その空気の変化は島の各地にいる娘たちもそれぞれ感じ取っていた。
「すご…」
高橋愛は大きく目を見開いて空を見上げた。
どれだけ離れた場所で誰が発しているのかも分からないが、圧倒的。
いや、誰が発したかは今に分かる。次に勝利者として名を呼ばれる者だ。
藤本美貴は岩場の影でこの気を感じ取った。
(どこのどいつか知らねえが…おもしれえ)
ゴロンとそこに寝転がり身を休める。
本当に戦いたい奴とぶつかるまで無駄な体力は使いたくない。
松浦亜弥はボートが到着した絶壁地帯をようやく抜けた所だった。
(この気…どっかで)
そして島の何処かで爆発的に立ち昇った気に、何かを感じ取る。
彼女こそ加護亜依と辻希美の両名と本気でぶつかった経験を持つ唯一の娘である。
安倍なつみは胸騒ぎを感じて眉を歪めた。
不吉な予感がしてならない。この気と戦っているのがあの娘である様な…。
(のの…じゃないよね。死ぬなよ)
身を案じはするが助けにいくつもりはない。
これはジブンの闘い。他の誰かが横から手を出していいものではない。
なっちにはなっちの闘いがある。
さっきから自分を見下ろす影に気付いていた。
(やれやれ…いつまで隠れてるつもり?なっちを恐れて出てこれないの?)
これ以外の娘達もそれぞれが様々な想いで、三倍拳の気に気付いた。
驚いたのは島内の者だけではない。
モニター観戦する海岸沿いの解説陣も固唾を呑んでいた。
「あの強さからさらに三倍だとぉ…反則じゃねぇのかよ」
「ククク…反則やない。あれが加護亜依の奥義や」
「つんくさんよぉ。あんたが余裕ぶってる理由がわかったわ」
保田圭はひたいに流れる汗をふき取り、考え込む。
モニターには呆然とする辻と、立ち尽くす加護が映っている。
(勝負あったわね。辻が手を出そうが関係ない。二人のレベルが違いすぎている)
(それにしても加護亜依。信じられないバケモノがいたものね…)
(もしこの先、うちの子達とぶつかったとき…勝てるか?)
(いや勝てる!ただ三倍なんてうますぎる話があるはずない。絶対どこかに弱点がある)
(せいぜい今のうち余裕ぶっていなさい、つんくさん)
(うちの亀井絵里。田中れいな。道重さゆみ。そして藤本美貴。全員バケモノよ)
内心でほくそ笑む保田と同様に、つんくも裏で笑う。
加護は切り札の一枚にすぎない。まだ後ろに石川梨華、中澤裕子らが控えている。
さらに隠されたカードもある。負ける要素がない。
ハロプロで辻を指導したこともある石黒は特に衝撃を受けていた。
三倍拳にはあの福田ですら顔色を変えていた。
まさに格闘技界の常識をうちやぶる脅威の秘技!つんくは高笑う。
「ハハハハハハハ!負ける要素があらへんわ!」
「さぁ加護!とくと見せてやれ!三倍拳の破壊力!!」
遠くにいたはずの加護はいつのまにか間合いの内にいた。
もはや辻には見えてすらいない。三倍のスピード。
辻は咄嗟に顔面をかばう。
信じる!ガードはしない!そう宣言した両腕で。
本能が…その両腕を動かした。
ガードの上から人間の力とはとても思えない打撃がぶつかってきた。
三倍のパワー。例えるなら超特急金属ハンマー。
もしガードをしていなかったら…そう考えると凍りつく。
(死んでいた)
間違いない。
あのままノーガードでいたら、頭蓋骨が破壊されていた。
事実、両腕が死んだ。
ガードした腕が動かない。たったの一撃で!?
(…!?)
