島にはもう一軒、カフェがある。圭織が作った店だ。
圭織は二十一歳。遠くの島の短大から帰ってきて、このカフェを開いた。
大人がリラックスできるような、最高の空間づくりを目指している。
そのため、開店して間もないながらも常連の客というものがあった。
大人ばかりのなかで、カウンターで雰囲気と一つになるのが圭織の至福の時だ。
でも、まったりと過ごしたいのは大人だけではない。
ひとみは十七歳。梨華と同い年で、仲はいい。
ただ嗜好が少し彼女とは異っているので、四六時中一緒にいることはひとみにとっては少し疲れる。
ひとみにとっても、このカフェが大事な場所であることは変わりないのだ。
この店が出来てから、自宅での味の研究も「この店で出すにふさわしい味」というテーマに変わった。
試作品を持ってきては圭織に食べさせる毎日を過ごしている。
ひとみが朝からここにやってくるのに対して、昼過ぎにやってくるのが亜依のいとこの真希だ。
島に初めてやってきた二週間前、亜依に連れられて島を散歩したことがあった。
そのとき心を惹かれたのが、圭織のカフェだった。
「ヴィーナスムース」
高級そうな響きがした。ただそれだけだった。
最初は入りにくかった。小さな島のカフェ。仲間意識が渦巻いているところだと思った。
ところが、小さく開けたドアの隙間越しに、ひとみと目が合った。
彼女もまた、このカフェには似合っていないような気がした。ほとんどの客が忙しそうにしている
大人か、騒いでいる新物好きそうなおばちゃん達である中、若い女が一人カウンターに腰掛けて
いるのは部外者の真希にとっては変に見えた。
そろそろと中に足を踏み入れ、ひとみと一つ間を空けて席を取った。
長い間、二人とも話をしなかった。ひとみは空気と一つになっていたから。
次第に真希も気分が落ち着いてきて、つい寝てしまう。
閉店時間になって、やっと起こしてくれたのがひとみだった。
夜の公園で少しおしゃべりをした。話が合うコだと思った。
それから、真希は暇なときはこのカフェに行くようになった。
日本からこの島の取材に来た女性がいる。矢口真里だ。
親の反対を押し切って、フリーのライターになった。仕事を続けていくうちに、日本の会社の
ために働いているこの島が気になり出した。
取材を続けていくうちに現地の女の子たちとすっかり仲良くなってしまい、もう島に来て一年
を過ぎてしまっている。自宅もあるし、父親が自動車販売店勤務なので小さな車も持って来ている。
何一つ変化のない普通の生活だが、まだまだ新参者な矢口にとっては、それが逆に新鮮に思えるのだった。
最近は圭織のカフェの特集記事を書こうと、取材に毎日通っている。
「体で感じないといい文は書けない」というのが矢口の考えで、ひとみと同じように何もせずに
ゆっくりと時を贅沢に過ごしている。そのためか、自然とひとみとも仲良くなり、ひとみがカフェを
語る時使う抽象的な形容詞語を理解して、それを記事にしたりしている。
この日も、矢口は圭織のカフェを出て、ひとみを自宅研究所に車で送りながらおしゃべりをしていた。
公園のわき道を走っていると、突然矢口の車をカフェ「acp」の車が猛スピードで蛇行しながら追い抜いていった。