――― 31話 魔法の欠片 ―――
浜口の死から3週間が過ぎようとしていた。
紺野は登校する事が出来ず、そのまま夏休みに入り、
MAHO堂の自室に閉じこもったままだ。
そんな紺野を慰めようと、毎日交代で辻、加護、安倍、矢口の
魔女見習い仲間が泊まりに来ていた。
辻からは安らぎを、
加護からは勇気を、
安倍からは優しさを、
矢口からは元気を、
毎日少しづつ貰い、少しづつ元気を取り戻していく紺野。
だが、胸にポッカリと空いた心の穴は塞がらない。
辻達の気遣いは痛いほど分かったし、嬉しかった。
それでも失った物の大きさに、身が押し潰されそうな感覚に陥り、
フラッシュバックのように、あの一瞬の出来事が頭の中に甦る。
泊まりに来ていた安倍は、ブルブル震え、泣きじゃくる紺野を
ギュッと抱きしめて、母親のように頭を撫で続けた。
慰める言葉は見付からない。
ただ抱きしめてやる事しか出来ない。
だが、無償の愛は紺野を癒していく。
紺野は辻達の前では涙を見せなり、笑顔さえ見せるようになっていた。
「ねぇ、あさ美ちゃんは、夏休みが終わったら学校に来れるの?」
MAHO堂にひょっこりと現れ、居合わせた辻と紺野に聞いてきたのは高橋愛だ。
「さぁ、分からへん」
「でも、少しづつ元気になってきたのです」
店番をしながら、ケーキを食べていた加護と辻は、少しバツが悪そうだ。
「毎日貴女達が泊まって慰めてるんだよね?」
フーンと聞きながら、加護のショートケーキの
苺をヒョイと摘まんで口に運んだ高橋。
「まぁ、そやけど…」
アッと食べられた苺を恨めしそうに見ながら加護。
「私、今日泊まっていいかな?」
「今日は ののがお泊りするのです」
「じゃあ、辻ちゃんも一緒にお泊りしましょ」
「あーい」
「…」
一抹の不安を覚えた加護。
だが、高橋は紺野とだけは何故か本当に楽しそうに喋っていたのを思い出し、
「ほなら、頼むわ」
と、辻の事もお願いしますと、頭を下げた。
ちょっぴり不安気な加護が、後ろ髪を引かれる思いで帰路に着いたのは、
夕方6時を過ぎたあたりだ。
「しかし、アンタ達、こんな物 売っても魔力なんて身に着かないわよ」
小物屋のMAHO堂には辻達が、造った魔法アイテムが売っている。
その一つを手に取った高橋は、熊の形をした粘土細工をプラプラと振って見せた。
「それは、ののが作ったウサギちゃんなのです」
「ウサギ?熊かと思ったよ」
「ウサギなのです。恋の悩みが叶うのです」
「…恋のコの字も知らないくせに」
「知ってるのです。マンガで読んだのです」
「……」
のれんに腕押しとは、この事だと気付いた高橋は、突っ込むのをやめた。
「そんな事より、さっさと店を閉めて、あさ美ちゃんと夕ご飯食べよ」
「あーい」
「…」
辻希美という名前の、とても同じ15歳とは思えない少女が、そこには居た。
ノックして紺野の部屋に入ると、紺野は夏休みの宿題をやっていた。
「お久しぶり」
高橋の笑顔に、紺野も微笑を返す。
「今日は愛ちゃんと ののがお泊りするのです。なに食べますか?」
辻は、さっそく夕ご飯の事を気にしだす。
「アハハ、じゃあ何か買い出しに行こうよ」
「行くのです!」
高橋と辻が紺野の手を取った。
夕食のメニューはクリームシチュー。
3人でキャッキャと はしゃぎながら作る夕食は とても楽しく、
そして、とても暖かかった。
でも高橋には、紺野の笑顔は造った笑顔に見えた…
紺野は夕食が終わると、机に向かって、また宿題をやりだした。
何かから逃げるように…
高橋と辻は、紺野のベッドでトランプ(ババ抜き)を始める。
トランプをしながら、高橋は今日来た目的を紺野の背中にぶつけた。
「あさ美ちゃん…どう?」
何気なく聞いたつもりだ。
「ど、どうって?」