辻は思考を止めた。
攻撃をくらいほんの少し思考している間に、加護の姿が消え去ったのだ。
(いな…)
いないと思うのも間に合わない。
その思考を脳が体に伝達する前に後ろから足を掴まれた。
クイッ。
指だけで膝の関節を外される。外されながら投げ落とされる。
三倍のテクニック。
仰向けに倒された辻のみぞおちに加護が全体重を乗せたかかとを落とす。
三倍の体重。
静かな森に辻希美の声に鳴らぬ悲鳴が響く。
もはや勝負と呼べるものではない。一方的な殺戮。
加護は三倍拳を解除する。
これ以上使用する必要はない。
辻はもう起き上がる力すら残されてはいない。呼吸もか細い。
ただ虚ろな瞳で加護を見つめるだけ。
「わかっただろう」
「…ヒュー……クヒュー……」
「まいったと言え。そうすれば命は助けてやる」
「……ッウウ…」
加護はまた辻の腹を踏んだ。
「ゲェゲホッ!」
逆流した胃液が辻の口から吹き出て、顔に落ちる。
「最後だ。まいったと言え」
加護は辻を踏んだまま、問いた。
もう何もできない辻は力を振り絞った。
振り絞って、首を横に振った。
「…ぁ……ぃ…ぼ………ん」
「そうか。死ね」
言い放つと加護は、静かに強く、辻の首を掴み天に持ち上げた。
両手の握力でギリギリと辻の首を絞める。
胸が張り裂けそうだ。
こいつを殺せばこの痛みから解放されるに違いない。
加護はさらに力を込めた。
「死ね」
口に出た。
バカな奴め。
一体何を望んでいるというのだ。
何の抵抗もせずただ殴られ続けて。
逃げもせず。懇願もせず。立ち上がる。
あげくの果てにこの様だ。
何の意味も無く死んでいく。こんなバカなことがあるか。
なぁ…
ポタ。
何かが落ちてきた。
冷たい。これは何だ。
涙?
まさかお前、泣いているのか?
今更死ぬのが怖くなったのか?
アハハハハハハ。
どれ、その泣き面、拝んでやろう。
バカめ…
ん?
笑っている?
なんで笑っているんだ、お前。
とうとう頭がおかしくなったか?
ボコボコに殴られて、首を絞められて、これから死ぬ奴が、なぜ笑う!?
この涙は嬉し泣きだとでもいいたいのか。
ミリィ…
やめろ!
その笑顔をやめろ!胸が痛い!
なんでだ!?なんでこんなに胸が痛む!?分からない!何も分からない!くそっ!
「やめろーーー!!!」
持ち上げていた辻を地面に叩きつけた。
奴はむせかえっている。
私も呼吸が荒い。
いらだつ。
なぜ奴の涙と笑顔にこんなにも、私の体が抑制されるのか!!
やはりこいつだ!
こいつが生きている限り、私に自由はない。
とどめを刺せ!加護亜依!
奴はもう何もできやしない。
笑うことと泣くこと、それだけで精一杯だ。
コロ…
「…ぅれ…し…ひ……」
ドクン。
また胸が熱くなった。
体が動くことを拒否している。
何なんだ!何なんだお前は!!!
「……ぁぃ…ぼ……っ…ょく……なっ……れふ……」
何を言っている!
やめろ!
その笑みをやめろ!
その口を止めろ!
その涙をやめろ!
「…か……なぅ……よ………ゅめ」
ドクン!!
ゆめ。
その単語が背筋をゾクリと駆け抜けた。
信じられない。
お前まさか本当に笑っているのか!?
私が強くなったことを本当に、涙を流すほど喜んでいるというのか!?
…本物のバカか!?
「……ぁ…ぃ…ぼ……ん……」
うわあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
(…………のの)
違う。出てくるな!
(……ののっ……)
殺すんだ!こいつを殺すんだ!!
(…のの!)
お前は誰だ?さっきから私の胸を締め付けるお前は誰だ!?
この肉体は私の物だ。今から奴の息の根を止めるんだ!
(ののっ!!)
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!!!!
私は地上最強になるべくして誕生した存在!!
この肉体をこの私が支配することこそがお前達が望む夢だろう!!
(ののぉーー!!!)
捨てる気か!?お前は夢を捨ててそいつを選ぶのか?
あれほど追い続けた夢を、この私を捨てる気か!?
不可能だぞ!私抜きで地上最強を目指すなど!
考え直せ!甘っちょろい貴様だけで進める道じゃない!
