朝娘橋の両端に有る、2つのゲートの朝娘市側のゲートが開き、
18台の先遣隊の武装車が橋に入ると朝娘市側のゲートが閉じ、同時に日本側のゲートが開いた。
先頭に立つのは、時速60キロまでスピードが出るように改造した武装ローラー車だ。
「こ、これは…」
その運転手がゴクリと唾を飲み込む。
魔界の摩訶不思議な力に誘われ朝娘市を目指し集結した、見渡すかぎりに広がるゾンビの群れは
不気味な死者の雄叫びを上げ、ゲートが開くと同時に車列に向かって来た。
http://blanch-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/data/IMG_000082.jpg 「行きなさい」
「…は、はい」
助手席に座る福田明日香に促され、アクセルを踏む足に力が入る。
ローラー車は静かに、しかし力強く、確実にスピードを上げながら死者達を薙ぎ倒し、踏み潰して行く。
轢かれたゾンビの血飛沫がブシューッとフロントガラスに掛かる。
だが、ローラーに潰され、機関銃に撃ち抜かれながらもゾンビの歩みは止まらない。
「お、重い…」
ローラー車のスピードが途端に遅くなる。
数え切れないゾンビの群れに取り囲まれ、超重力級の爆進力を持つローラー車が簡単に悲鳴を上げたのだ。
「キリが無いです!」
甲板で機関銃を握る射撃手の声が、マイクを通して運転席に伝わる。
「泣き言は聞きたくないよ」
そう言う福田も、さすがに焦りを感じ始める。
眼前に広がる地獄絵図とも言える死者達の数は半端ではない。
始まって直ぐにクライマックスが来た感じだ。
事実、この地獄の群れを突破する事が、先遣隊最大の山場になった。
「やっべぇ!何やってんだよ!前の車は!」
最後列に並ぶ飯田のコルベットは、時速15キロでトロトロと進む
車列に向かってクラクションをバンバン鳴らすが、それでスピードが上がる訳ではない。
むしろゾンビを呼んでいるようにさえ聞こえる。
実際、コルベットはゾンビに取り囲まれ、車体が揺れ動き、
加護と辻がギャーギャー悲鳴を上げている。
窓にベタベタと貼り付くゾンビの手と顔…
「こ、この車…大丈夫なの?」
助手席に座る麻琴が、目を点にしながら飯田に聞く。
http://blanch-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/data/IMG_000095.jpg 「…だ、大丈夫だと思うよ。一応、防弾ガラスだし…車体だって頑丈に作ってるし…
ハハ‥それに、万が一噛まれても大丈夫のように、ワクチンも注射してるし…」
「ワクチンって…」
「ハ、ハハハ…」
このゾンビの数に、ワクチンは関係無い。
襲われ、食われたら、骨さえ残らないだろう。
「もう、帰りたいのです!」
「死ぬ!ウチ等絶対に死ぬでぇ!」
辻と加護はパニックになり、今にもドアを開けて逃げ出しそうだ。
「もう、何やってんだよ!」
死者に囲まれガックンガックン揺れるコルベット…
再び飯田がクラクションを鳴らし始めた…
「静かなものですわね」
藤本は、車内に備え付けの小型冷蔵庫からワインを取り出してグラスに注ぎ、クイッと飲み干した。
「よく、こんな時にワインなんか飲めるわね」
「貴女も飲む?」
藤本に差し出されたグラスを、ムッとしながらも受け取り、チョピッと舐めた石川が
「…あら、美味しい」
と、思わず本音を漏らして顔を赤くする。
「キャビアも有りますわよ」
藤本がキャビアの缶とクラッカーの袋を開けるのを、横目でチロリと見た石川は
「フン」とソッポを向きつつも、手を差し出して催促した。
藤本のリムジンは特別製だ。
