻をすすりながら睨んだ。
「きたねーことすんな」
「こ、こ、こっちも生き残りに必死なんだよ」
「もう許さない」
中山はまた距離を置いて懐に手を入れる。
辻はそれを深追いせず、むしろ超然とその場に突っ立ったまま、
何故かぼうっと空を眺め、すんすんと鼻を鳴らしていた。
「のの! まだ何か狙ってる!」
「大丈夫」
「は?」
中山がにやりと笑った。
「落ちる」
しかし。中山がそう言った瞬間。辻の口も同時に動いたのを加護は見た。
「落ちるよ」
空が光った。
中山が打ち矢を挟んだ両手を同時に振り、
紋の刻まれた手のひらを辻に向けてかざし間合いを詰める。
だが辻は据わった瞳で表情を変えず、それまで峰を向けていた刀を裏に、返した。
並ぶ六本の矢。刹那の光の瞬きの間に、辻の一つ目の突きが三本をまず打ち落とし、
二つ目が残りの三本を払う。そして、三つ目。
――三段突き。
(ああ……)
一瞬の稲光が去り、再び辺りを暗闇が包み込んだ時、
中山の手のひらにある紋と胸を、辻の刀が貫き通していた。
「おとなしく隠し芸でもしてればよかったのに」
「……うん。最初、あたしたちの中でも一番ゆっくりした子だったんだけどねぇ」
石川はまるで親のような顔をしていた。
「ああいうの、なんて言うかなあ。たま〜にね、
本当に見えない何かが味方してるんじゃないかって気がすることがある。
なんかあの子の周りだけ、普通とは違う法則が働いてるんじゃないかってくらい。
なんなんだろうねえ。普段はどちらかって言うと、ぼんやりした子なのに。
いきなりなんかの拍子で、とんでもないことやっちゃう」
「嫌に、ならなかったんですか?」
そんな、努力などではどうにもならないもどかしさを、紺野もよく知っていた。
「そりゃあね。あの子たち、好きな時に好きなように泣いたり笑ったり、
きっとこっちの気持ちなんてちっとも分かってないんだよね。
その割にここって時には全部いいところ持っていっちゃうんだから。正直嫌になる事もあったよ。
でもね。結局、どうやったって。私はあの子たちみたいにはなれないから」
「私は、石川さんにすらなれないです」
「ちょっとぉー。いくらなんでもその言い方は無いでしょ」
石川が自分に対して何を言おうとしていたのかはわかった。
しかしそれが、自分に対しては何の説得力も持たないことも紺野は知っていた。
事実とはいつも明快で、残酷なものだ。
才ある者の近くに寄れば寄るほど、己の平凡さを実感せずにはいられない。
自分などからすれば、石川もまた、雲の上にあるものを持って生まれてきた者だ。
「なれないんです」
思っていても口にしない事が増えていく。
わからない者にはきっと一生わからないのだろう。
わからない人は強い。
何も感じなければ、傷をつけられても気がつかない。
だからできるだけ、鈍感になろうと思った。
「紺野。そんなに難しく考えたら肩こっちゃうよ」
石川は困ったとも呆れたともつかぬ表情で腰に手を当て、ため息をついた。
最近は忘れることも多かったが、そういえば、以前はそんな反応にも慣れていた。
「あなたはね、誰なの」
「それは、ありのままの自分でいいとか、そういうことですか」
声に混じる失望の色をあえて隠さなかった。
石川らしい。と思った。
そんなことは他の人にも何度も言われたし、自分も何度も思った。
しかし言葉は言葉でしかない。
「うーん……」
石川は気の毒なほど困った表情をしていた。
こんな時にそんな表情をさせてしまう自分がどれだけ情けないのかということも、
また知っていた。
「紺野はさ、何がしたくて壬生娘。組に入ったの?」
困り果てた末に彼女の口から発せられた言葉が、
不意に紺野の心を触った。
(叫んで! 扉は絶対開く! 信じて前進して!)
半鐘の音が鳴る。
あの時、炎に囲まれた中で彼女は尚、叫んでいた。
武家が、町人のために危険を冒して扉を開くことは決して無い。
たとえ塀の外でどれだけの町人が焼かれようと、大火を内に呼び込む危険を彼らは冒さない。
身分とはそういうものだった。
誰もが、堅牢な外門の向こうに安息があるのだろうと思ってはいても、
その先のことを考えようとはしなかった。
炎を退けるには十分の道幅を持った先の外門の前に、
門番が、虫けらを見るような目で槍を構えている。
背後には続々と火に追われ逃げ惑う人々が溜まり、溢れかえっている。
無理だ。と紺野も思った。多くの町人がそうしようとしていたように、
その脇にある細道に逃れるのが正しい選択だと思った。
正直言えば、あまりに楽天的な叫びを繰り返す彼女に対するむかつきもいくらかあった。
「こっち! 大丈夫信じて! 扉は開く! 全員で一緒に叫んで!」
しかし彼女は叫ぶのをやめなかった。
それどころか、外門を避け横道に逃れようとする町人たちを止め、
無理矢理に引き戻そうとしていた。
それからすぐのことだった。
町人たちが逃げ込もうとしていた横道から大通りに向けて突如、
膨大な熱とともに赤い炎が噴き出した。
悲鳴が上がった。
家屋を喰らい尽くし、新たな行き場を求めた炎が、
細い横道を抜ける風に導かれ、彷徨える龍の如く一気に噴き出したのだった。
彼女はこれを予想していたのだろうか。
横道から慌て飛びのく人々を外門へ誘導して尚、あきらめるな。絶対扉は開くと叫んだ。
そしてそれは起こった。
今でも鮮明に覚えている。
炎に追われ、逃げ疲れた町人たちの目の前で、
開かぬはずの堅牢なその扉が、軋みを上げながらゆっくりと開いていった。
「あ、ごめん。だからね、あのね――」
「副長」
石川が懸命に言葉を繋げようとしていると、横から平隊士の声が遮った。
「さくら組四番隊が来ました。それと、おとめ組三番隊も」
「あ、うん。わかった」
雨の先に目を向けると、
幾つもの黒い人影が足早に駆け寄ってくるのが見えていた。
雲の奥で、ぐるる、ぐるると獣が唸っていた。
「組長。ご無事で」
「……はい」
腰を下ろしたままの紺野は、近寄る隊士に顔を上げる事が出来なかった。
焦り部下に先行してしまい、結果、傷を負って助けられる組長がどこにいる。
隊士たちもそれを察してか、距離に戸惑いがあった。
そんな中、彼らの後ろから無造作に視界に足を踏み入れる者があった。
ゆっくりと顔を上げると、そこに、おとめ組三番隊組長、田中れいなの顔があった。
目が、紺野には自分を蔑んでいるように見えた。
