――― 30話 魔界決戦前夜祭 ―――
水晶球に映る小川神社の風景は普通の風景ではない。
本尊から立ち上がる妖気が黒い渦を巻き、広がり、朝娘市に拡散する。
自室で ソレを見守る中澤は深い溜め息をついた。
そして、ノックをして入ってきた弟子の石黒彩には
「何しに来たんじゃ?」
と、素っ気ない。
「久しぶりに来たのに、ご挨拶ね」
そう言いながら、石黒は中澤の水晶球を覗いた。
「やっぱり…気付いてたわね」
「…ふん」
石黒は中澤の正面にある椅子に座る。
「ヤバイわよ。師匠、どうする?」
石黒の心配は、至極まともだ。
小川神社の妖気は、当主 小川直也が発する本物の鬼の気と
魔界の深遠から噴出す『魔』そのものが融合した
危険極まりない代物なのだ。
「このままじゃ、魔界街ではなくなる。
街自体が、魔気に飲み込まれて人の住めない本物の魔界になってしまうわ」
「どうするも、こうするも、ワシ等では、どうにもならん。
オマエも知っている筈じゃ」
「分かってるわよ、だから師匠と手を組もうと来たんじゃないの」
「オマエとワシの2人だけで、あの化け物軍団を相手に勝てるかのぅ?
返り討ちに会うのがオチじゃ」
「……」
小川神社に集結した『人造舎』登録魔人…
彼等は新総帥の小川直也の鬼拳を受けて、言いなりに動く木偶と化した。
そして小川神社の妖気を浴びて、超能力を増幅させた魔人達は
小川流念法を教え込まれ、神社を守る、使徒となっている。
小川神社には、結界が張られ、足を踏み込んだ者は
一般参拝者と信者意外、不審者は囚われの身になる。
異変に気付いたのは、中澤と石黒だけではない。
奇異な事件解決を生業とする、魔人狩人や、
警察の中にも、異変に気付き潜入捜査を開始しようと試みる者もいた。
だが、その者達は全て捕まり、生死さえ分からず、帰っては来ない。
業を煮やした警察署長が、魔人ハンターに出動を要請したが、
『超人』飯田香織からは、にべも無く断りの電話が入った。
『銃人』デューク次元に期待したが、彼も囚われの身になり捜査は打ち切られた。
魔人ハンターがやられる相手に、警察の力が及ぶ筈が無いからだ。
「ワシはのぅ、このまま、この街が魔界に飲み込まれてもよい、と思っておる」
「魔力が戻るから?」
「…うむ、ワシは未だに若さを取り戻す事を諦めておらん」
「戻らないかも、しれないわよ。それに師匠の弟子達はどうするの?」
「ふん、あんな勝手気ままな娘共は知らんわ」
「…顔には、そう書いてないわね」
クスッと含み笑いの石黒は
「私は困るのよ」と、続けた。
「ようやく事務所も軌道に乗って来たんだから、
こんな事で魔界街を出るのは嫌なのよ」
「一人だけ、あの小川という鬼を殺せる奴を知っておる」
「誰?」
「たぶん、オマエも知っていよう」
「…あっ」
石黒は気付いた。
以前、接触した事が有る飯田圭織という魔人ハンターだ。
「あやつの気は『鬼の気』じゃ。たぶん、身内がおるのじゃろう」
「鬼には鬼を当たらせる訳ね…」
そう言って、少し考えてから石黒が出した答え。
「私の一番弟子を、あの魔界刑事に付ける…
取り巻きの魔人連中ぐらいは殺せる魔力を持ってるわ。
…暫くの間、仕事はキャンセルという事になるわね」
「おぬしは手伝わんのか?」
「私?…私は自分の手で人を殺すのが嫌なの。
それに、あの飯田って刑事と手を組む気にはなれないし…」
「…」
「松浦の魔力は私より上だわ」
複雑な表情で語る石黒は、フと小さな溜息を付いた…
商店街の外れに有る、小さなスナックの前には
毎夜のように大型のリムジンが停車してある。