防弾防音は勿論の事、車体に触れると電流が流れるようになっており、
取り囲むゾンビはバチバチと火花を上げ、痙攣しながらバタバタと崩れ落ちる。
窓もフロントガラス以外、真っ黒なスモークガラスで覆われていて、外の嫌な景色も見ることは無い。
(運転席と後部座席は仕切られているため、フロントガラスに映るゾンビも見なくてすんだ)
クラシック音楽が流れる快適な車内は、優雅な雰囲気に彩られているのだ…
藤本と石川の関係以外…
一方、ただ単に普通の霊柩車に乗り込む、小川龍拳と中沢裕子。
ガタガタと揺れる車内と、運転席と助手席に雪崩落ちる後部座席に積んだ万札の束。
「怖いですじゃ!」
と、乙女のように龍拳にしがみ付いていた中澤も、サイドガラスにヒビが入った時点で、
さすがに何とかしなければならないと、思ったようだ。
「何しとるんです?」
怪訝そうに聞く龍拳に対して、
「ほっほっほ」
と笑った中澤の手には、万札の束が握られている。
万札を束ねる白い帯に五芒星を書いた中澤は、フウッと吐息を吹きかける。
「福沢さんに、助けてもらいますじゃ」
そう言うと、窓を少しだけ開け、万冊の束を車外に放り投げた。
地面に落ちると同時に、ボンボンと煙を上げながら人の形を成し始める一万円札達。
百万円の束は、百人の福沢諭吉を作り出す。
中澤の魔力によって動き出した簡易式神達は、霊柩車を守るようにゾンビ達に立ち塞がり、
噛まれて直ぐに元の一万円札に戻る。
「なぁに、福沢さんはいくらでもいるわい、ほっほっほ」
次々とゾンビに倒される福沢諭吉と、次々と作り出される式神の福沢諭吉。
「何千万円使うつもりじゃ…」
「臆になるかも…」
嘆く龍拳は、ゾンビに噛まれる度に元に戻る福沢諭吉達が、
ヒラヒラと舞い上がる様を涙目で眺めるしかなかった…
一番ヤバいのが、松浦の大型ワゴン車…
の屋根に乗っかっている、吉澤が跨るドカティだ。
屋根に固定されてるバイクに跨っているとは言え、車外に向き出しになっている人間は吉澤ただ一人。
お神輿のように揺れるワゴン車は、いつ吉澤をゾンビのいる下に放り出すのか分らない。
吉澤は言葉もなく、必死にバイクにしがみ付くしか方法は無かった。
落ちたら最後、ゾンビの餌食になって骨になるのは確実だった。
そんな死に方は絶対にしたくない。
「怖ええ!怖ええよ!」
キョロキョロと周りを絶え間なく見るのは、ゾンビが屋根に上ってくるのを見張るためだ。
予定では、ゾンビの群れをバイクで突っ切って先頭に立ち、後続車に道路状況を伝える筈だったのだが、
圧倒的な死者達の数を前にして、その計画の無謀さを実感させられた。
しかも、前が詰まっているのか、車列は徐行しか出来ていない。
ワゴン車の屋根の後方から手が伸びて、ゾンビが一体 顔をニュッと出した。
「わぁぁああ!!」
テレポートで右手のパンチを飛ばし、ゾンビの顔面に拳をめり込ませて吹っ飛ばした。
http://blanch-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/data/IMG_000097.jpg ハァハァと荒い息を吐く吉澤の形相は、まさしく必死そのものだった。
ワゴン車内の松浦達は、各々にホウキを持って、いざとなったら飛ぶ準備を怠っていない。
サンルーフは吉澤のバイクで塞がっている。
窓を開ければ、ゾンビが雪崩を打って入り込んでくる。
したがって、ゾンビの群れを抜け切る事が出来なければ、
ワゴン車が倒されるまで車内に居るしかないのが現状なのだ。
「こんな事なら、最初っから空を飛んでればよかったべさ!」
「もう、遅いよ!わぁあ!怖ええ!」
ガタガタとゾンビ達に揺らされるワゴン車内で、安倍と矢口は抱き合ってギャーギャー騒いでいる。
