後藤家から五十メートルほど離れた所で、あさ美は道路にへなへなと座り込んでしまった。
「…の…ん…ちゃん…怖かった…」
手を引っ張られて、希美もしゃがむ。
「もう大丈夫だから。安心しな?…その友達探せばイイだけだし。ね?がんばろ?」
誰も通らない、ひんやりとしたその道の空気が、次第にあさ美の心を落ち着けていった。
あさ美が小さく「うん」と返事をして顔を上げると、希美は言いたくてたまらなかった言葉を口にした。
「…っていうか、パンツ見えてるよ?」
慌てて股間に手を当てるあさ美。その動作がなんだかおかしくて、二人は思わず吹き出した。
ひとしきり笑い転げて、白線だけで区切られた歩道の上にそれぞれ大の字になる。
星もまばらな夜空が、二人の地球を包んでいた。
「どっか泊まろっか」
希美の言葉で、あさ美は「何も考えない」物思いから引き戻された。
駅前に戻り、あたりを見回すとホテルを名乗る看板がいくつか目に入った。
「どれにする?」
「ののちゃんお金残ってる?」
「あ、そっか」
財布を探ると、残金は二千円を切っていた。
あさ美がため息をつく。
「確か日本のホテルって一泊二万円とかするんだよね?」
「えぇー!?もっと安いところ探そうよ!」
「安そうなところ…」
もう一度あたりを見回す。すると…
希美が一点を指差した。
「あれ安っぽい!」
コントのセットにでも使うような、ちゃちな作りの「お城」があった。
壁面には光り輝くネオンサイン。名前は、
「Hotel シンデレラキャッスル」
とあった。
近づいてみると、変に静かで、妙な雰囲気が二人を包んだ。
少し入ったところに、料金表が点っていた。
「あああさ美ちゃん見てきてよ!」
「や、やだよなんか怖いよ」
結局、二人手をつないで恐る恐る覗きに行った。
料金表にはどうも不可解なことが書いてあった。あさ美が首をかしげる。
「…ご休憩?」
その時、背後で男の声がした。二人は飛び上がった。
「あぁ、休憩だよ。サラリーマンのおじさんがな、仕事で疲れるから、ちょっと楽しみたいと
思ったときに来るんだよ。若い女の子を連れてね」
「女の子?」
中年男は後ろにいた女性を指した。
「そう、マッサージをしてもらってね、リラックスするんだ。だからここは子供の来るところ
じゃないぞ、家に帰りなさい」
そう言って、男はとても楽しそうに笑った。
二人は素直に敷地から出て、中に入っていく男と若い女を見送った。
「…日本人は大変なんだね、マッサージが必要なんて」
「世界で一番働いてるんでしょ?」
「いや、本当はアメリカ人の方がたくさん働いてるんだって。休日が少ないのは日本なんだって」
「へぇ…じゃぁ日本人から見たらプリッツアイランドの人たちとか楽園だろうね」
「あそこは…異常だよ。とにかく駅に戻ろっか」
二人が魅力的な看板を見つけたのは、駅に戻る道の途中だった。
「カラオケ うたパーク」
「終電を逃した方に!オールナイト(朝5時まで)お一人様980円」
希美がはしゃぐ。
「そうだよ、カラオケでいいじゃん!」
通された個室は、三畳程度の最小個室だった。充満するタバコの匂い。小さな椅子。ガラス張りのドア。
寝室に適しているとは言えないが、無いよりははるかにマシだ。
歌本をめくっても、殆どのページが知らない歌で埋まっている。
数曲浜崎などを歌って、その後はすることが何も無くなってしまった。
一人の欠伸がもう一人に伝染し、それを繰り返して…
お互いよりかかりながら、二人は眠りに落ちていった。
あさ美は突然ベッドから落ちる感覚で目を覚ました。
「人」の形の支えになっていた希美がいつのまにか消えていて、
あさ美は硬いソファの座面に崩れ落ちていた。
部屋を見回すと、希美はすぐ足元の床にL字型になって眠っていた。
時計は午前五時前を指していた。まだ早い、もう一度寝よう、と横になった瞬間、
けたたましく電話のベルが鳴った。
『お時間のほうあと五分となっておりますが、どうされますか』
気づかずに眠っている希美の様子を伺いながら答えた。
「七時まで延長します」