もう夕暮れ時だった。二人はついに白金台にある新しめの家の前にやってきた。
「後藤」
日本中のどこにでもある姓。二人もその程度のことは分かっていた。単なる一般人。
だが、二人にとっては重要な人物だ。
親友をたぶらかして失踪させたのはこの男だ。
もしかしたらこの建物の中にあいぼんがいるのかもしれない。
二人は意を決して、玄関の呼び鈴を押した。
スピーカー越しに応対に出た声は女子高生のもののようだった。しかし亜依とは違う。
「後藤祐樹さんはいらっしゃいますか」
あさ美が刑事のような声で尋ねる。
数秒の沈黙の後、声は答えた。
「出かけてるみたいですけど」
しかしここで帰るわけには行かない。あさ美は強気で言った。
「ではお帰りになるまでここでお待ちしてもよろしいでしょうか」
少し驚いた様子で、声は返事をした。
「いいけど…なら中入って待ってたら?今開けますから」
緊張した面持ちで門を開ける希美。十五メートルほど離れた家の玄関も今開こうとしている。
そして敷地に入って二,三歩進んだところで、二人は棒立ちになった。
家から出て、向かいからやってくる人物。見覚えのある姿。
まさしく、それはヴィーナスムースの元メンバーの姿。
昼前に亜依とは会っていないことを表明したはずの、後藤真希の姿だった。
「…そんなバカな」
あさ美が呆然とした声でつぶやく。完成しかかったパズルを、額の後ろから叩かれた気分だった。
真希は更に近づいて、来訪者の正体が分かると驚いた顔で駆け寄ってきた。
「どうしたの二人で?祐樹が何かしちゃった?っていうか何で祐樹を知ってるの?」
開いた口をひくつかせているあさ美を見て、希美が代わりに話す。
「後藤さん…と祐樹……さんってもしかして…」
「うん、祐樹は弟だよ?」
「え、でもさっきあいぼんとは会ってない、って…」
真希は少し考える仕草をする。だんだんと先が読めてきた。
「うん、会ってない。今も会ってない。…さては祐樹が…亜依ちゃんに何かしたんでしょ、だから祐樹を追ってきた」
「あいぼんが昨日のステージ中に見つけた人について行っちゃった可能性が高いんです」
「あぁ、祐樹はそういや何か友達と一緒に和田さんの所にいたねぇ」
あさ美が身を乗り出す。
「それから、どうでした?」
首を振る真希。
「私はよっすぃと話してたから、分からない。別々に帰ったし。まぁ上がってよ。リビングで話しましょ」
二人がリビングのソファに腰を落ち着けると、真希は冷蔵庫から飲み物を持ってきて、向かいに座った。
「これでいいかな、フラダンス味はお嫌い?」
「いえ、ありがとうございます」
一口飲むと、真希は背もたれに反り返って大きく息を吐いた。
「祐樹は夜私が帰ったときには普通に家に戻ってたから、部屋に隠れてなければ、あいぼんは
この家にはいなかったと思う」
あさ美はそろえた膝の上に肘をついて、頬づえをつきながら考え込んだ。
日本で履くために恥ずかしいのを我慢して買ったミニスカート。
後藤家のふかふかのソファでは「防ぐ」のも難しい。
「…となると部屋にいたか、友達の所にいたか、まるで見当違いか、のどれかですね」
突然真希が立ち上がる。
「部屋みてみる?」
祐樹の部屋は、綺麗とも汚いとも言えないものだった。ただ、乱雑ではあった。
真希は遠慮せず入ってゆく。二人もそれに倣った。
周りを見回して、亜依の持ち物が残っていないか探す二人。
真希はベッドの枕あたりを探していた。
「長い髪の毛もないし、乱れ方も普通…普通ってその、一人分ね…」
言ってから少し顔を赤らめる真希。ちゅ、中三には早いか。
健全な二人は真希の様子には気づかず、ため息をついた。
「No Hitですね…」
「そろそろ祐樹帰ってくるかもしれないから、リビング戻ろっか」
跡を残さないように部屋を出る三人。
「そういえば、祐樹さんは今日はどちらへ?」
「ん?ガッコ。っていうか部活」
「高校生なんですか?」
「そう、日出学園ってトコね」
なるほどと頷きながらスカートを押さえるあさ美。
階段って意外にアレなんだ…とその時初めて気がついた。
六時半過ぎに、真希の母親が帰ってきた。ハーモニープロモーションで見かけた写真の女性だった。
「祐樹は外泊の時はちゃんと連絡してくるから、まぁ遅くてもそれまでには帰ってくると思うから、
ゆっくりしていってね。今何か作るから」
希美は自分の口が脳とあまり完全には繋がっていないことに気づいた。
「あ、どうぞおかまいなく、遅くまでお邪魔してすみません」と言おうとしたのに。
そう言うべきだったのに。
「あ、何でもいいんで、ありがとうございますすみません」
これじゃ誤解されちゃうよ。まぁ本心だけど。口は理性よりも物を言うってか。
あさ美ちゃんもそんな顔しないでよ。おなか鳴ってるくせに。バレバレだよ。
スカート短いし。足細いっていいね、まったく。
昼から何も食べていなかった分、二人はよく食べた。
実際、何日放浪するかも分からないし、お土産用の日本円も充分とは言えない。
食べられるときに食べないと、面倒なことになる。そして真希もよく食べる。
結局少女たちの食事は、食べ終わった皿を重ねなくてはならない状況にまで膨らんだ。
しばらくしてそれに気がついてからというものの、二人は妙に椅子にかしこまったまま黙っていた。