運転席に座る小柄な猿(ましら)のような従者を横目に、
飯田圭織は『スナック梨華』に入った。
---カランカラン---
「いらっしゃい…」
飯田に気付いた吉澤が、薄く笑う。
小さいながらもモノトーンで統一された、洒落た店内にいる客は何時も決まっている。
カウンターに座るセーラー服の藤本美貴と、
テーブルに陣取る、石川目当てのサラリーマン諸氏達だ。
「久しぶり…」
カウンターでグラスを拭く吉澤は、藤本と椅子一つ分を空けて座る
飯田に、何時もの水割りを作ってテーブルに置く。
「週一回は来てるだろ」
毎日のように来ている藤本と比べれば、それは久しぶりの筈だ。
飯田は少し苦笑しながら答えた。
「…どうした?」
飯田の表情が、何時もより幾分沈んでいる事に気付いた吉澤。
「…石川に用事が有ってな」
飯田がチラリとテーブルを見ると、ほろ酔い加減の石川梨華が
ケラケラ笑いながら接客していた。
「まぁ、他の客が帰るまで待つよ」
そう言いながら水割りのグラスを傾けた。
石川と客の声とは別の、静かな時間が店内に流れる。
飯田の周りの空気だけが止まっているようだった。
石川が客から解放されたのは、1時間半後の9時を回った頃だ。
ガチャガチャとテーブルのグラス類を片す石川が、
カウンターに戻り、一息ついて吉澤にしな垂れかかった。
藤本に対し、これ見よがしな態度をとる石川は、
今の時間まで、藤本に吉澤を独占された憂さを晴らしているようだ。
何か言いかけた藤本を制し、飯田が静かに話し始めた。
「石川…紺野という少女を憶えているか?」
「紺野?」
小首をかしげる石川に代わって、思い出したように吉澤が答えた。
「ああ、小川神社に着いてきた大人しそうな子…?」
「そうだ」
「…その子が、どうかしたの?」
吉澤に言われて思い出した石川は、
やっと、飯田の微妙な雰囲気に気付いた。
「その少女の彼氏が殺された」
エッと小さく驚く石川のカウンター前に、コトリと鉛の弾が置かれた。
「浜口という少年でね。私も知らない仲じゃなかった。
で、その少年の胸に突き刺さったのが、この弾なの」
銀色に鈍く光る鉛の弾…
「ちょっと、店を閉めてくる」
危険な事件の匂いに、吉澤がカウンターから離れて、CLOSEの看板を出しに外へ出た。
「…な、なんで、私に?」
石川は、飯田が自分に弾を見せた意味が良く分からない。
「オマエは、みっちゃんの能力を受け継いだんろ?」
「へ?」
能力と言われても、ピンとこない。
「その弾から、犯人像を調べてくれ」
「調べる?」
確かに平家の記憶は貰ったが、貰ったのは『記憶』だけの筈…
と、思っていた石川は、今まで平家の能力とやらを試した事がない。
「サイコメトラーなんだろ」
そう言いながら、飯田は鉛の弾を石川の手の平に乗せた。
キョトンとする石川を見ながら、溜め息を付いたのは藤本だ。
「何も知らなそうね。本当に能力なんて有るのかしら?」
小バカにしたように聞く藤本は、勿論 面識もない平家の事は知らない。
知らないが、自分の心臓が盗まれた『KEI事件』後の事の顛末は、
吉澤から聞いて知っていた。
だから、その平家という人物が石川に能力を授けた事も知っていたが、
今の態度の石川を見ていると、どうにも信用できないでいたのだ。
藤本の挑発にカチンときた石川。
やり方は知っている。
平家の記憶が、そうしろと言っている。
弾を手の平に置いたまま瞑想する事10分。
石川の酔いは完全に醒めた。
「飯田さん…飯田さんは犯人を知っていたの?」
そっと、銃弾をカウンターに置いた石川が、寂しそうに聞いた。