加護亜依!!!
「なぁ…将来の夢ってある?」
「うちはある。あった。もう叶いそうにないけど」
「死んだおとん、格闘技してたんや。全然よわかったんやけど」
「そのおとんが褒めてくれたん。亜依は強い子やって、いつか一番になれるて」
「一番…なりたかたなぁ…」
なんだそれは…?
私に何を見せる気だ!?
「そういえば名前、まだちゃんと聞いてへんかった」
「辻希美!ののって呼んで!」
「加護亜依や。あいぼんでよろしゅう」
おい!待て!やめろ!この映像を止めろ!
「だってあいぼんは地上最強になる人らもん」
「せや!」
「ののはあいぼんが地上最強になる為らったら何でもするのれす」
どうなっている?
これじゃ…これじゃまるでこいつが…!このバカが…!私の…
(トモダチ?)
嘘だ!嘘じゃない?もしそうだとしたら…私は。私は…とんでもないことを?
辻…のの!…死ぬな!おい!お願いや。死ぬな!死んだあかん!!死んだあかんで!!
「ののぉーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
「……ぃぼん……」
「のの。うちや!ごめんな!ほんまごめんな」
「…ぃ……ぃ…よ…」
「ののは一回もうちに手ぇ出さへんかったのに…うちは…うちは…」
完全に目が覚めた。
私は心の底から親愛する相棒を抱きしめた。
彼女は、辻希美は、闇に染められた私を信じて、すべてを受け止めたのだ。
それに比べて私は…私は何て弱い…。
闇のせいだけじゃない。
きっと私の心の片隅に少しでもそういう気持ちがあったということだ。
(辻希美に負けたくない)
そういう気持ちがあったということだ。
「もぅ離さへんから!ずっと一緒におるから!…のの……」
微かな吐息と共に、仰向けに眠る辻希美を、抱きしめて泣いた。
(このままずっと一緒に…)
そう想っていた私の心を現実に呼び戻すかの如く、その音は突然響き出した。
『ザ、ザザー』
このスピーカー音。大会主催者つんく!それは決着の合図!!
血の気が引いた。
『勝負ありぃ!!』
『敗者!つ…!』
「あかん!!!!ののはまだ死んでへん!!!!!!!!!!!!!!」
モニターの向こう側。解説連中まで届く程の大声で、加護は叫んだ。
瀕死の辻を抱きとめながら、必死でスピーカーを睨む。
「ののはまいったも言ってへんし。意識を失った訳でもない!!だからまだや!!
なによりうちが勝者であることを認めてへん!!勝手に決めんなアホ!!」
この反論に島から遠く離れた解説陣は苦笑をこぼす。
無理もない。
つんくが誇らしげにしていた加護が、そのつんくをアホ呼ばわりしたのだ。
石黒は必死で笑みをこらえている。保田などはあからさまに笑っている。
「勝者がああ言っているんだ。勝手に勝敗を決める訳にはいかんだろ。つんくさんよぉ」
一人クールに意見を述べる福田明日香。
石黒も同調するように頷く。
「ま、まぁ、しゃーないやろ。今回は大目に見たるわ」
つんくは寛大な素振りを見せ付け、決着を取りやめる。
しかしその内面はドロドロに怒りが沸騰しきっていた。
(おのれ加護ぉ…!!誰がアホやと…)
我慢ができなかったのか、つんくは解説席を立ち上がり出て行った。
モニターの設置されたテントを出て側近に声をかける。
「おいアヤカ!加護についとるKに連絡は取れるか?」
「はい、K全員に小型無線を渡してありますので」
「辻にとどめを刺せと命じろ」
「は、はい」
「あんなボロ雑巾くらい訳ないやろ!俺に逆らえばどうなるか教えたる!!」
すぐさま加護と辻の戦いを遠巻きに眺めていたK二人に連絡が入る。
高橋愛と闘ったこともあるKのトップファイター・村上愛
Kだけでなく格闘技界最速にも手をかけるスピードファイター・矢島舞美
命令が入ると二人はすぐ木の上から飛び降りた。
「なんやお前等!」
「加護さん。あんたにもう用はない。そこの怪我人を渡してください」
「…ののをどうする気や!?」
「とどめをさすだけです」
ブチリ…
堪えていた怒り。
たった一人の相棒を瀕死に追い込んだ自分への怒り。
そうなる様に仕向けたつんくへの怒り。
Kの村上が吐いたセリフにより、渦巻いていた加護の怒りが爆発した。
「…ののに、指一本でも触れたら…殺すで」
それはこれまで加護が見せたことも無い鬼の表情であった。
思わずたじろぐ村上と矢島。
だがマスターの命令に逆らう訳にはいかない。
目的は加護ではない、動けない辻だ。恐れる必要はない。
そういう気持ちがK二人を突き動かした。
まず村上が加護の注意をひきつける。その間に速さに自信がある矢島が辻を捉える。
暗黙でその作戦を実行する。村上と矢島は左右に飛んだ。
ドンッ!!