思わず目を伏せてしまう。
その様子を見たからか、田中はしばらく紺野を見下ろしたまま何も言わず、去って行った。
「阿佐、ですか」
石川と紺野の隊、そして田中の隊が合流した事で、検分は円滑に進んだ。
「うん。やっぱり勤王党の残党だと思う」
田中の問い掛けに石川が答えた。
「まだいるんでしょうか」
「岡村を探しているんだとしたら、この人数だけじゃないかもね」
「じゃあ阿佐藩邸も張らせます」
「うん。勤王党がまだ藩邸と繋がってるとは考え難いけど」
「でも阿佐藩が既に倒幕側に翻っていることも考えておいたほうがいいと思います」
「……そうね。どっちに転んでもいいように様子を窺ってるところか」
「はい」
即座に田中が隊士に指示を与えていく。
自信を持ってきびきびと動く姿が、今の紺野にはつらい。
「じゃあ紺野。私たちはこれから他の探索と、安倍さんの方に回るから。
あなたの隊も少し借りていくからね」
検分が終わると、ぼうっとしたままの紺野に石川が声を掛けてきた。
体制は既に、周囲を探索する隊、安倍を追う隊、
そして捕らえた浪士を連れて屯所に戻る隊に振り分けられ、
皆この場を去ろうとしていた。
「あ、私も、行きます」
紺野は慌てて立ち上がった。
石川は既に背を向け歩きはじめている。田中も見ていない。
負傷している紺野は当然、屯所に戻る組に振り分けられているはずだった。
しかし部下たちの手前、それがいい事とは思えなかった。
それくらいの自覚はまだ残っている。
それにこのまま屯所に戻り、何もかも振り出しに戻る事のほうが恐かった。
だが負傷していた事を忘れていたために、
不意に甦った太ももの激痛に紺野は顔をゆがめ、体をよろけさせた。
ただよろけただけならば、目の前の塀に手をつくだけで済んだのだが、
この時は運悪く足元に何か大きなものがあり、
自らも体勢を崩しながら、勢い蹴飛ばしてしまった。
その柔らかい感触から、紺野は即座にそれが人であることに気づいた。
「あ、ごめんなさい」
死体か、それとも無宿人か何かだったか、反射的に紺野は謝ってしまう。
民家の密集する場所を離れれば、辺りは田畑と林ばかりである。
そこには都を追われながら離れることも出来ない無宿人も多くいる。
紺野に蹴られた哀れなそれは、生きている証に僅かな声を発したものの、
そのまま力なく倒れ、道に溜まった水を撥ね上げながら突っ伏した。
それを見て紺野は、その男をただちに起き上がらせるでもなく、体を硬直させた。
顔に見覚えがあった。
やがて異変に気づいた近くの隊士が、小首を傾げながら紺野に近寄ってきた。
激しい音と共に落雷があった。
光に浮かび上がったその男の顔に、背後の隊の中から叫び声があがった。
「う! ……人斬り、丑三っ!」
「まさか、あの時の君が……、……そこまでの力を」
辻が無造作に体を貫いた刀を引くと、
中山は一瞬苦悶の表情を浮かべた後、そのまま沈んでいく。
そしてふと、何かに気づいたかのようにすぐ表情を戻した。
「君は……?」
辻は表情を変えぬまま、沈みゆく中山をただ見下ろしている。
「……そうか」
と同時に、中山の口から大量の血が溢れ出た。
「ぐっ、どうやら僕は、ここまでだったらしい……。
だが……僕は陰陽師だから……呪いが、かけられる」
加護を見た。
「……加護、辻。因縁深き名よ。
天の加護を受けたる君はいずれ、その才ゆえに路の選択を迫られる。
路の交わるそこに……魔は生じる。路と路の交わる場所、すなわち……」
再び中山の口から血が吐き出される。
それが、正面にいる辻の胸元にべとりとはりついた。
「む……」
「……壬生狼の牙、二つ……貰い受けた」
最後ににやりと笑い、地に伏すと、跳ね上がった飛沫が辻と加護の袴を濡らした。
そしてそのまま、中山は動かなくなった。
「あ!」
しばらくしてふと、辻が思い出したように声を上げ、気まずそうに加護を見た。
「なに?」
「ごめん。突き、やっちゃった」
「……もう、いいよ」
「組長!」
すると川のほうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
同時に幾つもの影が現れる。
加護と辻の隊だった。
「こいつら、読瓜ですよ」
加護と辻の隊の者達が番所屋敷の周辺にいた者たちをあらかた捕え、
検分をしていると、隊士の一人が言った。
「読瓜? それは確か?」
いくらか痺れの取れてきた体を屋敷外の椅子に下ろしていた加護が聞き返す。
「はい。この顔は見たことがあります。確か京都詰めの留守居役配下にこのような者が」
「もしや巨人軍が」
他の隊士が言う。
「読瓜の本軍か」
巨人軍と聞けば、あの統制の行き届いた戦い方も納得がいくが。しかし、
「……読瓜?」
確かに安倍も石川も抜け荷を疑っていたのは読瓜か藤州。
しかしそれが一部によるものではなく、番所ぐるみだったともなると。
番所は幕府配下。現在、反幕の中で幕府の中枢にまでつてを持ちうるものとすれば、
読瓜藩であるならば筋は通る。
状況的に言っても、これを不逞浪士による衝動的な占拠とするより、
組織的な番所の取り込みと見たほうが説得力はある。だが、そうだとすると。
(今の幕府が……)
加護は川の上流を睨んだ。
「番所の通していたこの上流に、読瓜の」
「しかしこれだけの人数をたった二人で、……すげえ」
不意に隊士たちの声が耳に入る。
あれから、屋敷にいた男達の抵抗は殆どなかった。
怪我をしていた者たちはもとより、そうでない者たちも既に戦意を失っていたのである。
思っていた以上に、自分たちの迫力に彼らは圧せられていたのだ。
(ううん……)
きっと。たち、ではない。
「こりゃもう、もはや天賦だな」
ふとした隊士の呟きが、加護の心の奥底に響いた。
暗がりで全てがはっきりと見えたわけではなかったが、
しかし一瞬の稲光に浮かび上がったものは間違いなく、
所司代屋敷で紺野の出会った、あの人斬りの顔だった。
着る、というよりは巻いていると言ったほうが相応しいぼろ布が、
血と泥で真っ黒に染まっている。そして、その手には抜き身の、
(……刀)
あの時の恐怖が紺野の動きを鈍くする。
「貴様ぁあああああ!」
すくんだ紺野の後ろから、激しい叫びと共に丑三に向かう人影があった。
田中だった。
迷わず刀を抜いた田中の気勢に、丑三は腰を落としたまま後ずさる。
「ひぃ!」
(……?)