黙って頷く飯田。
確認したかっただけだ。
銃の線状痕は一致していた。
犯人は朝娘市警察の魔人ハンター『銃人』ことデューク次元なのだ。
「奴は何故、少年を殺した?」
それが知りたかったのだ。
小川家と自分の出生の秘密がリンクしている事を知った飯田は、
小川神社が魔人の巣窟になっている事の事実を確認し、
殲滅するという署長命令の捜査を断った。
訝(いぶか)しがる署長は、それでも何か理由でも有るのだろうと、
飯田の辞退の申し出を受け取った。
それで、飯田の代わりに選ばれたのデューク次元だったのだ。
しかし、次元の捜査は失敗に終る。
小川直也の鬼拳『洗脳術』を受け、魔人に堕した。
その時点で、魔人ハンターとしての役目は終った筈だった。
終った筈の役目は、弟子の後藤との死闘で受けた傷で蘇る。
死という代償を以って…
だが、死しても尚、本能にしたがった魔人ハンターは、最後の仕事をしただけだった。
魔女の魔力を撃ち抜くために…
石川の言葉を黙って聞いていた飯田は、
カランと氷の音を響かせて、カウンターに空になった水割りのグラスを置き、
物憂げに視線を落とし、タバコに火を点けた。
「何もアンタのせいじゃない…」
空になったグラスにスコッチとミネラルウォーターを注ぎ、
新たな水割りを作った吉澤が、慰めとも言えない 慰めの水割りを差し出した。
「だが、腹は決まったようだな」
一気に水割りを飲み干した飯田の表情は変わっていた。
小川神社に巣食う魔人達を殲滅すると、その顔は語っている。
「手伝うぜ…」
ひっそりと言う吉澤の透き通るような瞳は、微かに据わっていた。
「私(わたくし)も参加させていただきますわ」
痺れるように格好イイ、吉澤の物憂げな表情に頬を染めながら、
藤本も魔人殺しを申し出る。
「じゃあ、私も…」
チョコンと手を上げた石川。
「貴女の役目は、今ので終わりましたわ」
石川のサイコメトラーの能力を見てしまった藤本は、その能力に少し驚きつつも、
これ以上 石川の出番は無いと、醒めた態度だ。
「死ぬ覚悟はあるのか?」
そっと呟く飯田。
「…今回は『警察ごっこ』じゃないんだよ」
飯田は一人で行くつもりだった。
だが、吉澤と藤本の唇の端はキューッと吊り上がる。
死ぬ覚悟など無い。
そして、死ぬつもりも勿論無い。
絶対的な自分への自信が、唇に表れただけだ。
「フッ、勝手にしな」
肩をすくめる飯田。
「あのぅ…私は?」
オズオズと聞いてきた石川。
「小川神社に行けば、オマエは確実に死ぬ」
飯田が間髪入れずに断言する。
「で、ですよねぇ♪」
能力のカテゴリーが違う石川の役目は、藤本の言う通り、ここで終る予定。
「だが、やってもらう事が有る」
石川の仕事は残っていた。
「オマエが知っている魔人達の能力を全てレクチャーしてもらう」
人造舎登録魔人KEIの記憶を奪った平家の記憶は、石川に受け継がれているのだ。
「…え?そ、それは…」
平家の記憶が言っている…
タダでは教えるなと。
「イヤとは言わせない」
覚悟を決めた飯田が、石川を見据える。
「じ、じゃあ、こっちも情報料を頂くわよ」
飯田の視線は怖かったが、踏ん張って答えた。
「いくらだ?」
「う〜…お、思い切って一億!」
ピンと人差し指を一本立てた石川。
「払おう」
「私が払いますわ」
飯田と藤本が同時に即答する。
「や、ややややっぱり、二億は貰わないと」
一発返事の2人に、一億じゃ安かったのかと、ビビりながらも指を二本立てて様子を伺う。
「分かった」
「小切手でよろしいかしら?」
これまた即答。