一瞬であった。注意を引き付ける間もない。
飛び出したその瞬間に村上は蹴り飛ばされていた。加護亜依に。
矢島は急ブレーキをかける。
村上を蹴り飛ばした加護が、もう自分と辻の間に移動していたのだ。
(三倍拳…三倍のスピード………)
速さには自信があった。
だが加護の速さは常識を超えすぎている。
自分が対面して改めて感じる三倍という恐ろしさ。
村上は蹴り一発で気絶してしまっている。恐らくはもう立ち上がれまい。
三倍の攻撃力だ。それで当たり前。
ノーガードで加護の攻撃を何十発も受けてまだ意識のある辻がおかしいのだ。
(…ダメね)
矢島は回れ右して逃げた。
もし一対一だったら例え矢島でも逃げ切れなかっただろう。
だが今の加護は辻一人残して深追いしない。
矢島は逃げ切った。命令に逆らうことよりも加護亜依を恐れた結果であった。
『敗者!村上愛!』
『勝者!加護亜依!』
『残り35名!』
スピーカーから、つんくの怒りを堪える声が島中に鳴り響いた。
「のの」
「…ぁい…ぼん」
木の木陰に寄り添いながら、二人は互いの名を呼び合う。
本当に、ようやく、やっとやっと会えた。
「とりあえずここは目立ちすぎるから、何処か休めそうトコ探そ」
「…ぅん」
そう言うと加護は辻をおぶる。
「軽なったなぁ。昔は重かったのに」
「…ぅ…る…ひゃ…い…」
「これならいつまでもおぶってられるで。だから安心してええよ、のの」
「…ぅん」
加護と辻は再び歩き出した。
怪物どもが待ち受けるこの島に安息の場所など無い。
それでも道が続く限り歩き続ける。
二人で。
「愚かな。加護一人ならば本当に頂点も見えたでしょうに…」
モニターを見ながらアヤカは呟いた。
瀕死の辻希美という足かせを背負った以上、道は絶たれたも同じ。
つんくは苦虫を噛み潰した様な表情でため息を落とす。
「断言してもええで。加護はいずれ必ず辻を捨てる」
「そうでしょうか?」
「今はまだ現実味が無いだけや。最強の栄光が手に届く場所に迫ったとき、人は変わる」
「なるほど」
「勝てる相手なのに辻が足を引っ張って勝てない。そういう状況が続くと、な」
「変わりますか」
「変わる。敗北を選ぶか友情を捨てるかで苦しみ、そして…ククク」
アヤカは闇に染まる支配者の顔に、背筋が寒くなるのを覚えた。
加護は敵にしてはいけない男を敵にしてしまった。
モニターに映る小さな影に、少なからずの同情を覚える。
「こっからまた始まるんやで、のの!」
「…ぅん」
「うちらの夢や!絶対に二人一緒に叶えような、のの!」
いつまでも、二人一緒に。
辻と加護の道は続く。
第39話「加護亜依vs辻希美」終わり
次回予告
バトル・サバイバルは徐々にその激しさを増してゆく。
亀井絵里。松浦亜弥。石川梨華。
島の各地でいよいよ血の雨を降らす怪物たち。
「エリも遊んじゃうよ?」
To be continued