紺野はその動きにどこか違和感を覚えた。
「待って」
「なんね!」
(これが丑三? まるで……)
「紺野!」
石川の声だった。騒ぎを聞きつけ戻ってきたのだろう。
紺野は反射的にそこで思考を止めた。今は余計な事を考える時ではない。
ただ命令に従えばいい。きっと、そのほうがうまく行く。
今までも、そうだった。
「囲め!」
田中の声に、場に残った平隊士が丑三を取り囲み、じりじりと間を詰めていく。
相手はあの人斬り丑三。隊士の中にも強い警戒心がある。
灯りを持った一人が丑三の顔に光をあてた。
暗闇に、丑三の瞳が浮かび上がる。
すると先程の印象を払拭するように、
紺野の背筋に、ぞくりと走るものがあった。
「うわああああああああああああ!」
突然、一人の隊士が奇声を上げて丑三に斬りかかった。
「なに? 待って!」
制止も虚しく、隊士は狂ったように刀を振り上げる。
すると丑三はそれを半身で躱し、胴を、斬った。
(……人斬り!)
立ち上がる瞬間も見えない恐るべき迅さ。そしてこの、殺気。
紛れもなく紺野が遭遇したあの人斬り。
「貴様がぁあああ!」
また別の者が、叫びを上げて囲みの輪から飛び出した。
「田中!」
捕える意志などまるで無く、ただ怒りのまま無闇に刀を振るおうとしている。
(丑三の殺気にあてられた?)
いけない。と感じた。
(斬られる)
丑三に斬られ倒れた隊士の姿が紺野の目に入った。
(……?)
自然と足が前に出ていた。田中の横に体を入れ、突き飛ばす。
「何するっちゃ!?」
丑三と目が合った。
――今にして思えば。
(何故あの時、彼女の背中を追うことを選んだのだろう)
あの時、ゆっくりと軋みを立てて開きはじめた外門の向こうに、
もう一人の少女の姿があった。
「あいぼん!」
彼女は嬉しそうにその少女の名を叫んだ。
なだれるように、町人たちは開いた門の内へ逃げ込んでいく。
門の傍に、武士が倒れている事に気がついた。
「なんで脇道から火が出るてわかったん?」
大火の勢いが落ち着いてきてからのことだった。
「なんか。向こうに風が逃げてく匂いしたから」
「あんたは犬かい」
すると彼女は照れたように、少し嬉しそうに笑っていた。
後にしてみれば、横道に炎が噴く道理も、開かぬはずの外門が開く道理もあったのだろうと思う。
「ぎりぎりだったんだからね」
「あいぼんならやってくれるって信じてたよ」
「あんなあ。ばれないように門番眠らすの一苦労やったわ」
「あらー。やっちゃったんだ」
「あらーやないやろ。まそれも、外がやたらうるさかったおかげでなんとかなったんだけど」
――その時から、紺野の中の何かが動き出していた。
何事にも欲が薄く、人から何を考えているか分からないと言われ、
自分でも自分がよく分からなかった。
そんな自分がはじめて惹かれた少女。
名を、辻希美といった。
何の目的もなく平凡に生き、死んでいくだけなのだろうと思っていた自分が、
その頃から漠然と壬生娘。になりたいと思うようになっていた。
「あ……こ……」
目の合った丑三が、何か言おうとしていた。
(こっち! 信じて!)
紺野の脳裏に、辻の顔が浮かんだ。
空が光った。
「紺野!?」
「何しよると!?」
刀を抜いた紺野は、咄嗟に丑三を庇うように背にし、
その切っ先を、田中たちの方へと向けていた。
じくりと、加護の心の奥底で何かが動いた。
(本当はわかってたのかもしれない)
頭格の心を押さえた時点で、あの場の勝負は本当は決していたのだと。
自分たちの力を侮りたかったのか。
それとも。勝手な動きをする彼女への苛立ちに、正当な理由が欲しかったのか。
「あいぼん」
辻が近寄ってくる。
「大丈夫?」
「ん? うん。痺れは何とかとれてきたわ」
辻は安心した顔をする。
「……そういえばのの。雷、なんで落ちるってわかったん?」
「かみなり?」
「あの時、落ちるよって言ってたじゃん」
「ああ、あれ……」
そう言ってしばらく辻は固まった。考えているらしい。
「なんとなく? ぞくっとしたんだよね」
「濡れたからちゃうん」
「そうかもしんないけど。……それと……匂い?
なんとなく。落ちるときに酸っぱい匂いがしてたんだよね。雷の匂い?」
「そんなんあるんかい」
「あるよ。あの人もそれで分かってたんじゃないのかな」
その時、虫が飛ぶような、奇妙な音が耳に入った。
「ん?」
見ると、地面に落ちたままになっていたあの男の折れた竹鞭が、
先のほうを細かく震わせ、羽音のような音を発している。
「うん?」
「……どうした? のの」
「あ、落ちる」
次の瞬間、辻の言葉どおり再び、雷が落ちた。
「ぎゃー!」
「あんたも驚くんかい」
音の具合から、どうやら雷はこの場から去りつつあることはわかったが、
そのたびに隊士たちもびくりと作業を止め、空を窺った。
「あの、いかさま師」
中山は雷を呼んでいたわけでもなく、落ちる予兆を知っていただけだったのか。
たしかに、峠を越える旅人が高地で落雷に遭ったとき、
落ちる寸前に、周辺に異変が起こるという話は聞いたことがある。
例えば荷の中の火箸が細かく震え出したり、
毛が逆立ち、周囲の気が張り詰めるような感覚を持つのだという。
(でも……)
加護は、口を開けっぱなしのまま不思議そうに空を眺めている辻を横から見つめる。
辻がそんなことを知っていたわけでもあるまい。
ましてそれは、間近の落雷に頻繁に遭う高地での話である。
それを匂うなど。辻に言われた後でも、自分には少しもわからなかった。
一体どれだけ神経が研ぎ澄まされていればわかるというのか。
「しかしうちの組頭はすごい。これだけの数を相手に、たった二人で制しちまうなんて」
近くの隊士が感嘆の言葉がまた漏れ聞こえた。
雷が落ちたのは、ただの偶然だったことが今では分かる。
いつか落ちるものであることは誰にでも予想できるし、中山はそれを利用した。
だが、それとは別に、辻もまた感じていた。
自分の生きるこの世の法則とは、全く別のところで。
瞬時の強烈な集中力と、
世の条理を無視しても自分の法則に生きることのできる自信。
きっと違う状況でも、辻は何とかしていたに違いない。そんな気がする。
だからこそ。
「あいぼんと二人ならなんでもできちゃうね」
辻の口から八重歯がこぼれた。
かつて、世の全てが自分に味方していると思えた頃があった。
全てが思いのままだったし、何でもできた。
しかしそれが幻であったことを、少し大人になった加護は知っている。
自分のところに、それはもう残っていない。
人は軽々しく天賦、天稟と口にする。
昔はそれが心地よかった。
だが今は、聞くたびざら、ざらと、心が擦れる。
(……? んなにが?)
あれは支配などといったものですらなかった。
あの男が、自分が、丹念に作り上げた場など一切無視して、
轟雷の如く暴力的に全てを奪い去っていく。
恐らく本人の意思ですらなく。ただ、天が。
(哀れとか余計なお世話なんだよ)
じくじくと、加護の心の底に溜まった泥のようなものが、
またゆっくりと、とぐろを巻きはじめる。
(蛇はいずれ……殺す?)