「あんた達、ちょっとウルサイ!黙ってて!」
安倍達と一緒に泣き叫びたいのを押さえて注意する松浦は、
静かに座っている高橋と紺野の手前、冷静さを装っているだけだ。
「もう、なるようになるしかないわね」
助手席に座る石黒も、半分 投げやりな態度で腕を頭に組んでいる。
「どうしたの?あさ美ちゃん」
高橋が、自分の鞄を押さえるように固まっている紺野に気付いた。
「…うん、ちょっと」
そう言いながら紺野が鞄から取り出したのは、一枚の式神だった。
「何それ?震えてるじゃん」
高橋が怪訝そうに、和紙に五芒星が書かれている紺野の式神を見る。
死人の呻き声に呼応するように、ブーンと虫の羽ばたきの様に小刻みに震える、紺野の式神は、
以前 中澤が『死人返り』事件の時に封印した、死人だった。
(第十二話 死人返り、第十三話 魔女の条件、参照)
式を扱う練習用兼護身用に持ち歩くように中澤から貰った物だったが、今まで一度も使った事が無い。
「ゾンビに反応してるわ、ソレ……って言うか、何それ?」
助手席から身を乗り出した石黒が、紺野の式神を指差した。
紺野は、かい摘んで説明した。
『死人返り』を式に封印した物だと。
それを使いこなす様にと、中澤から手渡された物だと。
「ふーん、そんな物を託されるなんて…オマエ、師匠に期待されてるんだねぇ」
感心したように話す石黒。
「でも、ソレは初心者に使いこなせるような代物じゃないよ、捨てちまいな」
「でも…」
中澤に期待されてると聞いたら、簡単に捨てる訳にはいかない。
「じゃあ、こうしよう。
練習のつもりで、ゾンビの中に放り込んでみな。
ゾンビを倒せれば良し、ダメだったらダメで諦めればいいんだよ」
「…う〜‥」
それでも、決心しかねる紺野。
「あのねえ、はっきり言って、ヤバいよソレ。
『死人返り』でしょ?震えてるじゃん。車内で発現したらどうするの?
瘴気が充満して、皆死んじゃうよ」
松浦がイライラしながら、口を出した。
「…え?そうなんですか?」
「そうなの」
石黒と松浦が同時に声を出す。
死ぬと聞いて、安倍と矢口が顔を見合した。
「ちょちょちょちょっと、そんな危険な物、なんで持ってんだべ!」
「は、早く捨てろよ!」
「わ、分りました…」
紺野が決心しかねたのは、中澤から貰った物を捨てられなかっただけだ。
皆が死ぬかもしれないと聞いてしまったら、捨てるしかないし、
後生大切に守るような物でもない。
「中澤さん、ごめんなさい」
紺野はあっさりと震える式神を少し開けた窓から、ゾンビが群がる車外に放り捨てた。
「あれ?発現する呪文は?」
高橋は少し気になった。
呪文を言わずに発現したら、術者の式神ではなくなる。
「あっ…」
「忘れたんでしょ」
コクンと頷く紺野。
「…まぁ、いいか、あのゾンビの数では どうしようもないもん」
高橋が紺野の頭を撫でて、気にするな と慰める。
捨てられた五芒星の書かれた和紙は、ヒラヒラとゾンビの群れの中に消えていった…
「うおっ!キタキタキタキタ!キタよー!」
スピードが上がり始めた車列。
飯田のコルベットをはじめとする娘達の車も、待ってましたとばかりにアクセルを踏み込む。
最後列の松浦のワゴン車に乗り込む紺野は、ヒラヒラと舞い上がる 今しがた捨てた式神を見送る。
その式神が、ボンと煙を上げたと同時に元の『死人返り』に戻った。
「あっ!」
高橋と一緒に後ろの窓に しがみ付いて、成り行きを見守る紺野。
黒い瘴気を身にまとった、赤いカクテルドレスを着た式神は、
ユラユラと揺らめきながら、虚ろな目で此方を見ていたのだ…
その死人は、周りのゾンビ達とは明らかに違う。