紺野のエンピツの動きが止まる。
「…‥」
高橋は、辻のカードを抜きながら無言で紺野の返事を促した。
「うん、大丈夫だよ」
大丈夫と言いながらも項垂れる紺野は、思い出したくないのだろう。
「…ねえ、あさ美ちゃん」
「うん?」
「このままじゃ、ダメなんじゃない?」
言いながら、辻にジョーカーを抜かせて勝った高橋はトランプをケースに戻した。
「…‥」
皆の前では、明るさを取り戻しているように見える紺野…
だが…紺野の時間は、あの時に止まったまま…
忘れる振りを一生懸命演じていただけだった。
「覚悟は有る?」
「…な、なんの?」
紺野の声は震えていた。
「浜口君が最後に何を思っていたか知りたくない?」
「え?」
「何を思いながら死んだか知りたくない?」
「…そ、それは」
知りたかった。
どうしても知りたかった。
紺野が助けを求めて浜口から離れてから約20分…
その間に浜口は息絶えたのだ。
「それを知る事は、あさ美ちゃんにとって悪い事ではないと思うし…
浜口君も知ってもらって、救われるかもしれないよ。
…でも、逆に死ぬほど辛い事になるかもしれない。
今日私が来たのは、その覚悟が有るかって聞きたかったの」
「…‥」
高橋の言う所の意味は直ぐに分かった。
絶望の内、無念のまま死に行く浜口の最後の心情を知ってしまったら、
紺野の心は、次こそ確実に壊れる。
高橋は、その覚悟を問い質したのだ。
それでも、どうしても知りたい…
「直ぐ返事が欲しいの。時間が無いの…
時間が経てば経つほど浜口君の残留思念は薄れていくわ。
何週間も経った今はタイムリミットぎりぎりなの」
「…うん」
断る理由も、時間も無かった…
向かったのは、浜口が眠る墓地。
月明かりだけが頼りの朝娘寺の墓地に入った3人は、浜口家の墓の前に立っていた。
初めて浜口の墓前の前に立った紺野は、その場に崩れ落ちるように膝を付いて泣き崩れた。
火葬場から抜け出してから、紺野は葬儀にさえ参列していなかったのだ。
「ど、どうするのです?」
紺野の背中を摩りながら辻が高橋に聞いた。
「とりあえず、お線香あげようか」
高橋が持ってきた線香に火を点けて、墓前に納めて手を合わせる。
辻に支えられ、しゃくりあげながらも手を合わせる紺野は、
泣き叫びたいのを必死に我慢する。
ここで心が壊れる事は許されないのだ。
「さてと…」
拝み終えた高橋は、辻に手伝うように促す。
「何をするのです?」
「墓泥棒」
ニッと笑う高橋…
墓を暴くと聞いた紺野の手はギュッと握られ、ブルブルと震えた…
小さな木箱を大事そうに抱える紺野。
木箱の中には、骨壷から盗んだ5mm程の浜口の骨の欠片が入っていた。
そしてここは、来る事も、立つ事も辛い、朝娘川の花が散りつくしたお花畑だ。
「よく我慢したね。偉いよ」
紺野に向かって そう言いながら
「うん。いい月夜ね」と、高橋は夜空を見上げた。
「箱…開けて」
言われた通りに小箱を開ける。
http://blanch-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/data/IMG_000065.jpg 「その欠片に、あさ美ちゃんの血を一滴垂らして」
逆さ爪を切るように、小指の薄皮を噛んで血で滲んだ指を浜口の欠片に付けた。
高橋は、血の付いた骨の欠片をそっと取り上げると、
紺野の額に付けて、額に万年筆で五芒星を描いた。
「このペンは、術者、つまり私の血をインクに混ぜて作ったマジカルペンよ」
「ど、どうするの?」
「説明してなかったわね。
浜口君の骨に残った残留思念を、あさ美ちゃんの血で呼び戻すの。
これで、浜口君が死ぬ前に何を思っていたかが分かるわ」
「……」
無言で頷く紺野。
「最後に もう一度確認するけど、覚悟はいい?