「あいぼん。早く帰ろう」
彼女が手を差し出す。
加護には大嫌いな人間がいた。
その人間が今、目の前にいる。
この気持ちはもう、止めようが無かった。
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長期に渡って保全させてしまって申し訳ないです。
ハロプロ的には色々とありましたが、私的には特に何があったというわけでもなく。
強いて言うならばちょっと気を失っていました。
ぼちぼち進めていけたらいいなと思います。
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235 :
ねぇ、名乗って:2005/05/15(日) 22:03:08 ID:ebvVzxHA BE:149213366-
リアルタイムでキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
> 「あいぼんと二人ならなんでもできちゃうね」
もう泣きそうです
更新キタワァ*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゚゚・*
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
239 :
名無し募集中。。。:2005/05/29(日) 00:08:37 ID:XF2PMqHn BE:88005555-
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
人斬り美貴介強さランキング
ネ申 安倍
A 藤本 飯田 辻
B 丑三 白般若 吉澤 石川 矢口
C 里田 加護
D 紺野 小川 新垣 田中
E 中山 加藤 山本 亀井
ランク外 多数
こんな感じ?
241 :
コネって怖い:2005/06/04(土) 15:23:07 ID:sYGpDJHO
242 :
名無し募集中。。。:2005/06/16(木) 17:36:04 ID:lSpmTfCE BE:35202252-
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
おもしろいわぁ
244 :
名無し募集中。。。:2005/06/25(土) 18:53:38 ID:2zIGmVra BE:98565874-
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245 :
名無し募集中。。。:2005/06/27(月) 01:12:06 ID:pMR//rE1 BE:56323182-
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
保全。
ぽ
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
人斬り〜映画化推進委員会でも作らないかage
保全。
保全。
皿☆\⊂( ・∀・)更新マダカナ-マダカナ-待ちくたびれた〜
保全。
小説に出てくる固有名詞をブログのタイトルにしています。
作者様すみません!
宣伝になるからいいですよね?と恐る恐る言ってるテスト
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
m9(^Д^)早く続きクレー
四、雨に狗
斬り込んできたのは相手のほうであったにも関わらず、
受けた藤本の刃(やいば)が相手の刃に食い込んでいる。
「これを止めるかよ」
刃と刃が交わる先にその相手――安倍なつみ。
重なる刀が互いに軋みあい、刃上でちりちりと音を鳴らしている。
「まるで刀が刀を喰ってるみたいだ」
ふふ、と。影になった口元が笑ったように見えた。
そのさなか、安倍の剣圧に呼応するように藤本の内に膨らみつつあるものがあった。
わずか前、丑三と対峙したときと同じ、夢幻の如き昂揚感。
この『独り舞台』を手に血吹雪の中をただ独り舞い踊った感覚が、
あの瞬間何かを渇望した、その残滓が。
首筋に垂れる滴の冷たさが心地よく感じられた。
「お前、魅入られたな」
影になった安倍の口元から小さく呟きが漏れた。
「やめえや」
藤本の背中越しに声が飛ぶ。岡村だった。
「お前ら身内同士で斬り合うつもりか」
声に焦りの色はなく、むしろ諭しと、いくばくか脅しのような色を含んでいる。
だが安倍は躊躇なく答えた。
「貴方が望んだのだろう?」
「……なに言うとる?」
「まあいい。斬るさ。邪魔をするならば、貴方も」
ふ、と目の前の圧力が消えた。
安倍が真後ろに下がり、間合いをとっていた。
一瞬遅れて藤本の切っ先が安倍の姿を追う。
頭より先に体が動いた。
風を切る耳元から雨の音が消えていく。あのときと同じ。
『独り舞台』を握る手に熱を感じ、心の内が沸き立っていく。だが、
(……いない)
安倍の姿がない。
しかし心とは別に藤本は刀に引きずられるようにして、安倍のいない暗闇を突く。
切っ先が手応えなく空を切ると、まま躊躇せず腰を落とし、逆袈裟に上げた。
一連の動きに巻き込まれた雨粒が、飛沫となって舞い上がる。
――無音。その中、藤本の刀が止まった。
「くふっ」
漏れ聞こえる笑いのような呼気と共に暗闇に安倍の姿が浮かび上がる。
それは音も無く、藤本の逆袈裟を上から鍔元近くで受けていた。
熱を帯びたままの体は尚も休むことなく、続けざまさらに二つ、三つと太刀を打つ。
静寂が心の内を支配し、刀に自然と体が引きずられていく。
稲光に雨がきらめき、宙を滑らかに独り舞台が舞った。
しかし、安倍は呼吸を荒げながらも、
とても目を病んでいるとは思えぬ的確さで、ことごとくそれを受けていく。
独り舞台が安倍の刀の刃上を滑り、雨の中、二人の間に火が飛ぶ。
削りとられた刃の破片が安倍のこめかみを鋭く裂いた。
が、斬れない。
やがてふと動きが止まり、つう、と、滴が一つ、藤本の頬を流れ、顎から落ちた。
足下にある水たまりに波紋が広がる。
「? 傷を負っているな。特に……肩か」
安倍が息荒く囁いた。
岡村の銃に撃たれた肩。忘れていた傷だった。
「動くな」
不意の安倍の鋭い叫びに、びくりと止まる影があった。
岡村の連れ――出川と呼ばれていた男、だった。
密かに何事かを画策していた出川は目を剥き、怯えた顔で安倍を見たまま固まった。
ふふ、と、小さな息が漏れ聞こえる。
「こうして目が見えないとね、逆に色々と見えてくるものもある。
たとえ三人であろうと、私に隙などあると思うな」
(なんだ、これは)
藤本は徐々に熱が引いていくのを感じていた。
打ち込みがこの女の前で、吸い込まれるようにぴたりと止まってしまうようになっていた。
丑三の時には手応えも感じられないほど滑らかに斬れていたものが、うまくいかない。