「じゃあ、さささささ三億…」
「いったい、いくら欲しいんだ?」
「呆れますわ。金の亡者ですわね」
蔑(さげす)むような2人の視線。
「…や、やっぱり、い、一億でいいです」
自分の浅ましさに真っ赤になりながら、最後は消え入りそうな声で答えた。
呆れ顔の吉澤は、それでも
「いいから二億で手を打っておけ」
と、助け舟を出した。
「じゃあ、その人の代わりに、魔人討伐隊には私を入れて♪」
カランカランとドアを開けて入ってきたのは、スーパーアイドル。
いきなりのぁゃゃ登場で、「エッ」と全員 目が点になった。
「社長に言われて来たんだけど、飯田さんって貴女?」
ニコニコしながら、松浦は飯田に歩み寄った。
「そ、そうだけど…社長って?」
何故アイドルが?と、怪訝な顔の飯田。
「石黒芸能事務所の社長よ。
貴女とは少なからず因縁が有るみたいな言い方だったわよ」
「あの時の魔女か…」
言われて、ハッと納得する飯田は、藤本の事件の時の
ハロー製薬ビルでの初対面の事を思い出した。
「でも、因縁が有るのは、私より吉澤の方じゃないか?」
飯田は顎をしゃくって吉澤を指した。
石黒のお気に入りは確か、飯田よりも吉澤の筈だ。
吉澤の身を案じて、ペンダントに魔人に反応する術を掛けてやった位だ。
「あの時はどうも」
カウンターの吉澤に嫌味ったらしい笑みを浮かべて、
マネージャーの真矢を半殺しにした吉澤の事をチクリと刺す松浦。
「あ、ああ…」
その事を憶えている吉澤も、曖昧に返事を返した。
「待ってくださる?アイドルの貴女には関係の無い場所よ、ここは」
自分よりもチヤホヤされている松浦を快く思わない生徒会長。
「人殺しの生徒会長が何か言ってるよ」
アイドルは藤本の顔も見ずに、ボソリと返す。
「なっ!」
藤本は、怒りで顔が紅潮した。
「…これで、文句はないでしょう?」
そう言いながら、松浦がドアから引きずり入れたのは血だらけの運転手。
「お、岡村」
愕然とする藤本。
藤本家最高の腕を持つボディガードは、どんな技を掛けられたのか、あっさりと半殺しにされた。
「あっ、私は悪くないですよ。
この人が、店に入ろうとした私の腕を取ったから…やっちゃった♪」
ペロッと舌を出して、おどけてみせる。
「オマエ…学校では猫を被っていたな…」
呆れたように、半笑いの吉澤。
松浦のマネージャーを半殺しにした時の、アイドルの怯えた表情は、造った嘘の顔だったのだ。
「エヘヘ…でも、あの時の貴方は格好良かったよ。ちょっと惚れたかも」
どこまでが演技か分からないアイドルの言動に「ハハハ」と笑って返す事しかできない吉澤は、
突き刺すような藤本と石川の視線を全身に感じ、表情が固まった。
「腕は分かった。で、なんで私に付く?」
飯田は、もっとも素朴な疑問を口にした。
「社長が言ってたの。このままでは、この街が本物の魔界に飲まれると」
「…で?」
「鬼を殺す事ができるのは、鬼しかないって言ってたわ」
ピクリと飯田の眉が動く。
「だから、鬼退治のお手伝いをしなさいって」
「……」
「アイドルの仕事も、暫くはキャンセルされたわ」
「…ごくろうなこった」
「と言う訳で、よろしくお願いします」
と、飯田と吉澤だけにペコリと頭を下げる松浦亜弥。
その松浦を睨み付ける、石川と藤本。
傍から見ても、松浦、石川、藤本は仲が良さそうには見えない。
事実、実際に仲は悪い上に、憎み合っている感じさえする。
飯田と吉澤の視線が合った。
諦めにも似た、その視線は、今後のチームの状況を物語っているようだった。
そして、岡村は…
忘れられていた…