浜口君、絶望の中で死んでるかも知れないわよ。
その時は、彼の思念は、あさ美ちゃんを蝕み現実世界に戻って来れなくなるかも知れないのよ」
「…」
廃人になってもいい…
黙って再び頷く紺野は、その場合は浜口の想いと心中する覚悟をしていた。
「そう…わかったわ」
頷き返す高橋も覚悟を決めた。
紺野が絶望に打ちしがれ、現実に戻って来れなくなったら、自分が連れ戻す。
心の闇の迷宮に迷い込んだ人間を現実世界に連れ戻す事は容易ではない。
その人間の迷宮に自分も入り込むからだ。
失敗すれば術者自身も戻ってこれない可能性が高い、
危険な救出魔法を、高橋は在る覚悟を持って決意していた。
そのために高橋は、紺野の覚悟を確認したのだ。
自分が死んでも、紺野を救い出す。
何故、紺野のために自分が命を懸けるのかは高橋自身判からない。
判からないが、解かっている事が一つだけ有った。
初めて出来た友達。
その友達を失いたくなかった。
多分、それが理由なのだろう…
そして、もう一つ。
浜口は、紺野を苦しめる事はしない筈。
漠然とだが、そんな気がした…
「じゃあ、いくわよ…」
紺野の前に立つ高橋が、両手を掲げて月の光りを集めだした…
固唾を呑んで見守る辻は、瞳を閉じた紺野の額がボウと光り、
月明かりが額の五芒星と、紺野が立つ地面に描かれた五芒星に集まるのを見た。
紺野の右手には、浜口が倒れたときの土が握られ、
左手には、浜口が見せたがっていた花畑の枯れかけた葉が握られていた。
額に付いた小さな骨の欠片は、溶けるように額に消えていく。
「あさ美ちゃん!」
辻が倒れ掛かる紺野を抱きとめ、そっと地面に横たえる。
高橋が説く呪文が終わると同時に、紺野は崩れ落ちたのだ…
紺野の目の前の光景が突然変わった。
青々と葉が茂った、まだ蕾の状態のお花畑で、紺野は仰向けに倒れていた。
横たわっている自分の胸には、真っ赤な鮮血。
(あぁ…さっき撃たれたんだっけ…)
その血を必死に押さえるのは、もう一人の自分…
(アハハ、変な顔…)
必死になっている、もう一人の自分は、自分でも笑ってしまうくらい情けない顔をしていた。
もう一人の自分は、「待ってて助けを呼んでくる」と言いながら、どこかに消えていく…
「ハハハ、期待しないで待ってるわよ」
目の前に広がる空は、吸い込まれそうになるくらい青い…
雲雀が飛ぶ、青い空をぼんやりと眺めている自分…
胸から噴き出る鮮血は止まりそうにない。
(死ぬのかな…?)
何故か怖くは無かった。
ただ、ちょっぴり寂しかった。
「俺、ちょっと飛行機に乗ってるわ
あの時に皆で造ったグライダーや
それで、オマエを見守ってるから心配すんなや
なぁ、紺野
悩んだり、迷ったりした時は、空に向かって俺を呼んでや
俺は、すぐに飛んでくるでぇ
だから、あんまり悲しむなや」
ハハハと笑う浜口の声が空に溶けていく…
「ふえ〜ん…」
自分の情けない泣き声で目が覚めた。
目の前には、辻と高橋の心配そうな顔。
「…会ったよ。優君と」
「なんて言ってたのです?」
「教えて?」
辻と高橋は優しく微笑んでいた。
「心配するなって…」
辻と高橋は顔を見合わせて頷いた。
「悲しむなって…」
微笑み返す紺野の頬は涙で濡れている。
だが、その涙の意味は、2人に向かって微笑む紺野の笑顔が教えてくれた…
帰り道…
紺野は思いついたように切り出した。
「ねぇ愛ちゃん、優君のご両親にも教えてあげよ」
「うん。いいよ」
「それから、矢部君達にも」
「うん。じゃあ連絡しよ」
「今からでも、いいかな?」
「うん。いいと思うよ」
月光は囁く…
今夜しかないと…
忙しい夜になりそうだった…
数日後。
高橋の携帯に留守電が入っていた。
愛ちゃん…
私ね、決めてたの…
魔女をやめるって。
でね、優君に聞いてみたの…
やめていいかなって。
そうしたら、空に居る優君が答えてくれたの…
やめる事はあらへんって。
えへへ…
それだけ。
携帯を持っていない紺野は、MAHO堂から掛けているのだろう。
「仕方ないなぁ…効き目の無い魔法グッズでも、冷やかしに行くか…」
高橋の意地悪な独り言の声は、嬉しそうに弾んでいた…