先行していた体に心が徐々に重なりはじめ、それにつれ余計な思考が増え、
やがて、次の太刀が続かなくなった。
「油断するなよ」
挑発的な囁きの途端のぞくりとする殺気に藤本は反射的に刀を振る。
しかし。しん、と薄い音をたて、再び刀は暗闇に止まった。
「軽いな」
(この女は、なんだ)
この圧力。安倍の言葉一つ、動きの一つに周囲の空気が緊張し、
動きが鈍くなっていくように思えた。
いや。この女が、そうさせているのだ。
技、ではない。それ以前の何かもっと圧倒的な。あえて言うならば、
(――重い)
巌(いわお)のようである。安倍自身が分厚く、どっしりと堅く重い岩の塊のようであった。
頬に滴がつうと伝った。
「はじめてか、こういう経験は」
安倍の荒い声が藤本の耳元に響く。
「それはね。呑まれるっていうのさ、藤本」
傷を負った安倍の口元はやはり、にい、と、確かに笑っていた。
市中、六条のあたり。
新垣はさくら組五番隊を率い、吉澤の二番隊と共に北上していた。
市内の探索中、岡村発見の報せを受けて一度は鳥羽に向かおうとしたところ、
屯所近くで石川からの伝令と会い、再び北上を余儀なくされたのである。
走るわけではないが、早足に黙々と路を進んでいく。
馬があればいいのだが、さすがに隊をまるごと動かせるだけの馬はすぐには出せない。
雷雨の激しい夜だ。無用の混乱を避けるためにも隊がばらばらになるのは控えたい。
既に、紺野が単独先行してしまったせいで負傷したらしいとも聞いた。
(あさ美ちゃん……)
幹部、特に古株は何かと単独行動をとってしまいがちなのだが、
本来、壬生娘。組が京において圧倒的優勢を保てたのは、
集団行動の徹底によるものであり、
一人に対しても必ず多数で挑む戦術性によるところが大きかった。
決して個々の力で不逞浪士に劣ったわけではないが、
そもそも壬生娘。組にとっては不逞を取り締まる事こそが本分であり、他は余事である。
被害を最小限に留め、効率的に取り締るにはそれが現実的な選択だった。
それは狼の群れが一匹の野鹿を捕えるために集団で追い込んでいく姿にも似る。
士道を盾にいかに卑怯と陰口を叩かれ、蔑まれようと、
そこを割り切り現実に徹底し得たことこそ、
この時代における壬生娘。組の実戦部隊としての先進性であった。
個々の武名ではない。隊務のまっとうこそが壬生娘。にとっての士道だった。
壬生娘。組が広くその名を知られた後より入った紺野には、
新垣と同じくそれがよくわかっていたはずなのだが。
いつも冷静な紺野らしくないと思った。
考えてみれば、屯所を出る前から少し様子がおかしかったかもしれない。
その先の任務を思うあまり、きちんと紺野のことを見ていなかったのかもしれない。
小さな笠を被せた提灯を手に先頭を行きながら、ちらりと後ろを振り返る。
新垣に追随する隊士たちの中に一際目立って吉澤の姿がある。
背が高く、姿に華があり、
性格も男っぽくからっとしているので隊士の内からも人気が高い。
「みんな、大丈夫ですかね」
目が合うと新垣は歩を緩め、吉澤の横に並んで小声で話し掛けた。
すぐにでも紺野のところに駆けつけたかったが、
任務を放り出すわけにもいかない。
「うん?」
「安倍さんや石川さんも出動したっていう話ですから、大丈夫だとは思うんですが」
そう、あの安倍も出ているのだ。
飯田が床に伏せっている今、壬生娘。組の頭に等しい。
その安倍をも出動しているということが、
安心であると同時に、今が切迫した状況であることも窺わせる。
「うん」
「うん? って……なんですか?」
「ええ? うん?」
吉澤は何を考えているのか、新垣を見て楽しそうに微笑んでみせた。
それを見て新垣も何故か顔を赤くしてしまう。
困った事に、新垣はこの白く整った笑顔に、
同じ女ながらどきりとさせられてしまうことがままある。
そのせいでいつも聞きたいことも聞けず誤魔化されてしまう、
というか、思わず自分のほうから切り上げてしまうことも少なくない。
そうして結局、新垣は吉澤のことをあまりきちんと理解できた事がないのだ。
いつも飄々として掴み所がなく、目的が不明の行動も多い。
もしかしたら本当に何も考えていないだけなのかもしれないが。
自ら率先して何かを先導するようなことも滅多に無く、
たとえば今も、隊の行動を後輩の新垣に任せきりにしてしまっている。
人より欲が薄いのかも、と思うこともある。
いつも大体が陽気で、話し掛ければいつも明るく笑っている。
けれどただ、たまにほんの少しだけ、内に氷のような鋭さを感じることがある。
それがさらに畏れとともに、
新垣にとって吉澤をどこか謎めいた神秘的なものにしていた。
「あれ?」
目の前の影に新垣は歩を止めた。
あわせて後ろの隊士たちも止まる。
先が行き止まりになっていた。
大雨のせいか、先程から頻繁に鳴っている雷のせいか、
倒壊した家屋が完全に路を塞いでしまっている。
「路を変えましょう」
新垣は即座に言った。普段の巡察ならば、
どういった事情なのか、近くに怪我人はいないか確かめてみるところだが、
今は他の務めがある。遠目に見て人の気配も無いようだから、急ぐべきだと思った。
京都の路は碁盤の目ように縦横に整然と並んでいるので、
大きな荷物を運ぶのでもなければ、目的地に向かうのにこれといって決まった路は無い。
迂回するにも路一本向こうを行けばいいだけである。
「どうかしました?」
隊を反対に向けた後、後ろを振り返ると、
吉澤が倒壊した家屋の傍らで木材を手に持ち、見つめていた。
「ん? いや、ガキさんに任せるよ」
そう言って吉澤はまた微笑んだ。
路を変え、再び北を目指しはじめる
夜も更け、この雨では人通りも全く無い。
「あの」
「んん?」
「吉澤さんは、どう思いましたか。あの、お台場の人たちの」
昼の台場での、町人たちとの諍いのことである。
町人を大量斬殺した丑三を追って傷を負わされたはずの道重を、
しかし彼らは嘲り、あげく、自分たちに向かって石すら投げてきた。
「あんなことって、ないですよね」
今にして思えばその時も、激情に我を忘れかけた自分の横で、
紺野の様子もどこかおかしかったような気がする。
「ああ」
吉澤は少し間を置いて、頭を掻いた。
「なあんか、紺野も似たようなこと言ってたなあ」
「やっぱり、そうなんですか?」
「やっぱりって?」
「いえ、ちょっと。あさ美ちゃんがおかしかったような気がしたんで。そのせいかなって」
「……うん。そうか」
黙った後、またひとつ頭を掻いた。
「なんていうか、でもさ。それなりにしか、無いんじゃないの」
「そうですよね。がんばるしかないですよね」
「……あれ?」
吉澤は少し驚いたような顔で新垣を見た。
「? どうかしました?」
「……いや、別に」
「がんばるしか、ないんですよねえ」
「ん」