干乾びた体に、ミイラのような顔。
体から湧き出る、真っ黒い煙のような瘴気。
ボロボロのカクテルドレスを着た死人の周りのゾンビは、瘴気に毒され、
バタバタと倒れ、痙攣しながら動きを止める。
体中から紫色の血管らしき管をヒュンヒュンと伸ばした『紺野の式神』は、
その血管の先端をゾンビに突き刺して、ドクドクと脈打ちながら何かを吸い込んだ。
たちまちミイラのようになって崩れ落ちるゾンビ。
「ハァーーッ」
カクテルドレスの式神は、黒い瘴気を吐きながら大きく息を吸った。
ボクンボクンと体を軋ませながら、ゾンビの体液を吸い上げる式神の体は、
筋だらけで茶褐色の肌を人の色に戻していく。
トンッと一歩踏み出すと、意思を持たないはずのゾンビ達が怯えた表情で引いた。
ヒュンヒュンと伸びる吸血血管と、広がる暗黒瘴気。
式神の周り半径50メートルのゾンビは 瞬く間に死に、腐った肉塊になった。
腐敗臭を放つ、泥のように腐食したゾンビの海に、ポツンと佇む『紺野の式神』こと『死人返り』。
しげしげと見詰める自分の手は、人間だった頃の色を取り戻している。
路上に有るガードミラーを見上げる その顔は、生前の美しさを取り戻していた。
市井紗耶香は生前の記憶を持って甦った。
この世に対するどす黒い恨みを、魔界の意思と混濁させて…
魔界街を隔離する底の見えない地割れ…
その地獄の底から、この世に出ようと ロッククライマーのように登る人影…
次々と落ちてくるゾンビを尻目に、地割れを登りきった黒いラバー製のボディスーツを着た悪魔は、
ゾンビだらけの周りを一瞥して、唾を吐き捨てた。
その唾はコンクリートの地面を溶かし、プスプス煙を上げる。
地割れを囲むフェンスはゾンビの圧力で倒され、次々と魔界に繋がる地割れに落ちていく。
そのゾンビ達を餌に 膨れ上がる暗黒魔界は、一人の元人間を甦らせた。
KEIの異名を持つ、人造舎所属の元魔人は、娘を殺されかけた藤本専務の恨みを買い、
埋葬される事なく、魔界の地割れにその遺体を投げ捨てられていたのだ。
その元人間は、魔界街に恨みを持っていた。
一人の人間を愛し、そして憎んでいた。
超絶の技巧を持つ、元魔人は愛した人間の心臓を奪うために、この世に舞い戻ったのだ。
保田圭は一匹のゾンビの心臓を無造作に抜き取った。
「…腐ってやがる」
ブシュッと動かぬ心臓を握りつぶした保田は、そのままゾンビの頭に手を乗せた。
ズブズブと沈む保田の手と、干乾びていくゾンビ。
魔界からの使者は、ゾンビを生命の糧とした。
「うん?」
保田がゾンビの群れを掻き分けて、朝娘橋の日本側ゲート近くに来ると、
腐ったゾンビの死体の中に、ポツリと佇む一人の人影を見止めた。
泥の海のようになった、腐り果てたゾンビの海を、バシャバシャと音を立てて歩き近付く保田。
「アンタ誰?」
聞いたが、カクテルドレスを来た女は薄く笑っただけだ。
その女の足元には真っ黒な瘴気の渦が渦巻いている。
女は しゃがみ込み、魔界に通じる瘴気の渦巻きに自分の腕を沈めた。
そいつの魂は魔界の闇を漂っていた…
怨嗟と無念の渦に身を置いて漂っていた…
誰かが、その無念の魂を引き抜いた…
「捕まえた…」
上半身をも海に沈めた女(市井)は、ソレを掴み上げ、ズルズルと引き上げる。
『銃人』次元と共に朝娘川から地割れに流れ落ちた、元朝娘市警察の巡査は、
市井紗耶香に引き上げられ、ゲホゲホと咽返っていたが、
市井と保田を見止め、怪訝な顔をした。
「久しぶりだね、真希」
名前を呼ばれて、ハァ?とした顔をしていた後藤真希は、次第に記憶を甦らせていく。
「…市井ちゃん?…と、アンタ誰?」
後藤に「誰?」と聞かれた保田は、「ハハハ」とだけ笑った。