藤本の肩がずくりと痛んだ。痛みが戻り始めていた。
(呑まれる……)
「私の言葉が聞こえなかったか」
目の前の安倍が鋭く言い放った。藤本に向かってではなかった。
「お前こそ、ええ耳しとるな」
答えたのは岡村。
「いや……耳でもないかな」
いつの間にか安倍の斜め後ろに回っていた岡村の構えた銃が、
その背中に向けられていた。撃鉄が上がっている。
「斬るぞ」
「そのままでか」
安倍の刀は藤本の打ち込みを受けたままである。
「試すか?」
しばらくの沈黙の後、岡村が苦しそうに息を漏らした。
「わかったわかった。ったく参るわお前ら。でもちょいと待ってや、
落ち着いて話をしようやないか。そや、お前らにも悪い話やない。
ここでちょいと目瞑っといてくれたら、いやお前は耳も塞がんとあかんか、
ついでに鼻と……まあええわ、そうしてくれたらな、いい事教えてやる」
「ここで聞く必要はない。屯所でゆっくりと窺う」
「聞き分けのないやっちゃなあ。あのな。
今夜中にこれを持って行かんと大変な事になるんや。
その後やったらなんぼでも相手しちゃるから。だから今はなんとかならんか」
ぽんと懐を着物の上から叩いた。
「この国のためなんや」
「国、だと」
「そや」
この時代、長く鎖国をとってきたこの島国の人々にとって、
国とは多く郷のことであり、藩のことであった。
しかし岡村の言う国が、それでないことは明らかであった。
その間、藤本と刀を合わせる安倍の圧力は一瞬も減じる事がなかった。
それゆえに、安倍と岡村が話している最中でも、藤本は動くことができなかった。
ただ、安倍の言葉を頭の中で反芻していた。
(……この女にか)
「今、見んふりしてくれたら、丑三の後ろにいる連中を教えたる」
「丑三?」
安倍の声が変わった。
「そや。取り引きや」
「……なるほど」
合わせたままの刀が、ちり、と鳴る。
「丑三と斬り合ったか」
岡村に撃たれた肩が痛む。藤本の内に、あの昂揚は既に無かった。
「裏切る、ということだな」
「裏切りやない。あいつら丑三をあんなんしよって」
「貴方は知っていたはずだが」
「なんやと?」
藤本の目の前にあった安倍の圧力が、じわりと抜けた。
暗黙に、刀を収めることを示唆したのだ。
一方的に力を抜く安倍を追うようにして斬りかかる事はできたはずだったが、
しかし藤本に、そうすることは出来なかった。
そして安倍は藤本が既にそこに無いものであるかのように見向きもせず、
そのまま岡村に向いた。
「丑三のお台場襲撃。起きる事を貴方は知っていたはずだ」
「そ、そうなんですか? 岡村さん!」
出川が叫んだ。
「お前はちょっと黙っとけえや。どういうことや、安倍」
「丑三のお台場襲撃。目的はめざまし屋の蔵地下に隠された武器の強奪だった」
「ほう……初耳やな」
安倍は無視して続ける。
「ではその武器はどこに消えたのか。
車の跡は蔵の裏、台場の側から完全に死角になる高瀬川の近くで途切れていた。
雨で人の通りも少ない。奴らは混乱に紛れ、武器を舟に乗せ換えて運んだ」
「へえ」
「高瀬川は、台場よりわずか上流、二条大橋の近く樋口で鴨川より分水し、
南は伏見で宇治川とつながり京都大坂間の舟運を担っている。
あの事件の後、五条に近い蔵から一町ほど下流に、車の一部が発見されたことから、
台場以南の川沿いの武器が貯蔵できそうな建物周辺をしらみつぶしに調べさせた。
しかし雨の中だったとは言え、痕跡はどこにも見つけることができなかった。
丑三の凶行による混乱のせいか、荷下ろしを見た者さえいなかった」
「そら舟自体は、普段からいくらでも行き来してるもんやろしな」
「あれだけの武器が消えたんだ。荷下ろしも簡単に済むまい。
人手も時間もそれなりにかかったはず、にもかかわらず、
見事なものだ。相当の下見を重ね、町の死角を綿密に調べ上げていたに違いない」
「武器なんて最初から無かったちゃうん」
「武器が貯蔵されていた事は、既にめざまし屋の主人と番頭が白状している。
蔵の下に溜まっていた臭い。周囲についた車の跡の数、深さ、どれをとっても、
我々でさえ、あの時偶然見つけただけのものに、何をそこまで偽装する必要がある」
「……そうかい」
二人がやり取りする傍らで藤本は、
軒から落ちる滴が水たまりに波紋を広げるのを、黙って見つめていた。
「陽動という手段、運搬の手際の良さ。よほど周到に練られた計画だったと想像できる。
だがその一方で、疑問は残る。
台場、丑三たった一人に頼った陽動の大雑把さ。奴の逃走の無計画さ。
それになぜ白昼だったのか。
そもそもなぜ、たかが盗みの陽動のためだけにあれだけ大量の人を、
無駄に殺す必要があったのか」
安倍が拳を握るのが視界の隅に映った。
「綿密な計画と、大雑把にすぎる陽動。焦りのようなものも見える。
そこがどうにも腑に落ちなかった。だが」
安倍は一旦言葉を止めた。
「もしこれが、別の日のために計画されていたものだったとしたら。
とすれば、思い当たるところもある」
「何がや」
「数日前にも近くで大きな騒動があった。台場より、もう少し離れたところだ」
「……所司代屋敷か」
岡村が安倍を睨む目を険しくした。
「滅茶勤王党残党による、よゐこ脱獄のための所司代組屋敷襲撃。
組内の分裂にもより、いっそ所司代組そのものをも壊滅させるかという程のものだった」
不意に藤本の脳裏に、あの夜の轟音が蘇った。
――仏式四斤野砲。
「もしあれが、本来の、めざまし屋武器強奪のためのものであったとしたら」
あの襲撃は、確かに追い詰められ虫の息であった残党の仕業にしては、
妙に周到すぎる計画と、不釣り合いな兵器を備えたものだった。
結果としてそれが大規模であったがゆえに所司代はその後の力を失い、
壬生娘。組は漁夫の利とも言えるような形で幕臣に召し上げられ、
名実共に京都守護の要となる実戦部隊と相成ったのだが、
見方を変えれば彼ら自身にあの時、そこまでの事件を起こす力と、必要があっただろうか。
思えば、よゐこの移管に始まった奇妙な関わりの連鎖は、
まるであの襲撃事件を、あの場所で起こすためだけにあったようにも思える。
そしてあの場にも、あの人斬りはいた。
「つまり、全ては何者かがめざまし屋の武器を盗むためだけにあれを仕組んで、
それがうまいこといかなかったもんやから、今度はお台場を丑三に襲わせたと」
「たまたまあの夜、私は三条大橋の袂にある茶店に寄っていてね。
気の良さそうな主人で居心地も悪くなかったんだが、ふと、近くで妙な気配を感じた。
いつもの年なら夜の人出も珍しくはないんだが、
今年の祇園会はあってないようなものだと聞いていたから、ちょいとおかしいと思ってね。
他の仕事を済ませた後、うちの亀井という隊士に、
茶店に置いたままだった荷物を取りに行かせるついでに、周囲を見廻ってくるように言った。
その直後に、二条城のほうで大きな音がしたもんだから、
用心のため更にもう一隊、亀井の後を追わせて周囲を警戒させた。
すると、お台場のあたりにやはり妙な雰囲気を感じたものの、
結局は何事も起こらなかったそうだが」
岡村の指先が、ぴくりと動いたように見えた。
何事も起こらなかった。
あの渦中にあった藤本にはそれが身体的に理解できた。
あの夜の飯田圭織と、そしてこの、安倍なつみ。
彼らの計画には恐らく、ただ壬生娘。組の存在だけが無かった。
「ふん……ほんまなら大した陰謀やな。
しかしじゃあ、誰やちゅうんや、それは。証はあるんか」
「糸口はある。まず読瓜の手はない。何故なら、あの武器が元は読瓜のものだからだ。
貴方ならよく知っているだろう。誰がどんな手を使ったかは知らないが、
我々の知らぬ間に、両藩には裏で同盟が結ばれていたらしいのだからな」
誰の事を言っているかは瞭然だった。
しかし岡村は、黙ってそれに答えなかった。
「台場の事件以後、藤州の動きが鈍いのも不自然だった。
事情を聞こうにもしらを切り通し、取りつく島もない」
「そりゃそうだ。武器を隠したけど盗られましたなんて言えるわけないだろうが」
黙りこくった岡村を継ぐように、出川が言った。
「めざまし屋の主人らにも聞いているが、
彼らのほうは本当に事情を知らなかったようだ」
「そんなら阿佐ってか。じゃなけりゃ、他の窃盗団とでも? どこに?」
「少なくとも、盗んだのは、彼らの誰でもない。そう考えるのが最も自然」
「……どういうこと?」
「つまり始めから、盗みはなかった」
「はあ? 自分で武器はあったって言ったんじゃないか、なんだ」
「いや、そこに武器はあった。そして消えた。
盗みでないとすれば答えは一つ」
「なんだ? 謎掛けか?」
「移動だ」
「……はああ?」
「移送だったのではないか、あれは」
首を捻る出川にかまわず安倍は続けた。
「読瓜藩から流されたその武器類を管理は藤州藩配下のめざまし屋が行っていたが、
それは本来そこにあるべきものではなかった。
彼らはずっと、武器を本来置くべき場所に移動する時を待っていた。
ただ、その場所を誰にも知られたくなかった。
だからあそこまで大きな陽動を起こし、あくまで秘密裏に運び込む必要があった」
「どういうことさ、どこへだよ」
「だとすれば、場所も自ずと限定されてくる。
綿密すぎる手際から逆にわかることもある。
めざまし屋には武器を運び込めた連中がそこまで隠し、
運んでいかなければならない場所となれば、近くに一つだけある。
盲点ではあった。南ではなく、北」
「北? でも、高瀬川の五条から北なんてお台場と、あとはすぐに行き止まり……」
「鬼は丑寅(うしとら)より来たる」
安倍がぽそりと呟いた。
「所司代屋敷が襲われたあの夜。私はちょうど夜まで不在だってので後に聞いたんだが、
ここ数日、所司代周辺の警備が強化という名目で、
頻繁に変更されていたそうだ。まるで自ら配置の混乱を招くように。
そしてあの夜、北東の方向だけちょうど監視の穴になるよう、
周到に指示が出されていた」
「北東?」
「そう。滅茶勤王党の襲撃があった、所司代組屋敷北東門の周辺からだ。
当初それは、所司代側の裏切りが襲撃の手引きをするためと思われていたが」
「違うのか」
「まさかいくら一部が通じていたとは言え、
所司代の前で堂々と、大量の武器を運び込むわけにもいくまい」
「おお!」
少しの間を置いて、出川が目を剥き口を開いた。
安倍はそれ以上言葉を繋がなかった。
促がされて咄嗟に岡村が見た、北のその先。
京都所司代組は、都の治安維持、二条城周辺の警護と共に、
もう一つ、重要な役を幕府より任ぜられている。
所司代屋敷より北東――高瀬川の北、鴨川より分水する樋口より先にある、
禁裏御所の警護と、監視。
藤本は所司代屋敷の門前で煌々と燃え盛っていた篝火を思い出した。
普段、ほとんどは提灯でまかなわれているはずの灯りが、
あの夜に限っては西門、南門で燃え盛っていた。逆に大きな影でも作るかのように。
「しかしそれじゃあ、御所に大量の武器が運び込まれたってことか!」
出川が叫んだ。
京に身を置く志士ならば、その全容は知らずとも、常に意識せざるを得ない。
何よりも貴いものが身を置くその場所。
それは幕府にでさえ、不可侵である。
「証は、あるんかい」
岡村がゆっくりと口を開いた。
「ない。だが、御所の中を調べる事は出来ないが、
御所近く、匿い易い場所、
恐らく監視の弱い鴨川の傍に、人手を囲う隠れ家があるはず。
既に部下を向かわせている」
「……ほうか」
「恐らく今夜中にも引き払われるだろう。
焦り白昼に事件を起こしたのも、それがあったからだ」
「今夜という理由は」
「貴方が今夜、ここを発つからだ」
「……なるほど。そうか、そうやろな」
「あの、吉澤さんは岡村先生が心配じゃないんですか」
新垣も岡村には多少触れていた。古くからいる幹部たちの思い入れもある程度は知っている。
「ん、でもまあ、行ってどうにかなるもんでもないし」
「安倍さんも、出てるんですよね」
使いより伝えられた安倍の指示で高瀬川の上流へ向かっていた。
御所に近く、鴨川の傍。
恐らく民家より目立たないところに、何らかの痕跡があるはずと。
先程まで鳥羽へ向かったと思ったら、今度は北へ。
くるくると変化する指示が、情勢が絶えず変わり続けている事を感じさせる。
まるで今の幕府、この国のようだ。
現実には、わかりやすいたった一つの答えなど存在しない。
日々刻々と移り変わる状況に合わせた、より“まし”な選択肢がいくつかあるだけだ。
「でも、きっと大丈夫ですよね。私たちももう、まごうかたなき武士の身です。
これからもっと、うまく行くはずです」
「……ああ」
「きっと、安倍さんたちは先のこともきちんと考えているはずだし。
もっと組織も強化して、隊士も増やして、不逞浪士も一掃してえ、京都も一気に――」
新垣は腕を振り上げた。
「どーかね。あの人も結構……」
「結構? なんですか?」
どきりとした。一瞬、吉澤の中にあの、氷のような鋭さを感じたからだ。
「……いや」
しかし吉澤はそこで言葉を止めた。新垣はやや緊張しながらも、言葉を繋ぐ。
「でもまあ、吉澤さんもいますし。これから飯田さんも、まこっちゃんも、
重さんも傷が治れば、また元の壬生娘。組に戻れますよね。そうすれば――」
「あのさ、ガキさん」
「なんです?」
「今のさ、壬生娘。組好き?」
「うぇ? ど、どうしたんですか、急にそんなこと」
「好き?」
「びっくりするなもう。……好きですよ、もちろん」
なんとなく顔を赤くして、ちょっとふくれながら答えた。
「そっか、よかった」
吉澤は微笑んだ。
「いいんだよ。お前らは、政事は」
「はい?」
「みんな政事をしようとするから、ちょっとおかしいことになっちまう。
武士は武士。士道を重んじ、剣士であることをまっとうしたらいい」
「……だからなんです? 急に」
しかし吉澤は新垣を無視して、大量の水を落とす近くの屋根を見上げる。
「水って、上から下に落ちるんだよね」
「はい?」
「石っころもそうなんだ。なんでだか、考えた事ある?」
「……いえ。だって、物が落ちるのは当たり前でしょう? 上と下なんだから」
「そうかな?」
「違うんですか?」
「面白いもんだ」
吉澤は一人満足げに微笑んだ。
「まあガキさんならわかるよ。きっとそのうち」
(やっぱり変な人だ)
時折思う。この人はなぜ壬生娘。組に入ったのだろう。
そんなことを自然に思わせてしまう、どこか浮世離れした雰囲気が吉澤にはある。
「なんか言った?」
「いいえ! 特に」
「……特に?」
日頃の稽古から、恐ろしく強い人であるのは知っている。
だけどこの人が本気で誰かと戦っているのを見たことがない。
果たしてどれだけ強いのだろうかという興味もなくも無いが、
まず、この人が本気になるということがあるのだろうか。
そんなことを新垣は、ふと思った。
「おかしいですよねえ」
四度目だった。
またも行く手を倒れた家屋が阻んでいた。今度は水出もあった。
なるべく他藩に動きを知られぬようにと最初に言われていたので、
大きな通りはなるべく避けていた。
それが裏目に出たのかもしれないが、これはいくらなんでも尋常ではない。
「ん」
とりあえず後ろを振り返る。
少しついて来ている隊士が減っているような気がする。
幾度もの針路変更に遅れている焦りからか足が速まり、一部が遅れているのか。
確認のために隊士を走らせた。
「ふぅん……」
声に振り返ると、吉澤が顎に手を当て、何か物思いにふけっている。
「ガキさんは、打つ?」
急に新垣に向かって、人差し指と中指を重ねて前方を指す振りをした。
「将棋、ですか?」
「ううん、囲碁」
「いえ、打ちませんけど。吉澤さんは好きなんでしたっけ?」
「いや打たないけどさ」
「なんなんですか? 一体」
眉を思い切りしかめて見せる新垣をよそに、吉澤はまた黙って、
しばらく考えると意を決したように呟いた。
「ここらでいいかな」
「え?」
「ガキさん。ここを越えていこう」
「はい?」
「撤去作業にかかれ」
眉をしかめたままの新垣をよそに、急に吉澤が隊士たちに命じた。
隊士たちは短く返事をすると、吉澤に従って崩れた家屋を横にどけはじめる。
突然場を仕切りだした吉澤に、新垣は少しの不満と驚きを覚えた。
しかし当の吉澤は「ふふん」と一人でどこか嬉しそうに笑っている。
「急にどうしたんですか」
「この傷口……」
「柱がどうかしたんですか?」
吉澤が崩れた家屋の中から手頃な木材を手に取り、眺めていた。
「手馴れてるなあ」
「え? なにがです?」
「建物って、意外と簡単なんだよね。
造りを分かっている人間が要点を攻めれば案外と脆い。
人の身体と同じでね。人を壊し慣れてる奴は建物を壊すのも上手い。
……って、まあ、だからって簡単にできるもんでもないけどさ」
吉澤が突然何を言い出したのかわからない。
「これだけのことができる奴が全滅させる気なら、
退路も断って追い込むか、大人数で待ち伏せる。それを中々しないと言うことは、
そこまで手間暇かけられないか、そうじゃなければ……」
吉澤自身も色々と思案しながら話をしているらしく、一呼吸置いた。
「とりあえずは、時間稼ぎかな」
「……とりあえず?」
「狩りを楽しんでいやがるのさ」
「あ」
不意に新垣の中で、今までの事と吉澤の言った事が繋がった。
「シチョウだ」
それは新垣も知っている囲碁の基本的な形のひとつで、
逃げては抑え、逃げては抑えと、両者の手が必然的に連鎖していく形である。
シチョウの終わりは二つ。逃げる側が途中で路を繋ぎ、逃れるか、
或いは盤の隅まで追い詰められ、全ての石をとられるか。
新垣は俄かに戦慄した。
「私たちが今まさに狩られている、ってことですか!?」
この京都を碁盤に、碁石を打つように狩りを楽しんでいるというのだ。
並の兵法眼ではない。
しかし吉澤は焦らず、むしろ嬉しそうに笑みを浮かべている。
「確かに戦(いくさ)じゃ、無い手じゃないけど。
まさかもうこの京都で、戦が始まってたとはね。
このやり口から見て、敵は少数、いや……」
そこで言葉を止めた。
「ふ」
不意に漏れた吉澤の笑いに、新垣はびくりとした。
「そういや、そういうの得意な奴がいたなあ。
そこらの野良犬を刀で追い込んでさ、必死に逃げ回るのを見ながら笑ってたっけ」
「……吉澤さん?」
「なあに。そういう変態野郎は案外すぐ近くで、
こっちを見ながら楽しんでたりするもんさ。なあ? そこの」
吉澤が素早く振り向いた。
するとその先に、一人の隊士が立っていた。
「ちっ。やっぱりあんたが嵌ったのはわざとかい。舐めるもんじゃないねえ」
その隊士はまるで悪びれもせず平然と、吉澤に答えた。
しかし吉澤も構わず、まるでそのまま仲の良い隊士と会話しているように、
にやりと笑って見せた。
「だな」
新垣は息を飲んだ。
悪鬼がいた。
殺気を隠し隊士に紛れていたそれは、一応、黒い羽織を着ていたものの、
右手には家屋を破壊するのに使ったであろう手斧、
そして左手には、人を喰らう鬼女のごとく、人の腕のかけらを持っていた。
群れを相手にする狩りは群れを追い立て、疲れ脱落した者から狩りとっていく。
「やっぱり裏切ったかよ。里田ぁ!」
嬉しそうに叫ぶ吉澤の声にびりびりと、あたりが震えた。
新垣は吉澤の背中に、それまで見たことのない、高まっていく熱を感じた。
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ブログの件ですが、状況がわからないので何とも言えませんが、
とりあえず実害もないので、黙認というような感じで。
私もこういうものを書いている以上、あまり偉そうな事は言えないんですが。
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更新キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!
安倍×藤本のくだりは息が詰まりましたよ
それにしてもサトタ・・・
更新キタ━(゚∀゚)━!!
黙認有り難うございますm(_ _)mブログの中身は何の変哲もない日記です
更新きたああああああああああああああああああああああああああ
次は吉澤ガキさんですか楽しみだ
これはやばいだろ。
もうなんか、鳥肌とかそんなレベルじゃない。
ho
284 :
名無し募集中。。。:2005/09/07(水) 14:47:45 ID:CrOU4rrG0
保全。
保全。
保全。
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)